2007/5/31

音楽に永遠は無かった。でもこれは!・・・Pat Metheny Group  木曜:Jazz & Classic Library

我が家のリビングには大切に飾っている1枚の写真がある。

三人が並んだ写真で、一番右側は我が師匠であるヴィブラフォンのゲイリー・バートン氏、真ん中に僕、そして左側に今夜の主役パット・メセニー氏。

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ちょうど1年前の今日5月31日、東京ブルーノートの楽屋で撮ったショットだ。バートン氏が32年振りにギターを加えたクァルテットで来日(偶然にも32年前の同日に大阪サンケイホールでバートン・クァルテットの来日公演を見ていた)し、しかもその相手がメセニー氏という事で何をおいても駆付けた。終演後、師匠に挨拶に行った時のひとコマだ。

バートン氏のアルバムは12歳の時から聴いている。時系列的にメセニー氏の音を聴き始めたのはその5年後にバートン氏のグループにメセニー氏が加わった時からだから、どちらにしても30年以上になる。

70年代から80年代に掛けてのパット・メセニー・グループ(PMG)は正に僕らのアイドル的な存在として当時周りのミュージシャンもPMGの新譜が出る度に話題にしていた。ECM〜GEFFENにかけての黄金時代だ。
その辺りの事はこのブログの06年6月1日同6月15日同8月3日に詳しく書いた。
ところが、僕が実際に買ったパット・メセニーのアルバムは1996年録音の『QUARTET/Pat Metheny Group』(Geffen)以来途切れてしまった。
もちろん周囲の人が聞かせてくれて内容は把握している。でも自分で買う事は無かった。

あれだけ新譜が出る度に迷わず購入し、まるで永遠の伴侶のように思っていたPMGの音楽から自分が遠ざかるなんて想像もしていなかった。それと同様に周りのミュージシャンの口からPMGの話題を聞く機会もめっきり減った。
前出の『QUARTET』はPat Metheny Groupのクレジットだけど、どちらかと言えばイレギュラー的な作品で主流の作品となるとその前の『We Live Here/PMG』(Geffen/1994年)になる。

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このアルバム、僕らミュージシャンは新しいメセニー・グループの形として大歓迎だった。打ち込みを取り入れたサウンドは時代の鏡、音楽そのものもメセニー・サウンドがそこかしこに見えて好きだ。
しかし、僕は信じられなかったが、メセニー・ファンの一部の間では「これは打ち込みのドラムじゃないか」などと言う保守的な意見も飛出したそうだ。
確かにGEFFENに移ってからの二連作に比べれば叙情味には多少欠けるとは思うが、そんな事をその時代(1990年代)に言い出してどうする。まったく、もう、、、である。

しかし、それが本人達の耳に届いたのかどうかはわからないけど、正直なところその後PMGの音楽からは何も新鮮な感じを受けなくなってしまった。それどころか『We Live Here』よりもずっと時代を後戻りしてしまったような印象があって、ぼくがいつも新譜を聞く時に期待を寄せる「わくわく」「どきどき」する音楽ではなくなってしまった。

そんなわけで、僕のPMG Libraryは1995年頃を境に縮小するかに見えていた。



12年の時間が過ぎた先日、自分のアルバムの制作も落ち着いたので音楽を聞きたくなった。ふと、PMGの事を思い出して、その後を少しずつ揃えてみた。やはり時系列的に購入するのがいいだろう、、、

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左『IMAGINARY DAY/PMG』(Warner Bros/1997年)
右『SPEAKING OF NOW/PMG』(Warner Bros/2002年)

確かに僕の知っているPMGのサウンド、しかしここには「わくわく」するような展開も「どきどき」するようなスリルも感じられなかった。古くはECMの初期の『Pat Metheny Group』や『American Garage』、『Offramp』、前期PMGの集大成と言えるライブ盤の『Travels』、ECM最高傑作と言われる『First Circle』、GEFFENに移った名作『Still Life(Talking)』と『Letter from Home』。そして再びアメリカン・ミュージックとして前進した『We Live Here』。このどれもに一度好きになったら何度も聞きたくなるような、あのドラマチックで感激するとちょっと胸が熱くなるようなPMGのサウンドの魔力があった。でも、今、目の前にあるこの二つのアルバムにはそれがない。一度聞き通した後に何も残らないのだ。
原因は肥大した打楽器パートにあるのかもしれない。僕はこれなら打ち込みのほうがまだ良いと思った。シンプルに印象的なメロディーも少ない。
僕が少しずつ離れて行ったのは決して耳の錯角ではなかったようだ。

数日後に、もうこれが最後になるかもしれないと思って最新作を買った。

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『The Way Up/PMG』(Nonesuch/2005年)

お!これは


そう、これこそが久し振りにPMGを聞いた実感。予想する方向に音が進むのだ。
肥大化したパーカッションはもはや必要なくドラム一本に絞られて2005年という時代の空気がそこにはある。正直言って安心した。
Part Oneなどはまるで70年代ECMのエバーハード・ウェーバーのサウンドのように聞こえる瞬間も。そう、僕らがジャズとして描く時に絶対に外せないサウンドがそこにある。そして今らしく軽快なジャズとして蘇っている。『We Live Here』から11年。遂にPMGの新しい一歩が示された。僕は本当に嬉しいなぁパットさん。1年聴くのが遅かったけどね。

おしまい

2007/5/30

二連続更新で3/500万の蔵の街・・・その2  水曜:これは好物!

