メモ:高校教育に関する「希少性」問題  私立中学・高等学校について

 経済学の教科書のいちばん最初には、たいていこんな説明がある。
 経済活動とは、人々の無限の欲求に対して、それを満たすための資源が有限であるという「希少性」の問題に始まる。それゆえに、何をどれだけ生産し、誰に分配するかを決定するという問題が生じる。これを計画的に行うか、市場に委ねるか、という、大きく2つの選択肢がある。
 「教育の経済学」というと、人的資本論に始まり、期待収益率だとか、費用便益だとか、そんなことが頭に思い浮かぶ。しかし、「誰がその高校に進学するか」「誰がどの大学に進学するか」という問題、そしてその裏返しともいえる「どの学校がどのような生徒を集めるか」という問題は、十分に経済問題である。そしてその費用をどのように負担するかは、厚生経済の問題とはならないか。
 東京大学に入りたい人は、10000人いる。潜在的な需要を考えれば、その数はさらに増えるだろう。同じく京都大学に入りたい人も、10000人いて、潜在的需要はさらに多い。この希少な「東大合格者」「京大合格者」がどのように分配されるか、誰に分配されるか、それが「高校の大学合格実績」という数字を介して表現される。すなわち「誰に」という問題は、個人の属性ではなく、学校の属性として、広く議論される。
 その一方で、多くの大学は定員割れを起こしているのだから、ここに「大学進学希望者」と「大学入学定員」との間で、ミスマッチが起きているということを意味している。このミスマッチをどのように調整するか、計画的に行うか、市場に委ねるか、と考えたとき、定員割り当てという計画的調整と、受験生の獲得という市場的調整とが共存しているといえるのではないか。
 同様に、高校においてもそれは同じことで、一部の人気校には受験生が殺到し、その一方で定員確保ができない高校もある。少子化が進む中、高校教育をどう供給し分配するかは、定員政策という計画的調整と、各校の受験生獲得競争という市場的調整とが共存しているように思われる。
 さらに、その費用をどのように負担するかというとき、「家計の負担」と「税による負担」とをどう組み合わせるかということになろう。
 こういうことをつらつら考えているのは、昨日あちこちで京大合格者数の速報値が報じられたからである。「公立高校の躍進」「堀川の奇跡」の大見出しが目に飛び込んでくる。
 3000人という京大合格者が、入試の成績によって選抜される。その結果は、各個人の属性によって公表されるのではなく、出身校の合格実績として反映される。東大や京大の合格者の家計は、高い階層の出身者が占めているということは、以前から指摘されているが、そうであるならば、私立高校に通うことが可能な資力を備えた家計の子弟が公立高校に進むことで、本来公立高校に通うべき生徒をクラウディングアウトしていることにはならないか。
 ただし、1960年代の東京都のように、公立高校に行けない生徒が、(成績が悪いという自己責任の問題として)高い学費負担をして私立に行くか、進学をあきらめるかという選択を迫られることには直結しないだろう。授業料に限っては、私立高校への授業料無償化政策の拡充によってクリアされる。ただしそれが「公立高校に合格する努力をしなかったり、勝手に私立を選んだ生徒に、なぜ授業料を支援するのか」「私立を公立の受け皿にするのか」「公立を閉鎖する口実にするのか」という批判につながっているのも、また現実である。
 公立高校と私立高校の学費の問題を、「公立高校生1人あたり100万円、私立高校生1人あたり35万円(大阪や京都では50万円ほどになるらしい)の戻し税」と考えればどうなるか。エコカー減税を実施して、減税対象車を買うか、それとも対象外の車を買うか、という選択を消費者に迫ることと、公立に行くか私立に行くかという選択を家庭に迫ることとは、どう違うのだろうか。
 あるいは、学費負担問題についていえば、「ぜいたくな市立病院をつくって、成績順に診察する」と言って、許されるかどうか。「ぜいたくな市営住宅をつくって、成績順に入居できる」と言って、許されるかどうか。しかし「ぜいたくな市立高校をつくって、成績順に入学できる」というときには、なぜ許されるのかどうか。公立病院の役割や、公営住宅の役割と、公立高校の社会的な役割とは、同じのか、違うのか。違うとすれば、それはなぜか。
