2009/8/31
投稿者: さとっち サンライズ
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2009/7/28
学会に出た翌日、「大内宿 」と「塔のへつり 」に出かけた。佐野サービスエリアと那須塩原サービスエリアで休憩をいれて、11時ごろ「塔のへつり」に到着。
大川の渓谷にあり、自然の浸食による奇岩が連なっている。「へつり」とは方言で、「険しい崖」の意味で、「塔」のような形状から「塔のへつり」といわれており、それぞれ、「鷲塔岩」「鷹塔岩」「獅子」・「屋形」・「櫓」・「九輪」・「尾形」・「象」・「護摩」・「鳥烏帽子 」と名付けられている。まず展望台から写真におさめ、石段を下りて、つり橋まで行き、対岸に渡る。右手に大きな洞穴がある。左手の細い階段を上ると仏堂があり、虚空像菩薩 が祭られている。このお堂は、大同2年(807)に坂上田村麻呂が創建し宝暦3年(1753)に再建されたもの。この景勝地は、昭和18年(1943)に国指定天然記念物 に指定されている。
ついで、大内宿 へ行く。駐車場は家族連れの車であふれ、脇道に路上駐車をしている車も多い。道を渡ると車道から一段下がったところに大内宿がある。最近は見ることも少なくなった、かやぶきの民家が並んでいる。宿場としては日本で3番目に「重要伝統的建造物群保存地区 」に選ばれているが、全部が土産物店やそばを扱う飲食店で観光地化されすぎているように思われた。三澤屋の「ネギそば 」が名物で、ここに来た以上は入らねばならない。箸代わりのねぎは薬味としてかじれば、辛みが刺激となって食が進む。食後は、まず宿場の端までいってみた。道幅が広いため、人は大勢出ているが、縁日のような混雑はない。つきあたりに看板があって、急な石段を上がると神社がある。右手のわき道を進むと視界が開けて、宿場町を写真に収めるのにいい場所がある。そのあと女坂を下って、土産物屋を物色しながらあるく。復元された本陣 があり、入館。大きな建物ではない。屋根裏に養蚕をしたと思しき部屋がある。中山道の妻籠宿・馬籠宿 は坂道で道幅が狭いが、こちらは平地で大通りがあり、道の両側に旅籠が軒を連ねている。当時は人や物資の往き来で、さぞにぎやかだったに違いない。14時20分に出発。
19時ごろ、東京の自宅へ帰りついた。大内宿も、塔のへつりも、東京からは遠くないが、とはいっても行くにはタイミングが必要だ。今回は、偶然、時間がとれ、しかも晴天にも恵まれた 、
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2009/5/20
5月の振替休日を利用して、三方五湖 へでかけた。2006年の7月にも行ったが、その時は、リフトで梅丈岳山頂に上がった。山頂には、円形の野外彫刻や、めだかの池、碑のレコードに触れると五木ひろしの歌が流れる五木の園、友好の鐘、和合神社、天狗堂がある。「かわらけ」を投げると天狗が願いをかなえてくれるというので、家族連れやアベックも結構楽しんでいた。三方五湖を見下ろすような構図で写真を撮ったが、あいにくどんよりした曇天で、いい写真は撮れなかった。今回は、晴天に恵まれ、「若狭なる三方の海の浜清みいゆきかへらひ見れどあかぬかも」と万葉集にも歌われた景勝地の美を堪能できた。
昼過ぎ、三方五湖レークセンター に到着。土産を探す。福井名物で鯖のぬづけである「へしこ 」が売られていたが、これではお茶菓子にならない。結局、「羽二重餅 」など数点購入。クルーズは屋根つきのジェット船で、約50分。九九子湖 (くぐしこ)から浦見川 (掘削した川)を通り、水月湖 に出て、菅湖 から水月湖 、さらに三方湖 に入る。さらに水月湖へ戻り、浦見川を通って、九九子湖へ戻る。日向湖 (ひるが湖)は、嵯峨隧道 により水月湖とつながっているが、水路トンネルらしく、日向湖へは行かなかった。九九子湖にはマガモの群れがたくさん浮かび、しぐさがとても愛らしい。シジミの養殖やうなぎ漁がおこなわれていた。浦見川には、枡形があり、川を掘削した由来が書かれている。両岸から木々が覆いかぶさるようせり出し、木々の緑を通して陽の光が降り注ぐ。水月湖に出ると突然視野が広がる。周辺の山並みが新緑に彩られ、湖の色が映えて、湖岸の松林やロッジ・ホテルも、景色に溶け込み絵のように感じられた。