今日は昨日からの続きです。

川越のメインに向かう途中でこれも川越に来ると足が向く金笛醤油に立ち寄った。
ココの「金笛再仕込生醤油」が絶品なのだ。何しろ普通の刺身がちょっとつけるだけで絶品になる、魔法の醤油なんだ。値段は普通の醤油の約倍はするが決して後悔はしない。あまりにも美味過ぎて我家では在庫が尽きてしまったのだ。
と、やや右斜め45度の角度くらいに勇んで暖簾を潜ったら、、、、、
あれれ?あれれ??

な〜い、無いよぅ。。金笛再仕込生醤油。ソコの棚だけな〜い。

すると店のおばさんがそれを察してくれたのか、「あれは今日は無いんですよ。ごめんなさい。明日には入りますから」と。
しかし涙混じりの僕の目(嘘です)を見て、「お客さん、あのお醤油は少しコアな商品でしてねぇ」、「そう、あれがほしくて来たんですよォ〜」(まるで東海林さだおのショージくんである)、「それは失礼しました。もし、よろしければ、こちらをきょうはお持ち下さい」「へ?」「今の季節だけの商品ですが・・・」「それ金笛再仕込生醤油と同じくらい美味しいですか?」(ますます東海林さだおのショージくんである)、「いいぇ、ホホホホ」、「アハハハ〜!」、お互いワラって語らずである。これはこれで普通に美味しい。必ず今度買いに来る(いや、我家の在庫が無いのだから必須である)からね、と店を後に。この街はこんな感じでいつもホームドラマのような雰囲気が溢れている。どの店も二代目、三代目、、、代々脈々と続く商店が多いから買い物も楽しい。適度に商売っ気があり、適度に茶目っ気がある。それが商店街の魅力だよね。


さて、目的地に到着!

まずはイントロから
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“うざく”

んまいっ

お次は隠し玉
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“う巻き”(これはメニューにはありません。あしからず)

んまいっ

そして千両役者
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“うな重”

さいこ〜

ココは僕が日本で一番好きな鰻屋、小川菊
僕は松山生まれだから鰻はずっと関西スタイルのつけ焼きが好きだった。あの香ばしくてちょっと肉的な食感がある鰻は子供の頃から好物で贔屓の鰻屋もある。だから関東スタイルの鰻を最初に食べた時は(某有名店もそうなんだけど)なんだか物足りなさを感じた。
ところがこの小川菊に来た時に正に目からウロコ、関東スタイルの鰻に開眼してしまったのだ。僕の母などは四国の松山からこの小川菊に鰻を食べに来るほどのファンになってしまった。東京の有名店をさんざん食べ歩いているのに、だ。一度母が上京した日が運悪く小川菊の定休日でせっかく川越まで来たからと仕方なく他のそこそこ評判の店に連れて行った事があったんだけど、家人と二人して「ま、まずくは無いねぇ。。。」と散々だった。この辺りの鰻屋は他の土地と比べると結構レベル高いんだけど、、、、やっぱ小川菊にはかないません。二人のあまりの悪態に、小川菊以外じゃ二度と鰻をおごってやんない、と思ったほどだ(笑)。

なにが最高って、やはり鰻の味とタレのバランスです。関東スタイルの蒸し→焼きの二段工程で背開き。シンプルだから小細工は一切利かない。昔ながらに下処理をきちんとやって根気よく仕上げて行く。途中で手を抜くとすぐに客は気付いてしまう。僕もいろんなところで鰻を食べるが、ちょっとでもおかしいと臭みが増す。だからそういう店は二度と行かない。炭火焼と銘打って値段の高い店もあるが何よりも素材と処理とタレの三拍子がダメな店は何をやっても美味くない。
その点、この小川菊はその三拍子が完璧。
季節によってタレと焼き具合を替えているのだから四季毎に違う感動がある。
音楽でも何でも、やはり核になる三拍子が揃ったシンプルな形がいい。一つでも欠けているとダメなんだ。一つじゃ言うに及ばず、四つじゃ余計な飾りが入ってしまう。やはり飽きの来ないものはバランスが良い。音楽ならメロディーとハーモニーとリズムのバランスだ。このどれかだけが肥大するだけで時代が過ぎると瞬く間に飽きられてしまう。

元々鰻の蒲焼はこの川越と浦和が発祥の地。その地元で一番愛されている店が小川菊なのだ。

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自称“偏屈な若大将”小川さん(七代目)と“かなり偏屈”なヴィブラフォン奏者

小川さんは大のジャズ好きでお店が休みの時や近くでライブがあると来てくれる。
ヴィブラフォン奏者は大の鰻好きで仕事が休みのときや近くまで来たら必ず立ち寄る。
お互い変わらない味わいがいつも嬉しい。

今回も七代目の技に大満足で帰路についたのであります。。。。。

おしまい

2007/5/29

今夜は二連発更新で3/500万の蔵の街  火曜:街ぶら・街ネタ

恐らくこのブログで登場頻度の高い街。
つまりお気に入りの街という事ですね。

レコーディング関連が一段落したので、久し振りに出かけてきました。

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埼玉県・川越市

平日というのに観光客で溢れています
特にこの川越観光のメインストリートとなる蔵の街は、訪れるたびに散策する人が増えているようで活気があります。

川越市は人口約33万5千人。程よい広さと混み具合の街で中核市になっています。中核市によく見られる無駄に高い高層ビルが無いのもこの街の魅力で、この10年で東京のベッドタウンから観光地へと緩やかにシフトしている気がします。

