「夏目友人帳」最終話の感想です(^o^)
終わってしまいました(-_-;)
残念ですorz
最後は、原作から色んなお話を集めたような感じでした^^
これまで出てきたキャラクターもたくさん出ていましたしねw
大団円を演出していましたww
「夏目友人帳」という作品は、明暗の美しい作品だと思います(-_-)
視聴者は、夏目という目を通して、その明暗の世界を見ているのです。
人間に悪事なす妖怪がいたとしても、それは人間にとっての悪事であり妖怪たちにとっては自分たちを守るための行為だったり、妖怪を利用して自分たちの欲望を満たすものがいたり、かと言って人間にとっては日常の行為が妖怪たちにとっては害あることだったり、そういう目に見えない明暗を嫌味なく描いています。
しかも、その情景を美しく描くことで、より深く物語を考えさせられるのです。
第2話の露神の物語が、代表例だと僕は思います(T_T)
むしろ人間が進歩したことによって、人間は神を忘れ、その信仰を存在の支えにしていた露神は最後の信者の死とともに彼もまた消えてしまう。
この物語に、悪事を為す者は誰もいません。露神を崇める者がいなくなったのは、世の中の流れであり、誰がそう仕向けたわけでもありません。
一方で、4話の時雨は露神とは正反対の立場にあります。時雨は人間の欲望によって捕らえられ、そのせいで祟る神となり、復讐のために人間に害をなします。元は人間のせいであり時雨に同情さえします。しかし、無関係の人間に害を為すのを認めることはできません。時雨には笹田という救いがありましたが、もし、その救いがなければどうなったでしょう。
夏目とニャンコ先生は、どういう方法で時雨の怒りと鎮めたでしょうか。
「夏目友人帳」から見える世界は、人間も妖怪も区別することなく対等であるということです。しかし、両者には決して越えることも避けることも、ましてや壊すこともできない壁があります。
夏目は、多少霊力は強いかも知れませんが、ただ見えるだけの普通の人間です。そのため、本来ならその壁は壊すことも越えることもできません。しかし、時折、その壁を越える場合があります。燕や柊の物語がそれです。反対に越えたくても越えられなかったのが蛍の物語です。
「夏目友人帳」がとくに優れているのは、そうした壁の存在を、美しく描いていることです。
僕が、「夏目友人帳」が好きなのは、そういう世界に惹かれているからなんでしょうねw
(⌒▽⌒)ノ"