今日お話しするのは今年2007年1月に仲良しのまつえみちゃんと観に行ったアニメ映画『鉄コン筋クリート』について。原作はその筋ではマニアックでレアでコアな支持を得ている名作漫画で、作者は松本大洋である。なんで今頃という声も聞こえてきそうだが、原作を読んでからお話したかったのだ。しかし結局まだ読んでいない。一体いつ買いに行くのだ?全3巻が1巻にまとまったお得なオールインワンもちゃんと発売されているではないか?ううう、このままではお話できる機会がなくなると危惧し、原作についてはともかく映画についてだけでも語ろうと決めた次第である。結論から言えば、素晴らしい映画だったので。いつも思うけど、こういうのも上映期間中に迅速に記事にアップしておけばアクセスして下さる方への有意義な情報提供となるんだろうな。でもあたしってそういう広報活動的な計算がプライヴェートにおいては全く頭に働かないのよね。まぁ記事に書きたい時が書くべき時、っつう事で。
(C) 松本大洋/小学館、アニプレックス、アスミック・エース、Beyond C・電通、Tokyo MX
アニメといってもあたしは殆ど関心がないのだが、宮崎駿の作品をいくつかと、あと大友克洋原作の『AKIRA(1988年)』は好きだったな。故にそれらの原作も読んではいる。でもどう考えてもあたしはアニメファンではないっ。(と言いつつ実は知る人ぞ知る的な押井守が監督で天野喜孝がキャラクター設定をした『天使の卵(1986年)』みたいな幻想的かつ前衛的な作品もしっかり観ていて大好きだったりするのだが、それはまぁまた機会があれば。)この『鉄コン筋クリート』は、原作への評価の高さをちらほら耳にしてはいたのだが、テレビの予告編を見て絶対かっこいい作品に違いないと確信した。レトロでけばい町の空を子供が飛んでるんですからね。まつえみちゃんを誘ったところ、快諾してもらって観に行く事になった。さすがまつえみちゃんは既に原作を読んでいた!まずはざっとあらすじを。毎度の事ですが、ネタばれありますよ。ネタばらされてそれで作品を見る気がなくなるような人は最初から見なければいいんです。作品の意義や価値はストーリーの起承転結のみを知ればよいって訳ではないんだから。
・・・「ソコカラナニガミエル?」・・・
宝町(たからまち)に住む少年クロとシロは親もおらず、スパル360カスタムのポンコツをねぐらにしていた。暴力沙汰は日常茶飯事、今日も戦いを挑んできた豊町のアサとヨルをこっぴどく打ちのめすのだが、彼らから不穏な殺し屋の噂と「イタチ」の伝説について聞く。宝町では再開発の波が進み、ヤクザ「精神会」の組長は「蛇」と呼ばれる男と宝町の支配権を牛耳ろうと画策する。クロ達と仲良くやっていた若者達のグループ「アパッチ」を崩壊させるのもその一手段であった。古くからのヤクザ鈴木(「ネズミ」)はそんな「精神会」と袂を分かつが、その為「蛇」に懐柔された己の子分である木村に殺される事になる。一方「蛇」は宝町を我が物にしているクロにも殺し屋「龍」「蝶」「虎」を差し向けた。クロ達が噂に聞いた殺し屋とはこの3人の事で、ロボットのように強くて冷酷なやり方にさすがのクロも苦戦し、シロがやられて重傷を負う。シロは宝町を古くから守る人情派の刑事藤村と新人刑事の沢田に保護されるが、シロを想うクロは更に暴力的になって宝町を暴れまわり、クロから引き離されたシロは自閉性を強めていく。宝町再開発の目玉はレジャー施設「子供の城」建設であったが、「蛇」は尚も殺し屋をクロに向ける。木村は恋人の阿久津に身ごもったと知らされ、心機一転「蛇」を殺すが、木村自身も追っ手に殺される。殺し屋に襲われたクロは危ないところを「イタチ」に救われる。「イタチ」の示す闇に心の全てが飲み込まれそうになったクロをシロが不思議な力で助ける。やがてクロとシロは再会する。