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何しろ都心から近い。池袋から東武東上線の急行で約30分。もっと観光気分を味わいたい人なら西武新宿駅からロマンスシートの特急に乗って約45分。この地の利で早くからベッドタウンとして栄えていたのに、無駄に大規模開発を受けなかった奇跡の街だと思う。僕は大規模開発された個性のない街は興味が半減してしまう。何処にでもあるエスカレータに何処にでもある街路灯。何処にいるのか分からなくなる似かよった色とレイアウトの建物。快適ではあるのだけど愛着は持てない。やはり街は不揃いに賑やかなほうが良い。そのほうがパワーを感じる。
少し前ならNHKのテレビドラマ、最近では映画「ウォーターボーイズ」。話題に事欠かない川越は年間に500万人の観光客が訪れるという。僕はこの一年で3回行ったから3/500万の存在だ。
これでも以前よりは訪れられる時間が減っている。それはそれで仕方のない事だ。

ちょうど去年のこの時期にもココを訪れている。(06年6月13日のブログ)
どうやら梅雨入りの前になると無性に行きたくなるのかもしれないですね。
その後秋口にも来たが、半年以上来なかったのが珍しい。春先からレコーディングの準備が始まっていたからなぁ。

蔵の街を歩いていて、おや?っと思った。

歩道が綺麗になっている

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城下町や戦災を免れた街は道幅が狭いところが多い。ココも相変わらず車の通行量が多いが道幅も狭い為に車道と歩道の境界が無く、道路に着色レーンを書いて歩行者用に区切られていただけだった。

それを上手いことに仕上げたものだ、と感心した。
蔵と不釣合いに元々着色していたレーンの部分を石畳風の薄いブロックに変えただけなんだけど、歩道と車道の間に段差がない。しかも車椅子でも抵抗のないように表面をフラット加工してある。
この手のバリアフリー改良で最近よく見掛けるのが無駄にお金を掛けてゴツゴツした石畳を敷いてしまう例。車道との段差はスロープがあるもののフラットにはかなわない。
これなら狭い街並の中で人と車を視覚的に分離できる。車にしてみても無駄に歩道との段差があると窮屈に感じてしまう道路だ。

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以前ブログに書いたマンホール男ではないが、新しくなった歩道にあるマンホールの蓋もこのデザインならちょっと興味が沸く。

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なるほどね、とか言いながら、蔵の街を歩いて、ココに来たら必ず寄る、いや川越探訪のメイン。僕はそこに向かって歩くのであります。

この続きは明日の“これは好物!”に続く

2007/5/28

テキスト攻め・・・  月曜:ちょっと舞台裏

例え、某のフライトがシステムダウンとなって遅れて飴玉をもらったとしても、某国の大臣が自ら幕引きを図ったとしても、、、週明けと共に僕のメールアドレスには膨大な量のテキストが送られてくる事には変わりない。

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本日は午後からヴィブラフォンのレッスン攻撃
先頭バッター?の王子から始まり夕方までびっちり。しかしこの間も続々と送られてくるテキスト達。

なぜならば、新しいアルバムのテキスト校正が始まったからだ。

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夜になって夕食もそこそこに、パソコンの前に板付き。
メールの回数が増える。
テキストの表示を問い合わせるメール(参加ミュージシャンへ)送信。と、入れ替わりに今度はライナーノーツを書いていただいたジャズ・ジャーナリストの小川隆夫さんから原稿が送られてくる。
添付された原稿ファイルを開きたくても、もう画面上はテキストで埋まっている。仕方なく携帯用のWinに転送して開く。

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英文は英文で、スペルチェックは根気勝負。
和文は和文で、カタカナ表記のバラツキが問題。
ディビッド? デビッド? デイブ? デイヴ?
人名は複雑で厄介。
僕は迷ったらネットに繋いで検索ワードで一番ヒット数の多い表記を優先する。
辞書代わりのネット活用法だ。

そんなわけで、再びテキスト攻撃に戻ります。
って休憩時間もテキスト打ってるんだから、ホント埋もれそうよ。

おしまい

2007/5/27

ミドリ  日記

僕は色の中では緑系と赤系が好きです。
緑は言うまでも無く草木の緑。赤はこれはちょっと変わってるかもしれませんが、青に映える赤、夜明けのプリズムの赤や夕陽の赤、要するに空の錯覚現象に見られる赤。赤に関しては時々ブログにアップする写真のどこかにアクセントとして入ったものが多いのでお気付きでしょう。

この時期、目が覚めると気持ち良く感じるのは遠くに見える山の緑が鮮やかなばかりか、ウチの間近にある木々が眩い新緑を放っているからでしょう。

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新緑は今日も風に吹かれ・・・

それを見ているだけでも飽きません。
たとえ電柱があっても緑で蔽い尽くされると一つのアクセントになってしまいます。

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ベランダから見える緑が一番心地良い季節です。

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いいなぁ、緑。

しかし、この緑色をアルバムのジャケット写真に使おうとすると、これがなかなか難しいのです。
新しいCDのジャケ写も自分で素材を集めてるんですが、ホント、緑を生かそうとするとコレといった構図に納まらないのですね。
「お!コレだ!」

