思えば、私はここで随分愚痴やらうっぷんを昇華させてきたのかもしれない。
今日は、書けばちょっとはすっきりするかなというのが先にたっている。
さて、看護師は患者さんについて、「こだわりが強い人」「言ってもきかない」「頑固だ」な風に言う事がある。
扱いにくいとか、こちらの思うように動いてくれない時に使われる言葉だが、患者さんの状況によっては、それは病的な度合いであったり、性格上の問題であったり、単に知的な考えや行動をとれなかったり、他人からは動かしずらい状況ということになる。
一方で、忘れてはならないのは、ぃや 看護師が忘れがちなのは、こちら側の説明不足や思いやり不足、段取り下手で 患者を混乱させたり、憤慨させていると言う事実。
それに、「こだわり」や「頑固さ」「物分りの悪さ」というのは、程度の差の問題であって、私から見ればあの人はルーズ、あの人から見ればもっとルーズな人はいて…、自分が一番律儀で丁寧で完璧で、誰かは絶対的にルーズでめちゃくちゃでということでもない。
例を挙げると「靴」。自分だったらあんな汚い靴捨てるだろうな…、と思って人の靴を汚いなぁと思う。でも 他の誰かから見たら自分の靴は汚くて、「そんなの履かないよ」と思われる場合は必ずある。あるいは、靴ばかりにこだわってないで、ちょっとはお風呂にでも入ってさっぱりすればいいのに…とか、それぞれにとっての優先順位の問題。
こうして考えると、人の「こだわり」を無為とするのも、あるいは絶対とすることも出来ないのだが、「異常だ」「やり過ぎだ」と思う場合がある。なんとなく多数決的に、それはおかしいと価値付けられるのが普通だが、大多数がこだわりに縛られている場合は、「こだわり」がまるで「常識」や「絶対」の価値となり、やっかいだ。
今回の記事はその看護師自体の働き方、こだわりのことである。
問題なのは、それが病的だと、手をつけにくい。
何を以て、病的と言おうか? ある程度明言できることは、その「こだわり」や「ルール」が生活上あるいは仕事上支障をきたす場合、つまり合理性・社会性さらには科学性を欠いていることだ。
患者さんのことを「こだわりが強く」て、扱いにくいと言ってる場合じゃない。
また、その「こだわり」や「ルール」は、自分や人を不愉快や不満を生じることはあっても、関わる人々をそれほど喜ばせない。
病院の場合、最も大切な事は、それが患者にとってどのように有意義なのか、それから結果的に患者さんが喜ぶことにつながっているのか?
そういう観点で検証しても意味づけや脈絡が見つからないルールは無為に近い。
病院や治療・療養・看護には たくさんの重要な知識やノウハウがある。私たちが仕事の本質を見失わずに価値を高める為のできる努力には、さしてゆとりもないので、働きやすい環境のなかで質や安全を確保していくとき、できるだけ邪魔なルールは排除した方がいい。また、ルールを遵守する為の努力が途方もなく大きい場合も現実的でない。
そういうわけで、仕事のやり方を固定するときには、どれほどの患者の利益と仕事上の有利があるのかを合理的に考えてみる方がいい。限られた利益ならば、下手に物事を堅固にしていてはいけない。それがいわゆる「こだわり」になってしまっているし、新しい良い方法が生まれる素地を奪ってしまうのだから、教育上あるいは自身の進歩の上でもよろしくない。Bestでない方法をみんで横並びでやる事ほど創造性のないつまらない仕事はないと私は思う。

私は今朝、職場の窓から初めて見る朝日を探していたら虹がでていて喜んでいた。同じ場所にいても患者さんへの看護の本質に気づかなかったり、合理的で理性的な行動をとれずにハッピーな気持ちになれない人もいる。

看護師は看護師としての技術を高め、人としても患者さんに信頼される人。
看護師さんは 楽に仕事をこなす人、人の仕事を非難するひとでなく、
患者にとって優しくて安心できて、誠実に仕事をする人。
それから、看護師さんは元気で、強くて、患者を笑わせて元気にしてくれる人。
ごく基本的に大切なこと、患者さんに信頼されるような態度、高い技術や経験を学べる機会に恵まれて可愛がってもらっているか、こだわりはもっと自分の中にもって究めてみたら良いかと思う....。
他人のことに「こだわる」ことは、患者さんのこだわりの比じゃなくオカシイ。