温暖化というより、温暖させ。
人が贅沢や我侭になるのは、自分の人生をちょこっと振り返っただけでもわかる。
一番に思うのは、やはり食べ物。これは譲れない気持ちがいささか強い。食べ物の場合は、好みといったものと質といったものを求めがち。
質といえば、とても甘い果物や 霜降りの牛肉 というような人間の欲望を自然界で具現化したものがある。それとは別に、よりnaturalでwildに近づこうとするとき、その価格や希少性が高まる。
後者が一般的には多くて、生命のありようの基本を尊ぶような本能的な行動でありながら、都会や洗練された社会では極めて文化的な行動だと言える。
前者のような欲求は、健康や自然の摂理からは外れているという特徴を備えていて、恩恵に浴す贅沢に対して、人間の都合に自然を操作すると言う意味で 我侭にあたる。
さて、今回は本当は温度調整について書きたい。
私は最近 暑さになれてきた。事情やいきさつはいろいろある。
6年位前にクーラーのない暮らしをひと夏過ごした。
療養中、日中家でクーラーをつけないでいた。
今はクーラーが入る面積が部屋全体の三分の一にも満たない。
網戸がない。
いろいろ 我慢しなければならない状況を経験しながら 体得したことは以下。
暑い季節は、暑いと思う。
暑い時は、氷やアイスパックなどの冷却材を体につける。
涼しい部屋に長居しない。
早く歩いたり、せかせかしない。
汗をかいたら、ぬるーいお湯で水浴び、風呂。
家の中の暑いところと涼しいところの温度差をある程度抑える。
クーラーを入れるとき、涼しいと思うほど冷やさない。
頭を使う仕事、睡眠、きれいな服の着替え それ以外はクーラーは必要なく、暑くても問題にしない。
ベランダに水を撒く。
クーラーはまめに消す。暑くなったらまたつける。
暑苦しくて無駄な服装はやめる。
夜間の就寝中は安心安眠虫除けの為クーラーをつける。
冷房にしても暖房にしても 人間というのは 感覚がどんどん慣れてしまうので、「あたたかい」「涼しい」という感覚をずっと継続することはできない。お風呂のお湯の温度と同じようなもの。慣れれば、ぬるく感じたり、あるいは不感という状態になって、快から遠ざかる。
人間は、不変では満足や心地よさが得られない。刺激が増していくことで、暖かいという気持ちが持続していく。
そうすると、人間は暖めすぎたり冷やし過ぎていくことになる。
今は暑くて、そのことで気分まで悪くなる人も多い。
けれど、もしこれが冬だったら暖かくしてていいなーって思っているような温度でもある。
人間の馬鹿なところは、暑いときに暑いと言う感覚を味わうことでなく、暑いときに涼しいと感じることが気持ちよいのだ という観念ができてしまっていること。最初の食べ物の話しで言えば、前者の我侭に近い方の欲求。で、さらに、どんどん冷やしたりどんどん暖めたりすると、夏は温もりが恋しくなったり、冬は冷気にあたりたくなったり…、もぅむちゃくちゃ、out of order。

夏は暑い。暑いのが夏。そう常日頃考えていると、寒い夏や涼しいところで、冷えを感じさえする。
確かに 集中を要する作業をするときには、汗が流れるほど暑いままでは辛いでしょうからクーラーが必要でしょう。しかしながら、それなりに効率が落ちるのは夏のお約束で、それもまた自然の成り行きで仕方のないこと、折込済みのはずなんじゃないですか?
昼間に会社や学校お店にいて 冷房を掛けていることに直接の費用負担がないことで 暑いときには冷やす、寒いときには暖めるというのが 当たり前になりすぎている。
家にいると思って、自分のお金でエアコンを運転すると思って、自分が地球の自然の中にいると思えば、自分の行動はもっと真にエコロジー指向になるのではないか。
年々確かに平均気温が上昇してる様子。大丈夫なんでしょうか?
子どものころ汗していた夏のこと、今でもそれなりに涼めること、自然の暑さを感じること、賢く涼めることの贅沢と我侭の分別をつけて、夏の楽しみをしっかり享受して日本の季節感を味わいたいもの。
夏にはごちゃごちゃ細かいことに目くじら立てずに適当にこなして、心地よい贅沢をしよう。
なんでこんなこと 真剣に書いてるの?って思われるでしょうね…。
ぃや 冷やしすぎで頭も心も体も馬鹿になっちゃうと困りますからね。
スペースシャトルのニュース色々見ていて、地球大事にしなきゃな…ってなんとなくそう思いました。「どうやって地球に帰るか」これが今最大のテーマ。
今日の写真はみんな転用・流用で、ナショナルジオグラフィック、アサヒコム、アフタヌーンティーでした。