2006/8/31

Brecker Brothersの原点・・・ジャズロック再確認  木曜:Jazz & Classic Library

ブレッカーブラザースといえば80年代のジャズシーンで目覚しい活躍をしたユニットですが、その原点とも言えるアルバムがあります。

ヴィブラフォンのゲイリー・バートンのバンドを辞めた当時人気絶頂のギタリスト、ラリー・コリエルはハービー・マン(fl)のアルバム『メンフィス・アンダーグラウンド』に参加したり、スティーヴ・マーカス(sax)のアルバム他、この頃のジャズ&ロックムーヴメントの流れの中心に必ず名を連ねていました。
僕がジャズを聴き始めたのも当時流行っていたハービー・マンのアルバム(上記)を聞いたからで、地味〜なジャズギターの印象を180度ひっくり返したコリエルのギターに惹かれたのでした。すぐにゲイリー・バートンのアルバムを辿り、それでも飽き足らず、コリエルが参加したアルバムを片っ端から聞き漁っている中学生でした。
(後にゲイリーのヴィブラフォンの魅力に開眼する直前の事)

そんな中にあったのが、後にブレッカーブラザーズとなる原型のこのアルバム。

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『SCORE/Randy Brecker』(solid state/1970年)

レコード屋でLPのタスキ(今のサイドキャップ)に「話題のラリーコリエルを招いた・・・・」とあって、即購入
ファン、追っかけ心理というのは凄いです。

このアルバムのメンバーを今見ると興味深いものがあります。
Randy Brecker(tp,fh)
Michael Brecker(ts)
Jerry Dodgion(alt-fl)
Larry Coryel(g)
Hal Galper(p,el-p)
Eddy Gomez(b)
Chuck Rainey(el-b)
Mickey Roker(ds)
Bernard Purdy(ds)

ゲスト扱いのラリー・コリエルを始め、ハル・ギャルパー、チャック・レイニー、バーナード・パーディと言えば当時のありとあらゆるスタジオ録音に参加していた超売れっ子スタジオミュージシャン。エディー・ゴメスはピアノのビル・エヴァンスのトリオで大活躍、ミッキー・ロッカーはハービー・マンなどのバンドで活躍中、と、新人のブレッカー兄弟以外は皆売れっ子のミュージシャンで脇を固め、“売り出し”の気合の入りようが伺えます。(フルートのジェリーに関しては不明)

このアルバムの直後にブレッカー兄弟はDreamsというジャズロックバンドを結成し、さらにそのバンドを発展させた形で74年からブレッカーブラザーズが発足し、その後の活躍はみなさんもよくご存知の通りです。またこの頃にNYのジャズクラブ“Seventh Avenue South”を経営してニューヨークの新しいムーブメントの中心にいました。

今このアルバムを聴き返してみると、ジャズロックは、いわゆる「ひとつのボックスに何でも詰め込んでしまう」フュージョンとは違って四方八方に広げたアンテナの「先」に出かけて演奏しているようで今は「ロックだ」「ジャズだ」という切り替えが曲毎にあって好きです。そういう意味ではフュージョンよりもジャズロックの方が音楽的に自由度があるんじゃないかと言えます。2曲目のタイトルチューン“SCORE”は兄ランディのトランペットのソリッドな感じやコリエルのジャズロックのお手本のようなソロが光り、一転して3曲目“NAME GAME”ではモダンジャズを敬愛する兄弟で2ホーンコンボのお手本のような演奏が聴けます。
この頃のマイケル・ブレッカーは二十歳そこそこで兄に比べると正直なところ演奏は感情先行的とも言え印象は弱く、兄の溌溂とした印象とは正反対です。

この後、僕はヴィブラフォンに開眼し、ブレッカー兄弟の事はすっかり忘れていました(世の中がBrecker Brothersで騒いでいる事もまったく知らなかった)

次にマイケル・ブレッカーの名前を見たのは、77年に発売されたマイケル・フランクスの「スリーピング・ジプシー」(4月6日のブログで紹介)での事。
曲中で聞こえる素晴らしいテナーのソロ。「これ誰?」とクレジットを見て、「あの」マイケル・ブレッカーと知って驚きました。

「スコア」の後、ジャズロックバンドをやりつつ、ベテラン・ジャズピアニスト、ホレス・シルバーの元で兄弟は自己のスタイルを築き上げていたわけです。たった7年でまったく別人のような風格を帯びたサックス奏者になったマイケル・ブレッカー。言わば歴史の目撃者に知らずの内になっていたわけです。

一番好きな曲は今も当時も3曲目の“NAME GAME”。2管編成ならではの隙間が実に心地良いです。

おしまい

2006/8/30

玉子は玉子でも・・・・  水曜:これは好物!

