ナゼ今までこういう家がなかったのか!先ず真っ先にそう思った。
そんな僕達のそんなニーズに応えてくれる、
新しい住まいの内見会があるというので、いってきました。
『standard 01』のページ
気持ちのいい秋晴れ中ある住宅の内見会に向かっていた。
静かな住宅街の中にひと際、白く映える建物を発見、
一見すると“ごくありふれたカタチ”の建物、
これが『standard 01』の“新しさ”だった。
たくさんのお客さんで賑わう中、
このプロジェクトの中心人物であり
建築・改装なども手がける
比嘉さんが直々に案内してくれた。
比嘉さんは僕達が木花の展示会などでお世話になっている
MIX life-styleのオーナーでもある。
先ず目につくのがコンクリートブロックの壁だ。
実はこのコンクリートブロックが
“ごくありふれたカタチ”にしている要素であり、
また“新しさ”の要素でもある。
建物のサイズは全て
コンクリートブロックのサイズに比例している、
つまり縦横がきっちりブロックのサイズに収まっているわけだ。
そうすことにより、窓枠のサッシや扉などあらゆる物が、
ぴたっとはまってしまうわけだ。
こうすることで、型枠などの廃材がなく、
極力ゴミを出さない施工になってる。
更には、天井と窓枠の間に余分な間がなく、
熱気・湿気などが淀むことなく、通気性に優れている。
この様に、構築要素をユニット的にすることで、
あらゆるメリットを生んでいる。
スタンダードというより、もはやこれは
コンシダード(熟考)といえるのではないだろうか。

<うちなーの赤瓦屋でいうところの雨端(アマハジ:ひさし)が全体をとりまいているため、直射日光と雨から守られる。これがあるのとないのでは違いは大きいそうだ。>
比嘉さん曰く、沖縄でごくありふれた材料を使用することで、
コストは下がる。が、これはローコスト住宅ではない、と。
実際、ありふれた材料ほど安く機能性が安定し、
メンテナンスがきく物もない。
そこで押さえた費用等を、ささやかな贅沢に使うことこそ、
豊かな暮らしの在り方だと。
この『standard 01』には、
随所にそのこだわりがちりばめられている。
デザイナーも建築家も、または芸術家も
その作品や製品が、ユーザーと共存して行くであろう
“時間”を意識してモノづくりしていけたら、素晴らしい。
ユーザーとしてそう思う。
建築も実は人間の“暮らしという時間”を主体に
それを入れる器なのかも知れない。
比嘉さんの話を聞くうちに、そう思った。
完成した後、真の完成へ向かう建築、といったところか。
沖縄県内でごく当たり前に手に入る材料をつかって、
おどろくほどスタイリッシュに仕上っている。
しかも、いやらしくない。なぜだろう、
懐かしい気さえする。
イタリアの瓦をわざわざ持ってこなくても、
沖縄には赤瓦があるし、もっといえば、
赤瓦を使わなくても、沖縄のカタチがある。
無理なくオシャレといえば分かりやすいか…
比嘉さん達が主にターゲットにしているという、
30代の人にはこのミニマル的手法は
ピンと来るんじゃないだろか。
一見無味簡素な規格品と見紛う無印良品的コンセプトは
実は、自分らしく製品をカスタム出来る“余白”なのだ。
個性を反影させるキャンバスでもある。

<天井から床までの吐き出しの窓が開放的。通気もとてもよい。因に、外人住宅には吐き出しの窓はない、これは沖縄の環境に適さず、暑ければクーラー、暗ければ電気を点ければ良いという高消費時代のアメリカ的思想の表れでもある。>
やっぱり思う、なぜ今ままでこの様な家がなかったのか…
比嘉さんに問いかけたところ、
製造側の都合にユーザーが惑わされることも
多いかも知れないと言っていた。
つまり、施工に際しユーザーが知らないことが多く、
ぼったくりと言わないまでも、無駄なコストが
知らず知らずのうちに、入れ込まれている
なんていう場合も少くないというわけだ。
または、逆も考えられる。
一世一代の大買い物と意気込み、
あれもこれもくっつけ、見るも無惨な
モニュメントと化した建物…。
これもまた施主と施工・建築との相違に生じた
意味のないコストといえる。
プロがアマの立場になって考え、
アマもプロ顔負けに協創する。
このことは新しい時代の創造といえるだろう。
ここにおいてもプロサンプション(生産消費者)の
コラボレーション(協創)の様相をはらんでいる。

