患者さんが 「病院代」を気にしていない と思うのはちょっと大胆ではないか?
病気で入院すると、検査も薬も手術もたくさんいろいろやってくれますが、どのくらいの値段でどのくらいのことがわかるからやるかやらないか 今の日本ではそこまで説明してないでしょう。
外来では、おおよそいくらくらい用意したらよいかなど教えてくれる場合もありますが、入院して どんどん採血して当たり前のように点滴をしている最中に 実は医療費はどんどんかさんでいきます。
「出来高払い」というのは、やればやっただけ 保険者(健康保険組合や国)が病院にお金を払い(償還)、自己負担分もそれに応じて支払うことになります。定額・包括支払いは 一定額を病院はもらいます。
ざぶざぶとありったけの医療を投入するというのは どういうことになるのだろう?
アメリカみたいな状況は今の日本の病院関係者にとっては、「セチガライ」とか「冷酷」と見えるのかもしれません。
資源の投入(お金や材料だけでなく人や手間も含めて)に見合う成果が期待できない時はそれを患者に勧めません。また、支払いを含めた説明と同意の上、契約として医療は提供されます。実は、これはアメリカの医療だけでなく、日本における介護でも既に契約contractが必ず必要となっています。本人の意思、それが叶わなければ 後見人を立てることが条件になっています。
ですからね、日本の医療は かなり押し付けがましいという側面があります。あるいは...、科学的に妥当だと思われる選択肢の中から患者が何を望んでいるかに相応するように 日本のお医者様はやっている ということもいくらか正しいかもしれません。
しかし、文化が精錬されていきますと、個人の価値観は多様化してきます。単に「救命」や「積極的治療」を最大公約数のように 立ち回ってばかりでは 時代遅れの医療従事者になっています。
さて、ここでは 治療と支払いの意思についてです。
確かに誰しも救命される欲望と権利があります。もちろん私もそうです。
ただ、お金が潤沢にあったとしても、「
患者さんへの色々−手術を受けると決める時」のなかで書いたように、患者の回復したい 治癒するぞという 意欲や気力を支えるものがない状態では難しいと思うのです。意思も確認できないのではなおさらです。その方の意思を何とかして分かろうとしたいものです。
また、ようやく退院にこぎつけたとき 債務者となることも十分心に留めておきたいことです。患者自身もですし、それを施した医師も看護師も その患者さんへの負担や意義、医療費の消費もきちんと理解していなければなりません。
決して、自分たちの能力だけで患者をケアできたわけではなく、材料と償還と患者の自己負担の上に自分たちの仕事は成り立っているに他なりません。患者さんにはそれを買って頂いているふうに思わなければなりません。債務を患者さんが返していくことも含めて療養です。
それが、資本主義社会のなかで自身の生活を営んでいる者の根底でもあり、公的なお金を得る立場の良識・倫理なのです。
人の金だと思って 色々な側面を管理・統制できずに使うことは 非常に愚かしいことでしょう。
公務員でなくとも、ヘルスケア従事者の仕事は価格が保証されていて、本人から以外のみんなのお金で成り立っている 非常に公的な仕事です。
患者さんもたくさんのことを勉強しなければなりませんが、それで 自分自身の意思決定をできるようになります。
医療従事者も患者の権利や意志を尊重することを第一としなければなりません。そうすれば医療従事者と患者は対等で 意味のある人間関係を築けるのではないかと考えられます。
患者の権利や尊厳を守るというのは こうしたことでも重要な倫理です。
次回は、患者から見た「病院代」について書きます。