ヴィブラフォンの弟子達が全国各地から持ち寄ったこの夏のお土産シリーズ第二弾
この春にT音大を卒業したH田さん。今は今年の横浜ジャズプロムナードでの「初」バンド演奏に気合入ってます(10月8日のストリート部門出演予定)

そんなH田さんが毎年夏に東北の親戚を訪ねた帰りに買ってきてくれるのがコレ

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『かもめの玉子』(岩手・大船渡/さいとう製菓製)

ガラスのテーブルに映した空との同化を狙ってみましたが、、ちょっと同化しすぎちゃいましたね。

では改めて、包装紙を取って・・ホイ
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もうみなさんお馴染みの岩手県の銘菓「かもめの玉子」です。僕は20年くらい前に知り合いから頂いたのが最初でした。どっしりとした「玉子」形のお菓子の横綱と呼んでしまいましょう。
まあとにかく、見てびっくり、食べてびっくり、初めての時の印象は強烈で、その発想が愉快でした。

中は餡が玉子の黄身を模して、しかも見た目が美味しいゆで卵を見事に再現していて、殻を模したホワイトチョコのコーティングも見事。思わず輪切りにして、その製造技術をじっくりと眺めたくなる出来映え。

登場が1950年というので今年で56年にもなるロングセラー。「和洋折衷」菓子のハシリではないでしょうか。ちょっと興味があって調べてみたら当時和菓子の世界では邪道とされた「餡」に手を加えた革新的なお菓子だったようです。

なぜ「かもめ」の「玉子」なのか・・・・・
工場のある岩手県の大船渡は三陸海岸のお膝元。三陸海岸に生息する鴎に由来したものだそうです。包装紙を解くと青い空をイメージした下地にカモメが空を舞っている様が描かれていますね。その「絵」も昔から殆ど替わってないと記憶しますから、最近のデザイン化されたパッケージとは違う温か味を感じてしまいます。

一つ頬張ると結構な量なので、何だかとっても満たされる不思議なお菓子でもあります。そういう大らかなところがいいですね。

さっそく来た弟子達の胃袋を満たしつつ、レッスンが始まっています。
家はコーヒーしか出ないですが、誰も違和感なくパクパクと。。。。いや、それは単に彼・彼女等の旺盛な食欲の賜物,,,,,っか(笑)

H田さん、ありがとう YJP頑張りましょう、ね

おしまい

2006/8/29

異国情緒の新大久保に謎の水族館を見た!  火曜:街ぶら・街ネタ

何となく川口隊長を思い出すタイトルですが、思わずそう唸ってしまう光景の街。それが大久保界隈

一昔前の大久保は大小の楽器屋やリペアショップ、リハーサルスタジオなどがゴロゴロしていた記憶がある。東京に来て最初にこの街を訪れた頃もスタジオの仕事やリハーサルだった。何の録音だかわからずに来て最後まで不思議な音楽を演奏して帰ったり、恐ろしく細長いスタジオで大編成のサルサバンドのリハがあり最後まで端っこの楽器の音が聞こえない不思議な造りスタジオだったり、かと思えばちょっと裏道の奥に超近代的なスタジオがあったり、と、まあ、とにかくこの街を訪れる時はいつも「不思議」モードに包まれた。

80年代、90年代前半と訪れる機会が多かったけど、この10年ぐらいはご無沙汰だった。

で、なぜか昨年辺りから再びこの街に行く事が増えたから不思議だ。

バークリー時代のルームメイト、ドラマーの佐藤健君のコンサートで呼ばれたかと思えば、翌月にはポップスのレコーディングで迷いながらスタジオに出かけ(一歩横筋に入ると分かり辛い細い路地多数)、バークリーに行く元弟子の壮行飲み会で徘徊したと思えば、再びポップスのレコーディングで再訪。。。。なんだか公私共に気楽に行ってる感じ。

ご存知に方も多いと思うけど、今の山手線と中央線の駅を中心とした大久保通り界隈は、韓国商店が立ち並び、まるでリトル・ソウルだ
韓国ものだけではない。タイ料理を始めとしたエスニックテイストに溢れた街に生まれ変わっている。なかなか歩くだけでも楽しい

と、そんな大久保の街に、、、
ナント

水族館があるというのだから、街ネタで拾わない手はない

実は大久保に水族館があるらしい、、、という話しは随分前にネットで見かけた事があって、バークリーに留学した元弟子natsuko嬢と昨冬飲んだ時に、偶然見つけて入った事があるんだ。その時はブログもなかったのでBBSでの話題として盛り上がった。で、この夏に彼女が一時帰国するというので「じゃ、水族館で」を合言葉に新大久保駅で待ち合わせた。

そして、前回見つけた記憶を辿って線路沿いに進むと・・・・・

おっ

あそこだ、あそこ!

