2006/7/31

Cue出しってホント難しい・・・・  月曜:ちょっと舞台裏

バンドをやっている人ならジャンルを問わずにきっとわかると思いますが、演奏中の「合図(Cue)」は出すタイミング次第でバンドの演奏が「キマる」場合もあれば「崩壊」する場合もある、いわば瀬戸際にさらされるハラハラ・ドキドキの瞬間でしょう

自他共にその失敗談はこのブログでも随所で書いていますが、元々僕らのようなヴィブラフォンやマリンバのマレット・キーボード奏者がリーダーとなると、この「Cue出し」の条件は一段と過酷度を増すようです


なぜなら

(1)正面を向いて演奏している
・・・・ショルダー・キーボードのように楽器ごと振り返ればいいのですが、まず無理でしょう。。

(2)両手が塞がっている
・・・・一時期「肘」を使って何とかCueを出そうと苦心しましたがミストーンが増えて却下(笑)

(3)さらに足も塞がっている
・・・・ヴィブラフォンの場合ペダルがあるので離せません。。。


手、足、身体の向き、、、、これらが「塞がって」いるので残るのは・・・

「頭」


もしくは

「視線」


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赤松(vib)アリマサ(p)DUO @ 横浜開港記念会館

デュオなら相手は一人ですから、Cueを出す方向は一つ。これはもう視線以外にも顔まで向けて演奏する事も可能。見ているかどうかも「気配」で感じる事が出来ます。

しかし。。。

バンドとなると、これが難しい

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フロントの宮崎隆睦(sax)と

至近距離にいるメンバーには演奏中でも「話しかけ」たり、時には面白いハプニング(客席からは決してわからない)に思わずニヤリとしたり、頻繁にコンタクトを取れるのですが・・・・


さぁて、そろそろ曲のエンディングのCueで演奏をキメよう
しかし、このように両手は塞がっております・・
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僕の左側にサックス、後方左にドラム、後方右にベース、右側にピアノ。。
ぐる〜りと囲まれております

こうなると、

手も足も出ないとは、正にこの事でありますから・・

もう全身全霊(ううぬ。。霊まで出すか)

で「そ・ろ・そ・ろ・終わり・だ・ゾ〜〜〜!」(やはり霊も必要/笑)
と「終わりモード」を、ステージのその辺、そこかしこにまき散らします。
(もちろん「この辺りでCue」という簡単な打ち合わせは事前にやっていますが)

するとメンバーはその「ただならぬ気配」(やっぱり霊だ/笑)を察知して、こちらに注目するわけです。

それ〜〜〜〜!

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Toshihiro Akamatsu“the next door”
村井秀清(p)赤松(vib)村上聖(b)宮崎隆睦(sax)鶴谷智生(ds)

よっしゃ〜〜!
で無事に終了。

でも。。。。。。。。
時には誰かが「気配」を察知出来なくて終われない事も(爆)
ま、それはそれ、ステージのハプニングとしてお客さんは楽しんでるんですが

これから夏のライブシーズン。
近くの会場で展開されてるいろんなバンドのCue出しを見るのも楽しいものですよ。


おしまい

2006/7/30

夏セメの前に・・・・  ■新・音楽体験記/留学の頃

昨夜の東京は花火日和で隅田川の花火大会をはじめあちこちで花火が打ち上がっていました。。。夜、東八道路から国立天文台の前の道を抜けたら目の前にスタジアムで打ち上げていたデッカイ花火がドド〜ンと
綺麗でしたが運転中の為に撮れなかったのが悔やまれます。

昨夜の話しは後編で完結する予定だったけど上手く納まらなかったので本日はその続き。


バークリー入学後2セメが終わろうとする時に、例のアパート周辺でドロボーが頻発していたので、もう少し落ち着ける場所への引っ越しを考え始めた。

休みに突入する直前の5月中旬、ゲイリーバートン氏のヴィブラフォンのレッスン補講があった。ゲイリーは世界中を飛び回るヴィブラフォン奏者であると同時にバークリーの役職として超多忙スケジュールの中、必ず週1回のレッスンを行ってくれたが、セカンドセメスターの最後だけワールドツアーで飛んでしまった。普通なら「休講」の一言で終わるケースなのに、ちゃんと補講を取ってくれるのだ。感謝。
超多忙なゲイリーの予定と僕の予定をあわせると・・・●月●日の午前10時しかない

午前中から演奏するというのはこの世界ではあまりあり得ない、、、当然ながら二人とも寝不足の状態(笑)。課題の5曲を演奏して終了すると、ちょうど引っ越しを考えて楽器を探している事を事前に伝えていたので「良い情報がある」と教えてくれた。

「これからエドの部屋へ行きなさい。彼から楽器があると連絡が入った」

ワァオ〜!お礼を言って6階から地下のエドの部屋に行く。
ゲイリーにいつまでも楽器を借りているわけにも行かないし、ドロボーやら何やらといろいろと厄介な事もあるので引っ越しを考えると自分の楽器を持つのがまずは第一歩。
学校にも楽器はあるが、この間のような外で録音するとか演奏する場合いちいち借用申請を出すのは面倒だし、学校の練習室はドアが一面のガラス張りで練習していると知らぬ間に見学者がいる事もあるので落着かない。

地下フロアで初めて会ったのが先々月に来日し17年振りに再会したエド・セイドン氏。

「初めまして」と言うと「全てゲイリーから聞いているよ。楽器は僕のレッスン生のRitaが卒業するので手放したいと言っているんだ。とても状態の良い楽器でツアーケース付きだ」「一度試奏したい」「じゃ彼女に連絡してみよう」と暫し待つ事数分。「近くだからこの住所に行ってごらん」

