「天狗党の乱」←
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水戸藩の内紛が大きく影響して引き起こされた流れの様に私は感じますが、ご一新で明治政府が誕生する過程で、私たちの先祖も巻き込まれた大きな事件が北総や房総地区に起こったという事なのですね。多くの人が死んだ。
佐原の奈良屋、佐野屋、天満屋、などの豪商から借金名目で資金調達をして行った天狗党。
匝瑳では網元などにその矛先を向けたのでしょう。
尊皇攘夷に名をかりた無頼集団も多くあった様ですが、高邁な理想に燃えて世の中を変えようとした若者も多かったと思います。
しかし佐原の最初の事件と松山戦争は7年も開きがあり、松山事件の数年後も天狗党は佐原へ現れてますが、直接の関係は見いだせませんね。でも倒幕の大きな流れの中で双方影響されて起きた事件で有ることは違いないと思います。
今回門前人さまのおかげで、新撰組の芹澤鴨が新撰組に入る前、天狗党員として佐原へカツアゲに来てたとか、おもしろい話も知りました。
ありがと!門前人さま
これからが本題。
寺中さんのサイトの年表をご覧下さい。
ちょうどこの頃、1860年代、万延、文久、元治、慶応、寺宿さんはどうしてたんだろ?
考えるに佐原各町はお祭りどころで無かったのかも(^^;)
潮来、門前町、お祭りは如何に?
とか言う話題はまたの機会に。
ps
いろいろ調べていたら、、。
時代は変わりますが1684年、黄門さまは香取神宮に
ロケに参拝に来ていたとか、、、。
潮来あたりも助サン角サンと通ったことでしょう。(^^;)