しっかり撮影モードで近ずくと・・・・・・・・

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ライブハウス『大久保水族館』

が〜ん

看板の灯りが点いてない。。。。。
階段を降りてドアを覗き込むも、営業の気配はない。。。。
natsuko嬢は「潰れたんだ」と言い張る。
ううん、、、、。

仕方なく看板だけに収め、さっさと他の店に飲みに行った。

後日ネットを調べると
ちゃんと現存してました
たまたま休みの時に行ったようです。

が、、、週末の金曜日という絶好の曜日に休むとは、、、、

やはり大久保界隈、侮れません
不思議だ。

おしまい

2006/8/28

楽屋話しもほどほどに・・・  月曜:ちょっと舞台裏

ミュージシャン同士の相性というのもいろいろとあって、音楽本体のみで一致する相性から、精神的にいてくれるとバンドが落ち着くという潤滑油的な相性まで様々です。
一緒に演奏すると言うのは、お互いに気を許して無防備で音楽に挑んでその場を作り上げるわけですから、相性と言うのは大切であるとともに演奏する音楽によって様々な結び付きがあるわけです

ニューエイジと呼ばれた音楽で孤高の地位を築きあげたAさん(あえて楽器名は伏せる)、数々の有名バンドでの活躍やリリカルなオリジナルでジャズ界をリードするBさん(あえて楽器名は伏せる)、そして僕(あえて楽器名は・・・・伏せてもバレてるか)、この三人の場合は、それぞれの持つ音楽の本質に共感を寄せた事が切っ掛けとなって一緒に演奏するようになった。

ある時はイベントでの演奏から、ある時は暑い盛りの野外ジャズフェスから、ある時は企画アルバムのスタジオ録音と、結びつきがいろいろな仕事として形を作っていった。

当然の如くに演奏以外の時間を移動や宿泊で持つようになると、お互いどんどんステージとは別の“おちゃめ”な面も見せるようになって、顔を合わすとまず話しから始まるようになる

移動の車中や機内は元より、移動先の宿泊地などでは退屈凌ぎに話題が渦巻く。僕はこの通り人間ウォッチングが好きだから普段見た光景を話す。みんなもこの世界で日常茶飯事な“珍事件”の話しで、どこへ行っても話題は尽きない。

まあ、ミュージシャンなんて洋の東西を問わず、みんな同じ
演奏ではこの組み合わせはかなりシリアスな表現を見せる代わりに、演奏前や演奏後は思いっ切りリラックス、という事でした。。。。

ある本番の楽屋で「スタジオ録音で精神的にメンバーがイッパイ、イッパイでキリキリしている時に現場を和ませる方法はないものか?」という真面目な話しから始まったハズなのに、「物は言い様だよな〜」という事になり、「ならば戦闘意欲のなくなる言葉がいい」と誰かが言い出して、「やっぱ、それは新宿●丁目方面の方の言葉がいい」と言い出し、「ちょっとアンタ〜、その音ィヤ〜ね」「あら、そ〜お」「だってぇ〜、ちっとも美しくないわよお〜」「あら。そ〜お」「そうよそうよ」「あら、そうねぇ〜」って、全然現場がギスギスしないじゃん、ってバカ受け。しばらく頭からそれが抜けなくて全ての会話が新宿●丁目方面の方の言葉になって戻らない。。やっとの思いで振り切るものの、また誰かが新宿●丁目方面の方の言葉を使い出すから止まらない。頭の中がグニャグニャに緩んでしまった。

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トントン
「そろそろ本番よろしくお願いします」

「は、は〜い」
頼むぞ、もうこれ以上笑わせないでくれ〜。今日は1曲目から難解でややっこしい曲なんだから。。。。。

という、僕のささやかな希望など、もう完璧に新宿●丁目方面の方の言葉モードになったAさんには通用しない。

「ちょっとアンタ〜ァ、出番よお、しっかりいくわよぉ〜」
爆!
「1曲目はなによぅ、あらィヤ〜ダ、こんなカシムズなの、あたし弾けないわよう〜」
爆!