学校のそれも僕のアパートからも近いRitaのアパートを訪ねてその楽器がすぐに気に入った。この楽器こそが今演奏でフル稼動しているM55(A=440)だ。
Ritaが2〜3日試してからの返事でよいと言うのでその日の内に徒歩数分の僕のアパートに運び込んだ。狭いアパートの部屋の中にヴァイブが2台でギュウギュウだ。
翌日Ritaに「購入」を伝え料金をチェックで支払う。ケース込みで$3000。

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引っ越し直前のアパート自室。写っているのはゲイリーから借りていたヴァイブ
(この時はゲイリーが自分のカスタムメイドの楽器の調子が悪く最初に借りたYAMAHAを使っていたのでMusserに代わっている)

さぁ、これで引っ越しの準備は揃った。
連日いろんな広告を見て物件を探す。ハウスメイトは4人。予算はボストンのアパートと同じ程度。一ケ月総額$1500が上限だ。

学校の帰りに目の前にあるコンビニ「24」で偶然新聞Boston Globeのリアルエステート欄で予算に近い物件を発見、みんなに連絡し次の日曜日に見に行く事に。

学校に通うのでボストンの市内と電車かバスで繋がっている方面で絞ると、治安の事も考えると当時は地下鉄(MBTA Rapit Transit Line)の西部方面が良いという事になった。先のエンジニアKatsuhiko君や郊外で暮らしている学生に聞くとみんなその方面に住んでいる。

日曜日に早速郊外の不動産屋に出かける。

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不動産屋、そしてその後の最寄り駅となるニュートンセンター駅

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学校から地下鉄で20分

車で案内してくれるが、一件めは新しく白いお洒落な家だったけど、各部屋は幾分狭い。一同迷った。小奇麗でいい感じなんだけどなぁ

もう一件は今日は中が見れないと言う。折角来たのだから外見だけでもいいから見よう、という事になって再び。。

林の中を走り、着いたのは

あらら、庭のガレージは車が2台入るゾ。
リビングはメインとサブと二つあるゾ。
バスルームはトイレ3ケ所とバスが2ケ所あるゾ。
2階に3部屋とトップ(屋根裏部屋)だから1階と地下室は完全に共有スペースに分離出来るゾ。
近くに夏は泳げて冬はスケートの出来る湖があるゾ。
ただし予算は100ドルオーバー

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林の中に点在する郊外の住宅地の一角

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徒歩数分にあるクリスタル・レイク 

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お向かいさん

何も迷う事はない。この家に住む事に決めたゾ!

そして、それからはこのアルバムがとても似合ったボストン郊外の生活が始まる。
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『Still Life(taking)/Pat Metheny Group』(Geffen/1987年)

さぁ、引っ越しだ。

つづく

2006/7/29

セカンド・セメスター・・・・・後半の巻  ■新・音楽体験記/留学の頃

前回書いた4月下旬のハーバード大学のSpring Arts Festival出演も終わりいよいよセカンド・セメスターも追い込みのファイナルに突入。またまた提出物の仕上げや奨学金の奉仕演奏で寝る暇もない状態に

そんなバタバタしたある日、学校のメールボックスをチェックすると1通の手紙が届いていた。Annという女性に心当たりはないが、確かに僕の名前がフルネームで書かれているので開封してみた。すると・・・・・先日のハーバード大学での演奏を聴いて気に入ってくれたらしく、自分の番組で紹介したい、との事だった。Annはボストンの隣町ケンブリッヂのクィンシーにある放送局WHRBのジャズ制作部門のプロデューサーだった。
ひゃ〜

し、しかし、、、ここで大問題

放送に耐えられるような音質の演奏録音なんてボストンに来てから一つもないよ〜

早速メンバーに相談したらドラムのFumio君がエンジニア科の友達に聞いてみましょう、と言う。数日して紹介されたのがKatsuhiko Naito君。今ではアメリカで売れっ子エンジニアだ。彼と会って相談すると学校のスタジオは24時間フル稼動状態なので無理とわかった。そこでボイルストン・ストリートにある知合いのスタジオを借りる案が出た。楽器はゲイリーから借りているヴィブラフォンがアパートにあるから車さえ何とかなれば移動可能だ。他のメンバーもそれぞれの楽器をスタジオまで運ぶ事は出来ると言う。ファイナル試験が終わればスケジュールも何とかなる。
よし、やろう

セカンド・セメスターも終わりに近い日にハーバードで演奏したバンド3曲とバンジョーの有田純弘氏とヴィブラフォンとバンジョーによるデュオ2曲を深夜のスタジオで録音。
朝までかかって録音が終了し、そのまま学校に戻ってミキシングとダビングをやり、即日にテープをWHRBのAnnのところへ送った。数日後WHRBから放送日時が送られてきた。
ボストンでの初メディアだった。

katsuhiko君とはこれを機にいろいろな所で録音をやる事になった。その中で「アカマツさんがやろうとしている音楽なら、きっとアリマサが合うと思うよ」「アリマサ?誰なの?」「ううん・・今はあんまり学校に来てないけど、僕のハウスメイトだから連絡はすぐに出来るよ」「じゃあ、機会があったら頼むよ」
この時に初めて「アリマサ」という名前を聞いた気がした。

さて、サマーセメスターからは選択科目だけになるので、これまでよりもグッとスケジュールが楽になる予定だ。死に物狂いで怒濤のファイナル攻撃とレコーディングが終わってサマー・セメスターが始まるまでに少し休みが出来た。

元々電車好きでもあるから、しかもボストンに来るのはバークリーに入る事が目的だったので街や周辺の事を何も知らなかったから、この際にボストン・エリアってどーなってるんだろうと探索してみる。

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学校とアパートの往復が殆どだった最初の10ケ月
だからアパートは寝るだけの場所で良かったから窓の外はブロックと鳩が見えるだけ



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コツさえわかれば何処の国でも電車を乗りこなす 
ボストンは長距離はアムトラック、中距離はコミュニティーライン、近距離は地下鉄(MBTA Rapit Transit Line)と鉄道が発達していたので便利だった

