これからの演奏会・ライブ情報  演奏会

●YouTube [Tatsuhiro Watanabe]
演奏動画などを投稿しています。
小物打楽器の音楽や、打楽器アンサンブルなど、もしよろしければご覧ください。
2

2018/7/12

少し前に漠然と考えていたこと  モブログ

人類が作り出すもので、光子より細かく且つ遠くまで長く届くようなものはない。
にもかかわらず、m単位またはcm単位の体長を持つ人類がmm単位やnm単位のようなミクロな、或いはとてつもなく細やかな繊細さを常識にしようと追い求めているような、ふとそんな事を感じてしまった。

m→cm→mm→nm

もちろん微細な世界の研究が現代の科学技術の進歩や現代人の生活に不可欠であることは理解している。
例えば、集積回路の実装密度、ヒッグス粒子をはじめとした素粒子研究や重力波の観測など宇宙の仕組み及び神の数式に関する研究、原子時計やコンピュータ・トレードなど。

しかし、その繊細さの先には何があるんだろう。
良し悪しはさておき、追求することで新たな地平が見えたり新たな技術が開発されたりすることは確かにある。
一方で、コンピュータ・トレードが投資という概念(一回り大きな単位)の価値観を破壊しつつある(ように僕は感じているのですが…)ようにも感じてしまうのだ。
世界の仕組みが密かに確実にあまりにも細かすぎることを支柱に回り始めていることで、人類は苦しむことにはならないのだろうか。

「仕事中にジュースを飲むとは如何なものか」

そのような細か過ぎる(と僕は感じる)美意識から、無色透明なドリンク類の開発が現在盛んになっていると聞く。

無色なら何でも良いのか?とツッコミを入れたくなるところはグッと堪えつつ。
閑話休題。


つまり日常世界については、もっと大らかでも良いんじゃないっスか?と感じているんです。

nm→mm→cm→m→km→光年へ、

さらに言えば、自分は「cmな人」と感じる人は、「mな人」にcmの美意識や価値観を押し付けるべきじゃないと思うし、「mm」な人に押し付けられるべきじゃないと思うのだ。

むしろ紙ヤスリみたいに、その細かさに適した世界がある訳で、みんな異なる細かさだからこそ仕事は成し遂げられると思うのだ。

相互理解だってできない訳じゃない。だって1cmは10mmなのだから。
より細かな単位を知っていて、その大切さも理解した上で、身の丈に合った単位で生活していたいものだなー。そして、必要に迫られたらダイヤルを回して多少単位を変えて動けるくらいが良いかなー、と思ってみたり。



mmな人「俺的にはここは38mmだと思うんだよね。」
cmな人「なるほどー。4cmくらいっすか?」
mmな人「2mmデカイよ!」
cmな人「なら、4cmまでやっとくので、あとの2mmお願いできますか?」
mmな人「了解。」
0

2018/5/26

Marimba effectors  モブログ

仕事と子育てに忙しくも充実した日々を過ごしておりますが、寝る前や早く目が覚めた朝などに誰に頼まれたわけでもなく楽譜を書いている。

今朝、新曲『Marimba effectors』を脱稿した。
どんなことを考えてどんな風に作曲したのか、例によって書いておこうと思う。

学生時代にWestlake作曲『Fabian Theory』を演奏して、それまでギタリストの専門分野と思っていた「エフェクター」について興味を持った。
よく自身で録音した音源を編集しているが、せいぜいEQやReverbなどを使用するだけで、その他のエフェクターは搭載していても使用することはなかったのである。

※参考:Fabian Theory
https://youtu.be/kY8BO5ql83w

一方で、倍音sのライブなどで“人力テクノ”(と呼んで差し支えがあったらゴメンナサイ)に接していたので、「エフェクター(的な効果)も人力で出来るんじゃね?」と漠然と思っていたことが下敷きにあった。

※参考:倍音s
https://youtu.be/9Ni7Wol_ar0
-----

まず、Delayはミニマル・ミュージック好きなだけあって直ぐに思いついた。そして音色の変化を味わう為にLoopも必然だと考えた。そこをスタート地点にイメージを膨らませていたら、音響卓のフェーダーをいじって鳴らしているような音楽を作ってみたくなってきて、Harmonics、Doubling、Pitchshifter、Echo、などのエフェクトと卓のフェーダーで音を抜き挿ししていく音楽をイメージして作曲をはじめた。

