2007/6/29

エレクトリック・ヴィブラフォン小史 - その1  金曜:vibraphoneやmarimbaの為のジャズクリニック


週金曜日はVibraphoneやMarimbaをやっている人向けのお話し。第五十六回目の今日はヴィブラフォンやマリンバなどマレット・キーボードの進化のお話しです。

このところマレットキーボーダーの為のとある計画を遂行中です。このブログを(特にこの金曜日のコーナーを)チェキラされてる方に近々朗報をお届け出来るように頑張っていますので発表をお楽しみに。

ヴィブラフォンやマリンバは生楽器ですが、これまでの発展の過程で、エレクトリック・エフェクションとの融合を目指した時期もあります。結果的にはアコースティックとエレクトリックが両立する現状(但し、楽器としてのステータスやユーザー数はアコースティックが優勢)に至るには、数は少ないものの楽器メーカーも開発に取り組んだ時期がありました。
ここでは僕がこれまでに触れたそういうエレクトリック化に向けたいくつかのアイテムを小史としてまとめてみます。



ヴァイブが電化の兆しを見せたのは1960年代の後半、ほぼ1970年に差し掛かろうとする頃だと記憶します。
その事を知ったのは1969年1月に発売されたスイング・ジャーナルで、評論家の方達の「エレクトリック化される楽器と音楽」をテーマとした座談会。トム・スコットが新開発の電気サックス(今のピックアップ方式と違って楽器そのものを開発したもので現在のEWIの原形)を演奏している写真と共に「最近ついにヴァイブもエレクトリック化されたらしいですよ」という(誰の発言かは忘れましたが実家に本は保存しているのでいつかその事を詳しく書きます)記事でした。

当時中1で(よくもまぁ、そんな分際で毎月スイングジャーナルを購読していたものだと思いますが)新しい事には人一倍興味がありましたから、この記事が脳裏に焼き付いて、一体それがどんな音でどのような形をしているのか想像するだけでもワクワクしたものです。


それから1年。目の前(正確には耳)に現われたのが、恐らくエレキヴァイブの創成期第1号と思われるもので、それは後に師匠となるゲイリー・バートン氏のこのアルバムでした。

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『GOOD VIBES/Gary Burton』(Atlantic/1970年)
(このジャケットはLP初版のものです)

アルバム冒頭の曲でエレクトリック・エフェクターを通したファズ(Faz)サウンドのヴァイブが聴け、正に70年代の幕開けらしいサウンドでした。

同時期にマイク・マイニエリもエレキヴァイブを手掛け始めていて、フルートのジェレミー・スタイグ(スタイグのフルートもエレクトリック)との共演盤でも初期のエレクトリック・ヴァイブが聴けます。

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『JOURNEY THRU AN ELECTRIC TUBE/Mike Mainieri』(Sorlid State/1970年)
残念ながらジャケ写白黒コピー

この時代に製造メーカーも巻き込んでエレクトリック化が試された大きな理由は楽器の音量増幅が何よりも緊急課題でした。ステージでマイクを2〜3本立てて音を拾うヴィブラフォン奏者の悩みの種として上げたのが「もっと音量を容易く増幅してほしい」。
背景にはロック・ミュージックの影響からバンドのステージ上の演奏ヴォリュームは上がる一方でマイクに頼らざるを得ないヴィブラフォン奏者は大いに悩まされていたのです。

この創成期には唯一市販されたエレキヴァイブがあります。

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“Electra”Deagan社

今は無き世界のヴィブラフォン二大ブランドの一つディーガン社の「エレクトラ」。この楽器は微かに雑誌の写真で見たりスタジオ録音の音で聴いたり、キングクリムゾン等ロックバンド(一時的にロックバンドにマレット楽器が入るのが流行った時期があります)で聴こえてきたり、ですっかり忘れていたらネットでホームページを開設した10年前に後にヴァイブ協会を発足させる“N氏”からこの写真が送られて来ました。
鍵盤が細く(ナローバー)触った楽器のメンテナンスが良く無かった為に僕は良い印象はありませんが、歴史的価値のある楽器です。
持ち運びを考えてポータブルケースのような本体に足とペダルを付けるという画期的なスタイルは今も根強いファンがネットで時々取引きしているのを見掛けます。

もう一方の世界ブランド(こちらは現存)、ムッサー(Musser)社もエレクトリック・ヴァイブを開発していましたが様々な問題から市販には至りませんでした。
幻のムッサー・エレキ・ヴァイブは71年のゲイリー・バートン東京公演を収めたライブ・アルバム(国内のみ発売)にその姿が残されています。

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市販には至らなかったMusser社のエレクトリック・ヴァイブ

納められているアルバム(非CD化)
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『LIVE IN TOKYO/Gary Burton』(Atlantic/1971年)

ディーガンとムッサーのエレクトリック・ヴァイブが違うのは、ムッサーは従来のベストセラーシリーズのM55をベースにパイプを取り去り、鍵盤の直下にアコースティックギターのボディーのような空洞を作り生音を増幅(音響ホール)、鍵盤に密着させたバータイプのピックアップマイクで音を増幅するシステム。ネオ・アコースティックと呼んでもよいモデル。鍵盤を固定するフックの部分は通常のカギ型ではなくホール型。バーサスペンション・コードはそのフックのホールを通す仕組み。

実は後年バークリーに留学した時この試作品の残骸が校内の練習室にあったので詳しく調べる事が出来ました。そのアイディアは他にもいろいろと興味深いものがあり、ノウハウを生かしていつか楽器を作ってみようと思います。

