「太陽はいつもそこにあるのに」の対のような言葉で、
「不安は常に自分の中にしかない」
不安は誰から宣告されるものでもない、事実は人から知らされたり、押し付けられたりすることもある。だけど、不安や辛い気持ちというのは、どこにも置いてないし 家の中にも外にも落ちていない。
現実的に、車に気をつけよう と言われても 危険な車を見ても それでどれだけ自分の生命に危機を感じるかは人によって全然違う。危機感や心配は私たち自身を守るために必要な感覚で、理屈ぬきで安全な行動をとったりすることもある。
確かに人は沢山のことが不安の種になる。交通事故にあう不安、犬に噛まれる不安、結婚できないかもしれない不安、大学受験に失敗するかもしれない不安、給料が減るかもしれない不安、失業するかもしれない不安、恋人と別れるかもしれない不安、職場で嫌われているような気がする不安、出世できないかもしれない不安、貯金が増えない不安、バカにされているかもしれない不安。
不安になる人はこういう不安は色々ある。だけど世の中には心配や不安とは無縁な人もいる。足りない人もいるし、上のような不安が 怒りや憤りの感情となって 心がいつも煮え立っている人もいる。
だとすれば、不安や感情はいつもその人が作っていることになる。
確かに、「太陽」の光や熱、まぶしさや暗さに比べてみれば、「不安」というものは、どこにもないし、自分以外の人がそれを見ることも触れることもできない。そして、もしかして自分さえコントロールすれば、それはどこにもない、自分にもない。
人に裏切られているんじゃないか、失敗するんじゃないか、認めてもらえないんじゃないか、自分は無能な人間じゃないか こうしたことで人は激しく動揺して、悲惨で すさんだ気分になる。特に20歳代では何一つ確固たる自信や安心はないのではないかと私は思う。
一人暮らしや親からの自立、仕事、社会人としての行動や人付き合い、専門教育の習得、いろいろなことが一人の課題として次々でてくる。こうしたことを一つずつ 逃げないでその心配や不安を克服していくことは、後から思い起こしても 自分が何のために生きたのかをはっきりさせるくらい重要だと思う。そしてその時期 どんな失敗をしてもうまく出来なかったとしても 努力や踏ん張りなくその時期を過ごした自分 やり過ごしてしまった人に比べて うんと価値のある満足できる思い出になるのだと思う。
もちろん若いときからそつなく上手に格好よくいろんなことをこなして人生を着々と歩んでいる人も沢山いる。私は自分でもいろんなことに悩んだり気づいたり正したりする時期が遅かったかもしれないと思うけれど、死ぬまで気づかないよりは良かったと思うことにしている。そして、また生きているうちに もっといろんなことに気づいて ちょっと前の過去を過ぎ去った自分と思うかもしれない。
昔は無性に不安になった。不安の種をほじりだして自分や他人を責めたり暗くなったり、悲しい気持ちにおぼれることも沢山あった。そのときはそれで必死だったのも事実で、もう取り返しはつかないけれど、今は 不安は自分の中にしかない 太陽や真実や自分の信念やskillやknowledgeがあるのを信じて日々暮らせば、心配に自分の心や時間を食い潰されることははない。
強い人の強い生き方というよりも、弱い人も頑張れば大丈夫なんだ そういうことなんだと思います。