とばかりに被写体に納めて帰ってパソコンで開くと、、、、ううん。。

もちろん、綺麗に撮れて臨場感に問題がなくても、フレームの中でそのスケールを表現するのは、僕のようなデザインの基礎知識の無い人間が撮ると記念写真か観光葉書か植物観察風にしかならないのですね、これが。
しかしこの方面で学習を始めると、きっととんでもない方向に踏み込んでしまいそう(元来ハマるとトコトンの性格)なので、このまま無知で偶然を楽しんでましょう。

不思議な事に赤系が混ざる紅葉になるとグググっと構図が決まるのです。
赤はインパクトを齎すからでしょうか。
対して緑は温和で安らぎを齎すから絞りどころに迷うのでしょうか。

楽器の音色を色に例えると、(勝手な想像ですが)ヴィブラフォンは青系の何か、マリンバは赤系の何か、と一致するのですが、緑と一致する楽器って一体なんだろう?
ふと考えてみたのですが、思い浮かびません。
ひょっとすると、パーカッションやドラムセットのシンバルか?
勿論演奏する音楽によってイメージは様々でしょう。

ううん、、、、緑の似合う楽器って、いったいナニ?


眺めるにはいいのだけど、構図に使うとなるとこんなに難しいとは思っていませんでした。
もちろん、緑をアルバムのジャケ写に使うつもりはありません。
イラストならまだしも、実写となると、これは本当に難しい。
そう言えば、緑の実写をつかったジャケットってあまり見掛けないような気がします。

こういうのって考えるだけでも面白いですね。
そして、いつかきっと「偶然」に答えが導き出されるのです。
その時を気長に楽しみとして待ちましょう。


おしまい

2007/5/26

4th Semester・・・・Fall 1987  ■新・音楽体験記/留学の頃

夏休みからの帰路でとんだアクシデントに見舞われたものの、何とかボストンに辿り着きレジストレーションに間に合って、、ホッ。
バークリー入学後、ちょうど1年が経った。
日本流に言えば2年生って事です。

9月とは言え、当時住んでいたボストン近郊のニュートンの日中はまだ夏の名残り。
家の近くのクリスタル・レイクで構想にふけるの図。

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なぜかと言えば、今セメのリサイタルが間近に控えていて、3回目ともなればやる事をどんどん突き詰めて卒業後の方向を目指した事を考えないと、ね。
今回は友人でもあり、素晴らしいピアニストのMakoto Ozoneに賛助出演を願ってデュオも予定している。
世界中を飛び回るOzoneがボストンにいる時は限られているので、夏セメの間(学校は留学生だけになるのでリハーサル場所も空いている)に時間をみつけて秘密裏にリハーサルも行っていた。残るはバンドの曲作りだ。

そもそも僕がバークリーに進む切っ掛けを辿って行くとそこにはOzoneとの出会いがある。
84年に後に師匠となるゲイリー・バートンのバンドのメンバーとして来日した演奏を斑尾ジャズフェスティバルで見た。その時に日中ミュージシャンがオフの時間帯を利用してミニ・クリニックが開催されていて泊まり掛けで来る観客がそのフリートークの時間に集まるのだ。
僕が泊まった翌日はOzoneの日だった。
その頃はゲイリーの演奏が見れるだけでも満足だったのに、そのメンバーとトーク出来るのだから興味津々。
その時に僕は当時のバンドのデモテープを持参していて、そのミニ・クリニックが終わった時に一緒に行ってた友人がテープをOzoneに渡した事から不思議な繋がりが始まった。
最初は「オイオイ」と照れくさかったが、これも何かの縁とばかりに「是非ゲイリーさんにも聴いてほしい」と告げると「よっしゃ、わかった!」と。

偶然とは連鎖的に重なるもので、その翌年(85年夏)にバークリーが日本で初めてセミナーを開催する事になった(しかもこのセミナー、初回のみ東京、二回目以降は浜松で行われたので既に演奏活動を行っていた僕らは東京以外で受講するのなら諦めていただろう)。こんなチャンスを見逃す手はない。だってゲイリーのヴィブラフォンのレッスンを受けられるという事で不無を言わず参加。その時セミナーのアンサンブルの振り分けで僕が入ったのがナントOzoneのアンサンブルだった。
「お!来たね」
「うん、来らずにはおれんかった」(笑)
「あん時のテープ」
「うんうん、斑尾の」
「帰りの飛行機でゲイリーにこんなテープがあるよと渡したら聴いとったで〜。スワロウも聴いとったわ〜」
「ほんま、嬉しいなぁ」・・・それが再会の会話だった。
(彼との会話はいつも関西弁。バイリンガルです/笑)

それからアンサンブルのアフターアワーズにチックの曲やOzoneのワルツをデュオったり、セミナー最終日のコンサート用のアレンジが間に合わないから、と突然「後は赤松っちゃん、頼むワ。みんな赤松センセの言う通りにやってや」とアンサンブルの指導を僕に丸投げされたり(こっちも一応受講者デス!/笑)、別の日にはバークリー行きの話しをゲイリーから薦められた時にも立ち会ってくれたり、と、いろいろなシーンで励ましてくれた恩人と言べき存在だ。
あの時一本のテープを持参してなかったら、あの時照れくささから会話を避けてたら、あの時バークリーのセミナーに出掛けなかったら、しかもそのセミナーが東京で開催されなかったら、、、あの時ゲイリーからバークリーに誘われて一歩を踏み出せなかったら、、、、そういう人生のターニング・ポイントに必ずいたのがOzoneだったのです。

