これからの演奏会・ライブ情報  演奏会

●YouTube [Tatsuhiro Watanabe]
演奏動画などを投稿しています。
小物打楽器の音楽や、打楽器アンサンブルなど、もしよろしければご覧ください。
2

2018/9/21

最近の頭の中  

久しぶりの日記です。
あまり小難しくならないようにとは思うのですが、最近あれこれ考えていた事をやっと多少客観的に考えられるようになったかなと、これ以上放置したら忘れ去ってしまうだろうなと思ったので、随分前からスマホで書いていたけれど投稿できなかった文章を、頑張って言語化してみます。

実際の時間より体感した時間が短く感じられたとき、その間に触れていた事象をポジティブに捉えていたと観測することができる場合、「時間の経過が短く感じられる事象は好意的に感じられる事象である」と仮定することはできないか。


いきなり言っている意味が分からないと思いますが(笑)、端的に言えば「楽しい!」とか「充実した時間を過ごした」と感じた際の時間の経過の感覚についてである。(といっても分かりにくい 苦笑)

かつてアインシュタインは言った。
「熱いストーブの上に1分間手を当ててみて下さい、まるで1時間位に感じられる。では可愛い女の子と一緒に1時間座っているとどうだろう、まるで1分間ぐらいにしか感じられない。(それが相対性です)」

熱いストーブの上に手を当てるというのは、一定期間に触れていた事象をネガティブに評価した際の時間経過の体感である。
対して可愛い女の子と一緒に過ごす時間をポジティブに評価した際の時間経過の体感だと言い表すことができる。

時間の経過をポジティブに評価できる状況を与えることが、時間の経過を実際より短く(速く)観測させる効果であると言えるならば、時間の経過を実際より短く(速く)感じされる事象は、観測者にポジティブな印象を与えるということになるのではないか。

とここ最近、考えていたのである。
(えっと、これで説明できたつもりに僕はなっていますが、大丈夫でしょうか?)


そうして改めて思うのです。
テンポを規定している「時間」とは何なのか。
音楽における時間とは何なのか。


僕は音楽が時間に縛られたものや縛られるべきものだとは思っていません。
ヒトの感覚がウェルカムならば、時の流れを忘れさせるような音楽があっていい。
というか、心を奪われるような芸術作品は大抵、時間という概念に縛られない魅力を持っているように思う。


時間。
時間とは何なのか。


今年は、特に「時間」というものについて様々な角度からアクセスを試みるような曲を書いている。

4次元人(縦・横・奥行・時間 を客観的に観測できる人)に向けた楽曲とか。
時間の流れる速さについて改めて考えた楽曲とか。

当然のことながら、時間は一定に流れていると思っています。
ただ僕が感じて(観測して)いる時間は筆圧が一定ではなくて濃淡があり、より濃い状態が良い状態とは思っておらず、その濃淡のバランスが大事だと思っています。

スゴく調子がいい日もあれば、悪い日だってある。
楽譜がスラスラ書ける日もあれば、一音も書けない日がある。
濃いと薄い、両方あるから具合がいい。

その濃淡を楽譜や音楽に表現できる技量はまだ僕にはないかも知れないけれど、今は時間について想いが濃くなっているので、この隙に時間について濃いめの何かを残せれば良いなと思って曲を書いています。

と同時に、濃淡の少ない音楽についても想いを巡らせてみたり。
作曲も考え事も濃淡のバランスかも知れません。
0

2018/8/16

近況報告  モブログ

こんばんは。
非常に珍しく「この場を暫く動けない」「陽は暮れた」「腹が減った」という条件が整ったので、勇気を出しておひとりさま夕飯をしてみました。
(珍しいのは「おひとりさま」で外食したということなのですが… 笑)※写真参照

非常にバタバタとした毎日を送っておりまして、たまたま数年前の自分の仕事(作曲)について調べなきゃ!と思ったらこのブログしか資料がなくて(苦笑)、改めて自分にとってこのブログの意義(というと大袈裟だけど)を痛感している次第です。

