2004/10/19
お悩み相談の本などを読むと、気の弱さで悩んでいる人に対し
「それはやさしい性格の裏返しですよ」などとアドバイスしている
ものに、お目にかかることがあります。
物事は受け取り方次第と言いたいのでしょう。
さて、強さとやさしさ。もし生きていくに当たってどちらか一つしか
持ち得ないとするならば、欠かせないのはどちらのほうなんでしょうか。
私はやはり、強さだと思うのです。
やさしさは、あればそれにこしたことはないという代物。
人間関係を機械に例えるなら、潤滑油のようなものです。
でも、潤滑油だけでは、機械は動きませんよね。
まず燃料が必要です。その燃料が、強さなのではないかと思うのです。
だから「気の弱さはやさしさの裏返し」なんていわれても、
私自身は嬉しくもなんともない。
安っぽい慰めの言葉にしか、聞こえません。
#なんとなく書きたいことが書ききれてないような気がするので、
後日若干の更新が入るかもしれません。(^^;
2004/10/12
「慈善活動」「体の傷、心の傷」「運」の
コラム三連発を読んだ知人から早速反論が。
「プロ選手ってのは夢を売る商売だって、自覚してやってるはず。
だから、慈善活動などに本音では全く無理解なんてことは、
決して無いんじゃないかな」
そうか。夢を売る商売…
自分は、サッカーを極めれば極めた人ほど、サッカーから落ちこぼれた人の気持ちが
理解できなくなるのではないかという(今思えばひどい)思い込みをしていました。
むしろプロの自覚があるからこそ、そういう人たちの気持ちを、
極めて自然に汲みとることができるのかもしれませんね。
言い訳じみますが、先に書いた3つのコラムの内容は、
本当はそんなことあってほしくない、という願望の裏返しだったわけで…
今思えば、あてつけとはいえひどいこと書いちゃいましたね。
ごめんなさい>(元)選手の皆様
3つのコラムは、残しておきます。
素直になれなかった自分の証として。
俺にも、夢を見る資格、ありますよね。
2004/10/4
体の傷、心の傷 の続きです。
プロになるって、並大抵のことじゃないです。
御本人たちから「口で簡単に言ってくれるな」という声が聞こえてきそうなくらい。
努力だけじゃどうにもならない、持って生まれた(遺伝的な)素質、
そしてこれが大事なんですが、「運」も非常に大きな要素を占めます。
良い指導者にめぐり合えるか、大きな故障無く成長できるか、
そもそも、サッカーとめぐり合う機会があるのか。
そういった様々な要素をクリアした者だけが、プロになれるわけで。
だから、勝者の彼らからしてみれば、
・生まれつき体に障害を負ってしまった
・周囲がサッカーに対して理解が無かった
こんなものは全て
「そりゃ、あんたの運が悪いんだよ」
のひとことで、片付けられてしまうのではないでしょうか。
もちろん、こちらの立場からしてみれば、
ボールを蹴ることができない、蹴る機会を与えられないというのは、
プロになれる・なれないといった次元より、
はるかに深い、埋めがたい、堪えがたい溝と感じているわけです。
しかし、彼らにとっては、そうではない。
取るに足らない数ある不運のうちの、一つに過ぎない。
意識のギャップは、確実に存在するような気がします。
俺が一連の慈善活動を素直に喜べない背景には、
こういった認識があったりもします。
何て歪んだ感情なんだと呆れる方もいらっしゃるでしょう。
正直、彼らが本当はどう思っているかなんて、分からないです。
でも俺の今までの体験からは、こんな歪んだ見方しか出てこないのも
現実なんです。
2004/10/2
「慈善活動」の、続きです。
もっとも、サッカー選手が体の不自由な人に対して
本当に全く理解がないかといえば、そうとも言い切れない。
選手って、常に怪我との戦いですよね。
だから「自由に体を動かせない」障害を持つ苦しみは、
肌で感じ取ることが出来るんじゃないかと思う。
それも、外科的な障害限定ね。
それに引き換え、心臓疾患のような見た目には分からない
障害を持つ苦しみというのは、実感湧かないかもしれない。
だいいち、そんな障害持ってたら選手になれないどころか
サッカーすらできないわけですし。
また、体の傷に対して心の傷というものに対する理解も浅いかもしれない。
選手は、心の健康に関してはほぼ問題のない人たちばかりですから…
自分自身は、体は何ともないものの心の傷を抱えている人間です。
それも、サッカーとのしがらみが原因で。
でも、それを理解してくれる(元)選手というのに
出会ったことは、一度しかありません。
一度あるだけでも、ものすごく幸せなことなんだとは思いますが…
こんなことを言ったら怒られるかも知れませんが…
自由に体を動かせない人からは、自分が危害を加えられる可能性は、まずない。
逆に心の傷を持っている奴は、いつキレて自分に襲い掛かってくるか分からない、
そんな偏見すら、選手たちは抱いているんじゃないか。
頭で気の毒だとは思っても、自分が関わりあいたくはない、
というのが、正直な気持ちなんじゃないかと思います。
こういう心理は、なにも選手だけが持ち合わせているものではないですよね。
身近な例では、車内暴力の見てみぬふり。
気の毒だとは思っても、自分が関わろうとは思わないでしょ。
それと同じことなんじゃないかと思います。
さらに、続きます。
2004/10/1
障害者を試合に招待するとか、施設を慰問するとか、
チームで取り組んでいる慈善活動。
もちろん、社会貢献をアピールするのも
あくまでビジネスの一環なんでしょうけど、
俺がそういう施しを受ける立場になったら、
素直に喜べないと思う。
実際、そういう活動に本当に理解がある選手って、
ほんの一握りなんじゃないかな。
だって選手の皆さん、体の不自由な人に対して、
子どもの頃はどういう感情を抱いていました?
大多数は本気で取り組んでいるとは、思えない。
ただ、チームの方針だから、仕事だから仕方なく、
割り切ってやっている。
そうに決まっているじゃないか、それ以上何を求めるんだ、
と言われると、返す言葉は無いけど…
自分自身が、ことサッカーに関しては
本心と異なるかかわり方をしてきた。
好きな気持ちを押し殺して、嫌いになろうとしたり。
だから、選手が自分の本心と違うことをやらされる、
そういう姿を見せ付けられるのは、いたたまれないんですよね。
社会に出ればそんなこと幾らでもある。確かにそう。
でも、それがサッカーに関することになると、単純には割り切れない。
チームとしては選手の意識改革を期待しているのかもしれないけど、
それで本当に意識が変わる選手って、やはりほんの一握りなんじゃないかな。
続きます。
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