そのままステージに上がる寸前までAさんの新宿●丁目方面の方の言葉モードは止まらない。
Bさんはもう顔が真っ赤になるほど笑って放心状態・・
僕もお腹がよじれて痛い、、、

「お願いしま〜す」
と、スタッフの合図でステージにあがるも、三人とも楽屋で盛り上がり過ぎて顔は笑顔だかヒキツッテいるのだか分からない。

いきなり静寂なルバートで荘厳に始まるAさんの曲のイントロに入るが・・・・みんな顔は笑い過ぎてヒキツリ、腹に力は入らないわ、指まで笑ってタイミングはボロボロ・・・。当のAさんもグニャグニャだ。
全員1曲終わるまで気持ちココにあらず

本番が終わって誰かが言った。
「この三人が集まると演奏にならん」(笑)
「そうよ、そうよぉ〜」(爆)

・・・・

以来、このメンバーだけでの本番は、、、、、、、



本当に無い(笑)

楽屋話しもほどほどに、、、、ですよ。

写真はこの三人が揃った最後のステージとなった東京近郊のライブハウス。この写真から「あ!」と思った人、この空間は本当に時代を先取りしていましたね。そして、この楽屋話しは別として、本当に素晴らしい時間を体験した事を公私共に忘れる事はないでしょう。ここでのいろんな事を目撃した人はラッキーとしか言いようがありません。


おしまい

2006/8/27

水彩画のよう・・・  日記

今朝は車窓を打つ雨音で目が覚めた
これが結構な土砂降りで、ルーフにかかる窓伝いに滝のような雨が幾筋もの軌跡を残しつつ後ろに飛び去って行く。

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時刻は午前5時半を過ぎたところ。
いつもならこれから寝るところだけど、昨夜寝台車に乗って早めに寝たのでこんな時間に目が覚めた。
それにしても凄い雨。
車窓は雨に煙り、景色全体がまるで水彩画のように滲み、印象派の絵のようだ。

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これだけ一気に降るとかなりダイナミックで、ちょっとワクワクしてしまう。

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でも列車はスピードを緩めることなくその中を漠然と駆け抜ける。
寝台の個室にこもって、その異次元的空間を走り抜けるというのは、目覚めとしてはかなりテンションがあがる。またワクワクしてしまう。

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やがて雨は少しずつ弱くなり、、、、、
さっきまでの水彩画のような景色は、普通の車窓へと戻り、
早朝の停車駅に滑り込んだ。
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パソコンに入れたサンソン・フランソワのラヴェル集より“水の戯れ”を聴きながら。

2006/8/26

久し振りのCDウォッチング  日記

黄昏れの新宿。久し振りにプライベートで徘徊しました。ココ新宿は東京のジャズが一番熱かった土地。今では新宿ピットインも新宿駅近辺には無く、ちょっと寂しいですが黄昏れ時の新宿は昔からなにかソソラレるものがあります。

で、秋の気配を夜な夜な感じて来ると沸き起こってくるのですね、これが

CDウォッチング

なんせ心待ちにしていた大好きなクラシック・ピアニスト、サンソン・フランソワの『ラヴェルピアノ曲全集第一集』の復刻盤がリリースされた直後だし、「絶対夏になんか聴くもんか!」とリリース後2ケ月我慢していたマイケル・フランクスの新譜やら(リオをタイトルしているからボサノヴァ・タッチと予測。ボサノヴァは一番美味しく聴こえる秋まで我慢の子/笑)、他にもきっと「ワクワクする出会い」があるだろうと、人ごみも気にせずCDショップを徘徊する。僕にとって新宿はそういう街だ

なぜ今日がそんな気分になったかと言うと、家人が昨夜いろいろとCDを買ってきて昼間リビングで聴いていた。
ジャズなんだけど、キャッチコピーやライナーなんて、何となくいい加減な事だらけを書いてあったので無視して純粋に音だけ聴いてみた。
僕のあまり知らない最近のヨーロッパのジャズだったが、ごくフツーのジャズだ。ECMのような鉾先に輝きのあるインパクトなんて微塵も無い。録音も悪いし、要するに全体がチープなんだ。そういうパッケージ物には感心しない。知らない土地の物を日本で紹介する時の最低のマナーがレーベル(輸入販売)に無いって事だね。

自室のオーディオで何か聴こうと思って、随分久し振りに自分のアルバム「フォーカス・ライツ」を途中まで聴いた。発売前はいろんなチェックも含めて細部まで聞き込むんだけど、発売された後はリスナーのみなさんが決める事。だから自分のアルバムは聴かないんです。なので発売されてから10ケ月経って聴くと耳が客観的になっていていい。目指した物はちゃんと記録されているようで安心した。この時点が「フォーカス・ライツ」のプロジェクトが本当に完了した瞬間なんです。