 この学費負担問題、とりわけ、県外に出ていく生徒のために公金支出をすることの是非は、かつては「出世して故郷に錦を飾ってくれるための先行投資」として正当化されていた。しかし、今ではその議論が成り立つかどうか。限られた県や市の教育財政をどこに振り分けるかは、政治の問題であるが、おそらくは名門校復活のための教員加配の方が、しんどい学校に教員を加配することよりも、見栄えがするからだろうか。政財界の有力者に卒業生が多いからだろうか。
 ある試算によれば、公立中高一貫校の生徒1人あたりにかかる費用は、300万円近くになるのだという。普通の高校生の3倍近い。その費用を、公立中高一貫校あるいは進学重点校に投じるか、しんどい地域のしんどい学校に充てるか、普通の公立校を少しずつ底上げするか、それはきわめて政治的判断の範疇に属する問題である。
 さて、公立高校の中に進学重点校を設けるというのは、全国的にみられる傾向なので、それはさておき、それが「高校への需要が高校への供給を下回る」局面において行われていることが気にかかる。
 需要を増やすことは、留学生からを受け入れない限りは無理なので、供給側の調整を行うしかない。今はいちおう、公私間の定員調整の協議会があるが、公私の役割分担という面での実りある議論はなされていないと聞く。また、定員調整については談合との批判が根強い。その上で大阪府が行おうとしているのは、この市場型調整を強化しようということなのだろう。
 一部の私立高校が、県外からの生徒を集めようとするのも、そのための手段として、スポーツをはじめとしたクラブ活動がある。日本のスポーツ界は、地域クラブにではなく学校スポーツに依存してきており、学校の教員がスポーツの世界の人材の受け皿ともなっていることもあり、それが可能となる。
 中学校を開設し、早いうちから生徒を確保しようとするのも、中学校という新規マーケットの開拓のためである。高校と設備は共用でき、現職教員も中高の両方の免許を持っていることが多いので、イニシャルコストは低い。遊休施設や人員の活用という点でも有効である。ただしその結果、大都市圏の一部では小学校の受験が問題となっているらしいし、中高6年一貫校が増えてきたことで、そうでないところとの2つのトラックの差が徐々に顕著に見え始めたようにも思われる。
 あるいは公立高校にはできない教育を模索する。今、一部の私立高校で、アイビーリーグやオックスブリッジへの進学を謳い始めたところがある。かつて、公立高校ができなかった、海外への修学旅行や短期語学研修留学では、もはや公立高校との差異化ができないからである。一部の富裕層の子弟を囲い込むというのは、これも公立高校との差異化のひとつである。
 もっとも、日本の高校教員養成システム、あるいは日本の高校教員文化が、慶応や同志社などの一部の私学を除いて、きわめて帝国大学からのスピンアウト的な構造を備えており、高校教員には「家はそれほど裕福ではなく、勉強が好きで、大学には残らなかったものの・・・」という人が多かったし、今でもその名残は留めている。そのため、一部の富裕層を相手にしたエリート教育といってみても、教員の中にそのような文化がないので、きわめて難しいのである。
 結局、公立高校の役割は何なのか、というところに尽きる。かつてのような、高校が足りなかった時代、あるいは東大に進学して故郷に錦を飾るような時代では、もはやなくなった。しかし、新たな公立高校像が描かれないまま、そして公立高校像がないことによって私立高校像もぼやけたまま、粛々と「調整」は進んでいく。それが「計画的調整」なのか「市場型調整」なのか、はっきりしない。そんなわけだから、高校の中に身を置く者として、漠然とした不安にいつまでも追い立てられなければならないのである。
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「湯浅誠からのお知らせ 【お知らせ】内閣府参与辞任について(19:30改訂、確定版)」
http://yuasamakoto.blogspot.com/2012/03/blog-post_07.html