この項次回に続く
→『エレクトリック・ヴィブラフォン小史 - その2』http://sun.ap.teacup.com/vibstation/473.html

2007/6/28

深く心に染み入る時・・・・・・武満徹  木曜:Jazz & Classic Library

日本の音楽シーンに、もしも武満徹が登場しなかったら、どれだけ音楽が味わいのないただの流行り廃れを追い掛けるだけのつまらない物になっていただろう。
少なくとも僕は日本の音楽に見向きもせず、海外の音楽に一生憧れて暮らす人生を歩んでいた、そんな気もします。

偉大な作曲家・武満徹が亡くなってから早くも11年の歳月が流れました。
なぜそんなに武満徹の音楽に惹かれるのか。
彼の音楽に対する難しい説明は世の中に山とありますが、僕は単純に音楽から彼の生き抜けてきた時代や背景が感じられた、と言うのを筆頭にあげます。

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『Toru Takemitsu』(Victor/1966年)

このCDはアメリカ留学中にボストンのタワレコで買ったものですが、中身は完全なる日本盤。ブックレットも日本語解説のみ。普通海外で邦盤が販売される場合は簡素化された英語表記の紹介文程度のものが添付されるのですが、一切ありません。唯一ジャケットの裏面に曲目が日本語と英語で書かれているだけで、これをこのまま海外のマーケットで販売出来るというのも武満徹がどれだけ海外で認知されていたかという事の表れかもしれませんね。

このCDの元となるのは昔ビクターから発売されていた「現代日本の音楽」シリーズで、このCDは高校の頃にLPで購入した同シリーズの「武満徹の音楽−1」「同−2」「同−3」「同−4」の中からの抜粋で構成されています。それが証拠にCDに同胞されたブックレットのライナーノーツはLPのものがそのまま流用されています。

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オリジナルLP「武満徹の音楽−1」(左)、「武満徹の音楽−4」(右)

古いLPは行方不明になったものも多いのですが、「1」と「4」は大切に実家の部屋に保管しています。購入時期が小学校から高校の頃ものはさすがに扱いが荒く針ノイズなどもありますが時々実家に帰ってはレコードを再生しデジタルメディアに保存しているのです。

さて、CDの「Toru Takemitsu」。
このアルバムには第1巻から武満徹の初期の代表作の「弦楽のためのレクイエム」と「地平線のドーリア」が収録されています。
このCDを買った動機も、高校の時にショックを受けた「弦楽のためのレクイエム」をアメリカで生活している時に聞いてみたかったからです。



F#の1音から始まり長7度上のF、その間を埋めるF#リディアンのハーモニー。これが地平線の遠くから聴こえてくるようなこの曲の冒頭は、いつ聞いても感動的でその深く暗い縁取りの序章に吸い込まれてしまいます。
高校の時はその最初の1音から始まる静寂と暗く深い縁取りに、当時騒がれていた「ノストラダムスの大予言」や「日本沈没」など、破滅的な世紀末文化に向けたアンチテーゼの始まりとオーバーラップして恐怖のどん底まで音楽で惹き込まれました。
アメリカで聞いた時は周りにあるどんなアメリカンな造形物をも飲込んでしまうブラックホールのような衝撃と東洋の日本という国の音が聴こえました。

武満徹の作品は当初日本の音楽界からは無視されていました。ある評論家に「これは音楽以前である」と初期の作品をこきおろされたりで、自分の作品に対するあまりの酷評に真っ暗な映画館で一人泣いていたという逸話さえあります。当時の音楽界は保守的な西洋かぶれ以外の何物でもなかったんでしょう。クラシック界に限らず誰も知らない未知の音を携えた者に大しては警戒の意味で拒絶姿勢を取る貧弱者に邪魔をされてしまう事が多いのです。

そのまま埋もれてしまったら、きっと人知れず消えて行くか、何処かの音楽学校で物理のような音楽講議をやって終わっていたでしょう。

でも、彼には「運」が。
有名な実話ですが、この「弦楽のためのレクイエム」(1957年作)も初演は殆ど無視に近い酷評だらけだったそうですが、2年後にその録音テープをNHKで聴いた作曲家ストラヴィンスキーの一言が一夜にして武満徹を世界の作曲家に引き上げてくれた。ストラヴィンスキーは「厳しい。実に厳しい音楽だ。このような曲をあの小柄な男が書くとは信じられない・・・」と絶賛。もしも武満の音源がその時にNHKに持ち込まれていなかったら・・・・
そう考えると音楽家は常に自分の音源を持ち周りに可能性を秘めたブレーンを持つ事の大切さを感じさせられます。武満徹の美談として取り上げられる話しですが、僕は彼の「運」をこのように解釈しています。

シリーズのオリジナルアルバムには初期の「弦楽のためのレクイエム」「地平線のドーリア」と少し時期が後になり作風にヒートアップ手法の影響がみられるソプラノ歌手と管弦楽の「環礁(Coral Island)」が納められていましたがCDではカット。素晴らしい作品でしたが歌詞が日本語だったからでしょうか。代わりに「ピアノと管弦楽のための孤-1」(1963年作)と「同-2」(1966年作)が納められています。

作曲家も演奏家と同じで時と共に新しいテーマに向かって進展して行くものですが、僕は数ある武満作品でも初期の作品に彼の生き抜いた時代の音を感じられて愛着があります。

また、そのような作品の中でもオーケストラ作品に限って言えば、若杉弘が指揮する読売日本交響楽団の演奏に惹かれます。

全てが時代背景と一致した音だからでしょうか。

このような音楽が日本から生まれた事、そしてそれと多感な時期に出会えた事。この二つに感謝しつつ、久し振りにレクイエムの深く暗い縁取りに浸ってみようと思います。
音楽は聴く時の状況によって受け方も異なりますが、どんなに時間が経っても変わらない味わいのある音楽、しかもそれが日本で生まれた音楽である事が何よりも幸福感をかもし出すのです。

おしまい

2007/6/27

九州からの京都土産?  水曜:これは好物!