また自分には折木奉太郎くん(とある作品の主人公)のような「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」という要領の良さもなく、「やらなくて良いことも大いにやる。やらなければならないことは頑張ってやる!」という感じでやっておりますが、これ以上やるといろんな意味で大変なことになりそうだ…、と思ったりもする30代後半戦を勤しんでおります。


近況報告といたしまして、10月に「もんてん小学校 vol.10」の開催が決定しました。(チラシ見てね!)ありがたいことに長く続き、問題作(!?)を多数発表させていただいております。
もう小学10年生=高校1年生ですからね。(その辺は関係ないんですがw)
現在は鋭意作曲中!という感じです。


息子が生まれてから、「曲を作らなきゃ!」と思わなくても、思いついたらスケッチを書いて曲を書くように心掛けていたのですが、不思議なものでそういう時に思い浮かぶ楽曲というのは、「いや、そんな編成の曲やる人いないって!」と思うような楽曲ばかりなので困ったものです。
それでもスケッチしたものの中からいくつかのアイデアは曲に仕上げて発表できればと思っています。

のちに振り返った時ように書きますが、今スケッチしている中で最も「!?」な曲は、マリンバ十六重奏です。
『流花 - Flowers Flow Through Leonardo of Pisa -』という仮称も付けてありますので、もし未来に脱稿するようなことがあれば2018年にはスケッチ書いてたんだ!と自分が気づきますように。


閑話休題。
作曲で最近思ったことは、「何かのデータを音楽に落とし込む」「何か特別なルールを自ら定めてそのルールの中で作る」ということに自分は向いてないなぁ、と感じたことです。
前者は「音からデータに逆変換できる可能性があるかも!」と盛り上がっていた時期もありましたが、少なくとも逆変換したくなるような魅力的な変換方法を見つけることに自分は向いてないなと感じた次第です。
変換系の音楽を否定する意味ではありません。そのような手法で書かれた楽曲で好きな曲はいくつもあります。単に自分にはその素質がない!と思い知ったというだけのことです。誤解のないように。(それでも始末の悪いことに書いたり、描こうともがいたりはし続けると思いますが。)
そう言いながら先日1曲書きました。詳細はまた改めてお伝え(ここに記録)できればと思っています。

後者は「あらかじめ定めたルールが、曲を書きすすめるうちに足枷になってくる」という現象があるためです。
ルール設定が甘いのか、ルールに縛られたくないという潜在意識があるのか、書いていてふと「邪魔だな」と思う瞬間が来た時に、「ルールを守る vs 破る」ということを検討している自分がいるのです。大事な検討ですが、曲を書くために考えたルールにどこまで従うのが問題は、あまり難しく考え過ぎずに対処していくのがいいのかな?というのが現時点での考えです。


作曲はそんな感じですね。子育ては楽しくやっております。息子が可愛くて仕方のない親バカをやっております。

その他の様々なことにも、影ながら関わらせていただいております。
拙曲を多くの方に演奏していただいたり、録音・録画・ステマネなどのお手伝いをさせていただいたり、エキストラでお手伝いをさせていただくこともありました。

今週末も毎年お世話になっているバッカス・マンドリーノさんのコンサートでお世話になります。
とても楽しみです。

さて、そろそろやることやらないとね。
それではまた。

クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
0

2018/8/12

音の手ざわり  モブログ

最近、漠然とだけれど「耳が悪くなったなー」と感じている。

別に難聴とかではないし(健康診断の聴力検査も余裕でクリアしています。実は子供の頃、耳が弱くてあんまり聞こえない時期があったこともあるのですが…)、単に「経年劣化(=老化)だな。」と受け入れられる範疇なのですが、そのこと自体をちゃんと受け入れられることは一つ大事なことかなぁと思ってもいます。