保育園の送り迎え、ベビーカーを押している時に鼻歌で歌ったものを楽譜にしていく感じ。
次のエフェクターに切り替わる時には音域を変えるなどの工夫を施したが、イマイチ変化に乏しい。また調性感がイメージと異なるのでは?と疑いはじめてもいた。

試しに唐突(強引)に転調してみたらしっくり来た(笑)。
調性感から自由になると、次に拍子感からも自由になった(笑笑)。

曲の終い方には悩まされたが、今書かれているフレーズは、複数のトラックの音色が混じり合ったものなのでは?(例:1〜3chの音が混じって、1stの旋律線が構成されている!)という考えから、フレーズを構成する音要素を間引きしていき、曲を閉じることにした。

右手でメインフェーダー(ベロシティ)を調整しながら、左手で各chに割り振られている音のフェーダーを落としていくイメージ。(って、伝わるかな 汗。)

-----

演奏者や聴き手にとっても、この“音響さん的な音の楽しみ”というかなりマニアックな視点は困惑するものかも知れない。

けれど未知なるモノに触れながら、或いは立ったことのない視点から“いつもの”何か、この曲においてはマリンバの音にもう一度出会ってみるのも、なかなかに面白いことなんじゃないかな?と思う今日この頃である。

(相変わらずの残念な語彙力でスミマセン。)

【DEMO】Marimba effectors
https://youtu.be/GgNGEx8U4cw
0

2018/4/16

宮古島の旅行録  

お久しぶりです。
相変わらずお仕事と子育てと音楽とでとても大忙し充実した日々を送っております。

そんな4月の最初の週末。
友人の結婚式に参列する!ということに託つけて、沖縄県宮古島へ旅行しました。
もちろん家族(1才10ヶ月の息子も一緒!)で出かけました。
旅の記録も兼ねて、当たり障りのない範囲でここに書いてみようと思います。

-----

4月6日(金)
早朝(5時台)からなぜか元気いっぱいの息子を連れて羽田空港へ。
7時台の那覇行きの飛行機に乗りました。
乗り物好きで飛行機もビデオで見ていた息子くん。実物の飛行機に大興奮!
「お手伝いが必要なお客様」(幼児連れだといろいろとケアをしてくれるサービスがあるのです!)を活用して比較的負担なく搭乗を済ませ、機内も離陸もへっちゃらで、「大好きな乗り物に乗ってしまうと眠くなる」という親思いの特性が発動し(単に朝早かったから眠かったのだと思う)、飛行中はぐっすり。母もぐっすり。
飛行機好きの僕は興奮気味に窓の外を見ておりました(笑)。
クリックすると元のサイズで表示します

那覇で乗り継ぎ。
お目覚めの息子くんは半袖に着替えて出発ロビーを走り回っておりました(笑)。
父母は交代でランチを済ませたのですが、立ち食いそば的なところの無料の水が死ぬほど美味くて感動しました。(東京の水ってま○い...)

小さな飛行機で宮古島に降り立ち、レンタカーを借りて移動開始!
まずは西松屋へ行きました(笑)。
お茶とか砂遊びセットなど息子くんグッズを購入して、隣のスーパーで地元の食材(と酒)を物色。
鮮度抜群のカツオの刺身が安く売っていたので興奮して購入。
早いところチェックインして味見しようぜ!ということになりました。

お宿は宮古島東急ホテル&リゾーツ。リゾートホテルって初めてでしたが、メッチャ良いですね。お部屋もさることながら、サービスが行き届いているので小さな子供がいても心配ないし、設備的に素晴らしい!
お天気がいまいちでしたが、部屋でカツオを食べた後は息子を連れて館内探検して遊んでました 笑。
クリックすると元のサイズで表示します

夕飯は新婦さんのお誘いで市内の「うさぎや」さんへ。
車移動だったため、市内中心部の駐車場事情はネットで予め調べておいたのですが、ネットで見かけた「市役所に停められる」は夕飯時は通用しないようで、市内をぐるぐる回ってやっと見つけたパーキングに停めました。
お酒なしの居酒屋で三線や沖縄音楽に触れていたのですが、息子くんがご機嫌斜め。
「お外(をお散歩しろ)!」と泣いてきかないので、市内をうろうろしました。
個人的には建物とか夜の空気とか味わえてそれはそれで有意義な時間でした。
お店に戻ると大泣きするので、仕方なく中座。
一足先に宿に戻ってお風呂に入って眠りました。