先日東京にやって来た悪友?もとい、九州で大活躍のマリンバ奏者のカーコこと田代佳代子さんが「お土産だよ〜ん♪」と届けてくれたもの。

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京都銘菓『ご存じ最中』仙太郎(京都市下京区寺町通り仏光寺上る中之町)製

「Wow、Thanks!」
ってちょっと待ってよ?
なんで福岡のカーコが京都土産を持って来るんだ?うん?

カーコは僕のブログ師匠である。
夜な夜な更新される、

演奏で九州を飛び回ってはハプニング、、、
とか、

何かに感動してはすぐに号泣、、、
とか、

突然何かにハマっては大騒ぎ、、、
とか、

忙し過ぎると家事は殆ど親任せになっちゃってぇ、、、
とか、

で、
毎夜笑わせて(いや、笑ってばかりじゃないけど←危機察知)もらってるあの出来事は九州、福岡が舞台じゃなかったのか。
ムムム、ネットだと何処にいるのだか分からないから、いつの間にか京都へと逃亡してたのか?
などとクダラナイ事を考えていると「4月から長女が京都の美大に入って引っ越したのよ。2〜3日長女の所を片付けがてらに京都三昧してきた」ですと。
ううん、、さぞや長女は落ち着かなかっただろうな〜(嘘)

で、京都土産にカーコが選んでくれたのが仙太郎の『ご存じ最中』だったというわけです。(解決)

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京都らしく、蓋を開けても、つつましやかにそのお姿をなかなか見せてはくれません。

仙太郎は元々「ぼた餅」で有名な和菓子屋。
「ぼた餅」と「おはぎ」の違いって御存知でしたか?
諸説いろいろありますが、春のお彼岸に食べるのを「牡丹餅」、秋のお彼岸に食べるのを「萩の餅」と呼んだのだそうです。
やがて牡丹餅は「ぼた餅」に、萩の餅は「お萩(おはぎ)」になったんだとか。どちらも餅を餡子でくるんだ同じ食べ物ですが、仙太郎では「ぼた餅」で通しているんだとか。
ナンカ勉強になりますねぇ〜。こだわりの店に触れるとボンヤリしていた物事もスッキリとするのは、やはり歴史のせいでしょうか。

そのこだわりの店の「最中」ですから、やはりそんじょそこいらの最中とは井出達も違います。

やっとの事で取り出だしたるご本体。

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「おお!@@;」

蓋なんか閉まっとりませんゾ。
閉めるなんてぇ〜、野暮な事は元から考えていないようで、その大胆さが実に好感触。
こんもりと盛り上がってマス。

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真横から見ると、このド迫力。
小豆の一粒一粒がしっかりと存在感を示しているのですから、粋って表現も似合います。

食感はパリパリ・サクサクの種(皮)にこだわりの小豆がデ〜ンと控える。
歌舞伎ファンの店主が大見栄の「御存知弁天小僧〜!」をイメージして作ったんだとか。だから迫力満点。
普通、最中は一つじゃ満足するものではないけど、これは違う。
もう、
最中の、最中が何たるかを、一口で説得されてしまうような「威勢のよさ」。
正に脱帽モノの究極の最中です。
勿論、添加物は一切無し。賞味期限は製造から三日以内。
潔く食べて、潔く消えて行く。
そして、その印象は、いつまでも鮮明に脳裏に残るのでした。

カーコありがとう。

おしまい

2007/6/26

閉所興奮症?  火曜:街ぶら・街ネタ

閉所恐怖症という言葉はよく使われますが、スクエアに区切られた感じが好きな事を何と呼ぶのでしょう。
区切られると言っても、密閉とか窮屈という意味ではありません。

僕はなぜだか子供の頃からビルを眺めるのが好きで、今でも移動の途中なんかに目に留まるビルがあると無意識に階数なんか数えていたりします。


思い出してみると、小学校の低学年の頃は帰り道にビルの工事現場が多く、毎日その前を通るから工事の進捗状況を観察するのが好きでしたね。土地を掘り返す所くらいから観察は始まり、基礎打ち、場所によっては地下水を汲み出す所なんか興味津々でした。どこからこんなに大量の水が出てくるのだろう?とか、、
夏休みの自由課題で近所の大規模ビルの建設工事観察記を書こうとしたら、さすがに先生に止められましたが(笑)。
それだけ周りの環境が子供の好奇心には左右するのでしょう。
その内に自分の家もビルになってテナントに入ったジャズ喫茶でジャズとの出会いが音楽人生の始まりとなるのですから、まんざら音楽とも関係無さそうでもありません。(ううん。。。?)
高度成長期の申し子とは、ひょっとすると団塊の世代の人達じゃなくて、僕ら高度成長期育ちの子供かもしれませんね。

そう言えば、日本で最初の超高層ビル「霞ヶ関ビル」が出来た年に東京へ家族旅行で来た時も「後楽園コース」よりも、「夜のお江戸コース」よりも、「霞ヶ関ビル最上階からの超高層ビュー」のある“はとバスツアー”を切望して親を説き伏せました(笑)。と、言っても36階建て。今では周りの超高層ビルに埋もれてしまってますが、当時はこれ一本しか東京に高層ビルがなかったのですから、見渡す限り目立つのは東京タワーのみの絶景でした。

でも、超高層となるとちょっと見上げなければならないし、階数を数える気にもなりませんが、街のそこかしこにある10階〜20階規模のビルなら今や全国の何処にでも見掛けるので、僕と同じようなビル好きは沢山いるでしょう。