あ、コレ、気のせいかも知れないです。
先日、電気屋のハイレゾ対応プレイヤーで音を聴いてその艶やかさに圧倒されたりもしたので。


ただ、音を感じることについて、耳に頼りすぎないというか、音を聴いて匂いや色を感じるように他の感覚でも補っていくことで、より色んな味わいが持てるかなー?などと考えたりしています。

僕の場合、音に「手ざわり」のようなものを感じるので、そちらの感覚を鍛えようかしら?なんて考えています。


あ、HPを更新しましたのでよろしければ確認してみてくださいまし。
よりローテクなサイトにしてみました(苦笑)。
0

2018/7/23

小さなまーるい古時計  モブログ

子供の頃、古くなった実家の増改築工事を経て、自分の部屋を手に入れたとき、親に買ってもらった掛け時計がある。
この時計は自分で選んだもので、小学生高学年〜中高生時代、さらには高校・浪人生時代まで僕に時を教えてくれた時計だ。

大学生になって一人暮らしをはじめるときも、当たり前のようにこの時計を新居に連れて行き、僕の生活の時を刻む役割を果たしてくれた。
よく友人が遊びに来る家だったので、我が家を訪れた人なら誰もが何気なくその時計を見たことだろう。

少なく見積もっても20年。長めに見積もれば25年。その時計は僕の生活と共にあった。3.11でも止まらずに、電波時計だけあって、いつも正確な時間を刻み続けていた。


何日か前、時計が止まっていることに気がついた。
電池が切れてしまったのだろう、そう思って電池を入れ替えて電波を受信し、また正確な時を刻んでくれていたのだ。


しかし今朝、彼は止まった。
電池を入れ替えても、電波を受信しようとしても、うんともすんとも言わない。寿命だろうか。
テスターがあれば回路のチェックができるのだが…。できたとして直せるのかは分からないけれど。


電波時計の寿命はあいにく存じ上げないのだが、『大きなのっぽの古時計』を時計の一生のうたと捉えて号泣したことがある自分にとって、長年連れ添った時計が止まるというのは、一つの時代が終わってしまうような、淋しい気持ちになってしまう。

もう少し直すことができないか色々やってみたいと思うが、寿命というのであれば受け入れたい、、、、と、思っている。

クリックすると元のサイズで表示します
0

2018/7/12

少し前に漠然と考えていたこと  モブログ

人類が作り出すもので、光子より細かく且つ遠くまで長く届くようなものはない。
にもかかわらず、m単位またはcm単位の体長を持つ人類がmm単位やnm単位のようなミクロな、或いはとてつもなく細やかな繊細さを常識にしようと追い求めているような、ふとそんな事を感じてしまった。

m→cm→mm→nm

もちろん微細な世界の研究が現代の科学技術の進歩や現代人の生活に不可欠であることは理解している。
例えば、集積回路の実装密度、ヒッグス粒子をはじめとした素粒子研究や重力波の観測など宇宙の仕組み及び神の数式に関する研究、原子時計やコンピュータ・トレードなど。

しかし、その繊細さの先には何があるんだろう。
良し悪しはさておき、追求することで新たな地平が見えたり新たな技術が開発されたりすることは確かにある。
一方で、コンピュータ・トレードが投資という概念(一回り大きな単位)の価値観を破壊しつつある(ように僕は感じているのですが…)ようにも感じてしまうのだ。
世界の仕組みが密かに確実にあまりにも細かすぎることを支柱に回り始めていることで、人類は苦しむことにはならないのだろうか。

「仕事中にジュースを飲むとは如何なものか」

そのような細か過ぎる(と僕は感じる)美意識から、無色透明なドリンク類の開発が現在盛んになっていると聞く。

無色なら何でも良いのか?とツッコミを入れたくなるところはグッと堪えつつ。
閑話休題。


つまり日常世界については、もっと大らかでも良いんじゃないっスか?と感じているんです。

nm→mm→cm→m→km→光年へ、

さらに言えば、自分は「cmな人」と感じる人は、「mな人」にcmの美意識や価値観を押し付けるべきじゃないと思うし、「mm」な人に押し付けられるべきじゃないと思うのだ。

