2016/5/23

最後の「おふくろさん」  FAMILY

やっと、少し落ち着いてブログを書く気になりました。


5月11日(水)12時44分、おふくろさんが永眠しました。83歳でした。


ここから先はとても長くなると思いますので、読みたい方のみご覧下さい。







何から書けば良いのでしょう・・・

私が独立した2005年の冬、おふくろさん72歳の時に「ホーム」に入りました。
60代初めより症状がではじめた認知症が進み、通常の生活に支障をきたすようになってきたからです。

(今は既にない)練馬の実家に施設の方が迎えに来て、その車に乗せようとした時に
「私がこの家を空けたら、お父さんやナルユキが帰ってきた時どうするんだい!!」
と言って、泣き叫んで乗車を拒んだおふくろさん。私は泣きながら、おふくろさんを車に乗せベルトで固定しました。

施設に着いてからのおふくろさんは驚くほど大人しく、「あんた、また引越し?」と小さな声で言ったことを昨日のことのように覚えています。

いつでも私が会いに行くことができるようにと、私の家から車で10分ほどの施設を選びました。
民間の施設でしたのでその負担はかなり高額でしたが・・・。

おふくろさんは元々生花の先生や和裁の先生をやっていました。
なので、おふくろさんに会いに行く時には「お花」を持っていくようにしていたのですが、ある時施設のケアマネージャーさんから連絡があり「一木さん、次からはお花は持ってこないようにして下さい。」と言われました。私が「何故ですか?」と聞くと、ケアマネさんが「お花を食べちゃうんです」という驚く答えが帰ってきました。

どうやってやったのかは全くもって不明ですが、部屋のラジオやテレビを分解しちゃったり、テッシュを箱から出して畳み直してベッドの横に並べたりと、おふくろさんの行動は意味不明なものになるばかりでした。それ以来、おふくろさんの部屋はベッドと(おふくろさんの手が届かない高さの)壁掛け時計以外、何もない部屋になりました。衣類や必要なものはケアマネさんが管理していました。

ある時、私がおふくろさんの部屋のドアを開けると、
「悪いねぇお兄さん、今日はナルユキ帰ってこないからお寿司は頼んでないのよ」と。
私が小学生の頃にあった「寿司事件」以来、おふくろさんは私が実家に帰る時は大抵出前寿司を頼んでくれていました。→20080301「おふくろさん」参照
私が「おふくろさん、俺は寿司屋じゃないよ、ナルユキだよ。」と言うと、しばらく私の顔を覗き込んでから「えぇ〜ナルユキはもっと髪の毛が長くて、小さかったよ、あんた一体誰だい!」と。

そんなおふくろさんも、一人でトイレに行こうとして転んで大腿骨骨折したり、腰が曲がって内臓が圧迫されて手術が必要になったりして、入所から5年後にはほぼ寝たきりとなってしまいました。

ちょうどその頃、私の家からほど近い所にある「特養」に空きが出て運良くそちらに移ることが出来ました。
一日のほとんどをベッドの上で過ごす日々でした。
会いに行っても8割がた寝ていました。
会話することもなく、ただ傍にいるだけでしたが月に2〜3度会いに行くようにしていました。

最後に「生きているおふくろさん」に会ったのは4月の日本選手権の前々日でした。
おふくろさんは、いつものように口を開いたまま寝ていました。
「おふくろさん、がんばってくるよ」
と手を握ると、わずかに握り返してくれたような気がしました。

オリンピック出場という目標を達成することは出来ませんでしたが、その時出来ることを一所懸命やることは出来たと思います。
私が小さかった頃、おふくろさんはいつも

「やりたいと思ったことを真剣にやりなさい。一所懸命にやりなさい。」

と教えてくれていました。

戦争の真っ只中に生まれ、中学校もまともに卒業できていないおふくろさん。
それでも私に勉強を強要することは全くありませんでした。
大学を卒業して水泳のコーチになると言った時、「人にものを教える立場になるんだから、人の何倍も勉強しなさい」と、初めて私に「勉強しなさい」と言ってくれました。そして上記の「やりたいと思ったことを真剣にやりなさい。一所懸命にやりなさい。」に加えてこう言いました。

「大切な人を喜ばせなさい」
「大切な人を勝たせてあげなさい」
「それがあなたの勝ちです」


あれから30年以上が過ぎ、私はおふくろさんの言葉を守れているのだろうか。
ここ数日間ずっと考えていました。
もっともっと勉強しなくちゃいけない、もっともっと喜ばせなくちゃいけない、もっともっと勝たせてやらなくちゃいけないなって。



私の日頃の行いが悪い所為で、おふくろさんの最後を看取ることはできませんでした。
施設に駆けつけた時には既に顔に白い布をかけられていました。
その時は「あぁ死んじゃったのか」っていうくらいの感覚で、(うまく言葉や文章で表現できないのですが)おふくろさんの「死」というものに直面しても実感はほとんど湧いてきませんでした。

葬儀屋さんとの打ち合わせの時も、おふくろさんに向かってお線香をあげても、何をしても、「おふくろさんが死んだ」という実感はありませんでした。遺影にする写真を選んでいても・・・。

葬儀は私の家族と親族のみで行いました。
遺体を目前にしても全くと言っていいほど実感がなかったのですが・・・
棺にお花を入れ、死化粧されたおふくろさんの顔を撫でた時に、その「冷たさ」を手のひらに感じた時に、一気に、まさしく一気に、込み上げてくるものを止めることができませんでした。
息子達にだけは見られたくないと思っていたのですが、私の涙を見て長男が涙するのを見て、私の涙腺は崩壊しました。

1年分の涙を一気に流しました。

「じゃぁね」
それしか言葉は出ませんでした。
馬鹿な息子です。

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どんなに悲しんでも、どんなに悔やんでも、おふくろさんは帰ってきません。
もっと会いに行けば良かった…。
たとえ会話にならなくてももっと話しかけてあげれば良かった…。
今は後悔ばかりです。

それでも生きていかなくてはいけない。
おふくろさんとの「約束」を守らなくちゃいけない。

私を産んでくれてありがとう。
必ず約束を守るから見ていてください。

顔晴ります!


最後まで読んでいただきありがとうございました。
22



2016/5/27  9:53

投稿者:五十路マン

>Gさん、
ありがとうございます。

2016/5/23  23:37

投稿者:G

心よりお悔やみ申し上げます。


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