<風がホロホロと気持ちよく通る家。花ブロックのテラスは外部から入れないので、窓を開けたままでも安心して就寝できる。>
『standard 01』(もしくは『standard』プロジェクト)は
資産価値が高いと比嘉さんは説明する。
沖縄で未だ人気の高い“外人住宅”は、
駐留期間平均4年の米軍の家族向けに作られたことから、
その内装はシンプル。余分な装飾がない。つまり、
元々住人が出て行く前提だった為に
図らずも、現代の我々の生活スタイルと
ニーズに合った住宅になっていたわけだ。
“外人住宅”が人気なのも分かる。
昔の様に、一生、もしくは一族がずっと
その土地に定住するとは限らない。
土着的建築はもちろんそれはそれで素晴らしい。
ただ肝心の現代人の生活スタイルは激的に変化したのだ。
老後の余生は集合介護機能を持った施設に移り住むかも知れず、
子供も別の場所にすむかも知れない。
いずれにしても、装飾性を押さえることで、
誰でも一から自分用にカスタム化出来る様になっている。
多様化したニーズに応えるということは
イコール資産価値が高いというわけだ。
“ニュートラルな建築”は“家っぽいモニュメント”とは
比べ物にならない価値と美観を併せ持つわけだ。

<plant:真喜志奈美さんデザイン・プロデュースのオリジナル家具は、さりげない。けど、存在感がある。“机が机していて、棚が棚している”。直球勝負というのは、見た目より相当の決断力と、大人な経験値が必要なんだと思う。ステキです。>
あえて訊いてみた、
どこにでもある材料、ミニマルなデザイン…ということは
パクられませんかね?
どうぞパクって下さいと、どうどうと比嘉さんは言った。
つまり、文化として広まることを歓迎するということだ。
それから波及する価値を考えた時に、
このプロジェクトが持っている意義は大変大きい物になる。
それはむしろブランドにとって
プラスにフィードバックする可能性が高い。
それを比嘉さんは充分心得た上で、
どうぞパクって下さい。と言っているのだ。
実際に同業者も多く招いているという。
今後ブランドを示唆する要素で大きくなるのは、
コンテンツとミキシングだろう。
プロサンプションの時代には何と何を組み合わせるのかが
重要なカギになる。
そのインフラを創出するのが企業の役目となるだろう。
比嘉さん達の『standard』という文化を享受するという事は、
我々が建築家であり、不動産屋であり、
創造者でる可能性が益々大きくなったという事だ。
価値創造を限られた者がしか出来ないなどという時代は、
今正に終わろうとしている。
僕はデザイナーとして、こう思う。
誰もがデザイナーだったほうがいいじゃないか…。
(仕事の在り方が問われてくる)
いや、僕がどう思おうと、それに近くなって行くだろう。
だから真にクリエーターであり続けるためには
ミキサーでないといけない。
(現にこの記事は、既存メディアを脅かしている。
僕はライターではない)
『standard 01』からどういうミキシングが起こるか、
楽しみだ。
比嘉さんはあくまでも一つのスタイルの提案だという。
ある人によっては0点にもなりうるというわけだ。
確かに押し付けがましくない。
ただ、そのニュートラルな魅力は多くの共感を得る様に思う。
花ブロックは沖縄の刺す様な日差しを和らげ、
涼しく風が抜ける…。
オリジナルの花ブロックを作ったりしても楽しいね〜とか
比嘉さんと話は尽きなかった。
久々に創造力を刺激される作品展でした。
僕が住むなら…アトリエにするなら…
いや、ラボか…等々。
積み木遊びの情熱を思い出した大人達は、
まるで子供の頃の夢を叶えたかの様な、
白く輝くブロックの家で、また新しい夢を見るだろう…。
関連リンク
MIX life-style
『standard 01』
IMI CORPORATION
plantworks.jp