さぁて
ちゃんとパッケージ(プロデュースも含めて)された最近のものや知らないものが聴きたくなってきたゾ〜〜

秋なんです

そして買いも買ったり
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クラシックとジャズの売り場を数店行き来する内に、手元はどんどん重くなり・・・
気が付くとラヴェル3枚、上記のフランソワとフランソワの別のフランス盤、それにラヴェル本人、解禁になった(笑)マイケル・フランクスの新譜、あらら、ラルフ・タウナー(g)のソロ新譜が出てたのね、、おや、Oregonの30周年記念盤やら、フランク・リコッティー(vib)入りのマイク・ギブス ビッグバンドの復刻盤やら、スティーヴ・スワロウが自作品をウッドウインズ・アンサンブルで共演?、、、、
またまた馴染みのミュージシャンばかり。。。。
でも、これらを季節分けしてこれから1年かけて聴く事になりそう
いやいや、楽しいもんです

で、CDショップさんに提言

クラシックはちゃんと楽器別にCDが並んでいるので(例えばピアノ曲の作曲家別で探せば新しい演奏者も出会う)探す楽しみがありお客さんも入っていましたが、ジャズのコーナーはミュージシャンのアルファベットのイニシャル順にしか並んでなくて、客が店員に尋ねている光景が目立ちました。
ずっと言ってるように、早く楽器別に陳列を変えなさい
あれじゃ名前を知らないと何も捜せないじゃないですか。
こちとら知らないプレーヤーを聴いてみたいと思って徘徊してるのに全然見つけられないよ。名前で買うのはネットショップで十分なんだから、ショップにはショップでの出会いの場所を設けてよ。
海外で大手CDショップが破綻するのも、そういう新しいマーケットの開拓に今のショップの環境が繋がらないからじゃないかなぁ。
ジャズは主流がインストなんだから「ピアノが聴きたい」「サックスよサックス!」「(間違って)ヴィブラフォン」(笑)って買いに来る人とか多いと思うな。
そんな時に「初めて」の出会いがあるのがCDショップだと思うんだ。
そこに行くまでの時間や雰囲気、気分、交通費というのも顧客は背負って足を運んでいるのだから、ね。絶対その方がいろんな人のアルバムが手に取られる確率が上がると思うなぁ。

下調べして買い物するのは、もうネットを十分活用している時代じゃないだろうか・・・ショップにはショップならではの良さがほしい、、、そんな事を少し思いつつ帰ったのでした。

おしまい

2006/8/25

ヴィブラフォン独奏のヒントと歴史  金曜:vibraphoneやmarimbaの為のジャズクリニック

毎週金曜日はVibraphoneやMarimbaをやっている人向けのお話し。金曜第二十二回目の今日はステージ構成でのアクセントとなる独奏についてのお話しです。

ヴィブラフォンの独奏は、この楽器独特の余韻とサウンドを100%演出できるのでライブやアルバムでは積極的に演奏するようにしています。
この独奏を行うには高度な演奏技術が必要かと言えば、

答えは
ノー
です。

必要なのは、コードの知識が50%、後はアイデアと歌です。

特にマリンバをやっている人に誤解が多いのですが、独奏の基本的な考え方とは、次のような事です。

・初めて楽器を触る人がする仕草にヒントの全てがあります
・楽に演奏する方法を見つけましょう

例えば、子供が初めて楽器(ヴィブラフォンやマリンバ)の前に立ってマレットを持って叩く時に、どのように叩くでしょうか? 殆どの場合、片手でメロディーを弾いちゃいますね
その姿こそが、人間が道具を持って何かする時の「基本的な仕草」だと思います。
最初からメロディーを左右交互のマレットを使って流暢に弾く人は少ないはず。
ヴィブラフォンの場合、ペダルで音をサスティーンできますから、ポンポンポンポ〜ン、と片手だけで演奏しますね。

レッスンなどで叩き方を教わると、左右のマレットを交互に使うと早いパッセージなども半分の運動量で叩けるようになり、やがてそれが基本動作として身に付きます。これは身体のバランスを取る意味もありますが、それらは全て訓練の賜物なのです。

まず、独奏を行う場合は、極力「楽な」スタンスで楽器を演奏しなければ音楽になりません。そこでコードの勉強が済んだら、左右一つずつのマレットを同時に使ってコードの変わり目に2個の音(コードトーン4つの内の2つを選ぶのがミソ)を出す練習をします。最初はコードの変わり目だけで良いでしょう。それに慣れたらコードとコードの間に右手のマレットで簡単なメロディーを入れてみます。
この動作が独奏の基本です。
つまり、この動作であれば、マレットは2本で良く、4本を持っていても左右1本ずつしか使いません。だから独奏は2本マレット・プレーヤーも出来るんです。