-----

4月7日(土)
挙式当日。雨の予報だったけれどなんとか曇り(晴れ男の面目躍如?)。
しかし寒冷前線通過に伴い、メッチャ寒い&風強い!
そんな中、大変美しいことで知られる与那覇前浜ビーチでの挙式に参列しました。
「人前式」ということでしたが、寧ろ大自然に立ち会ってもらっての挙式のように感じました。
良い式でした。お幸せに!
(フラワーシャワーが風で一瞬で飛び散ったり、大事なシーンで風が強くなったり、そう言うのも良い思い出です。)
クリックすると元のサイズで表示します

式の後は、「島の駅みやこ」へ行きお土産を買ってランチを食べ、宮古島海中公園で海中の魚たちの様子を見て、雪塩製塩所で塩のお土産を買う&隣の貝ショップで法螺貝を吹き捲くり(ジョン・ケージ「Third Construction 法螺貝大会!」みたいになってました 笑)、海の向こうの島へ行こう!って池間島へ車で渡り、ハート岩を見て、島尻のマングローブを見てホテルに帰りました。
クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します

一旦宿に戻ってから、結婚式の二次会(?)へ参加するため、市内の美琉太陽(みるてぃだ)へ。
雰囲気も良く、お料理もおいしいお店で、生演奏に適当に飛び入り参加させて頂いたりして楽しかったです。息子くんも楽しかったみたい☆
歌を歌っている方が「宮古島民謡集(記憶が曖昧ですが)」というのを譜面台に置いていたので、その本についてお話を伺うと・・・。

この本について質問を受けたのは初めてです!

とたいそう驚いておられました(ヘンな人でスミマセン 笑)。

言葉の意味もさることながら記譜についてお話を伺い、これはどこで手に入るんですか?と質問したら・・・。
「TSUTAYAです!」
というまさかの回答を得られて、非常に満足しました(笑)。
もちろん地図上でTSUTAYAの位置を確認しましたが、行くことはありませんでした。また行く機会があれば是非!


天気予報では、夜は晴れるかも...、となっていたのですが、あいにくの曇り空。
宮古の星空を見る夢は叶いませんでした。。。

-----

4月8日(日)
最終日。快晴!
クリックすると元のサイズで表示します

ウェットスーツを着て泳いでいる人が「寒い!」というくらいの陽気。
波も風も穏やかで、日向は少し暑いくらい。
こんな陽気なら、あと2日ここに居たいと思いました。
蝶が舞い、鳥の声がせわしく、波の音が穏やかで、光がきらきらで、どっちを向いても景色が美しく、息子くんも「キレイ!キレイ!」って連呼して楽しそうにしている。。。

ここは楽園だ!と思いました。

旅行や観光って、貧乏性なので下調べして効率的にいろいろ見てまわろうってしちゃうんです。
試しに公開してみますが、旅に出るときには毎度入念に調べてこんな地図を用意しているくらいなんです。



でもね、多分初めてです。
「とりあえず、この浜辺で飽きるまで遊んだりぼーっとしてても良いんじゃない?」と思ったのです。

理由は多分3つくらいあって、、、
@島がそれほど大きくないので、事前に入念にルートとかを決めなくても車で30分くらいでどこへでも行ける余裕。

A「あそこへは行きたい!」みたいな絶対的エースみたいな観光スポットが存在せず、というか島全体が観光スポットなので自分で居たい場所にいれば良い!みたいな雰囲気がある。

Bホテルで欲しいものの全て(食べ物、飲み物、冷たいもの、温かいもの、休める場所などなど)がいつでも手に入れられる状態にある。

ためだと分析しているのですが...。

時間はむなしく流れ、チェックアウトの時間を迎えました。
チェックアウト後は向かいの島・来間島にある竜宮城展望台へ。
「ここから見える海は、多分、東シナ海なんだよなー」と、日本海を見たことない僕は思ったのでした。
クリックすると元のサイズで表示します