そんな彼だからと言って気楽に演奏を頼むというのはお門違い。音楽に関しては真剣だからフル状態で挑む。バンドのメンバー、スクーリ(アイスランド出身)を加え3人用に作ったオリジナルとOzoneのデュオオリジナルで後半のステージをプログラム。
前半はバンドでこの時からドラムは大坂昌彦が加わった。このリサイタルほど緊張した事は無かった。狭いリサイタルホールは入り切れないほどの人で溢れ、しかもその客席にはゲイリーの姿も見える。ホールのように客席との距離があれば幾分冷静な環境があるのだけど、超至近距離に観客がいるのはなかなか落着かないものだ。でも、そういう場所にいつかは自分を追い込まないと成長しないのがこの世界。折角バークリーまで来ているのだからこの時とばかりに踏ん張ってみた。恐らく今までに一番緊張した時間だったと思う。

終演後、楽器を借してくれたゲイリーが優しく迎えてくれた。
「見ていてとても不思議な気持ちになった(当時ゲイリーとOzoneがレパートリーとしていたデュオ曲をやったので)。今夜の出来事は素晴らしく僕はとてもハッピーな気分だ」と。ゲイリーにそう言われると百万力のファイトと緊張の糸がほぐれて心地よい疲労感に包まれた。

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ニュートンの我家でお疲れさん!ステージを離れると飲んだり騒いだりダンス?したり・・・・時にはマイナス10度の真冬に我が家のガレージで車の改造をしたり、とOzoneとのボストンの思い出は尽きない。素晴らしき友人、ほんまお互い若かったです(笑)

僕の電車好きを知ってるので各国に演奏ツアーで行くとカメラで撮ってきてくれる優しい友人でもあるのです。

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きっと上はスイスで一番下はDBだからドイツね。

さあ、さらにビルドアップして次に進むゾ!
と、決意した4th Semester。1987年秋。

続く

2007/5/25

続・続・ヴィブラフォンから見たマリンバ  金曜:vibraphoneやmarimbaの為のジャズクリニック


毎週金曜日はVibraphoneやMarimbaをやっている人向けのお話し。第五十一回目の今日は先週の“続・ヴィブラフォンから見たマリンバ”の続編です。

先日から弟子界隈でも話題に上っているヴィブラフォンのマイク・マイニエリ氏率いるSTEPS AHEADの日本公演。僕は行ってませんが、珍しく弟子界隈でも賛否両論半々。日程、セット、店の雰囲気、聞いた人の気分によって大きく左右されると思うし、万人が一つのモノを好むとは限らないけど、それぞれの記憶の中に大切に残しておきましょう。何しろマイニエリ氏はジャズでは貴重なムッサー・グリップの達人。インディペンデント・グリップは音量が出ないのでジャズでは敬遠されますがマイニエリ氏はアタッチメントやシンセヴァイブを駆使してハンデを克服したイノベーター!
もっともマイニエリ氏はソロが盛り上がると両脇の二本は邪魔と見えて楽器の横に括り付けた篭に「えいや〜!」とばかりにマレットを投げ込む“マレット投げ”が一つの見ものでもあるのですが(笑)、今回はど〜よ?と聞くと「大人しく入れてました」。

STEPS AHEADは日本でデビューしたバンド。AHEAD(STEPSでデビューしたところアメリカに同名のロックバンドがいる事で急遽STEPS AHEADと改名)が付く前の“STEPS”として大々的に売り出したのは、今は無き懐かしの「六本木ピットイン」の企画だったのです。僕らが出演していた六ピ最期の時にステージに上がったピットインの店長さんの告白(?)でこの事が判明して、一番びっくりしたのは僕ら出演者でした(2004年7月13日@須藤満STEPS NIGHTのステージで)。六本木ピットインの階上にはレコーディング・スタジオがあり、そこと店を繋いで記録されたのがファンの間でも未だにSTEPSの名盤と言われる“SMOKI'N IN THE PIT”。

さて、本題に入りましょう。

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ヴィブラフォンとマリンバでちょっとデュオをやってみました、という人が「でも、何だか音がまとまらなくて・・・・」とお悩みの様子。
マレットは何を使ったの?というと今日みんながよく使っているマレットのようです。原因はそれかもしれないね、と告げた。

近年のマリンバの音は硬くなり過ぎる傾向にあるのかもしれません。
好みもあると思いますが、独奏には向いても他の楽器とのブレンドには向かないものもある、というのが僕の感触です。
メリハリが利く必要のある音楽では有効でも、他の楽器とブレンドさせる必要のある音楽では浮いてしまう。これは演奏する人の趣向やセンスに大きく左右される事です。

今回後発のアルバム第二弾のレコーディングに参加してくれた“マリンバ王子”が録音前にこんな質問をメールしてきました。

「赤松さんが描くマリンバのイメージってどんな感じですか?」

それに対する僕の答えは

「大地のように大らかで温かい。
ヴァイブとは好対照だと思ってるんだよね。
言い換えれば、ヴァイブで出来ない事がマリンバだと思うんだ」(原文のまま)