古いノートに書いてある数字の根拠がわからなくて困っている。

「1957年の私立高校の、51%が女子校、22%が男子校、27%が共学校」

「文部省による高校生急増対策(1961年)の高校入学率の推計は、67.3%(61年)→61.3%(62年)→58.0%(63年)→59.9%(64年)→61.4%(65年)→63.3%(66年)→65.7%(67年)→67.3%(68年)→69.3%(69年)→72.0%(70年)」

 なお、実際の高校進学率と、推計値との開き(学校基本調査)。61年は明らかにおかしい? また、高校入学率(高校入学者/中学卒業生)は下落するという予想だったというのはほんとうか?
62.3%(推計比-5%ポイント)→64.0%(同+2.7%ポイント)→66.8%(同+8.6%ポイント)→69.3%(同+9.4%ポイント)→70.7%(同+9.3%ポイント)→72.3%(同+9.0%ポイント)→74.5%(同+8.8%ポイント)→76.8%(同+9.5%ポイント)→79.4%(同+10.1%ポイント)→82.1%(同+10.1%ポイント)
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私学教育という財  私立中学・高等学校について

 京都府は今年度、年収500万円未満の家計に対して、府下私立高校の平均授業料(年65万円)までを補助することで、実質的な授業料無償化を実現している(私立高等学校あんしん修学支援金)。この支援制度の利用は年々増加しており、制度の3年目となる2011年度はおよそ30億円に達し、さらに今後も増えていく可能性は高い。
 このように国や府の手厚い授業料助成(事実上の教育バウチャーである)によって、家計の所得に関係なく、自由に学校を選ぶことができるようになったと評することができる。しかし、私学経営者の中に、こうした授業料というハードルを下げることを歓迎しない声が一部にあるらしい。その理由は、「授業料をもらって、公立とは違う授業をするところに、私学の意味があるのだ」というもので、公立との差別化ができないから困る、というものらしい。

 うちの学校の生徒としゃべっていて、何がきっかけだったか忘れたが、授業料の話になった。高いよねぇ(だからちゃんとがんばろう)みたいは話ではあったが、彼らは授業料がタダになることには反対だったので、ちょっとびっくりした。「タダになったら、公立と一緒やん」というのがその理由である。
 自分たちは、小学校の時から塾に通ってこうして私立中学校に通っている。自分たちをちょっとした特別な存在として認識するにあたっては、授業料というのはわかりやすい指標なのだろう。あるいは親からそう言われているのかもしれない。
 夏休みのアメリカへのスタディツアーの企画があって、50万円ほどするのだが、募集人数をはるかに上回る応募があって、こちらがびっくりしてしまった。正直、数人程度かなぁ、と思っていたので、出せるご家庭がそれだけあるということだ。
 
 こういう財のことを、上級財というんだったろうか。嗜好財だったっけか。

 一方で、ある学校の校長先生に聞くと、多くの生徒が実質授業料無償化の対象となっているそうで、しかも、隣県から通学する生徒にはこの制度が適用されず、同じ授業を受けていても、家計の所得や、居住する府県の違いによって、納める授業料が変わってくる。担任が所得証明を持ってこさせて集めて、事務がチェックする。それはいかがなものだろう、という話であった。それもその通りだと思う。

 「私学に通う」ということには、単に教育を受けて学歴を手にする以上の付加価値がついていたり、あるいは逆に、公立ではサポートされない教育サービス(そういう教育には大抵手間暇がかかる)を手に入れるということであり、むしろ教育というよりも福祉的発想が必要な場合もあろう。

 私学の授業料が反映しているものは、いったい何なのか。そして、私学の授業料は、どうあるべきか。適正かどうかは、どうやって測ることが可能なのか。
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高大連携による生き残り戦略  私立中学・高等学校について

 毎日新聞の1面トップは、浪速中高と関大が連携を解消したというものであった。
http://mainichi.jp/kansai/news/20120224ddn001040002000c.html

 この学校、元住金マンで、大阪府立高校初の民間人校長として、いい意味でも悪い意味でもいろいろやって、その後、浪速中高の理事長校長として、こちらでも、いい意味でも悪い意味でもいろいろとやった人である。
http://benesse.jp/berd/center/open/kou/view21/2005/09/04shido_01.shtml
http://edugarden.blog50.fc2.com/blog-entry-1175.html
http://t-kimura.blogspot.com/2007/06/blog-post.html

 少子化の中、大学は学生確保のために高校との連携を強化し、私立高校もまた、大学との連携を生徒募集の売りとする。公立との差別化として手っ取り早いのは、宗教教育とクラブ活動の強化と大学進学実績あたりを売りにすることだし、大抵の学校はそのいずれかに取り組んでいる。
 すでに高校は日本中で事実上の全員進学状態になっているので、生徒を確保しようとすれば、県内で他校から奪い取るか、他県から引っ張ってくるか、海外に目を向けるかくらいである。あるいは、まだ拡大の余地のある中学校を強化して、そちらで数を確保するかだ。それでも生徒は減っていくので、いつかは政策によって権力的に学校規模を一斉に縮小させるか、それができなければ淘汰に任せるか。
 こうしているあいだにも、パイはみるみる小さくなっていく。この調整方法に対するコンセンサスはないままに、各校はいつ果てるともない「生徒確保競争」の中にある。
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今の日本の学校経営組織改革をどう見るか?  私立中学・高等学校について