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松山市一番町 左側の建物/全日空ホテル 右側の建物/松山三越

これは実家近所の短いスカイウォークのある道筋。表通りから一歩入った所。
全国の中都市なら似たような光景がどこでも見られるでしょう。

このビルによってスクエアに区切られた空間。
かと言って超高層ビルほど威圧感が無く、程好く密接した感じ。この密接して建っている所がミソなんです。

こういう空間を歩く時は子供の頃からなぜか少し興奮するのですね。
出来ればガラス貼りなんかじゃない、コンクリート建て。
出来ればそのまま凹凸などなくスキッと壁面は一直線に空に向かって伸びていてほしい。

いいぞ、と心の中で呟きながら少し興奮しつつ歩くのです。(笑)

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ココはビルの隙間から古い洋館が見えたりもします。

こういう何でもない場所を好きな人種の事を“閉所興奮症”と呼ぶのなら、僕は正に其のモノかもしれません。立方体をいろんな角度から眺めて楽しんでいるような人はきっと僕と同じです。
成長するに従って(もちろん高校で岡山の山の中の音楽科に進学した事が大きい)自然の良さも好きになって好みは複層化していますが、僕の原点はこの「スクエア」さなんですね。少なくとも実家にいた中学までの間、そしてジャズと深夜放送に夢中になった頃は。

おしまい

2007/6/25


Kioskって全国一律のデザインだと思っていたら違うんですね。

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この間、松山に行った時に駅で買い物をして電車に乗込んだら見慣れぬロゴ?マーク?が新鮮でした。

駅構内でキヨスクの名称で立派な売店を見るのも少なくなりました。この駅のホームのキヨスクは立派な建物で自動ドア付き空調完備、東京ならそれは正に「NEWDAYS」で、レジに自分で商品を持って行くスタイル。残念ながら本来のキヨスクではありません。
キヨスクというのは最小面積のスタンドでありとあらゆる商品をうず高く積み上げ電車に飛び乗る寸前の客を相手にスピーディーにオーダーを捌いて行く名人のいる所。
ホント、店員さんは商品の値段はほぼ暗記してましたねぇ。一度に複数の客を相手にテキパキと捌いて行く様は見ていて尊敬してしまいました。その手の動きはまるで千手観音です。

東京ではキヨスクよりも同系のコンビニ化店舗「NEWDAYS」のほうが目立つし、実際に7月1日からはキヨスクはJR東日本リテールネットとなって「キオスク」に名称も変更になるとか。あの殺人的なラッシュ時のオーダーを次から次へとこなしてゆく名人技が懐かしい。団塊の世代の名職人が一斉に退職してしまって限られたスペースで効率の良い利益を上げられる店員がいなくなってしまったからだ、、という指摘もある。(なので客がレジに物を運ぶコンビニスタイルに変化)

一足先にJR九州では九州キヨスクがコンビニam/pmと合体してJR九州リテール株式会社に姿を変えています。JRに限らず福岡市営地下鉄でも店舗を展開。コンビニは「生活列車」のネーミングで親しまれている。

JR四国は四国キヨスクは健在だがキヨスクとJR四国直営の駅コンビニ「88(エイティーエイト)」が主な駅にありさらに「88」とは別に「BIG KIOSK」というコンビニ型店舗が増えつつあり複雑化しています。

JR西日本はジェイアール西日本デイリーサービスとしてキヨスク事業を軒下に納めて物品販売の体系化を進めています。さらにホテル事業も展開するなど最早キヨスクと呼べない企業になっています。

JR東海は東海キヨスクの名で一番本業に力を注いでいるように見えます。駅売店はKioskの看板を掲げ、レジ清算方式の店舗はBell martとして識別されギフト専門店やお土産専門店など、どれもキヨスクの展開形として物品販売に徹しているのが特徴。

JR北海道は北海道キヨスクがあり、JRに限らず札幌市営地下鉄にも出店。コンビニのサンクスやベーカリーのリトルマーメイドと提携して本業に専念。北海道ならではの名産通販事業も行っている。

キヨスク一本の時代のほうがわかりやすかったような気もしますが、地域毎の特色を打ち出す意味では発展的解消という方向もあるかと思います。
でも、出来れば駅の一箇所くらいは全国一律のキヨスクを残してほしいですね。
まあ、鉄道が民営化されたので無理だとは思いますが、いつも時間に余裕が持てるわけでは無いので悠長にレジに並ばなくても物品が素早く買えるサービスというのは駅には永遠に必要なサービスなのです。そこをお忘れなく!

昔の、駅の売店=KIOSKという時代は終わりつつあるようです。
それは、この国の技術の「技」の終焉とも取れ、行く末は「術」ばかり溢れて気が付けば海外ファンドに全てを持って行かれてしまう自立出来ない国の始まりか、とも危惧します。今の若いみなさんは絶対「術」よりも「技」を身につけておくべきですよ。

さて、、、


昨夜から遡るをテーマに事を考えています。
遡ると言っても、自分があるものの存在を知って、そこに飛び込んだ時点に遡るのは容易いんだけど、物事を知った過程に於いて、どのような遡り方というのが気が付かなかった人に向けた言葉として有効なのか、という事で、個人的な事に限定出来ないから悩む、、、が、これは今までに触れた事を客観的にまとめる事にもなるのでやり甲斐がある。

僕は学者でもなんでもなく、タダのヴィブラフォン奏者だから「コレ、サイコーだね!」の現状一言で済ませて、後は謎でもいいんですが(笑)、まあ、自分が過去に経験して「これはOK」「これは怪しい」と何かを基準に分別していた、その触覚についてまとめてみるのも面白いかもしれないんです。

それをどのようにまとめるか・・・・

これから三日間、その事に集中します。
タイムマシンに乗って、
遡って帰って来るまでそのくらいの時間は必要ですから(笑)

では、行って来ます!