むしろ紙ヤスリみたいに、その細かさに適した世界がある訳で、みんな異なる細かさだからこそ仕事は成し遂げられると思うのだ。

相互理解だってできない訳じゃない。だって1cmは10mmなのだから。
より細かな単位を知っていて、その大切さも理解した上で、身の丈に合った単位で生活していたいものだなー。そして、必要に迫られたらダイヤルを回して多少単位を変えて動けるくらいが良いかなー、と思ってみたり。



mmな人「俺的にはここは38mmだと思うんだよね。」
cmな人「なるほどー。4cmくらいっすか?」
mmな人「2mmデカイよ!」
cmな人「なら、4cmまでやっとくので、あとの2mmお願いできますか?」
mmな人「了解。」
0

2018/5/26

Marimba effectors  モブログ

仕事と子育てに忙しくも充実した日々を過ごしておりますが、寝る前や早く目が覚めた朝などに誰に頼まれたわけでもなく楽譜を書いている。

今朝、新曲『Marimba effectors』を脱稿した。
どんなことを考えてどんな風に作曲したのか、例によって書いておこうと思う。

学生時代にWestlake作曲『Fabian Theory』を演奏して、それまでギタリストの専門分野と思っていた「エフェクター」について興味を持った。
よく自身で録音した音源を編集しているが、せいぜいEQやReverbなどを使用するだけで、その他のエフェクターは搭載していても使用することはなかったのである。

※参考:Fabian Theory
https://youtu.be/kY8BO5ql83w

一方で、倍音sのライブなどで“人力テクノ”(と呼んで差し支えがあったらゴメンナサイ)に接していたので、「エフェクター(的な効果)も人力で出来るんじゃね?」と漠然と思っていたことが下敷きにあった。

※参考:倍音s
https://youtu.be/9Ni7Wol_ar0
-----

まず、Delayはミニマル・ミュージック好きなだけあって直ぐに思いついた。そして音色の変化を味わう為にLoopも必然だと考えた。そこをスタート地点にイメージを膨らませていたら、音響卓のフェーダーをいじって鳴らしているような音楽を作ってみたくなってきて、Harmonics、Doubling、Pitchshifter、Echo、などのエフェクトと卓のフェーダーで音を抜き挿ししていく音楽をイメージして作曲をはじめた。

保育園の送り迎え、ベビーカーを押している時に鼻歌で歌ったものを楽譜にしていく感じ。
次のエフェクターに切り替わる時には音域を変えるなどの工夫を施したが、イマイチ変化に乏しい。また調性感がイメージと異なるのでは?と疑いはじめてもいた。

試しに唐突(強引)に転調してみたらしっくり来た(笑)。
調性感から自由になると、次に拍子感からも自由になった(笑笑)。

曲の終い方には悩まされたが、今書かれているフレーズは、複数のトラックの音色が混じり合ったものなのでは?(例:1〜3chの音が混じって、1stの旋律線が構成されている!)という考えから、フレーズを構成する音要素を間引きしていき、曲を閉じることにした。

右手でメインフェーダー(ベロシティ)を調整しながら、左手で各chに割り振られている音のフェーダーを落としていくイメージ。(って、伝わるかな 汗。)

-----

演奏者や聴き手にとっても、この“音響さん的な音の楽しみ”というかなりマニアックな視点は困惑するものかも知れない。

けれど未知なるモノに触れながら、或いは立ったことのない視点から“いつもの”何か、この曲においてはマリンバの音にもう一度出会ってみるのも、なかなかに面白いことなんじゃないかな?と思う今日この頃である。

(相変わらずの残念な語彙力でスミマセン。)