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コミュニティーラインの「T」を利用してボストンの北にある魔女刈りで有名なセーラム(Salem)のWitch's Houseの前で。隣はお気に入りだった小さな漁港Rockport。ボストンの周りには欧米独特のミステリアスな史跡がたくさんある

その街のいろんな場所を知ると住んでいるのが楽しくなる。

そう、本当はこの感じで楽しくなるはずだった・・・・・

しかし


ある日の夕方、アパートに帰ってくると、隣の部屋のドアが外して横に置いてあった。大家が来て何か修理でもしているんだろうと思って、自分の部屋でヴィブラフォンの練習をしていた。夜の9時頃になって突然けたたましいノックの音がするので開けると、ナント、ポリスが立っている。

「ハ〜イ」

少し怪訝な顔をしていたら「隣にドロボーが入った。君の部屋は異常ないか」という。「別に何もないよ」と言うと、「君は何時頃に部屋に戻った?」「午後5時頃だ」「その時に何か気が付かなかったか?」「いや、別に、、あ、そうだ、その時に隣のドアが外して横に置いてあった」「それだ!」
ポリスは何事か無線で連絡し「君も気をつけろ」と言い残して立去る。

すぐに隣のイタリア人女性が来た。憔悴しきって可哀相だ。「コーヒーでも飲むか?」と言っても「いらない」と言う。彼女の部屋の中は足の踏み場もないほどに荒らされて、キーボードやCD、オーディオ等全てが持ち去られていた。
慰めてあげても気落ちしたままだ。「今夜はどうする?」と言うと「BFが今迎えにくる」という。BFが迎えに来るまで部屋で待たせてあげた。大切にしていたギターまで盗まれたのが一番のショックだ。

ドロボーめ。。。このところこの近辺のアパートは頻繁にやられている。どうやら入口のマスターキーのコピーを持っているらしいと彼女が言う。中に入ってドアを壊すんじゃなく「外して」入られるのだから3重のポリスロックでも防ぎ様がない。


もう引っ越すしかないな。。


つづく

2006/7/28

Chamber"Jazz"music とヴィブラフォン&マリンバ  金曜:vibraphoneやmarimbaの為のジャズクリニック

一時的にサーバー障害があったようでこんな時間にアップしています。御迷惑をかけたみなさん、ごめんなさいm(_ _)m

さて、毎週金曜日はヴィブラフォンやマリンバをやっている人向けのお話し。金曜第十九回目の今日はヴィブラフォンやマリンバがメインとして使われる“音楽”のお話しです

クラシック教育の中ではマリンバが一つのカテゴリーとして存在していますが、そこで教わる音楽に「古典」はありません。語弊を避ける意味で書きますが例えばマリンバの為に書かれた古典が存在しないという事で、他の楽器の為に作られた古典音楽(例えばバイオリンとかチェロ等)を通じて古典音楽の表現を体験する、という事は出来ているのです。それだけ「新しい」分野の楽器でもあるので、歴史を作り上げている現役の演奏者から直接指導を受けられるという、他の楽器では決して体験出来ない利点がある事を念頭に置いておきましょう。

さて、地味でマイナーだと言われるマレット・キーボードの世界ですが、特に近年マレットプレーヤー同士が盛んに取り上げる傾向のある“Chamber Jazz music”についてまとめた文献や記事が少ないのでショート・ヒストリーを書いてみます。
参考に掲出したアルバム等を一度聴いてみると良いでしょう。

■Chamber"Jazz"music

まずChamber"Jazz"musicの定義ですが演奏するにあたって譜面に書かれた音符以外にコードネームによって作られる即興演奏が魅力となる音楽とします。

■私的Chamber"Jazz"musicの歴史考

この歴史はひとつのジャズバンドから始まったとしても過言ではないでしょう。

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『Fontessa/Modern Jazz Quartet』(Atlantic/1956年)

モダン・ジャズ・クァルテット(MJQ)はジャズ・ヴィブラフォン奏法の創始者の一人であるミルト・ジャクソンが1946年に結成したMilt Jackson Quartet(これもイニシャライズするとMJQになりますね)が母体となって1952年のメンバーチェンジを切っ掛けに誕生(改名)したジャズの歴史の上で重要な成果を残したバンドです。モダン・ジャズ・クァルテットになってからはバンドの音楽監督がピアノのジョン・ルイスに集約され古典的なクラシックとジャズのサウンドをミックスした洗練されたスタイルが特徴となり世界に多くのファンを持つようになりました。紹介したアルバムはそのようなMJQ独自のサウンドが確立された最初のアルバムだと思います。この作品をChamber"Jazz"musicの出発点として紹介しておきます。

■近代Chamber"Jazz"musicの始まり
クラシックで古典、ロマン、と歴史的な音楽分野が名称されているのでChamber"Jazz"musicにもそれを当てはめてみました。その始まりは、

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『Crystal Silence/Gary Burton & Chick Corea』(ECM/1972年)

MJQの作り上げたChamber"Jazz"musicが古典派とすればゲイリー・バートンとチック・コリアによるこの作品はフランス近代以降の音楽に形容すると歴史的な位置付けが明確になるでしょう。取り上げられた曲の大半はゲイリー及びチックのそれぞれのバンドで演奏されていた曲ながらヴィブラフォンとピアノだけという事もあって普段とは違う表情を見せます。この二人は1968年の短い期間にゲイリーのバンドにチックが入る形での共演をしていましたが、その時はVib+G+B+Dsというゲイリーのバンドのコンセプトにチック(と言うよりもピアノという楽器)が上手くブレンドしなかった事を理由にチックは退団しています。ドラムとベースがいなければこんなにブレンド出来るとは不思議ですが、その後のChamber"Jazz"musicではドラムレスの編成が多く見られる事からも、このアルバムが与えた影響の大きさが計り知れます。

