2009/4/9
試練の春 −全てを焼き尽くす怒り カナダ・バンフでの日々
今でこそ、にこにこ・のほほんのはっぴー女なキャラクターが定着している私ですが、思い起こせば思春期の中学・高校時代はいつもイライラしててすぐにキレておりました。え、想像できないって?私の家族に聞いてみれば、全員が一斉に「いやー、ひどかったね、あれは」と首を縦に振ることでしょう(笑)。学校や社会では、常にいけてるいい子でいたかった私は、今思えばとっても小さな世界、クラスや部活の中で上手くやろうといつも必死で自分を形にはめていたのでした。その鬱憤やストレスが、キレっぽい性質に出てきていたのでしょうね。とばっちりをうける弟たちや両親にしてみれば、いい迷惑だったことでしょう、ごめんなさい〜。
ぷっつんぷっつん、またぷっつん!よくもまあ、あれだけエネルギーがあったものだ・・。
そんな怒りの塊のような思春期時代の私が、今のへらへらのーてんき♪な大人に成長するにいたったのは、やはりハワイイ島、そしてカナダでの生活の影響が大きいと思います。ようやく本来の自分を、周りの形に合わせることなく安心してさらせる環境は、私にとって、やっと見つけた安住の地でした。
もちろんここカナダでも、日々の生活や仕事の中で、ストレスや頭にくることは日常的にありますが、何せここには山があります。ちっぽけなわだかまりや怒りなど、仕事の後や休日にクライミングに出かければ、あっという間に空の彼方。細かいことをあまり気にしない性格と、アウトドア狂の性質のおかげで、バンフでの生活が始まってから、体が熱くなるほどの怒りをほとんど味わうことがなく、今までやってきました。
なので、本当に久々にこれほどの怒りを内に抱えて、私はどうすればいいかわかりませんでした。というより、ここまでの怒りを味わったのは今までの人生で初めてでした。
若くて未熟だったときのように、家庭で発散させたり八つ当たりをするような浅ましいマネは、もうできません。あまりの怒りのすさまじさに、もう山に行けば全て忘れられるようなレベルでもありませんでした。そして、内に押し込めてどこにも向けることのできない怒りの負のエネルギーは、全て自分に還ってくるはめになったのでした。
料理することができず、何を食べても美味しくなく、仕事の昼休みにはお昼ごはんを食べることもなく、怒りを発散させるかのように、ひたすらぐるぐるとバンフの町をイノシシのように歩いていました(このとき誰にも会わなくてよかった、ほんと(笑)。
鏡の中の自分は、どすぐろい眼光をぎらぎらと光らせ、まるで別人のように見えました。
あの怒りは今までのような、めらめらと音を立てて激しく燃える赤い炎ではなく、ガスバーナーのような、あまりの高温にほとんど炎の存在が見えないような、静かで真っ青な炎だったように思います。そして押さえ込もうと必死で内に溜め込み続けたその炎は、結局自らを焼いていたのでした。
* * *
店のシフトをカバーするために、レッドロック行きの飛行機を変更し、週末は自分が働くので大丈夫だ、というメールをその夜に即マネージャーたちに送信したとき、私はこんなふうに思っていたのです。
「これでちょっとは見直してもらえるかな。ありがとう、助かったよ、と言ってもらえるかな。」
浅はかでしょうか?でもそれと同時に、自分を犠牲にすることで、自分のプライドを守ったのだということも感じていました。
だって、もうボロ雑巾扱いはたまらない。
ところが次の日も、その次の日も、そのことについては一言もなし!それどころが前述のようにちょっとした残業のことで、去ったスタッフを比較に出しながら小言を言われ、私の怒りは頂点に達しようというところでした。
「こんなくそったれな職場、今すぐ辞めてやる!もう労働ビザも移民申請も知ったことか。自分のプライドのために、自分のしあわせのために、もうこんな場所で働くのは終わりにしよう!!」そんな思いが心の中に渦巻いています。怒りが募るにつれ、一刻もはやくそれを実行に移したくてたまらなくなってきたのですが、まだかろうじて残っている冷静さが、「待て待て、お前さん。ここで怒りに任せて全て捨ててしまってどうするんだい。ここまでこれだけ我慢して頑張ってきたんじゃないか。労働ビザと移民申請の結果が出るまであと少しだろう。」と歯止めをかけてきます。
愛を否定された後、マーティンのことを考えるのも辞めてしまっていました。
