「サッカーを、遠い眼で見る」の旧・雑記です。
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2004/10/2
「慈善活動」の、続きです。
もっとも、サッカー選手が体の不自由な人に対して
本当に全く理解がないかといえば、そうとも言い切れない。
選手って、常に怪我との戦いですよね。
だから「自由に体を動かせない」障害を持つ苦しみは、
肌で感じ取ることが出来るんじゃないかと思う。
それも、外科的な障害限定ね。
それに引き換え、心臓疾患のような見た目には分からない
障害を持つ苦しみというのは、実感湧かないかもしれない。
だいいち、そんな障害持ってたら選手になれないどころか
サッカーすらできないわけですし。
また、体の傷に対して心の傷というものに対する理解も浅いかもしれない。
選手は、心の健康に関してはほぼ問題のない人たちばかりですから…
自分自身は、体は何ともないものの心の傷を抱えている人間です。
それも、サッカーとのしがらみが原因で。
でも、それを理解してくれる(元)選手というのに
出会ったことは、一度しかありません。
一度あるだけでも、ものすごく幸せなことなんだとは思いますが…
こんなことを言ったら怒られるかも知れませんが…
自由に体を動かせない人からは、自分が危害を加えられる可能性は、まずない。
逆に心の傷を持っている奴は、いつキレて自分に襲い掛かってくるか分からない、
そんな偏見すら、選手たちは抱いているんじゃないか。
頭で気の毒だとは思っても、自分が関わりあいたくはない、
というのが、正直な気持ちなんじゃないかと思います。
こういう心理は、なにも選手だけが持ち合わせているものではないですよね。
身近な例では、車内暴力の見てみぬふり。
気の毒だとは思っても、自分が関わろうとは思わないでしょ。
それと同じことなんじゃないかと思います。
さらに、続きます。
投稿者: 国分犬一
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