旅の最後に、どうしても行きたかった漲水御嶽へ。
「御嶽」はその地に暮らす人さえ立ち入りを禁じられている場合もあるため、訪ねても問題のない場所を予め調べて伺いました。
逆に訪ねては行けない御嶽も調べていたので、車でその前を通過するときなど、心の中でハッとしながら旅をしていたのでしたが、この漲水御嶽は寧ろ旅行者は必ずご挨拶すべき御嶽という情報もあるくらい。

漲水御嶽の隣にある「宮古神社」に車を止め、まずはそちらを参拝。
御朱印も頂きました。
クリックすると元のサイズで表示します

そして「漲水石畳道」を通って旅の最後に「漲水御嶽」へ。
「宮古神社」の境内で走り回っていた息子くんも、なんとなくしんみりとした雰囲気で佇んでおり、かつて訪れたことのある「鳥や虫の声が聴こえなくなる」みたいなこともなく、空気がヒリヒリともピリピリともせず、ただそこにあって、だけれど確かにそこは特別な場所という雰囲気を持つ場所でした。
打楽器の師匠・有賀誠門が「行く!と決めたら行けば良い」とレッスンで言っていたことがありましたが、そんな決意も不要で「そこにいるんだから、それで良い」くらいの許容力を感じたし、だからこそ逆にそんな気持ちにさせる御嶽に神秘性を感じたりもしたのでした。

晴天のせいもあったのかもしれませんが、非常にさっぱりとした気持ちになりました。
「写真を撮らせて頂きたいと思ったけれど、やめておこうね」と夫婦で話して、ちょっと名残惜しい感じでその御嶽をあとにしました。


その後はレンタカーを返して空港へ。
僕と息子が飛行機の離発着を見るのみ夢中になって乗り遅れそうになったことは秘密です。
クリックすると元のサイズで表示します

-----

実は今まで「僕は海より山派!」とか言っていたのですが、今回の旅で海も良いなと思いました。
そこにいる人々も時間的に(?)余裕がある感じで、挨拶を交わしたり言葉を交わしたりしましたし、開放的な雰囲気がとても良いんですよね。
旅を終えて自宅に帰ってから、「また行きたいね」というよりも「次はいつ行こうか?」的な気持ちになった場所というのは初めてです。

次に家族で旅に出るのがいつになるのかは分かりません。
それが海になるのか、山になるのか、温泉になるのかも分かりません。
「今年は越後妻有トリエンナーレだな...。」とか思いますが、現時点では全くの未定です。

でも、宮古島は絶対また行きたいなと思います。
まだ宮古で星空見れてないし、宮古で泡盛飲めてないし、上陸してない島もあるし、海で泳げてないから。


日々当たり前のように送っていた日常が少し違って見えるようになるくらい、自分の価値観が変化したとても良い旅でした。

「宮古島で結婚式するから、旅行ついでにおいでよ!」と誘ってくれたYさん、本当にありがとう。
そして何より、ご結婚おめでとうございます。お幸せに☆
0

2018/3/24

『虚構再構築』のその次  モブログ

昨日、3/23に日芸打楽器アンサンブルコンサートで拙曲『虚構再構築』が再演されました。
ご来場頂きましたお客様、演奏してくれた皆さん(後輩のみんな!ありがとう!)、ご指導頂いた今泉先生・菅原先生、改めましてありがとうございました。

再演して頂けると伺ってから、改めてこの曲はどういう曲だったのだろうか?と考える機会を得ることができました。
大抵の曲は、脱稿した時までのアイデアや考えの蓄積がある意味全てで、その時点で楽曲に込められた意図や意思など、問われれば応えられるのが理想なのかもしれませんが、この『虚構再構築』に関しては、僕自身にとってもあらゆる意味で挑戦的な楽曲であったため、作曲してから4年経った今あらためて感じることの多い曲となりました。

楽曲の構造としては「演奏者が楽譜通りに塩素しても、聴き手は同じテンポ・拍子には感じられない」という趣向が成された楽曲で、それは複雑なポリリズムを仕掛けることで作ることの出来る仕掛けです。
「聴き手と演奏者のテンポ感・リズム感の非共有」というのは作曲時に意図したことであり、もっと言うと「演奏者と指揮者(が繰り出すテンポ)の非符合性」的なことまで考えて作っていました。
で、4年経って今思うのは、「誰もが自分のテンポで進めば良いんだよ!」ということを書きたかったんだろうな、ということです。