4本マレット・プレーヤーの場合は、左手のもう一つのマレットで残りのコードトーンを選択する練習を行えば、よりコード感を演出できるようになります。

この同時に弾く、というのが、初めて楽器を弾いた時の「仕草」と同じ感覚なわけですね。
簡単、と言ったのは、左右交互に弾くという固定観念を無くすれば「楽になれる」という事なんです。

ムキになって左で伴奏を必死でやり、右でメロディーを必死でやり(つまり左右分離型ね)、、、、な〜んて考えると、そりゃア〜タ、
難しいし、超絶技巧だと勘違いも起こるわけです

物事はシンプルから全てが始まってるんですね。無茶はイケませんよ


さて、ヴィブラフォンの独奏がジャズで認知され始めたのはいつ頃でしょう?
僕の知る限りでは、1966年頃からだと思います。

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『The Time Machine/Gary Burton』(RCA/1966年録音/現在非CD化)

それを認知させたのはゲイリー・バートン氏で、この「タイムマシーン」というアルバムの最終曲“My Funny Valentine”ではベースのスティーヴ・スワロウ氏とのデュオながら、殆ど独奏テイクと呼べる内容です。
このテイクは個人的にもヴィブラフォンの独奏へ強く興味を持った思い出のある演奏なんですねぇ。

また、実際のライブでも独奏を行っています。
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『Stan Getz Quartet In Paris』(仏Verve/1966年録音)

この当時バートン氏が在籍していたスタン・ゲッツ(ts)氏のバンドでは、ステージで必ずバートン氏の独奏を披露していたそうです。先輩ミュージシャンが新人の若手を紹介する時にこういうフィーチャリングをよくやります。
このアルバムでも“Edelweiss”がヴィブラフォンの独奏として収録されていて、聴衆に一番ウケています。
ヴィブラフォンは視覚的にもパフォーマンス性がある実例ですね。


おしまい

2006/8/24

これからの季節は・・・・・・このOREGON  木曜:Jazz & Classic Library

夜になると気温もぐっと落着いて大好きな“秋”はもうすぐそこまで来ている気配を感じる東京地方です

人間は季節で大別すると二通りの指向性がありますね。

冬の終わりから春、そして新緑から真夏のギラギラ陽射しに至る過程が好きなヒートアップ派。
夏の終わりから秋、そして紅葉から冬に向けて木立も枯れ果てて行く過程が好きなクールダウン派。

僕は完全に後者で、しかも夜行性早朝就寝派ときています(笑)。

その季節の中で聴く比重がグッと増す音楽もちょっと分類すると二つにわかれているようです。
僕の中ではこれからの季節は何と言ってもボサノヴァ。今ちょうど太陽がちょこっとだけ顔を出す気配をみせていますが、この時間帯にピッタリです。
そして陽が昇ってからは頭の隅々がクールに“スッキリ”するような音楽が増えてきます。

今夜御紹介するのは、頭の隅々がクールに“スッキリ”する秋の季節にお薦めのアルバム

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『NORTHWEST PASSAGE/Oregon』(Intuition/1996年録音)

オレゴンはRalph Towner(g,kb)Paul McCandless(obe,ss,English horn)Collin Walcott(tabla,perc)Glen Moore(b)の4人のメンバーが核となり、ラルフ・タウナーが1970年にニューヨークで発足させたグループ。息の長いグループですが途中パーカッションのウォルコットを不慮の事故(1984年11月ドイツツアー中)で亡くすという悲しみを乗り越えて現在もラルフ、ポール、グレンの不動のメンバーにパーカッションを加えて活躍しています。

このアルバムを初めて聴いたのは、90年代に出演していた自由が丘のライブハウス「アンクルトムズ・キャビン」でした。アンクルトムは東京でも珍しいECMの店という冠の付いたライブハウスで、当然ながらステージの休憩時間に流れる音楽はみなECMレーベルに所縁のあるミュージシャンのものばかり。僕らにとっては天国のような店でした(2000年代に入って発展的解消として閉店)。
ある夜、演奏が終わってカウンターでベースの山田晃路氏と話していた時に流れてきたのでした。すぐさま「これ、オレゴンでしょ。ちょっと見せて」とアルバムを手に取りハマってしまいました。「このオレゴンいいねぇ」・・・・・そこに出演するミュージシャンは一様に反応していました。