僕がヴィブラフォン専業だから見る角度の違う発言は容赦してほしいのだけど、核心は十分に伝えたと思う。

近年、自分でもヴィブラフォンの音はソリッドになり過ぎたと思い少しソフトな方向へシフトしている。その切っ掛けは随分前にスタジオで超ベテランのレコーディングエンジニアの方が言った一言かもしれない。十分心地良い音に録れてると思っていたんだけどエンジニア氏曰く「いい音です。楽器のいい音がします。でも赤松さん達の世代の音は硬いほうなんですよ」。「ええ〜ッ!ホントに?」。
超ベテランエンジニアの人は百戦錬磨。内外の大御所をたくさん録ってきた経験がある。その耳の持ち主が言うのだからね。

考えてみれば他人の生音を何時間も聞き続ける事なんて無い。他人との比較基準と言うものを本人は持ち合わせていない。大音量のバンドの中でやっていると少しでもメリハリの利くマレットに手が伸びる。少なくともPAに通りが良いマレットが残って行く。それに合わせて自分の音色に対する基準もソリッドな方向へと向かう。一度ソリッドな方向へ進むとそれが基準となり、さらにソリッドな方向へ進む。

帰って昔の録音を聞き返したら確かにソリッドな方向へと踏み出しているのがわかった。これは得るものと同時に失うものもある。



今回自分でマリンバを録音する時に短い時間ながらいろいろな試みとアイデアを。
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「大地のように大らかで温かい。ヴァイブとは好対照・・・」
自分でマリンバ王子に告げた事を実践するわけだからドジは出来ません(笑)。

近年マリンバの録音で気に入らないのがリミッター処理。どの音も押さえつけて均一にされて無表情。上手く聴こえる裏技としても魅力ある音じゃない。ならばフォルテのピークを狙うんじゃなくてピアニシモを有効に使ってダイナミクスを出せば良い。
じゃフォルテ用ではないマレットを使えばいい。

使ったのは低音域用のマレット。これで中音域の上くらいまでを常用音域として演奏すればいい。先週述べたマリンバをどの音域をメインとした楽器として扱うか、と連動してる。

次に奏法にちょっと手を加える。
通常ヴィブラフォンを演奏している時は不要な“肩”から振り下ろすストロークを必要な時に用いる(ヴィブラフォンを肩から振り下ろして叩くと表情がノッペラボウでジャズには向かない)。
マリンバは手首のスナップだけで演奏しても良い音がしない。しかし演奏上の起伏やフレーズアタックを素早く出したい時にはスナップが効果的。
より深く響かせたい時は“アーム”、素早くコントラストを付ける時は“スナップ”。

ヒントはそこにあります。

続く

2007/5/24

究極に凄い!・・・・George Russell(comp)  木曜:Jazz & Classic Library


ジョージ・ラッセル(George Russell)は今年84歳になるジャズの作曲家。屈指の理論家でもあり、1953年に発表した理論「リディアン・クロマチック・コンセプト・オブ・オーガニゼーション」はラッセルの友人だったマイルス・デイビス(tp)を始め、ジョン・コルトレーン(ts)、ビル・エバンス(p)等、当時どん詰まりにあったBe-Bopのコードチェンジ(リックによる決まりきった短いフレーズの羅列)から解き放たれて束縛されないモーダル・ジャズへの進展を促す大きな要因となった。

そればかりか、クラシックの世界で多くの謎を含んでいた12音技法や民族音階を使った現代音楽的技法(例えばバルトークを分析した学者エルネーが唱えた説よりも)の解明にも寄与し作曲家武満徹にも影響を与えている。

難しい言葉を並べるよりも、単純にラッセルの音楽を聞いてみると良いでしょう。
今夜はとにかく驚異的にワープするイカしたビッグバンド!

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『The 80th Birthday Concert/George Russell and The Living Time Orchestra』(Concept Pub/2003年録音)

もしもココにスイングおじさん(ジャズ誌スイングジャーナルの論評に登場するキャラ)がいたら、僕はメガホンを放り投げてイスから飛び上がって目をグリグリにしたスイングおじさんを書きます。こんなにエモーショナルなビッグバンドは最近聴いた事がない。

ラッセルの音楽に初めて触れて大いに触発されたのはピアニスト、ビル・エバンスの異作中の異作『Living Time/Bill Evans & George Russell』(CBS/1972年)を聴いた時でした。当時僕は高校で独学でやってきたヴィブラフォンをマリンバの基礎からみっちり修正していた頃で音楽に関してもジャズでも何にでも興味があり、少しでも自分が知らないものを吸収したくて学校のライブラリーの中にあった「見知らぬ」音楽を無心に聴き漁っていた状態で、バルトークやヒンデミット、ストラビンスキーや武満徹の音楽にどっぷりと触れた耳でジャズを聴くとジャズに欠けているもの、ジャズにしか無いもの、がより鮮明に浮かび上がって発見だったのです。そんな時子供の頃からファンだったビル・エバンスが「何処かの強面のオジサンのビッグバンドと何やってるんだろう?」(裏ジャケットの写真を見て)と気軽に買ってきたこのアルバムを聴いた時は腰を抜かしそうになった。