■近代ジャズマリンバの登場
ジャズの創成期には“ラグタイム”等で大いに活用されていたマリンバ(当時はシロフォン)。しかし、この楽器は他の楽器とのアンサンブルで非常にブレンドするのが難しく、なかなかジャズやポピュラーのバンドに登場する機会がありませんでしたが、上記のゲイリーの門下生からこの楽器をChamber"Jazz"musicに取り入れた奏者が登場しました。

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『Winter Love,April Joy/David Friedman』(East Wind/1975年)

奇跡的にもこのアルバムは日本のレーベルによって誕生しました。デヴィッド・フリードマンとデイヴ・サミュエルスの二人のマレット・プレーヤーにヒューバート・ロウズ(fl)ハービー・シュワルツ(b)という編成。フリードマンとサミュエルスはこの後「ダブルイメージ」というユニットを組みます。
いわゆるシロフォン的なイメージを払拭したマリンバがジャズで初めて聞こえてきたアルバムです。

■・・・その後のChamber"Jazz"music

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『Quiet Songs/AISHA DUO』(Obliq Sound/2003年)

このヴィブラフォンとマリンバのデュオ(Andrea Dulbecco & Luca Gusella)は偶然にもCDショップの店頭で見つけたもの。曲によってはチェロやフレームドラムも入っているが基本はマレットデュオです。アンドレアはフリードマンの門下生のようです。
長年マリンバ奏者でコードによる即興演奏が出来るプレーヤーの登場を待ち望んでいます(実に25年!)。Chamber"Jazz"musicは確かに「聞きやすい」方向にあると思いますが「小奇麗」なだけのものは何も感動を受けないのです。Chamber"Jazz"musicから"Jazz"を外せば良いのですけど、それじゃ面白くない。

この分野の今後の発展を大いに期待しています。
そろそろみんなで何かを起こそうぜ

おしまい

2006/7/27

たまにはFUNK JAZZ回想・・・・・DONALD BYRD(tp)  木曜:Jazz & Classic Library

僕の文章からはあまり“ファンク”という言葉は出ないと思うんだけど、70's JAZZを成長期と共に体感していたのだから「ECM」以外に「FUNK JAZZ」も当然ながら興味を持っていた。

ではなぜFUNKという言葉を自分であまり使いたくないかと言うと、それは小学生の時からジャズの雑誌を見ていたら、やたらとFUNKという言葉が出て来て、それを最初は(素直に)信じて音楽を(ジャズを)見ていた。でも、それは子供には「大人の物真似」でしかなく、自分にはまったくFUNKという実感が無かったし、そんな色眼鏡で音楽を区切ったところで、やがて自分が本当に満足するモノには辿り着けまい、と感じたからだ。

そんな僕でもFUNK JAZZに遭遇し、大いに心惹かれた時がある。
何を隠そう、大好きなマイルス・デイビスがその切っ掛けを「怒濤の如く」このアルバムで放出してきたからだ。

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『IN CONCERT /Miles Davis』(CBS/1972年録音)

この木曜特集の記念すべき第1回目に紹介した1964年録音のライブ盤『My Funny Valentine』とまったく同じニューヨークのフィルハーモニックホール(72年にはエイブリー・フィッシャーホールと改名されているが)のライブ録音。
しかしココにはもうコールマンもハンコックもウィリアムスもいない。溢れんばかりのポリリズムとアンビエント・パルスの連続。高校生の僕は最初何が起こっているのか正確にキャッチ出来なかった。が、そんな事はどうでもよく、とにかく驚いた そして、嬉しくなって笑った

これが現代のジャズ(当時)のあるべき形だと、聴く内に共感とも興奮とも言えない賛同を呼び、それがFUNKと呼ばれる音楽に自ら急接近する糸口へと繋がって行った。怒濤のポリリズムとハーモニーが生み出す興奮はストラヴィンスキーと同列の「仕掛け」に感じた。
「音楽は爆発だ」
既製の音楽をぶち壊しているのが痛快に心地良かった。思春期真只中の高校生である

この翌年、僕は初めて生のマイルス・デイビスの演奏を見る事になる。1973年のマイルス・デイビス広島公演(郵便貯金会館)だ。後の75年の来日公演は偶然にも大阪フェスティバルホールで体験したそのままが「アガルタ」「パンゲア」という2枚のアルバムとして記録されているが、このデイブ・リーブマン(sax)の入った公演は記録こそないものの凄まじかった。

直後に2度目の来日となった「ウェザーリポート」(この時はドラムが元スライ&ファミリー・ストーンのグレッグ・エリコが急きょ参加した珍しい編成)も同じ広島の郵便貯金会館で見たが「ブキウギ・ワルツ」という曲で明らかにマイルス・デイビスと同じ方向(つまりはFUNKをベースの音楽)にシフトしつつあるなと実感した。

その先にはハービー・ハンコック(p)が「ヘッドハンターズ」を始動し、チック・コリアのRTFも当初の編成からFUNK叉は後のFUSIONサウンドへとシフトしつつあったのだから、マイルスとウェザーリポートによって世の中の大きな流れを先に体感させてもらった事になる。

この時代はリズムが音楽の中で一際目立った存在となっていて、やがてそれはさらに緻密に整理整頓されて80年代のフュージョン・ブームへと繋がって行く。

完全なフュージョンとなってしまうと天の邪鬼な僕はハーモニーのインパクトが欠けてしまうように思えて興味は失せるのだけど、その一歩手前まではリズムと等しい重量のハーモニーやメロディーの面白さがあったと今考えても思う。

そのバランスがポップに向くと、ブラック・コンテンポラリーと呼ばれるヒットソングになり、ジャズに向くと、マイルスやウェザーリポートの音楽になる。

いくつかのファンクを感じさせるアルバムを購入した中には珍しくヴォーカルもあり、その中でもシャウト唱法が印象的だったジョー・リー・ウィルソンが好きだった。

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『Hey Look At You/Joe Lee Willson』
ファンク・ビートものではないが、彼の唄そのものがFUNKだった