おしまい

2007/6/24

mr.Pibb、いやDr.Pepperな頃・・・・  日記

今朝の東京の朝焼けも感動的
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まったくこの時間の空はいつもドラマチックで、ラジオのオールナイトニッポンを聞き始めた小学校6年の頃から飽きる事がありません。それも早起きをして眺めているのではなく徹夜の後に訪れる朝、この太陽が昇る寸前の僅かな時間が僕の一番好きな時間なんですね。この時間帯にジョアン・ジルベルトを聴くのが好きになったのは高校の頃から。寮生活で窓の外に広がる緑とボサノヴァが何よりもフィットしてしまうのです。

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ただ、今朝のように赤で何もかも染まってしまう時はちょっと似会いませんが・・(笑)

昨日、歯の治療を受けて熱も下がり、歯とは知らずに飲み続けた様々な薬の後遺症?も何とか治まり、ホッとして、あまり食欲も無かったので近所のベンダーで久し振りに買ったのがコレ

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『Dr.Pepper』(東京コカコーラボトリング

まず、隣人に尋ねてごらんなさい、日本の総人口の99%の人が「ゲゲッ、ズイマ!(いや、まずい)」と言います。
でもね、アメリカの炭酸清涼飲料水の元祖はコレ。ピザ屋やバーガー屋には必須アイテム。このテイストがわからなきゃ、バーガーなんか食べないほうがよい(嘘)。
僕は疲れた時に時々飲みます。

しかし、このドクター・ペッパーは僕にとってはもう一つ、別の意味で「東京の味」だったんですね。

なぜドクター・ペッパー(DrP)が東京の味かと言うと、僕らが育った地域ではmr.Pibb(ミスターピブ/MrP)という似て非なるものが販売されていて、ドクターペッパーは東京だけで売られていたのです。
1974年、当時高校2年でその後の進路をどうするかを迷っていた頃にマリンバを習いに岡山から毎月東京へ通い始めました。高校も音楽科でそのまま音大に直結していましたから別にそのままでもよかったのですが、やはり東京の空気を吸っておかない事には(特にジャズの道を考えると当時は何処にもジャズを教える大学がありませんでしたから)自分でも判断出来ないという事でマリンバの第一人者・安倍圭子氏の門を叩いたわけです。何事も学ぶなら最上の刺激を得て初めて事を知る、です。

そんな上京往復が始まった頃に、時々レッスンが延びて岡山行きの新幹線に乗り遅れる(岡山までの最終はまだあったけど岡山から先の津山線の最終が無い)事があり(当時先生の自宅のある世田谷と渋谷の間には地下鉄が無く、バスが夕方の渋滞にハマると1時間掛かる事も・・・)、午後7時過ぎに出る寝台特急「瀬戸」も満席となるとその日は急遽ホテルに泊まるわけで、そうなると夜は新宿のピットインを見たり、御茶ノ水のナルやニューポートで時間を潰して食事して寝る、という事に。
で、その時に街のあちこちのベンダーに入っていたのが、このDrP。
ホテルのテレビをつけると「ド〜ク、タ〜ァ、ペパ〜」という賑やかなコマーシャルも流れていたのでホテルへの帰りに購入。(当時街にコンビニはゼロ。高校生の夜食はマクドナルドで何か買うか、駅のキオスクが頼りだった)

部屋で飲んだ時の第一印象は・・・・・

「これ、殆どミスターピブじゃん!」

でもどこか違う。。。。

当時、関西、中国、四国、九州、他、東京と北海道以外のコカコーラボトリングから発売されていたMrP。缶の色はマルーンで、DrPのベースの色よりももう少し茶系寄りだった。僕が通った岡山の作陽のベンダーには無かった(このベンダーは瓶専用で実にコーラが旨かった)が音楽科寮の近くの店や街のベンダーにあった。
きっと何人かは心当たりがあると思うけど、コーラの早飲みとかやった同朋ならMrPに手を伸ばしたでしょう。
そこで「まずい」と思った人と「旨い」と思った人の二種類に分かれるんですが、僕はもう一つの理由でMrPを飲んでいました。

「こ、この、、、炭酸の刺激はコーラ以上に“クル〜!”」(笑)

そう、炭酸飲料の中で飛びぬけてMrPは炭酸の刺激度が高かったのです。
記憶ではその後10年くらいの内にMrPは消えてしまいましたが、なぜか夏になるとベンダーの中に入っていて、フルシーズン店頭で見かけたのは最初の2年くらいでした。今で言えば期間限定商品のハシリ?

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さて、ドクターペッパーです。
これだけはいくら地方で待っていても登場しません。なぜなら同じコカコーラの製品に似たテイストの別ブランドは必要ないからです。
正確に言えばDrPは東京コカコーラボトリングの製品、MrPは日本コカコーラボトリングの製品。日本コカコーラボトリングと言っても様々で僕が飲んでいたのは中国コカコーラボトリングや四国コカコーラボトリングが製造したMrPと言う具合に全国各地に分割されたFC会社だったわけで、その一つの東京コカコーラボトリングだけがDrPと契約してMrPとは契約しなかったという真相です。

その理由は謎ですが、テイストは明らかに違いました。

DrPよりもMrPのほうが炭酸がキツイ。
MrPよりもDrPのほうが後味は軽い。
DrPよりもMrPのほうが甘い。
MrPよりもDrpのほうがチェリー風テイストが強い。

さんざん飲み比べたので記憶は確かです。
でも、きっと「殆ど同じで、マズイ」という人が多いでしょうね(笑)
こんな微妙な事を意識して飲んでたのは・・・・僕くらいか?

