ちなみに、もちろんですね、私も看護師が向いていると思うことが日常的なわけです。仕事の一つ一つ嫌になったりしませんよね、例えば「ラーメン屋さんのねぎ」みたいなものは、きっと少ないと思いますし、技術や能力というだけでなくて、パーソナリティーで乗り切っていける部分も自ずと沢山あるので、いちいち努力したり意識して気をつけるほどでもなく「看護」として出来ることもあります。
人の話しを聞いたり、頷いたりすることもひとつでしょう。深入りするでもなく、人の話でめげるでもなく、かといって興味ないふりするでもなく。
看護師やカウンセラーが人の話を聞くときに、話をする人と効く人の脳波がα波になるとか、それが「共感」という現象だとか、伝統的治療師にこうした能力があるとか、科学的にも示されたものがいくつもあります。
「患者との会話が効果的である」のは、患者が楽しかったり、敬われることを満足したり、治療的効果があったり、患者のセルフケア能力が向上したり、苦痛が和らげられたり、いろんな意味あいがあります。それが看護師の会話技術と能力と言えます。(話が好きで喋るのとは随分違います。)
さて、私にそういう技術があるかどうかは別として、どうしたんだろーと心配したり気の毒だなぁーと思う気持ちは多分泉のように湧き出します。「看護師さんは優しい」という表現がありますが、優しく行動するかどうかは次の段階として、恐らくその言葉の真の意味は、「看護師さんは心配したがり」なんだと思います。
優しく行動する前に、いろんな人の苦痛や不都合を予測することが優しさへの前提なのです。
で、私はそういう意味にかけては 看護師にやはり向いているのだ、と。
患者さんにとって、ナースコールが押し易い場所にあるか、押してもいいと思えるように伝えているか、実際に押してよかったと思えるようなフィードバックをしているか
一つとっても色々配慮します。全ての看護行為の中でこうしたことを箇条書きにすれば、日々膨大な 何百項目という行動と配慮、観察を繰り返します。
ですから普通の人間関係においてもそれは習性のようにやってしまいます。「やらない」と決めたら別ですが、むしろ自分が患者よりも自分の誠心誠意を込めるときはやたら滅多ら考えたり行動します。
この人は安らげる場所がないのかな?
私以外に話を聞いてもらえる人がいないのだろうか?
温かみのある食事をたべれないのかな?
仕事で辛い思いをしているのかな?
良い成果が出せずに苦労しているのかな?
私のためにどれだけこの人は思いを割いてくれているのだろう?
どれだけ私の申し訳ない気持ちを抱えて恐縮しているのだろう?
私はその人の心や努力をどれだけ理解してあげられているのだろう?
暖かいコートも、きれいなシャツもパンツや靴下も買ってもらえないのだろうか?
こんな時間に連絡してくるなんて余程の孤独なのかな?
どれだけ家の中で冷たい人間関係を耐えているのだろうか?
未来の私を引き換えに自分を犠牲にして苦境にあるのだろうか?
肩身の狭い思いとか人質みたいな状況なのだろうか?
会社で居場所がないのかな?
手柄や成功がないとけじめがつかないのだろうな?
一日でも早い成功のために日々まい進しているのかな?
楽しみも安らぎもお金も自由にならず一体何を生きる目的にしているのだろう?
成功を約束した重圧はどれほど大きいものだろう?
重圧を減らせる努力を私はうまく出来ているだろうか?
私は圧力をかけてないだろうか?
楽しい気持ちを分けてあげられているだろうか?
週末は教会にでもいくデューティーを課されているのだろうか?
予定が決まらないのは、仕事の成功のために努力しているのだろう。
予定が決まらないのは、裁判や調停や調整や話し合いみたいな苦労を密かにすすめているのかもしれない。
いろんな努力にどうやって私は応えられるだろう?
どうしたら伸び伸びと過ごせるように助けられるだろう?
まぁ 思い過ごしとかそういうことも世にはありましょうけど、状況として私の情けが自ずと当然に出てくるもので、そう期待されることも自明というようなこと…。
こんなわたしも、看護師として患者さんの心配をするとき、あるきっかけを境に一切の情を停止する場合がある。
病院のルールを堂々と破ったり、非社会的行動を取る、治療に効果的でない行動をとること。具体的なエピソードや人名が思い浮かぶほど稀な状況ではあります。
病室で喫煙する、病室で堂々と携帯電話で通話する、消灯後も遅くまでテレビをつけている、治療上の制限を守れない、など。
少なくとも、こうした人に真心や実際の時間や労力を費やしても、療養や看護の効果が大きくはないので、無駄に配慮ある気の効いた会話などはしないことにしています、同情してこちらの心を消耗するのも真っ平嫌な気持ちです。最高の看護や最高の療養の成果を得られない重大な原因が患者にある場合。理屈ではそうですが、こちらは相当に傷ついてしまうことは大きいです。
医師などは難しい手術を誠実にこなしたり、休みなく夜中も朝も患者を診ているにもかかわらず、そういう真心や努力への賞賛や感謝を台無しにしてしまうような行動を患者がとる場合、端から見ていても随分と気の毒です。
とは言え、病気になったこと自体は 非常に気の毒なことですから、人間性を批判することはなかなか出来ません。しかしながら、好きで尊敬できる患者ではなくなるのは確かです。心でやっている看護師の看護について患者さんに話したところで、こちらの思いは通じないばかりか ある面では患者を追い詰める可能性もあります。とにかく、情を停止したくなるような患者さんにはもう分かつ言葉はありません、諦めるのです。職務上もストレスを増す存在になるので、組織にとってもマイナスです。
普通の人間関係でも、いろんな自分の真心を裏切られることがあります。病気の人に職務上やるようには、おおめにみてあげられる気持ちは到底働きませんし、私の看護師としての性質を利用されたような気がして、すごく嫌で、くしゃくしゃにしてやりたい気持ちにもなります。
しかし、そういう人には一層言葉も通じないでしょうし、どうしよもないわけです。体は病んでいない上に、人のエネルギーを消耗していく寄生虫みたいな。
自分は看護師に向いているとは思いますが、いろんな意味で家族や周りの人に支えられたり守られることについては、少し環境が不足しているようではあります。
看護師の仕事を真に理解しようとしてくれて応援してくれる人が一人でもいる場合は、それは本当にありがたいことなのではないでしょうかね。
邪魔される感じ、軽んじられる感じ 私の場合、生きていくうえで結構苦手な感情。