説明は不得手なのですが例を出してみましょう。
地点Aから地点Bまで、例えば駅からラーメン屋さんまで、人々が歩いていくとします。
ラーメン屋に向かう方々はそれぞれの歩幅でそれぞれのテンポで歩いていきますが、結果ラーメン屋にたどり着きます。
そう言う音楽を作りたかったんだろうなと思うんです。
さらに正確性を持って表現すると、そう言う可能性を垣間見させるような音楽を作りたかったんだろうなと思うのです。

一般的な音楽は、各々の技量や音楽性を惜しげもなく差し出して、それを一点に集めて積み上げていくことで織り上げることで音楽を組み立てていくもののように感じます。
『虚構再構築』は、全く異なるプロセスで、(=各々が各々のテンポで進み、一つ一つ積み上げて行くというベクトルではない)同じような音楽の組み立て(=構築)を見せるものだったのかも知れないなと改めて考えました。


昨日の演奏を聴いた帰り道、曲を書いていたときに漠然と考えていたことを思い出しました。
「地球が2つあって、とても接近した二重星のように存在していた場合、干潮時は重力は約2倍になるだろう。
 では満潮時に重力が0に近づいたときに想いっきりジャンプしたら、僕はこれまで立っていた地球に着地するのか。
 それとも頭上にあるもう一つの地球の引力に引かれるのか。」
この、着地点が見えないジャンプっていうのに、僕は魅せられたんだろうなと分析しています。


ぶっちゃけちゃいますと、現在『虚構再構築II』を作曲中です。
前回とはコンセプトは若干異なりますが、ある意味、コンセプトを引き継いでるのかなと思われる部分もあります。
それは「地球が3つ以上あって...」というお話なのですが、それはまたの機会にお話することにいたしましょう。
『雑-Zatsu- (虚構再構築II)』を脱稿する日があれば、ぜひお話致します。
クリックすると元のサイズで表示します
1

2018/2/28

ミニマル音楽・考  

僕がミニマル・ミュージックにのめり込むきっかけとなったのは、Steve Reichの『Sextet』を生で聴いたからだ。




この音楽はどのように構築されているのか。
当時まだ高校生だった僕はReichのCDを買い漁り、耳コピーで楽曲の成り立ちを理解していった。
当時はそのシンプルさとカッコ良さに打ちのめされて、この曲が好きだった。



尚、Reichのミニマル・ミュージックの成功例(?)として個人的に打ちのめされている音楽がある。
『Three Tales』の3.Dollyの「machine」という言葉で構築されるシーン、或いは「コピー」という言葉が無尽蔵に生成されるかのような表現シーンである。



一方で、マニアとしては当然なのかもしれないが、Reichの楽曲については次の和音や展開が、まるで演歌のそれように把握できてしまうことは「サゲの分かった落語を聴くかの如く」で、必然的に耳が演奏のクウォリティに向かってしまうところに少々残念な部分があると思っている。

-----

Steve Reichとは全く異なるベクトルのミニマル・ミュージックに出会った。
シメオン・テン・ホルトの『Canto Ostinato』である。


僕はここにミニマル音楽の新しい可能性を見た気がした。

-----

2001年に浪人生になってパソコンを買い与えられてから、いろんな曲をパソコン(ショボいフリーのMIDI作曲ソフト)で作曲をしていたが、あるとき思い出したようにミニマル・ミュージックも試作的に作曲するようになった。

大学在学中に作曲した『樹々たちの祈り』という曲も、そうした試作的な作曲活動の中から生まれた楽曲の一つである。


実はこの頃からスケッチを書いているのに1小節も書いていないミニマル・ミュージックの構想がある。
時々スケッチを見直しては手直しして、コンセプトだけは一丁前にしっかりして来ているのだが、まだ楽譜に起こそうという気が湧いていない。

『Count Down』

既に10年以上温めている楽曲である。もう、楽譜になったり音になったりすることはないのかもしれないが、個人的には自分んが聞きたい音楽の一つであることいは変わりないので、いずれ取り組みたいと考えている。