今飲んでも、あの頃の味わいが残っていると感じる数少ない飲み物なんですね。
我が青春の味?
風変わりな青春・・・納得の味。

おしまい

2007/6/23

発熱の原因判明!それでも続くプロディユース道  ■Produce Notes レコーディングルポ

今週の月曜日に突然ドカ〜ンと、上がるわ上がる発熱で一時は39度近くまで上がって「コレは風邪だ〜」と丸一日静養。何ヶ月振りの休みがホントに休業になってダウン。翌日からは徐々に回復しつつスケジュールをこなすも、微熱は続き本調子では無い中を空いた時間は音符と睨めっこしたり写真やテキストと睨めっこの連続。
いつになくパソコンと向き合っている時間が増え、しかもデータ比較もあって2台同時に開いて「ふむふむ」と、まるでトレーダーのような生活が続いていました。

ミュージシャンとしてではなく、プロデューサーとしての仕事。

まず、その第一弾が遂に完成。

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『TIDE GRAPH/Toshihiro Akamatsu(8月8日発売)』(VEGA/2007年4月録音)

収録曲:
01. Iberia No.1 Evocation 02. Falling Grace 03. The Empty Prophet 04. In Your Own Sweet Way 05. Fairy Tale 1982 06. Fairy Tale 1982 - epilogue 07. Southern Funny Mockingbird 08. Versifier 09. Dear Old Stockholm 10. The Bitter Life Of Scarecrow

クラシックのアルベニス作イベリア組曲から、師匠G・バートン氏のレパートリーに初チャレンジやら、さらにジャズスタンダードのスパイスやら各メンバーのオリジナルやら、であっという間の約50分。
ヴィブラフォンとピアノのデュオは好きだけど、ず〜っと聴いてると低音が恋しくなるのよねぇ〜、な〜んておっしゃるそこのアナタ! マリンバの入ったトラックが聴こえてくるときっと「あ!納得」って思いますよ!
真夏に発売されるこのアルバムを、灼熱の午後にクーラーをキーンと効かせた部屋にゴロンと転がって外の空や雲をみながらクールドリンクなどを飲みながらリラックスして聞いてください。(←そういうのを不健康ともいう/笑)

恐らく、日本のジャズアルバムでマリンバを大胆に使った最初のアルバムになるんじゃないでしょうか。いつものユキ・アリマサ(p)とのデュオは勿論、松島美紀(mar)とのデュオ、さらに自分自身でヴィブラフォンとマリンバを弾いたセルフデュオ。ただのデュオ集じゃないところがミソ。

今回ジャケットは白ベースにしたので真ん中の写真の部分だけが浮き上がっていますが通常のCDサイズ。今回からデザイナーがササキヒトミさんに変わって前作までのデザイナークサノナオヒデくんとはまた違った印象が生まれました。続く『STREAM OF LIFE』(来年1月発売)も彼女のデザインの予定。

え?
コアなファンの方はまたまたこの造形物に興味を持たれるでしょうね。ハイ。日本に存在する風景以外は使わない主義ですから(カメラマンが/笑)これも日本の何処かにあります。
またいつか謎解きをこのブログでするまで、周りをキョロキョロしてみてください。

なにはともあれ、また話題になるジャケ写でしょう。

で、今夜もパソコンフル稼働中
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どうして?って

それはこのアルバムと深く関連したプロジェクトの作業が週明けに最終段階に入るからです。

なになに?

もう少し先で発表になりますから乞うご期待!


で、発熱の原因ですが・・・・
昨夜から急にコメカミのあたりがズキズキし、すわ眼精疲労か!(パソコンの使い過ぎによる)と思っていたんですが、そのズキズキを辿っている内に・・・

「あ!これは!もしや!!」

と、駆け込んだのは・・・

歯科医でした〜。

ううん、安曇野がもう少し近ければ火曜日くらいにはジャズ歯科医で有名な「いさつ歯科医院」に駆け込んでいたのになあ。。。

只今、ず〜っと勘違いで飲んでた風邪薬と鎮痛剤とがごっちゃになって治療の麻酔が切れてから体中で運動会が始まっています。痛みは無くなったけどね。

おしまい

2007/6/22


毎週金曜日はVibraphoneやMarimbaをやっている人向けのお話し。第五十五回目の今日はマリンバでは重宝するのにヴィブラフォンではあまり重宝されないトレモロのお話しです。

トレモロ。
きめ細やかな音粒によって連鎖された音が次々と繋がってまるで一本の糸のように聞こえる、、、、、シロフォンやマリンバで使われるトレモロを言葉で表現するとこうなりますね。

しかし、シロフォンとマリンバでトレモロは微妙に異なっていて、シロフォンはより細かいトレモロ、マリンバはやや大らかなトレモロというのが一般的なスタイルでしょう。

トレモロの効果は音を繋ぐだけではありません。
粒の一つ一つの強弱がコントロールできるのですから、そう、ストリングス・セクションやウッドウインズが得意とするクレッションドしながら音を延長させる等、幅広い効果を持ち合わせています。
それはそれで歴史的にシロフォンやマリンバが吸収してきた音楽的な素養で、クラシック音楽を演奏する場合に効果的な場合があります。

ヴィブラフォンはと言うと、、、、、、
トレモロはあまり使いません。
ペダルで音が延びるから必要がないのです。
もちろん、バックグラウンドにストリングスのような効果を得る時にはトレモロを使いますが・・・・

前にも書きましたが、トレモロは確かに鍵盤打楽器独特の効果的な奏法です。(他の楽器とは少し用途が異なっている)
しかし、ビートのある音楽などでは時にトレモロで思わぬ落とし穴があります。