そう、みんな「オレゴン」が大好きなんですが、ウォルコットが参加した最後のアルバム(彼を亡くした直後にリリースされた)以来「オレゴン」は元気がなかったのです。

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『CROSSING/Oregon』(ECM/1984年10月録音)
オリジナル・メンバー最後の作品となった“クロッシング”。これ以前と以降でオレゴンは変ったというファンもいる。

初期の作品から聴いていますが、確かに「クロッシング」以降アルバムの曲の中には「割り切れなさ」を多少感じる事もありました。それが「NORTHWEST PASSAGE」では見事に払拭され、
この“新生”オレゴンの誕生にワクワクしました

例えばこれからの季節。紅葉に染まりつつある山への電車やドライブのお伴として、或いは湿度の少ない快適な日の午後のリビングルームで、きっとオレゴン・サウンドがその場をワクワクさせてくれますよ。

僕が初めてギターのライフ・タウナーの演奏を見たのは1974年の5月に来日したヴィブラフォンのゲイリー・バートンのクァルテットにゲストとして加わってステージでヴィブラフォンとアコースティック・ギターのデュオを聴かせてくれた時でした。会場だった大阪のサンケイホールのロビーで売られていたタウナーのアルバム『ダイアリー』(ECM)を買って帰って以来(ゲイリーとラルフのデュオアルバム『マッチブック』(ECM)も発売された)、このタウナー・サウンドはいつも心を刺激し続けてくれます。

タウナー氏のギターは他のジャズギタリストとは一線を画した世界を作り上げます。彼はいつも聴く人を音楽のストーリーの中に引きこみ、この音楽が単にギターによって演奏されている音楽であることを忘れさせるようなやり方を目指しているんだそうです。

自分の奏でる楽器の内側を向くのでなく、常に外側を向いている(この楽器はこういうものだ、という固定観念を持たない)ところに大きく共感します。

アルバムで一番好きな曲。当初は恐らくアルバムで一番キャッチーな3曲目の“Lost In The House”でしたが、最近は1曲目の一番オレゴンらしい“Take Heart”。アルバムを毎年季節限定で聴いていると年毎に微妙に変る自分がいる事に気付きます。このアルバムはこの季節にしか聴かないでおこう、、、と決めてみるのも音楽を長く楽しめるコツなように思います。だって、いくら好きな食べ物でも毎日食べたらすぐに飽きちゃうし、身体にも良く無いでしょ。好きなものが減るくらい人生で不幸な事はないんです。
そんな考え方で作られたアルバムがみんなほしいんだよね
企画品にはもう飽きた。

おしまい

2006/8/23

北の王道です  水曜:これは好物!

お盆明けと共に各地に帰省していたヴィブラフォンの弟子達が戻って来て、只今我が家には全国各地の名物・名産が揃って賑やかです

今夜は北の大地から

M音大に通うナツミ嬢の笑顔と共に届いたお土産は、今や北海道のお土産として超メジャーとなったコレ
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『マシュマロチョコレート』(ロイズコンフェクト製)

マジ、ヤバいです 旨いです
ROYCE'の名前を初めて聞いたのは「生チョコレート」でした。ロイズと言えば「生チョコ」、生チョコと言えば「ロイズ」。北の大地のお土産として抜群の人気商品でお馴染みですね。
そんなロイズの「マシュマロチョコレート」ですから、開けるやいなや、その場に居合わせた全員の口に、あっと言う間に「拾集」されてしまいます

ナツミ嬢が持ってきてくれたのは二種類のマシュマロチョコ。

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左が「ホワイトチョコ」で右が「ミルク珈琲チョコ」です。

どちらがお好みかって?


僕はやはり「ホワイト」にソソラレました
ただでさえホワホワの食感のマシュマロに濃厚なホワイトチョコのコーティングですよ〜
かなりソソラレてしまいました。

これは室温保存でOKなので、夏のお土産にお薦めです


で、


さすがナツミ嬢、この王道の他に、「ウケ」土産も持ってきてくれました

それがコレ
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『函館 塩ラーメン キャラメル』(函館・不二屋本店製)

ひぇ〜
と、注目度はひょっとするとロイズよりも上回ったかもしれません
その場のみんなが、「何?なに?ナニ〜」
と興味津々・・・・・・

早速みんなの口にほおばると・・・・・・


うう〜〜ん。。。。。


か、、、感想が、、、、



出ない。。。。。

っま、それも「うけ」という当初の目的を十二分に果たした後の事なので、これはこれで

バンザ〜イ

ナツミ嬢、ありがとう、ね

おしまい

2006/8/22

思い出の・・・・隣街  火曜:街ぶら・街ネタ

若かりし頃によく通った街というのは今ではよっぽどの用事が無い限り行く事がありませんね。
今さら行ったところで、何がどう、という事でもない場合も多いのですが、やはり「怖いもの見たさ」みたいな感じでちょっと覗いてみたくなる時もあります。

