今日土曜の午前は、フィルハーモニーのトランぺッター ミッシェルがオーガナイズする孤児院の子供たちばかりを集めたオーケストラ、
Grass Root Orchestra のお披露目会に行く。
2010年の南アでのワールドカップ開催時 どこかの会場で子供たちが演奏出来たら…というのが彼の夢で2005年から活動をしている。ダーバンの6つほどの孤児院を 毎週オーケストラのプレイヤーを連れて回り、子供たちにクラシック楽器を教える。もちろん彼らはみんなボランティア。寄付金を使って 安い、それでもちょっとキッチュでかわいいカラーの楽器を中国から輸入した。
孤児院という必要最低限のものしかないような状況で生活をする子供たちに、多分一番遠いところに存在するであろう クラシック楽器というものを紹介することは 生半可な想いでは出来ないことだろう。きっと ミッシェルは、想像以上のエネルギーと体力と時間を使っているはずだ。
それを思いながら訪れた会場は、孤児院の小さなホール。外は久しぶりの快晴を通り越した 真夏日で、木陰も少ない施設内は 太陽の強い光がその殺風景さをより一層強くしていた。
演奏。子供たちの緊張した顔。それとともに分かる彼らの高揚。素晴らしいソロのフルートに、少し不安定な音をこぼすトランペットたち。大きな男の子の弾くそれ以上に大きなダブルベース。
中でも お母さんがどこからか戻って来て、一緒にヨハネスブルグに行くことになったというヴァイオリンを弾く男の子は、今日でこのオーケストラに参加する最後の日だと言う。ヴァイオリンを離れるのがつらいのか、戻って来てくれたお母さんが目の前に座って誇らしげに聴いてくれているのが幸せなのか、それとも今までのまだまだ短い、それでも色々なことがあった人生を振り返ってなのか、ヴァイオリンを弾きながら彼の目からこぼれ落ち続ける涙は、私の隣に座って聴いている他の男の子にまで飛び火して その横でこの子の肩を思わず抱いてしまった私までも涙を止めることが出来なかった。あんなにポロポロとこぼれる美しい涙の粒も初めて見た。
子供たちに楽器を与え、教えるということ。才能を見いだすことや、楽器演奏の技術を磨かせること、クラシックを草の根まで行き渡らせること、そういうこと以上に、大げさだけど この活動は日々生きていくことの意味を子供たちに与えているのではないかと思った。幸運にも習える様になった子たちにだけでなく、私の隣に座っていたような 孤児院の周りの子供たちにも何かをもたらしているのは間違いないのじゃないか、と。
さて、そして午後。
マタニティークラスで一緒だったニッキからお誘い。子供ジョシュアの2歳のパーティを開催するので是非という。ついに子供が生まれてから、私が恐れていた子供パーティのお誘いである。午後は予定もなかったし、私が想像だけから嫌悪しているこのようなパーティーが食わず嫌い的なものでないかどうかを 確かめに家族で出向く。想像通り、資本主義文化(物質主義)のかたまりのようなパーティー。
子供のテーブルには着色料がきらびやかなカラフルな甘いおかしの数々、光る星がテーブル中にまかれている。舌が真っ赤になるジュースもオリジナルのヘリコプターマーク(ヘリコプターがテーマだった)のシールつき。日頃は水かお茶か、良くてもフルーツジュースに水を半分以上も混ぜられたものしか許可されていないDは これをごくごくとあっという間に飲み干し、目の前の溢れんばかりのおかしに 次から次へと手を出し口をいっぱいにしている。庭には空気が充満されているジャンピングキャッスルに、ヘリコプター(機関車トーマスのハロルドもどき)ケーキ。ケーキには2のマークの花火が…。
これが全て私のしたくないことなのだ、まさに!
…と確信しながら、それでも出されたキンキンに冷えた白ワインが美味しく、ニッキ&ラリー夫婦のもてなし、Dが年上の男の子たちと走り回り楽しそうで、物質主義を少しだけ 本当に少しだけ 許そうとした午後だった。
でも違うなぁ、こういうの と改めて思う。
特に朝の粗末な建物での 音の揃っていない それでも一生懸命の固まりのようなエンターテイメントを経験した後は、どれだけお金をかけた どれだけ体裁のよいものでも 鈍く見えてしまうのだった。
そして、このコントラストが 南アの実情なのだということを心に刻みなおした土曜でもあった。