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同じ音程や極近くの音程(和音)をトレモロする時はそんなに気になりませんが、オクターブのトレモロとか、それ以上の音域に跨がる和音をトレモロする時に・・・・・

「リズムの流れがハッキリと聞こえない」
という問題に直面するでしょう。

ちょっと参考になる話しを。
ヴィブラフォンでオクターブをユニゾン演奏する時にはコツがあります。

・高い音程をメインとして聞かせる場合=左右を同じ音量で演奏します

・両方をブレンドさせた音とする場合=低いほうの音程をやや強く(意識して)演奏します

これには理由があります。
音の伝わる速度との関係から、高い音ほど早く遠くに届き、低い音程ほどゆっくりと届く、という事。
そんなぁ、、、と思うでしょうが、自分の耳元に届く音圧で確かめてみて下さい。

なので、僕はマリンバでトレモロをする時に、和音として書かれてある場合は低い音程を先に(つまり左手から)演奏します。
高い音程から演奏すると、どうしても低い音程が遅れて聴こえて気持ち悪い、というのも理由で、得にコードの変わり目などは高い音程の最後の一つを抜いても十分だと考えています。
実際に録音すると和音の変わり目で高音が残る(つまり和音の変わり目がハッキリしない、次の和音と濁って汚い)確率が高く、その「1個」は必要無い事がわかります。
高い音程からトレモロを演奏している場合はもっと深刻で、和音の変わり目は低いゆったり延びた和音が次の和音と重なってどうしようもありません。もちろん最後の左手「1個」を省けば済む事なのですが、ブツ切れに聞こえるケースもあります。

そこで、トレモロで和音を弾く場合は、低い音程(左手)から始める、というのが習慣になりました。もちろん和音と和音がスラーで結ばれているような場合はこの限りではありませんが、ビートのある音楽ではサウンドの変わり目はピッタリ合わないと「何となくダレダレ〜」に聴こえてしまうので、この事を思い出してください。

ある意味で、コードを左右同時のタイミングで演奏するヴィブラフォン奏者じゃないと気がつかない秘密かもしれませんね。

音は音域によって飛ぶ速度が違う、という事からトレモロへの提唱でした。
これで明日からサウンドがガラリと変わるかもよ!


おしまい

2007/6/21

ビビビッとくるビッグバンド・・Gil EvansとMike Gibbs  木曜:Jazz & Classic Library

今月ビッグバンド(カウント・セイノウ・オーケストラ)と共演して久し振りにビッグバンドのスコアを覗いたりしてかつて学校(バークリー)でヒーヒー言いながらも期限までにスコアリングとパートを作り上げ(当時は全て手書き)滑り込みで何度も音だしをしていた頃の勘が刺激されました。ホント毎晩徹夜でした。
今なら全部Finaleでスコアを作ってクリック一つでパート譜も出来上るのだから便利な時代になったものです。

で、僕は楽器の性格上(ヴィブラフォンは通常ビッグバンドの編成には含まれない)昔からビッグバンドはそれほど聞き込んではいなかったのですが、時々に於いて注目すべきビッグバンドを好んでいました。

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『Masabumi Kikuchi + Gil Evans』(Philips/1972年)

ギル・エバンスはマイルス・デイビスとの数々の名盤でそのサウンドに子供の頃から親しんでいましたが、マイルス以外との組み合わせ、もしくはギル自身のリーダー作というのは以外と入手が困難でこのアルバムがマイルスのいないギルの初体験となりました。
これを買ったのは高校の音楽科に通っていた頃で、寮(音楽科専用のボロボロの/笑)生活だったので帰ってこれを聞いていると隣室やら上階の連中が「ナニナニ?それ」と顔を出したものです。
一応内容的にはギル・エバンスのアルバムに菊池雅章氏が加わった形、と認識していますが菊池氏のアルバムとも見てとれるタイトルです。あの、天下のギルでさえ当時(70年代半ば)の日本ではまだまだ認知度が低かったからでしょうか。

ギルはリズムセクションとソリスト以外はオーケストラの団員を使う事でも有名でした。マイルスとの共演盤でもホルン奏者としてガンサー・シュラーなどニューヨーク・フィルの団員の名前が並んでいました。ジャズとクラシックの接点を築き上げた人とも言えます。
このアルバム(国内のみ販売)でもリズムセクションとソリスト以外はN響などクラシックのメンバー(多戸幾久三/tuba 宗清洋/tb 山口浩一、高橋みち子/perc 等)が並んでおり自分の書いた譜面に忠実な表現を望んでいた事が伺い知れます。

さて、アルバム全編にフィーチャーされているのは意外にもギルが連れてきたビリー・ハーパー(ts)とマービン・ピーターソン(tp)。当時この二人は次代のホープとしてあちこちからバリバリの音が聴こえてきました。ホント、好みはあると思いますがバリバリ(笑)。

カーラ・ブレイのICTUS(実はこの曲が演奏されているので興味があって買った)、このアルバムで最もポップでカッコいい2曲目のTHOROUGBRED(この曲のオーケストレーションが僕のスコアリング初期のアイドル)、などで最後はマイルスの#11。
演奏全体はアメリカのミュージシャン二人がやたらと元気でちょっと浮いてる感じはするものの、いつになく細部まで繊細に演奏されているのでギルが描いていた事の輪郭以外の部分が明確に聞き取れます。今の軟弱化したクラシックではなく、襟もプライドも高く毅然としたクラシックの奏者(恐らくみなさん新鋭)がジャズのビッグバンドとは違ったニアンスで音を出す事によって生まれたコントラストがギルの他のアルバムでは聞けない荘厳さを感じさせます。