原作の連載が始まったのは1993年、以降人気はぱっとしなかった筈なのだが、じわじわと評価が高まった。あたしの周囲でもちょっとゲージュツ風を吹かしたがる人なら大抵「松本大洋の『鉄コン筋クリート』はいいよ」と言っていたものだ。率直に言ってそれほど難解で抽象的な作品でもないが、その独特の雰囲気と世界観は確かにコアでディープなファンをつかみつつあった。そしてなんと10年後に正式に映画化が決まった。映画が配給されたのは更にその3年後。この作品は原作の人気がわっと出てわっと映画化されたというようなよくある経緯を踏んではいない。その分製作者側もじっくりじっくり時間と手間をかけて作った映画作品という事になる。
監督はマイケル・アリアス、制作にあたったのは田中栄子(本作のプロデューサーでもある)が率いるSTUDIO4℃。あたしはアニメや映像の世界には疎いのでぴんとこないが、アリアスはハリウッド映画『アビス』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などの映像に携わった後日本のアニメ界に飛び込んで宮崎の『もののけ姫』などに従事、以後CG(=コンピュータ・グラフィック)と手描きアニメを融合した独自のスタイルを築いたCGプログラマー。STUDIO4℃は大友克洋監督『MEMORIES(1995)』などを手がけた気鋭の映像集団。両者は日米合作『アニマトリックス(2003年)』というアニメ作品の制作で出会い、その縁で本作でタッグを組む事になった。ただしその出会い以前からアリアスも田中もそれぞれに連載中の『鉄コン筋クリート』の大ファンであったという。アリアスに至っては行く先々で知人に『鉄コン筋クリート』を映画化したいと訴え、一度も会った事さえなかった原作者松本大洋にまで映像データを送りつけて驚かせたらしい。
この作品の何がそんなに人々の(そしてあたしの)心を魅了するのか。恐らくそれはこの作品の世界観にあると思う。即ち、古いものと新しいもの、クロとシロ、大人と子供、男と女、冷酷と人情、暴力と優しさ、現実と幻想、といった対立項が互いを巻き込みあいつつそれぞれにバランスを取りながら共存し、展開していく様にあるのだ。
・・・「俺の町だ!(クロ)」・・・
アリアスが初めて原作を読んだのは1995年頃、地下鉄サリン事件の頃であったらしい。あの事件が日本の社会に与えた既存の価値観がくつがえされるような経験は、宝町の古い姿が訳の判らぬ新しいものに塗り替えられそうになる映画上の感覚の中に投影されているのかもしれない。クロ達が属すのは宝町の古い在り方であって、「ネズミ」が徘徊し、義理と人情が通用し、藤村刑事達がクロ達に手こずりながらも一方で見守り、クロが唯一心を許すホームレスの「じっちゃ」がゆるーく老人として年を取っていく、そんな世界である。「蛇」と「子供の城」は古い宝町にとっては見慣れぬもの、違和感のあるものを持ち込んだ事になる。宝町は映画ではアジア的カオス(混沌)の町として描かれている。折にふれインドネシアの影絵やインドの白い象なんかがカラフルに挿入されているのだが、原作を読んだ事のあるまつえみちゃんによると原作の宝町(原作では「たからちょう」と読む)はもうちょっと昭和的レトロな町らしい。アリアスの視点が表現されているのだろう。いずれにせよ「蛇」らが持ち込んだものにより、宝町はすっきり整備されそうになるし、義理や人情よりも力によるパワーゲームの舞台となる。気のいい「アパッチ」らの崩壊やロボットのような冷酷な殺し屋の暗躍などはその証だ。クロは宝町を「俺の町」と称して、その変化から力を尽くして守ろうとするし、藤村刑事達は「我々がこの町を」秩序正しく守らねばと奮闘する。「ネズミ」は「俺の」宝町が被る変化に背を向ける形で殺された訳だし、「蛇」に至っては己を神と見なすほどに宝町を「私の町」にしようと企んでいる。それぞれの人がそれぞれのやり方で自分のものとしての宝町と関わり合うのだ。しかも宝町には関わる人と有機的に連関するのかと思わせる不思議さもある。空を翔るクロの体に呼応する色や光や風から始まって、傷ついたシロをクロが看護する場面では黒い猫が白い猫に優しくする風景が挿入されていたり。登場人物たちのひしめき合いや呼吸さえも受け入れているような宝町。本作に設定された宝町はそれだけの懐の深さを十分感じさせる世界となっている。

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