【DEMO】Marimba effectors
https://youtu.be/GgNGEx8U4cw
0

2018/4/16

宮古島の旅行録  

お久しぶりです。
相変わらずお仕事と子育てと音楽とでとても大忙し充実した日々を送っております。

そんな4月の最初の週末。
友人の結婚式に参列する!ということに託つけて、沖縄県宮古島へ旅行しました。
もちろん家族(1才10ヶ月の息子も一緒!)で出かけました。
旅の記録も兼ねて、当たり障りのない範囲でここに書いてみようと思います。

-----

4月6日(金)
早朝(5時台)からなぜか元気いっぱいの息子を連れて羽田空港へ。
7時台の那覇行きの飛行機に乗りました。
乗り物好きで飛行機もビデオで見ていた息子くん。実物の飛行機に大興奮!
「お手伝いが必要なお客様」(幼児連れだといろいろとケアをしてくれるサービスがあるのです!)を活用して比較的負担なく搭乗を済ませ、機内も離陸もへっちゃらで、「大好きな乗り物に乗ってしまうと眠くなる」という親思いの特性が発動し(単に朝早かったから眠かったのだと思う)、飛行中はぐっすり。母もぐっすり。
飛行機好きの僕は興奮気味に窓の外を見ておりました(笑)。
クリックすると元のサイズで表示します

那覇で乗り継ぎ。
お目覚めの息子くんは半袖に着替えて出発ロビーを走り回っておりました(笑)。
父母は交代でランチを済ませたのですが、立ち食いそば的なところの無料の水が死ぬほど美味くて感動しました。(東京の水ってま○い...)

小さな飛行機で宮古島に降り立ち、レンタカーを借りて移動開始!
まずは西松屋へ行きました(笑)。
お茶とか砂遊びセットなど息子くんグッズを購入して、隣のスーパーで地元の食材(と酒)を物色。
鮮度抜群のカツオの刺身が安く売っていたので興奮して購入。
早いところチェックインして味見しようぜ!ということになりました。

お宿は宮古島東急ホテル&リゾーツ。リゾートホテルって初めてでしたが、メッチャ良いですね。お部屋もさることながら、サービスが行き届いているので小さな子供がいても心配ないし、設備的に素晴らしい!
お天気がいまいちでしたが、部屋でカツオを食べた後は息子を連れて館内探検して遊んでました 笑。
クリックすると元のサイズで表示します

夕飯は新婦さんのお誘いで市内の「うさぎや」さんへ。
車移動だったため、市内中心部の駐車場事情はネットで予め調べておいたのですが、ネットで見かけた「市役所に停められる」は夕飯時は通用しないようで、市内をぐるぐる回ってやっと見つけたパーキングに停めました。
お酒なしの居酒屋で三線や沖縄音楽に触れていたのですが、息子くんがご機嫌斜め。
「お外(をお散歩しろ)!」と泣いてきかないので、市内をうろうろしました。
個人的には建物とか夜の空気とか味わえてそれはそれで有意義な時間でした。
お店に戻ると大泣きするので、仕方なく中座。
一足先に宿に戻ってお風呂に入って眠りました。

-----

4月7日(土)
挙式当日。雨の予報だったけれどなんとか曇り(晴れ男の面目躍如?)。
しかし寒冷前線通過に伴い、メッチャ寒い&風強い!
そんな中、大変美しいことで知られる与那覇前浜ビーチでの挙式に参列しました。
「人前式」ということでしたが、寧ろ大自然に立ち会ってもらっての挙式のように感じました。
良い式でした。お幸せに!
(フラワーシャワーが風で一瞬で飛び散ったり、大事なシーンで風が強くなったり、そう言うのも良い思い出です。)
クリックすると元のサイズで表示します

式の後は、「島の駅みやこ」へ行きお土産を買ってランチを食べ、宮古島海中公園で海中の魚たちの様子を見て、雪塩製塩所で塩のお土産を買う&隣の貝ショップで法螺貝を吹き捲くり(ジョン・ケージ「Third Construction 法螺貝大会!」みたいになってました 笑)、海の向こうの島へ行こう!って池間島へ車で渡り、ハート岩を見て、島尻のマングローブを見てホテルに帰りました。
クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します