 昔書いた書類を探して、いろんなフォルダをまさぐっていたら、こんなレポートを掘り出した。2010年夏に大学院ゼミのリアクションペーパーとして出したものだ。

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 昨今のさまざまな日本の学校経営組織改革について感じていることを2点あげてみたい。

 第一に、「日本の学校経営組織改革」という場合、ほとんどの場合には「公立学校改革」を意味するため、「学校組織改革」と「(教育)公務員制度改革」とが十分に切り離されずに議論されているように思われることである。たとえば職制についての東京都の改革事例は、新たな職制を設置によらなければ待遇面での差をつけることができないという、公務員制度に固有の事情が背景としてあったと思われる。また、たとえば昇進について試験を必要とすることもまた、公務員制度に固有の事象である。つまり、たとえば教職員の異動・昇進・降格・出向についての柔軟な人事体系による経営組織改革は可能であり、それにはまずは公務員制度という制約を取り払った上で、さらに「学校・教員に固有の問題」について考える必要があるように思われる。事実、たとえば郁文館の経営改革の事例からもわかるように、公務員制度の制約を受けない「学校経営組織改革」は十分に成り立つ。
 かつて、中村圭介氏と油布佐和子氏の間で「教育公務員制度改革」について論争が行われたことがあったが(中村他2001、油布2002、中村2002)、油布氏の主張する「教職の特殊性」が「他の職種の特殊性とどう異なるか」という点はとうとう明らかにはならなかった。つまり、「学校経営組織改革」の前提となる「公務員制度改革」が劇的に進めば、「学校経営組織改革」は加速度的に進む可能性は高く、そのときはじめて、純粋に「学校経営組織に固有の問題」が浮上することであろう。
 ところで、公立高校と私立高校とは、同じく高校教育供給を担う主体として一体的に語られることが多いが、組織レベルで見た場合、両者の間には大きな相違点がある。もっとも大きな点は、公立高校が単一の巨大な行政機関であるのに対し、私立高校はそれぞれに独立した小規模な公益法人であることである。また、教職員の身分、管理職や経営者の性格などについても、公立高校と私立高校とでは異なる部分が多い。そしてこの組織としての性格の違いは、環境変化への対応方法の違いとして現れる。

 <公立高校の世界/私立高校の世界>
@通学区域
学区制/学区なし
A経営方針
地域の青年に教育を与える(機会均等)/建学の理念・生徒募集に失敗しないこと
B設置主体
行政機関/公益法人
C教職員の身分
教育公務員特例法・教職員は地方公務員/労働基準法・教職員は「中小企業の社員」
D管理職
校長は「支店長」/校長は「中小企業の社長」
E経営者
教育委員会・教育長/理事会
F人事異動
異動あり/異動なし(職場内の異動)・高い帰属意識(一蓮托生)
G他校の教員との関係
同じ組織の一員/同業他社(仲間だがライバル)


 ある環境の変化が生じたとき、組織としてのフレキシビリティに優れる私立高校が敏感に反応する。具体的には、生徒募集の方法や教育内容の変化として表れる。私立高校の動向は、公立高校に通学する生徒を通しての側に影響を及ぼすことで、新たな「教育行政」「教育政策」を引き出す。その結果としての公立高校の変化は、私立高校に新たな戦略の必要性をもたらす。公立高校と私立高校のそれぞれの世界は、相補的な関係を保持しながら、人口動態の変化、「低進学率の世界」の進学率の上昇、女性のキャリアパスの変容などのさまざまな社会の変動に合わせて、絶えず変化を遂げてきた。
 2010年、民主党政権によって「公立高校授業料無償化」がスタートした。これにより、公立高校と私立高校の間の格差は、授業料という面では比率の問題から質的な違いへと転換した。少子化の進行と相まって、各私立高校は生き残りをかけて改革に乗り出さざるを得ない状況に置かれている。私立高校の環境の変化は、必ず公立高校にも影響を及ぼし、日本の高校教育システム全体を揺るがすこととなるであろう。