しょせんは超遠距離恋愛です、この支えて欲しい時期にいない存在なら、もう考えるのも辞めよう。ヨーロッパか、カナダか、あれほど悩んでいたこのことも、今となっては二の次のことのように感じます。我ながら重症なり。
未来が読めず、心を休ませる家もなく、愛もなくし、もはや私に残っているのは真っ青な怒りの炎だけでした。
私はこのまま一体どこに行ってしまうのでしょう。
* * *
そしてレッドロックに発つ3日前の給料日、仕事を終えてオフィスで給料の小切手(ペイチェック)を開いた私は、金額の数字を見てショックに打ちのめされました。何も知らされることなく、働いた時間が削られていたのです。
怒りに震える、というのはこういうことを言うのでしょうか。
ペイチェックを握る手がじんわりと汗ばんできました。それなのに体は信じられないほど冷たいのです。
全く熱のない、冷たい冷たい怒りの炎。
3日前に電話で直接この給料期間の就業時間を聞かれて伝えているので、レイチェルが間違った可能性はありません。
削られた時間は数時間。現在の経営難は痛いほど察しているので、前もって「ごめんね、でも今週はちょっと削らせてね。」と話してくれていれば、組織の一員として何のわだかまりもなく「全然平気だよ、頑張っていこうね」と言ったことでしょう。
私が一番頭にきていることは、失った少しのお金ではありません。
私に黙って時間を削ったこと、そしてそれを私が自分でペイチェックを開けて発見するまで放っておかれたことでした。
どこまで人をコケにするんだ。私をなんだと思っているんだ。
どうしたらいいか分からなくて、そのままオフィスに突っ立っていました。
ふと気づくと、身動きもしないまま、いつの間にか1時間近くが経過し、外が暗くなっていました。
やばい、これはやばい。自分の中で何かが警告を発しています。はやくどうにかしないとこれはまずいぞ、自分。
でもどうすればいいのか分かりません。レイチェルに「どういうことだこれは、人をなんだと思っているんだ!」と怒鳴り込みたい、というのが一番に頭に浮かびましたが、あまりに怒りがすさまじいので、ひとたび顔を見て話を始めたが最後、怒りを爆発させてひどいことを言ってしまいそうな気がして、恐ろしくてたまりませんでした。
怒り狂ったときの自分がどんなに激しいか、どんなに醜いか、私はよく知っています(それなりに思春期時代から学んでおります)。レイチェルをめちゃくちゃに傷つけるようなひどいことを言うような気がしました。そして何よりも、「もうこんなとこ辞めてやる、あばよ!!」と捨てセリフを吐いてしまう可能性がとても高いと分かっていました。絶対にそれを言ってはいけない、と自分に言い聞かせる反面、もうここ1週間それを言いたくてたまらなくて仕方ないのです。
じたばた、じたばた。
怒りに支配されてはいけない。怒りに身を任せてはいけない。でも、どうしよう。どうしよう。もうこれ以上「何もなかったふり」も「納得したふりして笑顔」なんかできない、だけど私はカナダにいたい、夏をマーティンと過ごしたい・・。
* * *
SOS。
あーあ、なぜもっとはやく出せなかったのでしょうね。なぜもっとはやくに周りに助けを求めなかったのでしょうね。
それは困ったことに、きっと私の幼いころからの気質なのです。プライドであり性格なのです。
いつも頼られるかっこいい自分でいたい。助けを求めるのではなく、助けを求められる側でいたい。決して崩れることのない、強い自分でいたい・・。
そんな私は、子どものころから自分の悩みやつらさを他人に打ち明けることが、大の苦手でした。
大学を出てから少しマシになってきて、不満やグチ程度のことは友人に話すようになり、今回もマーティンとのことや、労働ビザと移民申請に関する不安は何人かの友人にビールを傾けつつ聞いてもらっていました。日本で同じ屋根の下に暮らしていたときよりも、カナダに来てからメールを通してたくさんのやりとりをするようになっていた母とも、泣きながら不安な思いを聞いてもらったりしました。「聞いてよ、母ちゃん!」
でも不安や悲しい思いが、次第に激しい怒りに変わり始めてから、その醜悪さを嫌悪し、誰にも話すことができませんでした。友人に恵まれているカナダ生活です、SOSを出せば、何を置いても真っ先に助けに来てくれるような仲間の顔が、簡単に何人も浮かびました。でも・・、
「私はのんびりのーてんきな人間のはずなのに、いつもはっぴーな人間のはずなのに。こんな恥ずかしい自分、誰にも見せられません!」
それは意地?プライド?