一旦宿に戻ってから、結婚式の二次会(?)へ参加するため、市内の美琉太陽(みるてぃだ)へ。
雰囲気も良く、お料理もおいしいお店で、生演奏に適当に飛び入り参加させて頂いたりして楽しかったです。息子くんも楽しかったみたい☆
歌を歌っている方が「宮古島民謡集(記憶が曖昧ですが)」というのを譜面台に置いていたので、その本についてお話を伺うと・・・。

この本について質問を受けたのは初めてです!

とたいそう驚いておられました(ヘンな人でスミマセン 笑)。

言葉の意味もさることながら記譜についてお話を伺い、これはどこで手に入るんですか?と質問したら・・・。
「TSUTAYAです!」
というまさかの回答を得られて、非常に満足しました(笑)。
もちろん地図上でTSUTAYAの位置を確認しましたが、行くことはありませんでした。また行く機会があれば是非!


天気予報では、夜は晴れるかも...、となっていたのですが、あいにくの曇り空。
宮古の星空を見る夢は叶いませんでした。。。

-----

4月8日(日)
最終日。快晴!
クリックすると元のサイズで表示します

ウェットスーツを着て泳いでいる人が「寒い!」というくらいの陽気。
波も風も穏やかで、日向は少し暑いくらい。
こんな陽気なら、あと2日ここに居たいと思いました。
蝶が舞い、鳥の声がせわしく、波の音が穏やかで、光がきらきらで、どっちを向いても景色が美しく、息子くんも「キレイ!キレイ!」って連呼して楽しそうにしている。。。

ここは楽園だ!と思いました。

旅行や観光って、貧乏性なので下調べして効率的にいろいろ見てまわろうってしちゃうんです。
試しに公開してみますが、旅に出るときには毎度入念に調べてこんな地図を用意しているくらいなんです。



でもね、多分初めてです。
「とりあえず、この浜辺で飽きるまで遊んだりぼーっとしてても良いんじゃない?」と思ったのです。

理由は多分3つくらいあって、、、
@島がそれほど大きくないので、事前に入念にルートとかを決めなくても車で30分くらいでどこへでも行ける余裕。

A「あそこへは行きたい!」みたいな絶対的エースみたいな観光スポットが存在せず、というか島全体が観光スポットなので自分で居たい場所にいれば良い!みたいな雰囲気がある。

Bホテルで欲しいものの全て(食べ物、飲み物、冷たいもの、温かいもの、休める場所などなど)がいつでも手に入れられる状態にある。

ためだと分析しているのですが...。

時間はむなしく流れ、チェックアウトの時間を迎えました。
チェックアウト後は向かいの島・来間島にある竜宮城展望台へ。
「ここから見える海は、多分、東シナ海なんだよなー」と、日本海を見たことない僕は思ったのでした。
クリックすると元のサイズで表示します

旅の最後に、どうしても行きたかった漲水御嶽へ。
「御嶽」はその地に暮らす人さえ立ち入りを禁じられている場合もあるため、訪ねても問題のない場所を予め調べて伺いました。
逆に訪ねては行けない御嶽も調べていたので、車でその前を通過するときなど、心の中でハッとしながら旅をしていたのでしたが、この漲水御嶽は寧ろ旅行者は必ずご挨拶すべき御嶽という情報もあるくらい。