 第二に、学校組織改革を考える上でしばしば登場する「教職の専門性」とは何かという点が、実は今もって明らかではないことである。そして、仮に「教職の専門性」に基づく学校組織改革が行われれば、それは何をもたらすか、ということもまた、十分に明らかではないように思われる点である。
 濱口(2009)によれば、労働の形態は、働く内容に対して報酬が示され雇用契約を行う「ジョブ型」と、会社の一員となるという暗黙の契約を交わす「メンバーシップ型」とに類型化される。日本型雇用システムとはメンバーシップ型を前提として成立したものといえる。こう考えると、日本の教師の仕事は、一見「ジョブ型」に見えるものの、実際には教師は「学校が必要とする業務を何でも適宜適切にこなすことが仕事」といえ、むしろ「メンバーシップ型」の典型であるといえる。このことは、たとえば医師の世界において、旧来の医局人事が、病院が求める仕事を何でもこなす「メンバーシップ型」で運営されてきたところに、近年「ジョブ型」による(割り切った)働きをする若手医師が登場し、(産科・小児科・救命救急といった)「無制限・無定量」の働きを要求する部門において人手不足と医療体制の崩壊が始まったと解釈することが可能である。
 仮に日本の学校組織が「教職の専門性」(があるとして)に基づいて再編されるのであれば、学校組織は「メンバーシップ型」雇用から「ジョブ型」雇用へと移行することを示唆する。これは「若手のマインドが変わってきた」「教師の同僚性が希薄化してきた」という近年の職員室の変化と親和的な現象でもあり、その先にある学校像は、医療の世界を他山の石として考えられるべきではないか。

引用文献
・濱口桂一郎(2009)『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ』岩波新書
・中村圭介(2002)「教育公務員の制度改革を考える―教育社会学者との対話を通じて」『日本労働研究雑誌』509
・中村圭介・岡田真理子(2001)『教育行政と労使関係』エイデル研究所
・油布佐和子(2002)「教職の理解に向けて―中村圭介・岡田真理子著『教育行政と労使関係』を読む」『社会科学研究』53-1
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私立高校とスポーツ留学  私立中学・高等学校について

 仙台育英高校の陸上部の監督が、成績不振を理由に退任して、愛知県の豊川高校に移るそうで、監督を追いかけて部員が大量に転校するつもりでいるらしい。
http://mainichi.jp/photo/news/20120221k0000m050093000c.html

 私立高校が実業団みたいなことをしていることが問題視されているらしいが、そもそも野球でもサッカーでもバレーボールでも、そういうことは現にあるし、文化系クラブでも指導者を求めて遠くの高校に通う生徒はいる。
 公立高校にはできない教育実践を行うのが私立高校なのだし、現実問題、日本のスポーツを私立高校が下支えしている(指導者の生活を、高校教職員として抱え込んでいる)という現実がある。
 これが褒められたものだとは思わない。
 しかし問題とされるべきは、まずは私立高校の経営姿勢ではなく、青少年のスポーツの場を、学校教育の内部に持ち込み、しかも多くの競技の場合、そうしなければプレーする場が保証されないという点にあるのではないか。
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大阪府モデルと徳島県モデル  私立中学・高等学校について

 大阪府では、私立高校への就学支援政策の結果、公立高校の私学化と私立高校の準公設民営化が同時に進行しており、このような公私の関係性が、他の都道府県においても今後起きる可能性があるといえる。
 その対極にあるのが、徳島県の私立高校の姿である。
 徳島県には私立高校がわずかに3校しかなく、その3校はいわゆる「ピラミッド」のいちばん上といちばん下に位置している。

 徳島文理高校[普通]68
 生光学園高校[特別進学]46
 生光学園高校[普通]38
 香蘭高校[普通]38
 生光学園高校[体育]37


*出典:徳島県高校偏差値一覧:http://momotaro.boy.jp/html/KHI%20tokusimakenn.html
 
 つまり、生徒を集めるために、公立高校と競合するのではなく、公立高校のいないところにシフトすることで、結果的に公立との共存することが可能となっている。
 大阪府のように、私立高校の数も多く、公立高校だけでは明らかに収容力が不足する地域であれば、大阪府のようなモデルが成り立つ。しかしそのような地域は、全国的にはきわめて珍しい。
 むしろ、徳島県のような状況が、他県においても進行すると考えるべきであろう。
 そして、このような状況になったとき、「私立高校の授業料を無償化する政策」が支持を得られるだろうか。「勝手に公立に行かずに(上位の)私立を選んだ」生徒と、「頑張れば公立に行けたのにそれをしなかったため(下位の)私立に進んだ」生徒に対して、補助金を支出するというコンセンサスが得られるだろうか。
 自分にはそうは思えない。私学の冬の時代は、近い。
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大阪府私立高校の準「公設民営」化と京都府への影響  私立中学・高等学校について

 今朝の各紙には、大阪府の次年度一般会計予算案についての記事が掲載されていた。
 たとえば日経新聞はこんな感じ:http://www.nikkei.com/news/local/article/g=96958A9C93819A91E3E4E2E3858DE3E4E2E0E0E2E3E09391EAE2E2E2;n=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E5