そして、、、やっと、、、、本日御紹介するアルバムに到達

それはコレ
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『Black Byrd/Donald Byrd』(blue note/1972年録音)

ドナルド・バードと言うとハードバップと呼ばれる硬派な音楽のトランペッターという印象が強く、僕もジャズ喫茶などではそういうアルバムの印象しかなかった。
ところが、このアルバムでは彼が教鞭を取る大学の学生達と共に結成したファンク・バンド(後にBlack Birdsとして独立)との共演マテリアルで、ハードバップの印象は無い。メンバーには当時のスタジオ・ミュージシャンがズラリ。Joe Sample,Wilton Felder,Harvey Mason,,,,,等。
当時のティーンエイジが等身大に出来る音楽、つまりはそれがFUNKなんだけど、時にはコーラスやヴォーカルまで登場し、とてもファミリアな雰囲気がする。

隅々まで聴くと(当時もそうだったが)若干リズムの甘さもあるので、シリアスに語るアルバムではないが、その「よじれ具合」が独特のレア・グルーヴを生んでいるし、どことなくペーソスも感じるので、きっと夏の夜の70'sフリークのBGMとして「クルセイダーズ」等と並んで最適ではないだろうか。

たまには、こういうアルバム、いいんですよ〜

一番好きな曲はトップの「Flight Time」と言いたいところだけど、なぜか“いなた〜い”感じの最終曲「Where Are We Going?」が当時からこのアルバムの印象として頭の中で流れるんだなぁ。ひょっとしてとてもいい時代だったのかなぁ。まるで昔の恋人に会ったような気分。


おしまい

2006/7/26

宮城は笹かまの他にも!・・・・・白謙揚げ(石巻)  水曜:これは好物!

さっきブログをアップしようとしたら嬉しい情報をダフネさんから頂いた。
僕の大好きなクラシック・ピアニスト、サンソン・フランソワのラヴェル・ピアノ曲全集 第1集が8月に東芝EMIから復刻

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偶然にも6月に実家に寄った時に「愛おしく」LPのジャケットだけ撮っていたフランソワのラヴェル集(@実家練習室にて)
こんなにワクワクするクラシック・ピアノは彼の没後他に見当たらないゾ。

って、これは『好物』と言うよりも、明日のライブラリーのネタだけど、復刻するならちゃんとCDを買って聴いてからコメントしようと思うので蔵出。



で、本日の『これは好物!』



日本の食品で昔から全国各地の「独特のテイストを閉じ込めた」ものとして練り製品がある。「かまぼこ」一つとっても場所によってまったく違う製法と味で楽しませてくれるので好きだ。
僕は四国の松山生まれなので宇和島や八幡浜産の「かまぼこ」の歯応えスッキリ、蒸し上げて少々塩気の効いたモノ、というイメージがあるが、いわゆる小田原系の「かまぼこ」は歯応えよりも食感フワフワ、上品な甘味のあるモノ、とまったく別でどちらも甲乙付けがたいくらい好きだ。

なので、その違いを楽しみたいから練り製品を食べる時には何も薬味を付けないでいただく
そのままで旨ければ醤油も薬味も何もいらない。「つなぎ」が多いと薬味の導入・・となる。

その練り製品の中でも、これまた「揚げ」となると全国に数え切れないくらいの食品があるから、ホント日本はテイスト天国だ。

東京は全国から人が集まるから通ってくるヴィブラフォンのレッスン生の出身地も全国津々浦々に広がる。現在も北は北海道から南は山口県の出身者まで。だからいろんな土地の話しを聞いたりお土産を頂いたりする。

今日御紹介するのは宮城県出身のyuriさん御用達。

「笹かまぼこ」と言うと仙台。仙台と言えば(いや、ココの話しですよ)仙台出身のasukaちゃん御用達の「笹かまぼこ」が旨い。(他に当人御推薦の“ずんだ”がこれまた最高)
で、yuriさんからは特産の「揚げ」をお土産にもらった。

はい、それがコレ
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『白謙(しらけん)揚げ』(石巻・白謙かまぼこ店製)

実はこの「白謙揚げ」の事は今回初めて知った。お店のホームページを見ると「石巻の人たちは笹かまぼこはもちろん揚げ蒲鉾も、生で(加熱をせず)醤油も何もつけずに食べることが多い」と書いてある。

そのとおりだ

昔から練り製品が発達している土地はみなそうだ。僕の出身地愛媛にも「じゃこてん」があるが、駅などの実演販売店で目の前で揚げてくれたアツアツの「じゃこてん」を油取りの紙に巻いてハフハフ言いながら何もつけずに食べる。揚げ製品はその方がどれも美味しい。

で、僕の流儀に従ってこの白謙揚げも最初から何もつけずに食した。

う、旨い

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これは「野菜」の入った白謙揚げ
揚げ製品と野菜の相性が良いのは九州の「さつま揚げ」でも言える。

白謙揚げはフンワリとした食感とほのかな甘味が特徴で、これは仙台の笹かまぼこに通ずるものがある。この野菜入りはネギの風味がたまらない。

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こちらは純粋な「白謙揚げ」

モチモチとした食感は「野菜入り」以上で、バランスの良い「甘・塩」具合が素材の旨味をしっかりと支えている。シンプルだから「ごまかし」が効かない。もちろん醤油や薬味など必要もない。

これは仙台の笹かまと並んで宮城県のお薦めですよ

yuriさんはこれを池袋にある宮城県のアンテナ・ショップで購入したと言う。アンテナ・ショップは確かに便利だ。「生もの」だから当地で買ってもクール便で宅配するしかないんだもの。