漲水御嶽の隣にある「宮古神社」に車を止め、まずはそちらを参拝。
御朱印も頂きました。
クリックすると元のサイズで表示します

そして「漲水石畳道」を通って旅の最後に「漲水御嶽」へ。
「宮古神社」の境内で走り回っていた息子くんも、なんとなくしんみりとした雰囲気で佇んでおり、かつて訪れたことのある「鳥や虫の声が聴こえなくなる」みたいなこともなく、空気がヒリヒリともピリピリともせず、ただそこにあって、だけれど確かにそこは特別な場所という雰囲気を持つ場所でした。
打楽器の師匠・有賀誠門が「行く!と決めたら行けば良い」とレッスンで言っていたことがありましたが、そんな決意も不要で「そこにいるんだから、それで良い」くらいの許容力を感じたし、だからこそ逆にそんな気持ちにさせる御嶽に神秘性を感じたりもしたのでした。

晴天のせいもあったのかもしれませんが、非常にさっぱりとした気持ちになりました。
「写真を撮らせて頂きたいと思ったけれど、やめておこうね」と夫婦で話して、ちょっと名残惜しい感じでその御嶽をあとにしました。


その後はレンタカーを返して空港へ。
僕と息子が飛行機の離発着を見るのみ夢中になって乗り遅れそうになったことは秘密です。
クリックすると元のサイズで表示します

-----

実は今まで「僕は海より山派!」とか言っていたのですが、今回の旅で海も良いなと思いました。
そこにいる人々も時間的に(?)余裕がある感じで、挨拶を交わしたり言葉を交わしたりしましたし、開放的な雰囲気がとても良いんですよね。
旅を終えて自宅に帰ってから、「また行きたいね」というよりも「次はいつ行こうか?」的な気持ちになった場所というのは初めてです。

次に家族で旅に出るのがいつになるのかは分かりません。
それが海になるのか、山になるのか、温泉になるのかも分かりません。
「今年は越後妻有トリエンナーレだな...。」とか思いますが、現時点では全くの未定です。

でも、宮古島は絶対また行きたいなと思います。
まだ宮古で星空見れてないし、宮古で泡盛飲めてないし、上陸してない島もあるし、海で泳げてないから。


日々当たり前のように送っていた日常が少し違って見えるようになるくらい、自分の価値観が変化したとても良い旅でした。

「宮古島で結婚式するから、旅行ついでにおいでよ!」と誘ってくれたYさん、本当にありがとう。
そして何より、ご結婚おめでとうございます。お幸せに☆
0

2018/3/24

『虚構再構築』のその次  モブログ

昨日、3/23に日芸打楽器アンサンブルコンサートで拙曲『虚構再構築』が再演されました。
ご来場頂きましたお客様、演奏してくれた皆さん(後輩のみんな!ありがとう!)、ご指導頂いた今泉先生・菅原先生、改めましてありがとうございました。

再演して頂けると伺ってから、改めてこの曲はどういう曲だったのだろうか?と考える機会を得ることができました。
大抵の曲は、脱稿した時までのアイデアや考えの蓄積がある意味全てで、その時点で楽曲に込められた意図や意思など、問われれば応えられるのが理想なのかもしれませんが、この『虚構再構築』に関しては、僕自身にとってもあらゆる意味で挑戦的な楽曲であったため、作曲してから4年経った今あらためて感じることの多い曲となりました。

楽曲の構造としては「演奏者が楽譜通りに塩素しても、聴き手は同じテンポ・拍子には感じられない」という趣向が成された楽曲で、それは複雑なポリリズムを仕掛けることで作ることの出来る仕掛けです。
「聴き手と演奏者のテンポ感・リズム感の非共有」というのは作曲時に意図したことであり、もっと言うと「演奏者と指揮者(が繰り出すテンポ)の非符合性」的なことまで考えて作っていました。
で、4年経って今思うのは、「誰もが自分のテンポで進めば良いんだよ!」ということを書きたかったんだろうな、ということです。

説明は不得手なのですが例を出してみましょう。
地点Aから地点Bまで、例えば駅からラーメン屋さんまで、人々が歩いていくとします。
ラーメン屋に向かう方々はそれぞれの歩幅でそれぞれのテンポで歩いていきますが、結果ラーメン屋にたどり着きます。
そう言う音楽を作りたかったんだろうなと思うんです。
さらに正確性を持って表現すると、そう言う可能性を垣間見させるような音楽を作りたかったんだろうなと思うのです。