 毎日新聞の解説によれば、橋下前府政の事業を継続する費用が291億円と重くのしかかり、松井新知事による新規事業は42億円にしかならないそうだ。
 とりわけ、私立高校授業料無償化事業は、174億円と突出しており、さらに来年度には220億円にふくらむ見通しとのこと。松井知事は、2015年度まではこの事業を継続するという方針を示したそうだが、その財源をどこから確保するかは記事からはわからない。

 さて、このように大阪府では、当面の間は私立高校の授業料無償化政策が継続され、大阪府の中学卒業生は、大阪府下の高校に限ってではあるが、公立高校と私立高校とを、授業料によってではなく、自分の進路と成績とに基づいて、自由に選べる余地がきわめて大きく広がっているということになる。
 ただし、自由に選べる余地が広がるということは、次の2つのことを同時に意味する。
 当然に、特定の人気校に受験生が集中する可能性は高まり、受験競争が一部において加熱化する。情報を多く持った方が有利になるので、学校外の取り組みが効果を発揮する。その一方で、受験競争に向かわない生徒にとっては、入りやすい学校が増えたわけで、状況は好転したと考えてよいだろうか。

 なお、大阪府から他県の私立高校に通う家庭は、この授業料無償化制度は適用されない。
 京都府も、そのお返し(?)というわけではないが、京都から大阪の学校に通う家庭には補助を出してはいない(滋賀県と奈良県とは、協議が成立して、お互いに補助し合うことになっている)。
 だから、京都府の大阪寄りの私立高校は、けっこう生徒募集の面で苦戦を強いられている。その高校が穴埋め分を京都府内に求めることで、京都府下の他の私立高校が割を食うことが起き始めている。
 このように、大阪府の高校教育政策は、大阪府内だけで完結するものではないのである。
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大阪府私立高校の準「公設民営」化  私立中学・高等学校について

 今日の毎日新聞「15の春・異変」は、大阪府立高校改革についての記事である。
http://mainichi.jp/life/edu/news/20120216ddm002100072000c.html

 橋下府政は、私立高校でも年収610万円以下の世帯については、就学支援によって授業料を実質的に無償化した。(これが、報道ステーションsundayで、山口北大教授が橋下市長に返り討ちにあった話である。)
 その結果、明確なPRポイントをもたない府立高校には生徒が集まらず、去年は107校中41校で定員割れとなったという。
 もちろん、生徒が集まらない私立高校は、経営が苦しくなる一方、経常費助成については人数割の方向で改革が進んでいるので、府立高校ならば「再編」で済むところが、私立高校においては経営難から身売りせざるを得なくなる。公立以上に私立にとっては生徒募集に目の色を変えなければならなくなる。
 ところで、大阪府の私学助成については、「公立高校教員より教員の給料の高い学校に、私学助成を出す必要があるのか」という議論が、もう一方である。
 つまり、私学助成あるいは就学支援には、「高校教育という、政府によって保障されるべき公教育を、公立/私立という設置者を問わず、十分に府民に提供し、府民は幅広い選択肢の中から最良のもの選び取ることが望ましい」という発想が根底にあるのであって、まさに病院経営に近づいていっている。
 もちろん、私立高校の立地には、一定の人口規模や交通網という地理的経済的条件が必要である。そのため、公立高校によって独占的に高校教育が提供されるところも、日本には少なくない。しかし、大阪府に限っては、そのような場所は、ほとんどない。つまり、府内全域にわたって、公立と私立とが、横並びで府民に高校教育を提供することができる。
 ここにおいて、大阪府立高校は「私学化」する一方で、大阪の私立高校は、(公立とは別の次元で生徒を集めている)一部の学校を除いて、「公設民営」に近づいていく。

 徳島県が、日本の私立高校の近未来の一方の極とすれば、大阪府はその対極となろう。
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私立高校に依存しない高校のあり方  私立中学・高等学校について