池袋、、、僕的には東武デパートの鮮魚売り場もお気に入りだから今度時間のある時に食材探しにでも出掛けてみようかな

いやいや、もしも「アツアツ」を食べさせてくれるなら是非石巻の白謙かまぼこ店に行ってハフハフしながら食したいものです。


おしまい

2006/7/25


先日の日曜日は住んでる街の花火大会でした。
その日のブログにも書いたとおり、朝からガスってて、本当にあるのかなぁ、と思うような天気

にもメゲずに午後4時過ぎには市の広報放送で「本日の花火大会は決行します」と宣言 気合い入ってマス。

と、言うのもバブリィーな頃に比べると何かと街の財政も苦しいようで、おまけに大きなスタジアムまで作ってしまった(その後某有名企業のスポンサード・スタジアムとなった)り、数年前は開始直前に台風に見舞われ花火の発射台が流されるという不運にも遭い、一時は「今回で花火大会は中止」とまで言われたのでしたが、それには納税者であり有権者である市民が猛反発。奇跡の復活を遂げたのでした。

と、書くと僕は毎年楽しみに見ていたように思われますが、実際に自宅に友達関係を集めてワイワイガヤガヤと花火を見たのは5年くらい前に一度。それ以外のこの時期は殆ど自宅にいない状態でしたからホント今回が初めてのようなものです

午後6時も過ぎて天気は時々小雨という状態。開始までまだ1時間半はあるので天気を最後まで気にしながら待機。
やがて、ドーンドーンと決行の合図の砲弾が響き、じゃ、そろそろ、と家人と一緒に出掛けた。

まずは徒歩数百メートルの多摩川の土手へ。
普段はミニバス程度がゆるり通る程度の道には、家族連れやカップルが皆同じ土手の方向を目指して集まる。

ど〜れ、何処で見ようか、、、、と、通い慣れた土手の中腹にスペースを見つけて一息。よくみると土手はおろか、削波ブロックの先に陣取りバーベキューに興ずる人達も。

ドド〜〜〜ン

午後7時半ちょうど、一発めの花火が打ち上がった。

おおっ・・というどよめきとともに、アリャリャ〜〜という声も。

多摩川の川下に上がると予想していたのだが、川が少し曲がっているせいもあって、ここに集まった皆の予想を遥かに反れた位置に花火が上がる。

「これなら自宅で見た方が大きく見えるね」と家人。
確かにそうだ。ならば、花火の上がる方向に移動しようではないか

そう考えるのは、この河原に集まった殆どの人が同時に思うもの。勢い民族大移動が始まった。

その間にもドドーン、ドバドバドバドバ・・と花火は上がる。

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民族大移動中・・・・

土手を花火大会の規制線が貼られる方向に進む。
雨も時々落ちてくる。

大通りの橋を境に、今までとは全く別の世界が広がる。

思うに、さっきの場所で花火を見ようとしていたのは、僕と同じように殆ど今まで河原で見た事のなかった人間や最近越して来た人達。言わば「花火観覧初心者軍団」。その数数千。これが今、花火大会観覧心得衆や花火大会観覧極意組の待つ「本会場」になだれ込むわけだ

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やっぱ、本会場は迫力が違います

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さすが商売のテキ屋さんはプロ。人の集まる所にしっかりビッシリ

そう言えば、さっきの河原にはテキ屋のテの字も無かったなぁ。。

河原一面は人・人・人、、、何十万人いるんだこりゃ
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やっぱり、花火大会とかにはテキ屋さんが必須ですね。いろんな匂いが誘惑します、が、これが夏のイベントの醍醐味でしょう。

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夜に灯る明かりというのは人間を興奮させるものですね。延々と続くテキ屋の光りの帯びと群衆・・・

そしていよいよクライマックスに突入
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ちょうど打ち上げ会場の真下を京王相模原線が多摩川鉄橋で越えるのですが、連続打ち上げやナイアガラ等の仕掛け花火の時に通過する電車は超スロー運転(中には停まったのまで)大サービス。こちらからも「あ〜、あの電車、サイコーのロケーションじゃん」「いいなぁー、あれ特等席だよー」と皆が口々に。偶然乗り合わせた乗客のみなさん、ラッキーでしたねー。かと思えばスルスルスルーと普通のスピードで通過する電車もあるので、ひょっとしたらこれは運転手と車掌の判断でサービスしていたのかも 
いいゾ、京王電鉄。それくらいの気の利いたところがなきゃ民鉄らしくない。
料金も安いし、特急は早いし、10点差し上げる

どちらにせよ、そんなこんなで、何とか本降りの前に無事、花火大会は終了したのでした。終わった途端に ちょっと出来過ぎデス(笑)

来年も来るなら「今度は本会場で盛り上がろう」がもちろんキーワードだ

おしまい

2006/7/24

仕事のバイブル  月曜:ちょっと舞台裏

今ではインターネットという便利な物があるので仕事でもフル活用しているけど、ちょっと前まではネットというと「お遊び事」に見られ気味で、
名刺の代わりにメルアドを教えると怪訝な顔をされた事もあります

僕が本格的にネットを活用しはじめたのは1996年後半からだから、まだ10年しか経っていない。最初の頃はメンバー間での譜面や音源のやり取りを郵送からデータ送受信に切り替える事が主な目的だったけど、ホームページを立ち上げてメディアの一つとして位置付けてからは外部との交流の場所であると共に事務的な業務を集約した「個人事務所」のようなものになった。

メールだと資料や音源、写真の送受信も楽だし、細かい打合わせ(特に日程や数字など)は一番確実な伝達方法となった。

なぜなら・・・・・ネット社会の前には、こんなハプニングがたくさんあったものです

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ピ〜〜〜ッ!「もしも〜し。カクカクシカジカの録音の件だけど、何月何日の何時に●UND INNスタジオでヨロシク」
ピ〜〜〜ッ!「あ、もしもし、さっきの件だけど、●UND INNじゃなくて ●UND CITYだった、ゴメン。ではよろしく〜〜」

●UND INNは昔の日本テレビ(麹町)にあるスタジオ、●UND CITYは麻布のラジオ日本のあるビルにあるスタジオで、どちらも放送局と繋がっているので僕らもよく間違うのだ。●UND INNには常設のヴィブラフォンがあるが、●UND CITYには無いので持参しなければならない。前後に予定があると移動の足を車にするか電車にするか決めておかなければならないから確認の電話をする。