一般的な音楽は、各々の技量や音楽性を惜しげもなく差し出して、それを一点に集めて積み上げていくことで織り上げることで音楽を組み立てていくもののように感じます。
『虚構再構築』は、全く異なるプロセスで、(=各々が各々のテンポで進み、一つ一つ積み上げて行くというベクトルではない)同じような音楽の組み立て(=構築)を見せるものだったのかも知れないなと改めて考えました。


昨日の演奏を聴いた帰り道、曲を書いていたときに漠然と考えていたことを思い出しました。
「地球が2つあって、とても接近した二重星のように存在していた場合、干潮時は重力は約2倍になるだろう。
 では満潮時に重力が0に近づいたときに想いっきりジャンプしたら、僕はこれまで立っていた地球に着地するのか。
 それとも頭上にあるもう一つの地球の引力に引かれるのか。」
この、着地点が見えないジャンプっていうのに、僕は魅せられたんだろうなと分析しています。


ぶっちゃけちゃいますと、現在『虚構再構築II』を作曲中です。
前回とはコンセプトは若干異なりますが、ある意味、コンセプトを引き継いでるのかなと思われる部分もあります。
それは「地球が3つ以上あって...」というお話なのですが、それはまたの機会にお話することにいたしましょう。
『雑-Zatsu- (虚構再構築II)』を脱稿する日があれば、ぜひお話致します。
クリックすると元のサイズで表示します
1

2018/2/28

ミニマル音楽・考  

僕がミニマル・ミュージックにのめり込むきっかけとなったのは、Steve Reichの『Sextet』を生で聴いたからだ。




この音楽はどのように構築されているのか。
当時まだ高校生だった僕はReichのCDを買い漁り、耳コピーで楽曲の成り立ちを理解していった。
当時はそのシンプルさとカッコ良さに打ちのめされて、この曲が好きだった。



尚、Reichのミニマル・ミュージックの成功例(?)として個人的に打ちのめされている音楽がある。
『Three Tales』の3.Dollyの「machine」という言葉で構築されるシーン、或いは「コピー」という言葉が無尽蔵に生成されるかのような表現シーンである。



一方で、マニアとしては当然なのかもしれないが、Reichの楽曲については次の和音や展開が、まるで演歌のそれように把握できてしまうことは「サゲの分かった落語を聴くかの如く」で、必然的に耳が演奏のクウォリティに向かってしまうところに少々残念な部分があると思っている。

-----

Steve Reichとは全く異なるベクトルのミニマル・ミュージックに出会った。
シメオン・テン・ホルトの『Canto Ostinato』である。


僕はここにミニマル音楽の新しい可能性を見た気がした。

-----

2001年に浪人生になってパソコンを買い与えられてから、いろんな曲をパソコン(ショボいフリーのMIDI作曲ソフト)で作曲をしていたが、あるとき思い出したようにミニマル・ミュージックも試作的に作曲するようになった。

大学在学中に作曲した『樹々たちの祈り』という曲も、そうした試作的な作曲活動の中から生まれた楽曲の一つである。


実はこの頃からスケッチを書いているのに1小節も書いていないミニマル・ミュージックの構想がある。
時々スケッチを見直しては手直しして、コンセプトだけは一丁前にしっかりして来ているのだが、まだ楽譜に起こそうという気が湧いていない。

『Count Down』

既に10年以上温めている楽曲である。もう、楽譜になったり音になったりすることはないのかもしれないが、個人的には自分んが聞きたい音楽の一つであることいは変わりないので、いずれ取り組みたいと考えている。

そして最近、新たにこれまでとは全く異なるアイデアが浮かんで来ている。
さて、これらは音符となり、或いは音となって空気をふるわす時が来るのだろうか。
1



AutoPage最新お知らせ