東京・東高円寺で博多ラーメン店を開いている中学の同級生が最近、故郷・福岡、しかも長浜にラーメン店「ばりこて」を開いたので、懐かしくなり、昔の小生の記事を掲載。彼は学院の元祖HPの作者でもあり、今でもお世話になっているんです
【食ものがたり】本日のおすすめ 博多ラーメン
[ 2006年01月21日 産経新聞大阪夕刊]
□「いっちょ芸術的ラーメンばゆで上げなたい」 長谷川法世「走らんか」より
「なし最初からダブルば頼まんとね(なぜ最初からダブルを頼まないのか)」
中学・高校時代に通った福岡市内の博多ラーメン屋「しばらく」本店で、大将の外村(ほかむら)泰徳さんに凄みのある声でそう言われるたび、震え上がったものだった。
博多っ子はラーメンの食べ方にこだわりがある。一杯目は紅ショウガもゴマもなにも入れず、麺とスープの味を素で楽しむ。麺を平らげれば「替え玉」(麺のお代わり)を頼む。今度は紅ショウガ、ゴマ、コショウと薬味を好きなようにぶち込む。自分流の味の創造である。これが学生なら三杯、四杯と続く。
そういう食べ方を一杯でも多く楽しみたいから、ダブル(最初から二玉分が入る)を頼まず、「シングル」を注文してしまう。するといつも大将の声が降ってくるのだった。
どうせ手間が嫌なんだろう、と思い続けていたが、実は違った。
「ダブルの方が替え玉にするより十円安かったんです。ダミ声でむっつりしていたから怒ったようにみえたんでしょうが、親父の学生さんへの優しさだったんですよ」
十二年前に六十三歳で亡くなった外村さんを継いだ長男の貢一さん(四七)は、後にそう教えてくれた。不明を恥じた。
博多っ子なら、こんなふうに、ラーメンにまつわる思い出の一つや二つは持っている。ラーメン屋は、あの街の風景に不可欠な脇役であった。
博多人形師一家の人間模様を描く小説「走らんか」にも、博多ラーメン屋の白水(しろうず)家が登場して物語にアクセントを与える。あるときはラーメン屋の女房がうわさの種をばらまき、またあるときは、主人公の家で油を売っていた主人が女房に店に呼び戻されて、一言。
「いっちょ芸術的ラーメンばゆで上げなたい。ハハ、ちょっと白けたな。とんこつスープのことじゃけん白けとるう〜」
博多っ子のひょうきんな側面もみせつける。
「ラーメンは博多の元気の源で、博多の顔ですから」
著者で、「博多っ子純情」などの作品で知られる漫画家の長谷川法世さん(六〇)は、ラーメン屋を登場させた理由をそう説明する。
長谷川さんが初めてラーメンを食べたのは美術部員だった高校一年のとき。文化祭の準備で学校へ泊まり、夕食に近くの屋台へ足を運んだ。以来、ラーメンと不即不離の関係が続く。
「たいがい飲んだ帰りは一杯食べてましたね。最近は家族に止められているんですが…」
やはり三つ子の魂百までか。「しばらく」は三年前、大阪・ミナミのなんばパークスに大阪支店を出した。店には甘だるいトンコツのにおいが漂っている。
「やり方を変えずに完全に豚の骨だけでとったスープです」
博多出身で、高校時代から本店でアルバイトしていたという中野大樹店長(二七)が胸を張る。
シングルを頼んだ。
シャッシャッシャッ。ゆでた麺の水気を切る音が子守歌のように響く。運ばれてきたドンブリから立ち上る湯気が鼻をくすぐる。一気に麺をかきこむ。スープを残して平らげ、「硬(かた)めん」と、硬ゆでの替え玉を注文。
店内の壁に先代大将、外村さんの肖像画が飾られていた。その顔は相変わらず怖そう。
「すいまっしぇん。またダブルにせんで替え玉ば頼んでしまいました」
心の中で頭を下げていると、熱々の替え玉がやってきた。ラーメンのたれを加え、紅ショウガ、ゴマなどの薬味をドッとつっこむ。汗をかきながらむさぼる中年の心は、セピア色の過去に飛んでいく。
汁を飲み尽くし、ドンブリの底をみて、ふと気づいた。怒られると分かりながら、心で舌を出して好きにやる。最初は慎重、後はドンドン。こんな困った性格を作り上げたのは博多ラーメンであったことに。嗚呼、感謝深甚。
銭本隆行・文
■おしながき
博多ラーメン 福岡におけるトンコツラーメン。豚の骨をベースにダシをとり、麺はかなり細い。ネギ、紅ショウガ、ゴマ等の薬味と一緒に食す。鮮魚市場周辺ではじまった長浜ラーメンは博多ラーメンの一流派ともいえる。昔はスープのベースとなる豚骨やだしの違いによって、博多ラーメンはスープが白っぽく、長浜ラーメンは茶色っぽいという違いがみられたが、今では混在している。
替え玉は長浜ラーメンの発祥。博多っ子は「硬めん」が好き。略して「硬」と注文することもある。

長浜屋台のイメージ映像です。