「不意打ち」

まさにショック。

ジャズのビッグバンドがココまでやれるとは想像もしていなかった。当時のマイルス・デイビスの音楽と共通する時代の音だったのですね。

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『Living Time/Bill Evans & George Russell』(CBS/1972年)

衝撃はそれまでまったく無関心だった大編成による演奏(僕は典型的な室内楽・コンボ型人間だった)に耳が広がり、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、ギル・エバンス、サド=メル、クラーク=ボーランといったビッグバンドのアルバムも興味を持つように。


さて、とは言うものの、ジョージ・ラッセルのアルバムはこの『Living Time』以降それほど目立った宣伝がされたわけでも無く、またビル・エバンスとの組み合わせのような話題性もなく、この衝撃がつい最近まで30年以上も鮮明に残ったままブラックホール化。
CDショップに立ち寄ると必ずラッセルのパーテーションはチェックするものの1960年代初期の再発ものばかりでその後のラッセルはどうなっているのか知らず(僕は殆どの場合アーチストの最新アルバムを買って気に入れば時代を遡る)、久し振りに覗いたらこの80歳記念コンサートに出会した。

聞きもしないで購入したのはバンド名に、あの衝撃のアルバム名、「リビング・タイム」が付けられていたから。

80歳を迎えたラッセル。
どんな爺さまになったのでしょーか。
期待と、少しの不安(ファンだから)を宥めての1曲目

ギョギョギョ〜!

いきなり静寂だぜ。

ハッハハ、見ればタイトルも“Listen to the Silence”と。
この美しさは、まるで僕のような長年御無沙汰しているファンに「君たち、ちゃんと21世紀流にやってるか?」と軽〜い先制パンチ。

アナウンスの後の曲には注目した。
ラッセルとメンバーによるラップで始まるのは明らかに“Electronic Sonata for Souls Loved by Nature”。このブログのヤン・ガルバレクの時(2007年2月1日)に紹介した1971年に発売された同名のアルバムそのものなんだけど、ココにいるのはラッセルのリビング・タイム・オーケストラ。
後ろに流れるテープ音楽は68年に制作したものと最近挿入されたと思われるものがミックスされていて面白い。時々グランジ系のミックスも混ざるなど、ラッセル、80歳とはとても思えない感性。

確かに僕らが30年以上前に聴いたベースラインの断片(シーン毎にベースパターンがリードしてゆく手法)だが、確実に今日のタイム感に変形させている。

驚いた事に、その変形されたベースパターンはやがてマイルス・デイビスの“イン・ナ・サイレント・ウェイ”のベースラインと重なり再びオリジナルの変形へと戻ってブラスを煽る。このパワフルさはあのアルバム「リビング・タイム」の今日版だ。
ライトになったリズムは難解さを過去のものとして30年前のオブラートを取り除いてくれラッセルとマイルスが友人であったという事が改めて音で確認できた。
そう、この連続演奏やサウンドはマイルスが自分で指揮していた最後のアガルダ・バンドのコンセプトそのものだ。

凄い。音楽は前向きに「わくわく」させなければ意味がない!

同オケのメンバーHiro Honshuku(fl)はバークリー時代の同期生。アメリカに残った彼等の活躍が聴けたのも大きな収穫だった。

おしまい

2007/5/23

バカウケと好物  水曜:これは好物!

今日は最近我家でバカウケした食べ物を。

時々地方の見慣れないメーカーのモノをついついソソラレて買って「ナイス!」な気分になったり「ショボ〜ン」となったりします。でも大手メーカー品と違って当てが外れてもどこか憎めなくって好きなんです。創意工夫の「結果」が現れたモノが多いのですが、時には吹き出してしまうほどバカウケしてしまう「結果」も。。。
どちらにしても、それらを買うのが好きなんだから、これも立派な好物です。

九州。
いいですねぇ。

長崎!
いいですねぇ。卓袱料理やチャンポン、皿うどん、路面電車にめがね橋。グラバー邸をはじめ異国情緒漂う街の中でも神戸や横浜、函館とは何処かが違うのは和洋折衷文化が最も日本に溶け込んだ形で残っているからでしょうね。

で、

その長崎を冠した商品を見つけちゃいました。
それがコレ
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ううん。。。。
パッケージを見ながら家人と思わず唸ってしまいました。
こうなると、予想です。
製造メーカーとの知恵比べです。
蓋を開けた光景はいかようなものか?

(1)底にスポンジのカステラが埋まっていて上はカステラ風味のアイス
(2)全編カステラ風味でプリンアイスのように底はカステラ・カラメル
(3)上と下にカラメル、サンドイッチの形で中がクリーム

ううん。。

さて、


結果は如何に!


ゲッ!
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カ、カステラが〜〜〜!


そのまんま、、、、


乗っかってるざ〜ます!

なんとベタな結果に。。。

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我々の惨敗!(予想が)

で、アイスの味は懐かしい感じで好きなんですが、どうにもこのカステラが食べる時にパサパサして一体感に欠けてしまうのです。しばらく浸しておけばよいのかとも思ったんですが、わざわざフローティングさせてるんですから、このまま食べるんでしょうねぇ。ううん。。。

まぁ、御当地名物をアピールするにはこういうインパクトもアリですね。
豆腐アイスとか(僕は絶対に食べませんが)納豆アイスとかあるもんね。
長崎らしい発想だなぁ。。。

と、

思ってパッケージを見たら!