 徳島県が、私立高校に依存せずに高校教育拡大を乗り切り、その後の数次の制度改変を経て現在にいたるまで、高校生の95%が公立高校に通っているという事実は、「私立高校がなくても、高校教育は成り立つ」ということを示すものである。
 今後、ますます生徒数が減少していくので、多くの都道府県で、公立高校と私立高校の定員を協議の上で策定しているが、「公立高校の枠を増やすべきだ」という声が増していき、そして現にそうした声が強まっているのは事実である。
 そこで気になるのが、次の3つの点。
 第一に、財政支出によって公立高校の経費の大半が賄われているのだから、その分を補助金化して高校バウチャーとすれば、どのようになるのだろうか。たとえば幼稚園や保育園については「公設民営」論が議論されることがあるが、高校についてはなぜ積極的な議論とならないのだろうか。公立高校教員はあくまで「公務員」なので、柔軟な労務管理も可能となるわけだし、言葉は悪いが「組合対策」として、大阪維新の会が取り組んでもおかしくない話でもあるのだが。
 第二に、「高校間格差」はどの程度まで容認されるのかという点について、コンセンサスがないことである。バウチャー制度を取り入れると、どうしても学校間格差は広がっていくだろうし、そのための受験生の競争も上位層において激化することは、過去の経験から想像がつく。
 第三に、「高校に通う」ということが、小中学校のように「とりあえず全員が公立高校に通う」ことを前提とし、それに飽き足らない人が私立に通う(教育学の間では「公立から逃避する」なんて言葉が使われることがあるが、すでにそこに価値判断が入り込んではいないか?)、というシステムは、ほんとうに好ましいのだろうか。「好ましさ」の指標はどこに求めればいいのだろうか。

 そういうことを考える上で、私学率の高い京都や大阪と、徳島とを比較することは、重要だと思う。しかし、高卒学歴ということについては区別することができず、しかもその後の生活によって高校での学習の影響は消えていくだろうから、私学の多い少ないがどのような影響を個人や社会に与えているのかはなかなか測定できないだろうし、そうなると、その逆しかないのかもしれない。

 ちなみに、徳島県に宗教系の私立高校がないということは、「キリスト教教育」も「仏教教育」も、教育機関を経由しては行われてはいないということでもある。
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徳島県の私立高校についての疑問を解く鍵  私立中学・高等学校について

 昨日書いたように、徳島県には、公立高校が40校以上あるのに対して、私立高校は3校しかない。生徒の割合でも、5%を切っており、全国平均の3割、東京都の6割にははるかに及ばない。
 いろいろと推測することはできるけれど、こういうことは当事者にお聞きするのがいちばんかと、徳島の私立中高連にうかがって、単刀直入に「なんでなんでですか」と聞いてみた。
 事務局長さんは、県立高校の先生から県の教育長にまでなった方で、まさに徳島県学校教育の裏も表も知り尽くした人だった。
 ひとことでは言い表せないが、とにかく、他の県で私学が大きく伸びたタイミングで、徳島ではそういう種が蒔かれず芽が出なかったということである。
 さて、その結果、他の私立が大きく伸びた県と、どのような差異が生じたのだろうか。これが何らかの形で明らかにすることができれば、「高校教育における私立高校の役割」を知る糸口となることだろうとは思うのだが、さて、いかにして?
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徳島県の私立高校についての疑問  私立中学・高等学校について

 徳島県の私立高校は、47都道府県で最小の3校しかない。しかも、3校合わせても841人(2011.5現在)と、県立の徳島北高校(1039人)や鳴門高校(1021人)の1校分にも満たない。

 なぜ徳島県では、私立高校が少ないのか?
 なぜ徳島県では、私立高校が大規模化しなかったのか?

 しかも、徳島県は、1960年代に財政再建団体に転落しており、高校生急増対策として、財政支出を抑えるために、他県のように私立高校に生徒を引き受けてもらうという選択肢もあったのだが、県はそれを選ばなかった。

 なぜ徳島県では、私立高校に依存した教育拡大が行われなかったのか?

 また、徳島県では、1970年代に総合選抜制を導入し、特定高校をめざした受験競争の激化を抑制しようとした。東京や京都ではこれによって「公立が凋落した」と批判されているが、必ずしも徳島県ではそこで私立が急成長したというわけでもない。

 なぜ徳島県では、公立高校の優位が続いたのか?

 1990年代になると、第2次ベビーブーマー後の生徒減少期に突入し、私立高校は「特色ある教育」を売りにして公立高校との差異化をさらに強調するために、さまざまな先進的な取り組みを行う。その結果、公立高校改革が誘発される。それでは、徳島県ではどうだったのか?

 徳島県の私立高校は、生徒減少期にどう向き合ったのか? 公立高校はどうそれに対応したのか?