そして最近、新たにこれまでとは全く異なるアイデアが浮かんで来ている。
さて、これらは音符となり、或いは音となって空気をふるわす時が来るのだろうか。
1

2018/2/8

ゲームと現実/目的と手段  モブログ

ゲームの定義はなかなかに難しい。まして、ゲームは見る専門で全くと言って良いほどやらない自分にはメチャクチャ難しいw

かつて羽生善治さんが「将棋はゲームだ!」と仰っていたこともあるが、一般的には「立ちはだかる障害物を乗り越えて目標達成を目指すもの」と定義っていうか、そんな感じだと思う。

但し例外的なゲームもあって、例えば「シムシティ」は作者自身も「ゲーム(game)」ではなく「おもちゃ(toy)」であるとしているらしいです。つまり、手段がたくさん用意されていて、何を目指すかはプレイヤー次第だから、ということのようですが。

またエンドレスに続けられるゲームの場合、プレイヤーが独自に「獲得得点」や「クリアスピード」など、他のプレイヤーよりも優れたプレイを目指すという目的を設定することもある。(そういったプレイ動画を動画サイトで拝見するのも好きですが 笑)
シナリオのある複雑なゲームの場合、プレイ中に出くわす選択肢によってストーリーが分岐し、複数のエンディングにたどり着くというものもある。(ギャルゲーや昨今のRPGなど、かな?)
ゲームオーバー的な意味合いの強い「バッドエンド」、一応の到達点としての意味合いの強い「ハッピーエンド」や「ノーマルエンド」、そして最も到達が難しい物語の真の結末である「トゥルーエンド」などに分類できるのだろうか。

さて、なんで突然こんなゲーム話をし始めたかというと、2月6日のニュースに「メタルギアソリッドV ファントムペイン」の隠されたカットシーン(=トゥルーエンド)が突如としてアンロックされた(=見られる状況になった)が、コナミもその理由がつかめていないようだ。」というニュースに触れたからである。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180206-00000002-ignjapan-game

このゲームのことは名前くらいしか知らなかったので、まずはどんなゲームなのか。
戦術諜報アクションゲームで…、って言葉だけ見てもよく分からないのですが(笑)、大雑把にネットに接続して遊べる“戦争系ゲーム”って認識でOKでしょうか(大汗)。

で、この「トゥルーエンド」を見られるようになる状況というのが、「全プレイヤーがゲーム内最強の武器である核を捨てること」らしいんです!

ニュースによると、全員が核を捨ててトゥルーエンディングが解禁せれた訳ではないそうです。まだどうして見られるようになったのか原因は分かっていないようですが、核保有数が32bitコンピューターがカウントできる最大数(21億4748万3647)個に達したからではないかという憶測も飛び交っているそうです。
http://jp.automaton.am/articles/newsjp/20180206-62333/

このニュースに触れて衝撃を受けたのことは2つ。
一つは、「核なき世界が真のゴールである戦争ゲーム」という発想そのもの。
もう一つは、それを捨てれば真のゴールに到達できると分かっていても、人類は核を捨てないんだという事実。。。


そこから「目的と手段」についてぼやーっと考えだしてしまいました。
前述のとおり、ゲームが「立ちはだかる障害物を乗り越えて目標達成を目指すもの」だとすれば、プレイヤーは「目的達成のために手段を尽くす」ことに惹かれている訳で、ゲームはそれに叶う「立ちはだかる障害(=目的)と適度な手段」を提供しているものと思われるのです。
しかし今回の場合、一般的なゴール(ノーマルエンド?)への到達に恐らく最も有用であるだろう手段である「核」を捨てる、つまり「最有力手段を全員捨てることが最終目的」ってことになる訳です。


…えー、なんとなくなのですが、最近の現実世界に似た構造だなと思いませんか。
「核」という話で言えば、核保有国の増加や核戦略の増強など「みんな捨てられない!」って感じが似てるなと思いますし、「目的と手段」という話で言えば目の前の有力で魅力的な手段を手に入れることや、手段を所有していることが目的になってしまい、その先にあるはずの目的が見えづらいと思うことが増えた気が…。さらには「この所有する手段が正しい!」という考えが強すぎるためなのか、他の手段の検討を蔑ろにしたり、他の手段を否定・論破したり、目的はどこにあるのだろうかと思うことも増えたような…。(あれ?僕サブい事言ってる?)