「あ、もしもし、さっき留守電聞きました。で、スタジオは麹町?それとも麻布台?」
「あ、え〜っと、ねぇ、麻布じゃなかったかなぁ。。アレ? ●ウンド・インが、、、」
「それは日テレのとこでしょ?麻布だったらシティーだよ」
「あれ? どっちだっけー。ちょっと待って、、、、」

と、結局一回の要件で2,3度確認の時間が必要な事もしばしば、、

ある時は。。

「あ、もしも、●●音楽事務所の▼■です。何月何日の何時からですが、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
「それで当日なんですが、●芝EMIのスタジオでヒノさんの録音です。楽器は、、」
「はい、持って行きますよ。では、ヒノさんに宜しくお伝え下さい」

少し前のスタジオの仕事でドラムを日野元彦さんにお願いしたので、久し振りに御会いすると思ってヤァヤァモードでスタジオに入ったら、その日はお兄さんの日野皓正さんの録音だった。。。。。電話でヒノさんとしか言ってくれないんだもん、宜しくもなにもこの日が初体面だよ〜(っも〜滝汗)

と、まあ、こんなハプニングはしょっちゅうで、日比谷公会堂と渋谷公会堂を間違う人がいてもおかしくない状態だった。(誰とは言わぬ/笑)
今ならメールで何月何日何時、ドコソコ、誰の・・・と詳細が一目瞭然である

しかし、その頃からずっと今でも役に立っているものもある。

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それがこの“Musicman”。分厚く重い業界本。東京中の主なレコーディング・スタジオが載っているので、今でも「行った事のないスタジオ」や「名前を混同しやすいスタジオ」を告げられると棚から引っ張り出します。

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ざっと首都圏の約140箇所のレコーディング・スタジオがまとめて載っているのでネットで検索するよりも早い。

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アルバムでいつもお世話になっているクレッセント・スタジオも御覧の通り。

もちろんスタジオにはホームページが当然ある時代なので設備や搬入に関して問い合わせが必要な時はメールが活躍するんだけど、ね。

今やネットは僕らの職種では無いと話しにならないところにまで来ている。

僕が仕事を始めた頃は、ヴィブラフォン(←当たり前)、電話、免許、車、が揃えば何とかなった。しかし、今は楽器、免許、車、電話、携帯、パソコン、ネット環境、、、、仕事を始めるまでに揃えるものが随分増えた。

電話の時代からFAXの時代、携帯の時代へと移り、ネットの時代へ。
同じく僕らが仕事で手にするメディアもオープンテープの時代からカセットの時代、DATとMDの時代を経てCD-Rからマイクロ・メディアの時代へ。
周りの変化と共に必要なバイブルも変化しています。

この次の時代は一体どんな生活バイブルが必要な時代になるんでしょうかねぇ。

おしまい

2006/7/23

つかの間の交流  日記

今夜は住んでる街の花火大会だそうな
しかし、かな〜りガスってます(11:00am現在)
花火は快晴の時よりも多少曇っている時の方が乱反射もあって綺麗に見えると聞いた事がありますが、これでは・・ねぇ。

あちこちで大雨による災害が発生しているようです。被害にあわれた方に心よりお見舞い申し上げます。また、行楽でお出かけの方はくれぐれも雨に御注意を。


さて・・・
日々いろんな光景に遭遇するものです
僕は何でも観察するのが好きなのでそうなのかもしれませんが、
よく面白い光景に出会うんですねぇ、これが



夜の中央線


殆どの席が埋まる程度でまだ深夜帰宅泥酔ラッシュにはなっていない。
発車ジングルが鳴り終わる寸前にチューハイ缶片手の小柄なおじさんが飛び乗ってきた。
ちょうど僕の目の前に唯一おじさんが座れそうなスペースを見つけた。

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「ごめんちゃい!」そう言ってその隙間にピタリと座った。
グビ〜っと旨そうにチューハイを飲むおじさん
と、隣を見ると体格の良い白人青年が座っているのに気が付いた。

「やあ!コンニチワ。分かります?コンニチワ」
この辺り酔っていると真にスムーズなコミュニケーションだ。

「ハイ。コンニチワ」と青年。なかなかの好青年のようだ

それに気を良くしたのか、おじさんはその白人青年に自分の事を日本語でベラベラ話し出した。


「わたし、漁師ね。まぐろの、こーーーんなでっかーーい」


と反対側で本を読んでいるビジネスマンの本をジェスチャーでポーンと弾くのも気にせず、まぐろの大きさを説明するのに夢中だ。


「まぐろ、ね、まぐろ。わかる〜?」
「ソーリー」

「そっか、あ、じゃーね、これどーよ。わたしね、アメリカ行ったことあるよ」
「???」

「ニューヨーク、フロリダ、ニュージャージー、、、」
「オー!ニューヨーク、イエス・アイノウ」
「それっと、カンサスシティー」
「カン、、、ホワット?」

「う〜ん、なんて〜んだ、町、町だよ。カンサス〜」
「オー!カンザスシティー!」

説明で喉が乾いたか、おじさんココでチューハイをグビッ〜


「わたしはね、アメリカ大好きよ。ほれ!」
と胸のポケットにあったラッキーストライクを徐に取り出し

「これしか吸わん!」
と今にも銜えそうになったので慌てて青年が
「ノーノー、ノースモーキング。ダメダメ」
と征する。

「お!あんちゃん日本語わかるね〜、ダメはノーね」
「リトル、、ネ」

おや?
この辺りになって僕は気付いた

彼は日本語わかってるじゃないか。
視線を送ると彼は微かにウィンクを返してきた


「あの〜さ〜、わたしはアメリカ大好きなんよ。でもロシアは嫌い!」

おじさん缶チューハイをグビグビ飲み干して、丁寧に座席の下に置く。
(あ、コラコラ、それは昔のボックス席の電車のマナーでしょー、と言いたくなるが我慢)