で、隣街の府中市なんですが、このところ通るのは甲州街道か、あっけなく中央道で通過。。。。。。。。

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夕暮れの旧甲州街道(府中と言えば大国魂神社でしょー)

突然パソコンの記録メディアを交換する事になり、行きつけのパソコンショップへ
ここまでは、いつもの感じなんですが、夕方の暮れなずむ時間帯にあまり府中方面を走る事がなかったので、あ、そう言えば、あのライブハウスの跡ってどうなってるんだろ?と、せっかくその方面へと向かっているので足をのばしてみる事にしました

夕暮れの、ちょうどこの時間帯でしたねぇ。。よくココまで車で来たのは。
当時、20代前半で、東京にさしたる知合いがいるわけでも無く、ある意味「悶々」としながら演奏活動のエリアを広げていた頃でした。
当時一緒に演奏をやっていたドラマーの鈴鹿さんに紹介されて行ったのが最初でしたね。ハタチ過ぎのかなり生意気でヴィブラフォンがちょいと得意な若造でしたが鈴鹿さん他、周りの先輩ミュージシャンがいろんな人を紹介してくれました。今でも感謝です。

その時は店の名前が「ナチュラル・ボックス」と言って、細長いカウンターの奥にステージがあるという、やや狭い感じの店でした。(確かそのビルの2Fに住んでたのがマスターだったかな)。
やがてそのお店のレギュラーとなって、自分のバンドとして初めて出演した店でもありました。郊外は小さな店が多かったのでグランドピアノが入ってるとヴィブラフォンを入れられる店が少なかったのです。

ところが、数年も経たない内に経営困難となったその店は、当時府中で人気の喫茶店を経営していたマスターにバトンタッチ。そして店名も「バベル2nd」と変り、さらに“素敵な”事に、隣にあって僕らが楽器搬入で駐車すると「おまいら商売のジャマダ光線」をキリキリと発していたクリーニング屋まで買取り、店は一気に2倍以上のスペースとなって音響も充実、防音も充実、駐車スペースもあるし、メニューも充実したオサレなライブハウスに生まれ変わったのでした。

ただ、一つだけ、残念にも充実していなかったのは・・・・






お客さんの入り具合

府中とは言え、もう、南武線の踏切の横ですし、かなり中心地から離れていましたから、ココにライブハウスがある事自体が奇跡な立地でした。
それでも近くの某大手家電メーカーの社員やら、ちょっと追っかけ風の女史やら、心ある数少ないファンのみなさんやらで、細々と、しかし、音楽は「どデカく」「元気に」「超カシムズな曲の応酬」にて熱く燃えていたのでした

そんな、一向に「営業方面」に無頓着な新米ジャズメンを、客の入りが良かろうと悪かろうと「ココでは好きな事をやればいい」と鋭くも温かい視線で見守ってくれたマスターがいなかったら、ホント、何十人、いや何百人という当時の新米ジャズミュージシャンが志し半ばで「別の人生」を歩まずにはいられなかったでしょう。「どーせ僕らは社会のなーんの役にも立たないものね・・・」とか言って。
まぁ、マスターも、もう開き直って「客入りワースト・ランキング」などを付けていましたが(笑)。

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わぉ〜
建物はちゃんと健在ですよ。踏切の手前なので一旦停止しか出来ませんが、確かに「ナチュラルボックス」改め「バベル2nd」の跡。今はまた店鋪を2つ入れているようです。やはりコノ立地では広すぎたのかなぁ。
でも、なんだか、ちょっと嬉しいですね。
ココでもいろんな出会いがありました。
当時に比べれば、こんなに近くに住んでいるのに、この前の道を通る事はまず無いですね。だからわざわざ来た感じでちょっと旅行のような気分でした。

府中にはもうひとつ、駅前のビルの2Fにあった「JAZZ INN」というお店でも若かりし頃にライブをやったものですが、こちらはバブルの頃に駅前再開発とやらで、跡形も無く
なっています。

バベル2ndは89年の帰国直後に久し振りに顔を出してマスターと話した記憶が最後で、その後しばらくして閉店したそうです。六本木ピットインといい、そうした僕らの思い出の多い店が無くなっては、また新しい店が生まれつつ、時代は変って行くのですね。

府中に来ると、その頃の記憶と現在の記憶がゴチャゴチャになります。
あ、府中には「暗闇祭り」というのがありますよ。一度行ったら突然の雷雨でズブ濡れになりました(笑)


おしまい



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