※僕個人のスタンスは、「目的は一つであっても手段(=到達の仕方)は人それぞれ!」とです。念のため。



「もう、勇者しない。」というキャッチコピーを持つ【moon】というゲームを、ふと思い出したりもするのでした。



あなたは世界のために自分の持つ最強の手札を捨てられますか?
0

2018/1/8

イメージと言葉と音楽と  モブログ

僕には自分の考えやイメージを上手に伝えられるだけの語彙力がありません。
仮に何かの賞を頂けるような語彙力があったとしても、それを上手に使える自信は微塵もありませんが・・・。

とても光栄でありがたいことに、年末年始に自作曲の練習に立ち会う形で指揮をさせて頂く機会がありました。
音楽を、リハーサルを通して一つの形に作り上げるという行為に立ち会えることは作曲家冥利に尽きるだけでなく、音楽ファンであれば誰でも憧れるシーンであろうと思いますが、そういう音楽を作るリハーサルの場では、"言葉"が重要な役目を果たします。

学生の頃、「タダで僕のレッスンが受けられる!というつもりで僕が指揮するオ
ケのトラをお願いしたい!」と、僕を誘って下さった先生が練習の場でつかわれていた言葉・単語は、僕には選択できない言葉・単語が印象的に使用されていて、その言葉がもつ響きに感化されて奏でられる音楽の音色が変わっていくという貴重な経験をさせていただいたこともあって、言葉選びには気をつけているつもりなのですが...。

ボキャブラリーが乏しいんだよね!

そうして、結局のところ、音の質感を伝えたいがために、個人的にリアリティーがあるであろう言葉やイメージを伝えるのですが、なかなかうまくいかないものだな、と思ったのでした。


誰もが同じ作品を見ている訳ではない。
例えば、「今期の大河ドラマであった秀吉が明智を討ち取るときのように短時間で緊張感があって動きがダイナミックな」というような表し方は、一見具体的なようで曖昧なんですよね。
でもそういう曖昧をかき集めた方が、楽曲としては面白くなるような気もしていて...。
「唯一無二の正解」を求めるのではなく、感じるままに正解を求めて進ん
でいく在り方を、僕は美しいと感じるのだと思います。



えーっと、まだ決定!というほどでもないのですが...。
いまのところ、今月初演される新作は、僕が指揮することになりそうです...(恥)。
見に(聴きに)来て下さいまし!




クリックすると元のサイズで表示します
0

2018/1/6

2018年 新年になってた(汗)  モブログ

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

年頭にあたり抱負を・・・とも思ったのですが、いろいろ考えていたら訳が分からなくンってしまいました(笑)。
例年通り、マイペースに自分の心の動きに敏感に、知的好奇心を忘れず、人様に迷惑をなるべくかけないよう心がけていきたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

-----

年末年始は家族で僕や妻の実家、自宅など動き回っておりましたが、今になって腰を落ち着けてたまった作業などをやれるような状況になりまして(年末年始こそ忙しいって、幸せなことだけれど何なんでしょうね
笑)。

今年の目標という訳ではないのですが、勿論抱負というほどでもないのですが、インプットとアウトプットのバランスがよろしくない気がしているので、もう少しインプットを充実させていければと思っています。
またアウトプットも"蓄積"を意識したツールを選択して、それを上手に拡散していくようなスタイルを模索できればと思っています。

別に今の形・有り様に不満がある訳ではないのですが、さらさらと全てが流れていかないように、上手に楽曲だけでなく想いや考え、活動を残していければと思っております。(と言っても、全てネット依存なんですが
苦笑)

-----

年末年始に漠然と移動時間に考えていたことは、2つ。
1つは、「虚構再構築II」について。
別に誰かに作曲を頼まれた訳ではなく、でも、"虚構再構築"のスタンスというか有り様というか、その精神は絶やしてはならない!的な不思議な使命感がありまして(笑)。
なんでこんな気持ちになるのかなーと思っていたら、年明けの新聞を読んでいて気になるキーワード2つを見つけて個人的に腑に落ちました。

「雑」と「幸福」です。
「雑」は"乱雑"や"手抜き"のような、粗雑な意味でのそれではなく、"雑学"や"雑煮"のような多様なものが入り交じるという意味合いでの"雑"です。
恐らく、現代は"雑"(もちろん後
者の意味)な世界を目指す流れがあるように感じているのですが、それが何かによってブレーキをかけられているような感じがしています。そのブレーキが「幸福」なのかな?とも思いました。