「わたしのおじいさん、ロシアで槍で突かれて首切られてポイされた。だからロシアは嫌い。わかる?首。。。ポイよ、ポイ!」

と首に手を当てて切られる仕草に夢中で再び反対側で本を読んでいるビジネスマンの肘を突き飛ばす。

「ソ〜リ〜、ニホンゴ、スコシシカ、ワカリマセン」

おじさんのジェスチャーにもそればかりで返す。
僕は可笑しくて笑いを堪えるのに必死だ。

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と、終点東京に着く。

僕はこのままだと顔がニヤけてしまうので早めに席を立つ。
後ろでは「グッバ〜イ、グッバ〜イベイビー」と昔の歌を歌い出すおじさん

ドアが開いてエスカレータで降りようとすると、あの青年が追っかけて来た。


見ず知らずながらお互い一緒にエスカレータで降りながら笑う。
「大変だったねえ」と僕。
「ヨッパライノトキハ、ワカラナイフリヲスルノガ、イチバンデス。オモシロイ、オジサン、デシタ」

「とてもファニー、でも悪い人間ではないね」
「アルコール、ガ、ハイルト、ダレデモ、アアデス」

「何処まで帰るの?」
「チバ、デス」

「そうか。じゃ気をつけてね」
「ハーイ、オキヲツケテ〜!」

エスカレータを降りて二人左右に別れた。


おしまい

2006/7/22

昨夜はヴィブラフォン&マリンバDuo  日記

心配された雨も上がり、昨夜は練馬・大泉学園の『まほうの竜』でヴィブラフォン&マリンバの初ライブでした。今までにクラシックのホールコンサートや音楽番組、ライブのゲストコーナーではこの編成をアクセントとして取り上げていましたが、一夜を通して2台のマレットキーボードだけによるステージは初めて。
御来場いただいたみなさん、御声援ありがとうございました

まぁ、しかし、ホント、マリンバは運搬が大変です
2月に王子・SINSKE君と一緒にライブをやった時も思いましたが、今回は業者さんに頼んで運んでもらってましたけど、それではなかなか採算が合わないもの。マリンバ・プレーヤーが気軽にライブを出来る楽器をメーカーさん、作ってあげて下さいナ。需要が倍増しますよ

さて、そんな昨日のレポ

まず、当然ながら楽器の搬入からライブは始まります。時刻は午後4時。
トントントンと車と店を3往復してカチッ、パシャッと組み立てたヴィブラフォンの横では、二人がかりでマリンバの組み立てに奮闘中。「あ、マスター、コーヒー下さい」とか言ってる間もまだ組み立て中・・・・

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やっと最後の鍵盤を載せる段階に・・・お疲れ様デス

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以前BBSで話題になった鍵盤の巻き方。松島さんはバートン氏と同じでフレーム上でクルクルと鍵盤を転がして装着しています。

と、ここで問題発生
『まほうの竜』はピアノ・トリオくらいなら楽々とセッティング出来る店なのですが、ナント、マリンバがステージに入らない

5オクターブのマリンバ・・・


デカすぎ


さすがにマスターも、ううん・・と困惑気味。
あれこれとセッティングのレイアウトを試案しますが、なかなかスッキリした形に納まりません。そこでステージのレイアウトを大幅に変えて、普段の客席側面に沿って楽器を並べる事にしました。するとまるで違う店のような雰囲気になりましたが、マスターも「これはこれで新鮮でいいですね」と納得してくれたので一安心。

セッティングが終わってモニター・チェックを兼ねて軽いリハーサルを始めたのが午後5時過ぎ。マイクや照明の位置決めに客席のレイアウトも試案しながら約1時間のリハ終了。ちょっとコーヒーブレイクを取って、また少し曲の打ち合わせを兼ねて軽いリハ。しかし、もうお客さん入ってリハーサルから聴いてますケド(笑)。

控え室に行き、最終的に曲順を決め、30分のインターバルで本番の始まりはじまりィ〜

1曲めは控え室で話していて急きょ演奏する事にした曲。ヴィブラフォンのイントロから本日のステージが始まりました。

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最初はお互いに本番の「耳」を確認しあう為にスペースを空けながらの演奏。

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まったくステージの背景が普段とは違うので「まほうの竜」を知っている人でも、この写真が「まほう」だとは思わないような光景でしょう。

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徐々に盛り上がりつつ、さすがに緊張感も漂うステージ

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途中ヴィブラフォンの独奏もあり

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行くとこではトコトン行きます手元早すぎて写りません(笑)

休憩を挟んで後半に突入。

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さらに盛り上がりつつ、アンコールをいただいて無事に本日も終了

さぁ、これで終わった。
と、一息つく暇も無く、すぐに楽器の解体作業に突入。
またまたヴィブラフォンはカチッ、パシャッのトントントンの3往復で撤収完了。マリンバはというと、客席のみなさんも手伝ってくれて、今度は早い・早い

そして、やっと「お疲れさま」となったのでした。

今回やってみて思ったのは、マリンバはまだまだ開拓出来る楽器だな、という事です。コンテンポラリーな音楽でのデュオはたくさんありますが、ジャズに限定(ほぼですが)して、コード譜を見ながらその場で作り上げて行くスタイルに新しいアプローチ方法も見えた、とても有意義な一晩でした。こればかりは本番をやらないとわからないものです。

次回、このデュオでは、その成果をお見せ出来ると思っています。
少し先になりますが、11月3日金曜日午後7時30分より、同じく練馬・大泉学園「まほうの竜」。是非ブック&チェキラ下さい。

御来場いただいたみなさん、松島さん、そして最良の環境を作るのに配慮を頂いた「まほうの竜」スタッフのみなさん、ありがとう & お疲れさまでした〜

おしまい



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