自衛権行使の戦争とされる要件は正当防衛の要件に対応している。
1.急迫不正の侵害があること(急迫性、違法性)
2.他にこれを排除して、国を防衛する手段がないこと(必要性)
3.必要な限度にとどめること(相当性、均衡性)
こうした自衛権の議論が盛んになったのは、戦争が違法であると意識されるようになってからの話である。
国際法上戦争が悪であるとの認識が生まれたのは第1次大戦後に過ぎないのだ。
それまで戦争は国家の自存権として自明の権利だと捉えられていた。しかし、武器の飛躍的な残虐化によって戦争の悲惨さが強調されるよ
うになる。
というよりも、欧米による植民地の棲み分けがほぼ終了したことから、いたずらに戦争に走ることは却って国益を損なうこととなったのだろう。やがて戦争は悪であると認識されるようになった。
このことは列強15カ国に始まり、後に63カ国が署名するに至った不戦条約(1928年)において既に明確に示されている。
不戦条約
第1條 締約國ハ國際紛争解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳肅ニ宣言ス
第2條 締約國ハ相互間ニ起コルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ處理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス
不戦条約については、先に述べたように、既に世界の主だった領域を植民地支配して棲み分けていた列強が、その後の植民地支配を容易にするための条約であったと見ることができる。
しかしながらも戦争放棄それ自体について言えば、初めてこれを鮮明に目指した画期的な条約であった。
日本は当初よりこれに調印した。が、この条約はその後の戦争防止になんらの役にも立っていない。
不戦条約においても『自衛のための戦争』は留保されていたからである。後に、日本は満州事変を自衛のための戦争と主張し、国際社会においてこれが認めらず国際連盟を脱退するという過程をたどることとなった。
このとき、『自衛のための戦争』などという屁理屈は、大国にのみ許された屁理屈であることを日本は知るべきだった。いや、知っていたからこそ戦争に走ったのかもしれない。
第2次大戦では、戦勝国も敗戦国も、多大な被害を受けた。戦争は悪である。その思いが次の国連憲章第2条第3項、第4項に、にじみ出ている。
国連憲章 第2条〔原則〕
この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。
3 すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない
。
4 すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
しかし、国連憲章においても自衛権は所与的に加盟国の有する権利であるとされている。51条は次のように規定している。
国連憲章51条
『第五十一条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。 』
清水隆雄氏の『国際法と先制的自衛権』によれば、国連憲章の締結後、1999年までの間に国連加盟国のおよそ3分の2の126カ国がのべ291回の武力紛争を経験しているという。その結果、3200万人以上の人々が殺された。つまり、国連憲章は有名無実化しているのである。
個別的自衛権は当然、認められてしかるべきである。しかし、これまで見てきたように厳格な用件の元にしか自衛権の行使が認められないとすれば、戦力の著しい肥大化に伴って、最初の一撃で被侵害国は壊滅的な打撃を受けてしまう。こうした現実的な懸念から自衛権の要件は次第に緩和して解釈されてゆく。その最たるものが先制的自衛権である。
人工衛星による高度な偵察システムが開発されたことから、より過ちの少ない先制的自衛権の行使が可能となった。しかし、未だ攻撃に着手していない段階において、他国を侵害者とみなして先制的に攻撃することを認める先制的自衛権の論理は、他を論駁する『 正義 』の論理とともに、事実上、自衛の範囲を大きく逸脱するものであって、闇雲に戦争を肯定する論理へと発展してしまうものだ。
どんな『 正義 』があろうとも、戦争が自衛の戦争と言いうるためには、なんらんかのルールのもとで評価されなければならない。この意味で、是々非々といい、平和行動と言えるためには国連の決議が必要であるとした小沢氏の論法は正論である。
それぞれの主張があり、文化があり、歴史がある国家間において、武力紛争が自衛の戦争として支援されるためには、少なくとも、国連という国際組織の場において正当な自衛権の行使と認定される必要がある。そうでなければ、全ての戦争は自衛の戦いとなり、肯定されてしまうからである。
少なくとも、自衛の戦争と主張して軍事行動を取る場合には、国連憲章51条にあるように、国連の安全保障理事会の平和行動までの間の、期間的に限定された軍事行動であるべきである。皆がやらないなら、俺がやる、式のアメリカ流保安官方式は、あまりに危険ではないか。
こうして一般論を述べていても、むなしさが残る。
欧米は、常に、これまでの歴史を通じて、欧米に都合のよい世界的枠組みを模索し続けてきたからだ。
先に述べた極東軍事裁判における罪刑法定主義に反する形の罪の定立、平和に対する罪・人道に対する罪を日本に科したのはその最たるものだ。
知的財産嫌権の保護についても同様である。アメリカは自国の権利を守るためであれば、法律そのものに手を加えて平気である。
また、CO2の削減においても、既に老成化した欧米・日本経済においてCO2削減に積極的に取り組むのは当然のことだが、経済格差の底辺から這い上がろうとする開発途上の国々にとって、先進諸国と同列のあるいはこれに倣ったCO2削減を要求するのは、出発点において不公平である。地球環境規模で考えると、アメリカ並みの生活を世界中の人が享受するには地球環境が8個近く必要であると言われているう。各国の利害を超えた公平なシステムを構築しない限り、地球は環境から破滅する。
戦力の著しい強大化は、既に冷戦構造の枠組みの中で地球をいくつも破壊する規模に達していると言われていたが、仮に世界経済の平和的発展が進んだとしても、環境レベルにおいて破綻を来すことは明白なのである。
自衛権はそれぞれの国家に所与的に認められる権利である。しかし、闇雲にこれを行使しようとするアメリカに追従することは、これ以上の経済発展を望めない日本にとって得策ではない。
もとより、これ以上の経済発展は地球環境に壊滅的な打撃を与える。
固有の自衛権以外の自衛権行使の背後にある経済的発展、経済的利益の争奪戦は、それ自体が空しい戦いであることを知るべきである。
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