今日、ひさしぶりに「ドラゴンボール」全巻を屋根裏の書庫から引っ張り出しました\(^o^)/
なんでも、兄の子が全く本を読まないので、せめてマンガでも読ませようと、未だ人気の衰えない「ドラゴンボール」に白羽の矢が立ったのです^^;
僕の甥にもかかわらず、本を読まないとは信じられませねorz
まあ、それはそれとして、僕も懐かしくて読んでみたのですが、今から思うと実に悲惨な作品だな、と思いました((((゚Д゚;))))
ちょっと調べてみたんですが、鳥山氏は「ドラゴンボール」を三回目の天下一武闘会でマジュニア(ピッコロ大魔王)を破ったところで終わらせようと考えていたとのことです(-_-;)
しかし、人気があったため、連載を終了させることができず、もう少し伸ばすことになりました。ですが、もう少しのはずが、伸びに伸び続け、より強い敵を登場させることにより、悟空たちをより強くしなければならず、そのため世界設定とかムチャクチャになってしまいました。ブリーザが出てきたあたりから、もはや1つの作品として体を為していません( ̄∩ ̄#
明らかに、もうそれ以前の「ドラゴンボール」とは別世界ですorz
それに、ピッコロと戦った後、悟空がチチと筋斗雲で去った場面で、亀仙人が「もう少しだけ続く」と言っていますが、そのもう少しの話が、それ以前より長いというのは異常な状態と言うべきでしょうΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)
ベジータが最初に地球にやってきたあたりについては、おそらく悟空とピッコロの正体が異星人であるということ自体は、鳥山氏もすでに考えていたのでしょう。だから、それまでの設定に特に矛盾はありません。また、ピッコロもまだ魔族として行動しています。
しかし、フリーザが出てきて、人造人間のあたりから、もう訳がわかりません。セルや魔人ブゥなど、今から読み直すと呆れ果てて物も言えません。
「ドラゴンボール」の設定の乱れは、例えばスーパーサイヤ人という言葉は、最初はサイヤ人と地球人のハーフ、つまり悟飯を指した言葉だったにもかかわらず、後ではサイヤ人のパワーアップ版に定義され、全く意味の違うものになっています。
それに、フリーザとの戦いですでに惑星を破壊するほどの力を持った悟空が、それ以上の力を持つ人造人間やセルと戦うと、それだけで地球が壊れてしまうでしょう。
連載が引き伸ばされるたびに、力に対しては力で立ち向かうパワーゲームに成り下がり、ストーリーも善と悪の二元論的なものになってしまい、物語としての面白さが低下しています。また、ドラゴンボールさえあれば生き返るということで、生命が軽視されている描写が何回も出てきます。死んでもドラゴンボールで生き返るとか、死んだらドラゴンボールで生き返らせてくれとか、ふざけたことを平気でキャラクターたちが言っています。っていうか、ドラゴンボールはもう死人を生き返らせるだけのアイテムです。
そして、何度も主人公を悟空から悟飯に遷移させようという努力もされたようですが、悟空という圧倒的な個性の前に、それもうまくいかず、結局はみんな最後に悟空を頼るというワンパターンが繰り返されることになりました。
しかし、それを僕は鳥山氏の責任だとは全く思いません。フリーザ登場以降も、読者が「ドラゴンボール」を愛し、今なお人気に翳りがないのは、それだけの名作であり、批判している僕でさえ、その部分部分については面白さを感じてしまいます。フリーザにしても、セルにしても、キャラクターとしてはすごく面白いのです。
これは、間違いなく鳥山氏だからこそできた業です。
ただ、「ドラゴンボール」によって失われたものも多いのではないでしょうか?
とくに鳥山作品に関しては、「ドラゴンボール」以後、短編や短期連載を除いて、長編作品が全くありません。現在はむしろ、漫画家というより、イラストレーターやキャラクターデザイナーとしての仕事のほうがメインでしょう。
また、「ドラゴンボール」の連載が終わる際、スポンサーや出版社の上級幹部たちが集まって、連載終了がもたらす損害を最小限に抑えるために会議が行ったと言います。それだけ、「ドラゴンボール」という作品がもたらす利益が大きかったということでもありますが、ビッグタイトル頼りの経営がいかに危険なものであり、弊害が多いかという根拠にもなると思います。とくに、連載を終わらせたいときに終わらせられないというのは、作者にとって苦痛以外の何物でもありません。
僕も、「ドラゴンボール」が好きですが、だからこそ、もっとあり得べき姿で終わってほしかったと思います(´Д⊂
(⌒▽⌒)ノ"
この記事は、9月23日に修正しました^^;