同時期でもう一つ

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『IN THE PUBLIC INTEREST/Mike Gibbs & Gary Burton』(Polydor/1973年)

こちらも子供の頃からゲイリー・バートンのアルバムでオリジナル曲に馴染みのあるマイク・ギブスがゲイリーと共演したビッグバンド。同じように北ドイツ交響楽団を使ってゲイリーと共演している「Seven Songs for Quartet and Chamber Orchestra」(1973年)はECMからリリースされているのに、こちらはポリドール。同じドイツでスーパーバイザーにマンフレッド・アイヒャーが関わっているのにECMのラインナップとなっていないところが興味深い。

理由は簡単。ギブスがポリドールと契約していたから(笑)。なのでオーケストラ作品のほうはゲイリー名義でECM、ビッグバンドのほうはギブス名義でポリドールという図式。
しかし、実はココにこのアルバムのとんでもない秘密が隠されているのです(と言ってるのは僕だけ?)

まず作品全体はギブス・ファンとして最高の聞き応えを保障します。当時のバートン・クァルテット(ゲイリー/vib ミック・グッドリック/g スティーヴ・スワロウ/b ハリー・ブレイザー叉はボブ・モーゼス/ds)にソリストとしてランディー・ブレッカー(tp)やマイケル・ブレッカー(ts)が加わっているのですから熱いアメリカンなサウンドが聴こえてきます。

ギブスの作品はいつもブラスセクションが作るパルスに特徴があります。
ギルとは対照的に内側からグルーブを溢れ出させる手法だと思うのです。(ギルは外側から核心を投影する作風と解釈)
ギブスを聞く時はそのパルスさえ掴めば、どんどんポップに聴こえてくるから不思議です。

往年のバートン・ナンバー「Family Joy, Oh Boy」はオリジナルメロディーのパルスをさらにアクティブに書き変えてワクワクさせてくれますが、この中盤でスワロウのベース・ソロが実にグルーヴしていてかっこいい。当時ダウンビートの人気投票でエレクトリック・ベース部門の1位常連だったのが理解出来るでしょう。それにバックで答えるモーゼスのシャープなドラミングも実にスリリング。

ところで、このアルバムのとんでもない秘密。
それは録音にあります。同時期で同じドイツ録音、同じメンバーのバートン・クァルテットがベースとなった「Seven Songs〜」とを聞き比べると、
あのECMのサウンド・エフェクトの秘密が解明されるのです。元音はこのアルバムのようなパリパリの音。それをマスタリングでレーベルの音に変化して行くのが良くわかる代表例なんですね。

おしまい

2007/6/20

いち、に、さん、し〜、ごぅ、ろく、しち。うん?  水曜:これは好物!

カンズメの大詰め(言葉としては変だけど、、、あってる)に微熱の状況で佳境が続いていますが、一休み。


先週末、自宅に戻って不在中に溜まった郵便物をチェックしていると、、、、、

おお!

友人で松本拠点に歯科医兼ヴィブラフォン奏者で活躍中の伊佐津和朗(いさつ・かずお)氏からフイのメール便が。
あ、この書き方おかしいですね、なんかキャンピングカーを使った移動式歯科医みたいです(あたらしい!かも)。松本の安曇野で歯科医を開業しつつヴィブラフォン奏者として、、が正しい。どうも今日は頭の中のコンピュータにバグがあるようで、、、

で、いつもユーモアセンスに溢れ、時にシュールでドキドキさせてくれる彼が一体何を送って来たんだろう?と、早速に開けてみると・・・


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おや?
これはもしかして・・・・

やっぱり!

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八味とうからし』(神州八味屋/ヤマキチ岩波実業・長野県諏訪市)

実は最近彼のブログで「コレにハマっている」と書いてあって興味を持っていたから正にジャストタイミング!

以前は安曇野の地のこだわり珈琲豆を送ってくれた事もあり、彼の味覚には絶大なる信頼を寄せている。
その彼がわざわざ送ってくれたのだから、よっぽどの事でこれは襟を正して食せねばならない。

しかるに、添えられたメッセージには「ごはんに振りかけて少し醤油を垂らすといと旨し」とあるゾ。
よ〜し!早速実行!

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ごはんにふりかけて・・・醤油を少し・・・っと

わお〜っ

この複雑でいてレンジ(帯域)の広い辛さは一体???
フツー三位一体(どこかの国の学級委員会みたい)とか、みんなで寄って集って一方向の「から〜い!」を演出するものだけど、これは明らかに違う。
ジャズで言えばオルタード・テンションのように深く奥行きがある(わかんないっか)。
花火で言えば、フツーの七味唐辛子が打上げ花火の「割物」(ドッカ〜ンと円形に広がるやつ)とすれば、コレは「型物」(土星とか複雑な造形になるやつ)のようにオ、オ、オ〜っと最後まで目が離せない。
辛さに広さがあるなんて、これはお初だ。
しかも時差付きで攻められるから辛味好きにはたまらない。

まったく、なんて「イケズ」なもんを送ってくるんだろう(笑)
ヤミツキになるではないか!ったく〜。

こりゃイカン、こりゃイカン、と思いつつも隣りの家人までハマって目がキラキラ(つまり辛子が御機嫌に効いているの図)。

もうやめよ、もうやめよ、と思ってもなかなか止まらないので、何かこの広がりを包み込む物は無いのか・・・と家宅捜索(オーバー)したら、



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秘策・八味とうからし味海苔巴包み

ヲウ。

これでナントカ治まる事が出来ました。ふうーっ

伊佐津くん、ありがとう!

ナニナニ?素麺に混ぜていただくもいと旨し、とも書いてあるぞ。。ヤバイよぅ、蕎麦とか想像するだけで、、、、、


おしまい



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