 ちなみに、明治21年(1888年)、日本を代表する36都市が市政施行都市に指定された。その中に徳島市が含まれており、しかも当時、徳島市の人口は全国第10位だったという。徳島は明治の「大都市」だったのである。知らなかった。

参考:明治22年の人口(徳島市史より)
(1)東京   137万5937人
(2)大阪   47万2247人
(3)京都   27万9165人
(4)名古屋  15万7496人
(5)神戸   13万4704人
(6)横浜   12万1985人
(7)金沢   9万4209人
(8)仙台   8万6352人
(9)広島   8万3387人
(10)徳島   6万1084人
以下、鹿児島(5.8万人)、富山(5.8万人)、長崎(5.5万人)、和歌山(5.2万人)、福岡(5.1万人)、堺(4.8万人)、岡山(5.8万人)、新潟(4.4万人)、熊本(4.3万人)、福井(4.0万人)・・・。

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もっとも生徒数の多い高校は?  私立中学・高等学校について

 頭が動かないときには、手を動かすといいというから、このところ、全国学校総覧の数字を最新版に入力しなおしている。

問題
(1)鹿児島県でもっとも在籍生徒数の多い高校は、何市(町)にあるでしょう?
(2)日本でいちばん在籍生徒数の多い高校は、どの都道府県にあるでしょう?
(生徒数は2011年5月現在)

















正解
(1)屋久島町
(2)北海道

解説
(1)屋久島おおぞら高校で、6,464人が在籍していました。
(2)深川市にある「クラーク記念国際高校」の生徒数は、12,480人でした。

両校はいずれも、広域通信制高校。

 通信制高校は、1980年代後半から少しずつ規制が緩和されたこと、さらに2000年代の教育特区の追い風もあって、事情を抱えた生徒の受け皿として普及してきている。かつてはサポート校に通って大検を受けた層が、こうした高校に在籍して高卒資格を得ることが可能となったわけである。
 学校法人は、(たとえば英会話学校みたいに)経営危機によって学校が突然閉鎖されることを防ぐために、基本金制度が導入され、独自の資産を持っていなければならない。教育活動に必要な学校施設(校舎、グランド、放送設備など)も一定要件を満たすことが求められる。
 しかし、通信制高校においては、この要件がきわめて緩いので、簡単に開校できるわけである。
 最近は、この制度を利用して、授業時間もクラブの練習に充てる「高校」も出てきて、問題となっているそうな。
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私学の存在意義と生徒募集  私立中学・高等学校について

 中学後期入試の合格発表があり、表の道路の交通整理を担当した。
 後期入試の実質倍率は6倍を超えたので、ほとんどの受験生が不合格となる。今回受験した子どもたちは、記念受験しているコを除くと、すでに1〜2回不合格になっているわけで、うちがダメだと、あと残すところもわずかとなる。
 そんなわけで、涙を浮かべて校門を出てくる子どもや、どんより沈み切っている一家の背中を見送るのは、なんとも気が重い。

 もっとも、こんなにたくさんの不合格者を出せる学校はあまりなくて、定員確保に汲々としている私学は数多い。
 「私学として、自分たちがやりたい教育をするために、生徒を選びたい」という思いと、「経営のためには、一定数の生徒を確保しなければならない」という現実とがあって、両方を満たすことは、少子化が進む中、どんどん苦しくなっていく。
 後者は文字通りの経営問題である。
 それでは、経営のために前者を放棄したとき、その学校の「建学の精神」はどうなるのか。存在意義はどうなるのか。他方、生徒が集まる学校が存在意義のある学校だという声もある。

 コダックが経営破綻した。フィルムに最後までこだわり続けたためだという。一方、富士フィルムは経営の多角化によって生き残った。
 企業はそれでいいのだろう。しかし、学校は? 私学は?
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私学関係の新聞記事が3本  私立中学・高等学校について

新聞に教育関係の記事が3本も載っていたのは珍しいので、職員室でもちょっと話題になる。

(1)東京大学、秋入学移行へ京大ら11校と協議会設置
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120120-OYT1T01101.htm

(2)京都府、私立高授業料補助:奈良・兵庫通学でも 大阪は協議続行
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20120121ddlk26100435000c.html
 (大阪府と京都府が、群を抜いて私立高校生を抱える家計に対する支援が分厚いのは、意外と知られていない。)

そして職場的に関心が集まったのが、この記事。どうやら読売新聞だけが扱ったようである。

(3)同志社香里中学校、併願校の合否、学習塾名を調査
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120121-OYT1T00180.htm
(公平性が問題なのか、個人情報の扱いが問題なのか、これを書いた記者は何が言いたいの?)
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