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く、く、久留米じゃん!
福岡県だよ、このメーカー。

ううぬ、、、久留米に心当たりはいるが、、、すっかり長崎名物と勘違いしたのでした。

ううん。。。久留米め、、恐るべし(笑)。

おしまい

2007/5/22

世にも不思議な三つ又橋  火曜:街ぶら・街ネタ

先日、アルバムのマスタリングの時に訪れた音響ハウス。レコーディングスタジオとマスタリングスタジオが備わった総合施設で、古くはジャズピアニスト市川秀男さんのCMレコーディングなどのスタジオワークから最近では自分のアルバムのマスタリングで、と度々お世話になってる。

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音響ハウス/ONKIO HAUS(中央区銀座1丁目)

設立以来35年になろうとする独立系総合スタジオの老舗。

アルバム2枚分のマスタリングなので長丁場の為に途中で一区切りを兼ねて音響ハウスの近辺をブラブラウォッチング。いくら自分の音楽であるとは言えヴィブラフォンやマリンバ、ドラム等の打楽器系のアタック音を何時間も聞き続けていると耳が麻痺してくる。

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前面のスピーカーに向かってあ〜だこ〜だ、とそれを背中で軽く交す(笑)石井エンジニア

レコーディングの時は音楽の流れ中心に耳を集中させるから長時間でも聴き所は様々。ミュージシャンやスタッフと和気藹々な雰囲気の中での音のシャワーは調子が良いとあっと言う間(調子が悪いと煮詰まるけど/笑)。随時変化するから飽きないのかもしれない。でもマスタリングとなるとソコにある音を何度も聞き返しながら隅々に耳を凝らすので、順調な時はいいけど、たまに重箱の隅を突っつきひっくり返しては小言を言う小姑の気分になるようなシーンもあるのでストレスも生まれようと言うもの。毎度ながらエンジニアの石井さんに無理難題を吹っかけては宥めてもらう始末(笑)。無事に1枚目が終わって一息の時間に気分転換を兼ねて外の風に吹かれると気持ち良い。

その音響ハウスの袂には、世にも不思議な三つ又橋がある。

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日々何かと使う首都高速。やれ渋滞だ、やれ車線規制だ、車線が狭い、一体いつから無料化になるんだ、と言ってもやはりこの道無くしては生活できない。僕がこの道のお世話になり始めた頃の料金が確か均一400円。今が700円。四半世紀を過ぎた時点で物価と比較して高いか安いかと言えば、、、安くはないが高くも無い。妥当な料金という事になる。

この首都高は1964年の東京オリンピックに合わせた突貫工事によって主要な部分が開通している。当時の都電の線路の上には高速、下(地下)には地下鉄。いくつものビルが取り壊され半ば強引とも思える整備は今では考えられないが、街の真ん中に一挙に高速と地下鉄を開通させる事が出来なければ今の東京はあり得なかったのかもしれない。小学校の頃にそんな映画を見た記憶がある。テレビだったか映画館だったかは定かではないけど東京オリンピック開幕に至るドキュメンタリーだったか。
確か教育映画風の作品で何をそれで伝えようとしていたのかは判らないが僕には破壊にしか見えなかったので鮮明に覚えている。きっと逆の事を伝えたかったのだろうね。

首都高の西側(中央区側)は走っていてもクネクネしていて走り辛い。僕が東京に出て来た頃に一緒に演奏していたドラマーが「あそこ昔は川だったんだよね」と教えてくれた。彼は神田の生まれで子供の時に毎日工事現場を見ていたという。
その言葉通り中央区付近の首都高は江戸時代に作られた運河を埋め立てて作られている。なので首都高全般のランプやジャンクションには●●橋という地名が多くそこが昔は川や運河だったという事が窺い知れる。その中でも銀座近辺は土地がソコしか無かった為に運河に沿って道もクネクネ。掘割という事で一般道よりも低い所を首都高が走る。

音響ハウスのある交差点は隣りの首都高を跨ぐ橋の名前から「三吉橋」と名付けられている。
三吉橋は一見すると掘割に架かる普通の橋に見えるが、全容はこれが実に不思議な三つ又橋になっている。

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音響ハウスを背に新富町方面を望む。ココがY字の根元側。この先で左右に橋が分かれる不思議な構造。

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橋の下は首都高(三吉橋から銀座ランプ方向を望む)

どう構えてもこの不思議な三つ又橋の構図をカメラに収める事ができないのですが、橋の袂に記念碑があったのでちょっと大きめにパチリ!
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ちょうどこの図の一番下から上を向いているわけです。
築地川(右下から)がココで直角に曲がっていて(L字)、L字の先左側は運河だったそうです。首都高はそこを一直線に結んでいるのですね。そこに架かる橋が三つ又になっているのがお分かりでしょう。

もしもココに川と運河が残されていたら・・・と考えるだけでも興味深い光景で、ひょっとしたら東京の観光名所になっていたかもしれませんね。
首都高の地図で見ると今の状況がわかります。

築地川もこの先入船橋まで首都高が覆ってしまい見る影もありませんが、江戸時代の水運で栄えた名残を首都高という形が残していなかったらこんな事に気付かなかったかもしれません。
橋に歴史あり、というのは本当ですね。

おしまい



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