「幸福」「幸せ」とは、本来、人それぞれそれを得る条件は異なるはずです。
最高の演奏を奏でた楽団の一員として本番に臨めた幸福。
有意義だと考えて取り組んでいたことが一応の形に着地した幸福。
朝起きて「おはよう」という相手がいる幸福。
他者から見て有意義かなど関係なく、自分自身が「あ、幸せだ」と感じられることが重要です。
しかし【幸福になるための5つの最低条件】みたいな、昨今のネットニュースタイトルのような見えない圧力によって、
雑であることをなぜか戒めてしまう(?)ようなことはないだろうか?と思えたのです。

今、自分が欲するもの、今自分が幸せに感じるものや事柄、それを大切にしていければと思いました。

-----

閑話休題。

で、考えていた『虚構再構築II』の根幹は「雑」になるのだろうと思いました。
複数の色がそのままに混じり合うような音楽って、複数の演奏者がそのままに混じり合うアンサンブルって、どんな音がするんだろう?
と自分は考えていたのかなと思います。


相変わらずアホで無意味なことばかり考えておりますが、それが自分なので。
そこに意味を見出して自分が面白がることが
僕の幸福なので、このままマイペースに行ってみようかと思っています。

今年は年男です。もう36歳ですよ(笑)。
多少は、自分のやっていること・やることを整理していかねばと思いましたので、HPやとっ散らかってるブログなど、そう言ったものも整理していければと思っています。


長くなりましたが、本年もよろしくお願い致します。
本年が、どなたにとっても身の丈にあったそれぞれの幸福が認め合える有意義な1年になりますように。


渡邉達弘

0

2017/12/22

12月22日 年末を感じ始める  モブログ

一体何日振りなんだろうか。家族3人が夕飯時に揃いました。
息子とお風呂に入り、温かいご飯を食べて(普段、帰りが遅いので音を立てないように温かくないご飯を食べることが多いので…)、音楽を流して踊るように寝かしつけました。

産まれてから1年くらいは、Tatiana parra & Andres Beeuwsaertの「aqui」というCDが好き(これを聴くと心穏やかになる)だったので、よく聴いていましたが、最近は息子の好みにも変化が現れた(!?)ようで…。

僕の知る限り最近は、プログレッシブ・ロックをよく聴いていました。
「YES」とか「ZAZEN BOYS」とか聴きながら抱っこしていると気持ち良さそうに寝る傾向が続いたのです。
ベースライン(オスティナート)が曲を通して変わらない感じとかが気持ちよかったのでしょうか?

何日かぶりに息子の寝かしつけの時間帯に家にいたので、プログレを流して小躍りしていたのですが寝る気配なし。
ふと思うところがあってマイケルジャクソンを流すと…。

すぐに寝ました!

僕自身の音楽視聴歴が、親から聞くところによると「プログレ」→「洋楽(マイケルジャクソン)」→「フュージョン(カシオペア)」→「Japan Domestic(小田和正・松任谷由実)」という流れだったらしいので、まさかと思ってマイケルジャクソンを聴かせてみたのですが…。

まさか、、ね(笑)。

-----

年内の音楽活動は、気がつけば納めていました。
週明けに来年初演される拙曲のリハーサルはありますが、公には仕事を既に納めてた!という感じですね。

年明けは、1月19日に「為替見!ユーロビート」をレパートリーにしている音大(一体どういうことなんでしょうか 笑。演奏もさることながら、レッスンを見てみたいっス!)さんが、チャペルで演奏して下さるそうです。

正直、意味がわかりませんw(感謝しかありませんが、為替見!をチャペルでってwww


それと、1/27に横浜美術館で初演される楽曲ですね。これはとても楽しみにしています。年末のリハーサルも非常に楽しみです。

(´-`).。oO(それ以降は特に楽譜書きの予定とか初演・再演の予定は把握してないなぁ。)※作曲依頼承ってます!

-----

息子、バナナが大好きなのですが、夜空に見えた三日月を指差して「バナナ!」と言っていました。

_人人人人人人人人人_
>?その発想はなかった<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^YY ̄

クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
0



AutoPage最新お知らせ