この後、気比神宮 へ行った。学生時代、東京から青春切符を使って乗り継ぎ、敦賀駅で途中下車して、歩いて来たことがあった。ここの両部鳥居は、正保2年(1645年)に建立され、春日大社・厳島神社の大鳥居に並ぶ「日本三大鳥居」の一つ といわれ、重要文化財 となっている。正面の扁額は有栖川宮威仁親王の筆になるもの。境内は閑散として人っ気がない。社務所で「健康と開運のお守り」を購入。おみくじは中吉。
穂積へ帰り着いたのは、20時頃。いい写真が撮れ、久々に満ち足りた一日を感じた。
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2009/3/23
東京目黒にある雅叙園で「平山郁夫展 at 百段階段 」という催しが、2009年2月14日(土)〜3月31日(火)までやっていることを知り出かけることにした。目黒駅から行人坂を下り徒歩3分。10時、開館と同時に、獅子とボタンが描かれ螺鈿で細工されたエレベーター に乗り3階に上がる。「百段階段」は、国の登録有形文化財 で欅の階段が99段 あり、階段の途中や上がり口に計7つの部屋 がある。各部屋の天井や欄間に絵が描かれており、色合いに年代を感じさせるが、作られた当時は、入室者の目を楽しませたことだろう。とりわけ、「漁樵の間 」は、直径2尺の床柱に漁師と樵(きこり)が彫刻されており、金の輝きが残り、過剰な美に圧倒された。平山郁夫は、シルクロードの絵で知られるが 、日本の名所についても絵葉書の図柄にあうものをたくさん描かれており、今回、それらをまとめてみることができた。そのあと、1階に戻り、1億円のトイレ を借用。トイレは、天井の枡形に絵が描かれ、赤い橋を渡ってゆくが、庭園内の離れといった風情である。結婚式場だから、この世のものとは思えないような夢のような作りにしたのだろう。売店で、「肉まん」と「あんまん」を買う。
昼を済ませてから、午後は、鳩山4代が暮らした音羽御殿 へ行く。むかし、護国寺や音羽のあたりを通って、四谷の私学にバスで通学していたから、久しぶりに講談社のビルを見て小学生のころが懐かしく思い出された。講談社ビルは昔のままだが、ビルの谷間に埋もれて目立たなくなった。護国寺の駅から歩いて、鳩山会館へ向かう。鳩山というと由紀夫や邦夫が時の人になっているが、父に当たる威一郎が外相を、祖父にあたる一郎は首相を務めている政治家ファミリーだ。政治に興味がない私にとって、鳩山といえば、和夫と秀夫になる。和夫はコロンビア大学で法学士となった後エール大学で博士となり、帰国して、教育者・政治家として名をなしたが、次男にあたる秀夫は、民法総則、物権、担保物権、債権総論。各論の体系書を書き、その弟子である我妻栄とともに、無視できない民法学者である。 もっとも40代初めに学者をやめ、弁護士や政治家に転向している。
急峻な坂を登ると平地が広がり、洋館(大正13年)が建っている。洋館の前には、バラの庭が広がる。車寄せから入り玄関の階段を上がるとホールがある。わきの応接室では、テレビで洋館の説明が行われている。この並びにさらに応接室や食堂があり、南側には張り出したサンルームがある。ホールを直進して2階に上がる階段の中段にはステンドガラスがあり、2階には、一郎、薫(一郎妻)、威一郎の展示室がある。2階の大広間は1階の応接室・食堂の上にあり、採光がよく、明るく、眺望も良い。政治家としての鳩山ファミリーに重きをおいているのか、一郎の弟にあたる秀夫に関するものは、蔵書の中にわずかにみられる程度であった。 この点がちょっと残念だ。
池袋の「たねや」で菓子を購入。今日の感動を思い起こしながら、抹茶とともにいただいた。
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