ここまできて、まだ自分の体裁を守りたいの?
少しは学ばないとね、助けを求めることを学ばないとね。
怒りが限界にきて、自分でどうしたらいいのか全く分からず、真っ暗なオフィスで私はついに友人の電話番号をまわしたのでした。
それはレイチェルと共通の友人である、いつも頼れる私の兄貴分、ビルの番号でした。
レイチェルのことをよく知っている彼に、全て話して泣きつきたかったのでしょう。
でも受話器の向こうに聞こえてきたのは、留守番電話の応答メッセージでした。
* * *
後になって、このとき家にいなくて私を助けることができなかったことをビルはすごく悔いていたのですが、私はこれはとても幸運だったと思っています。
もしこのとき彼の声を聴いていたら「もう聞いてよ、レイチェルってばさ・・。もう我慢できないよ!」と人間として恥ずべき、ひどいことをたくさん言ってしまったと思うのです。お〜、恥ずかしや・・。
でもこのときは、留守番電話にがっかりして、それ以上失望するのが嫌で、他の友人に電話をかけるのは辞めました。そしてもう一人のマネージャー、キャシーに電話をしました。
「あのね、こんなことになっているんだけど、どうしてだと思う?私もう限界なんだけど、ものすごい怒っているんだけど、どうしたらいいかわからないの。どうしよう・・。」
「レイチェルと直接話したほうがいいわ。あなたたち、きちんと時間をもってじっくり話さないと駄目よ。」
「私もそう思うんだけど、あまりに怒りが激しくて、何だかすごくひどいことを言ってしまいそうなんだよ・・。直接話したら、事態が悪くなるような気がするの。ただでさえ今、私たちの職場、色々大変なのにさ・・。」
ここ最近の私とレイチェルのすれ違いと衝突に、キャシーも心を痛めていました。
もう長い間、仕事の関係を超えて、ときに親子のように、そして何よりもかけがえのない友人として絆を深めていた私とレイチェルです。その私たちの間が、ゆがみ、きしみ、緊迫したものになっていることは、キャシーの目に明らかでした。
私の家探しに色々アドバイスをくれ、私とレイチェルの間で絶妙なバランスを取りつつも、この時期彼女は「一体どうなってしまうのだろう」と、とても不安だったと思います。そして尋常なほど頑固で、譲ることを知らない私とレイチェル二人に「全く、ほんとしょうがない人たちなんだから・・。」とため息をついていたことでしょう。それでも、いつも一歩引いた大人なアドバイスをくれたのでした。
そして、実は私の気づかないうちに、彼女からレイチェルに、私の家に対する本当の思いや、抱え込んでいる激しい怒りが、全て伝わっていたのでした。
* * *
レッドロック出発2日前。
この困難な数週間の中味わった、迷いや激しい怒りをこうして振り返ってブログにおこしてみると、我ながらみっともなくて恥ずかしくなってしまいますが、一つだけ自分を誇れることが、この期間中、何食わぬ顔で毎日笑顔全開で仕事をし続けたことでした。
まぁ、店を閉めてから掃除をしながら泣き、家に帰りながら泣き、朝も泣き、という悲惨な状態でしたが(笑)、職場にひとたび足を踏み入れれば、笑顔でお客さんに接客をしていました。
このころ応援歌として、ひたすら聴いていたミスチルの『終わりなき旅』。
歌詞の全てが心に響いて、家でぼんやりとしながら、ずっと繰り返し聴いていました。
♪まだ限界だなんて認めちゃいないさ
♪もっと素晴らしいはずの自分を探す・・
♪閉ざされたドアの向こうにあたらしい何かが待っていて・・
そうだよ、まだ頑張れるよ。まだ限界じゃないよ、きっとそのうち次のドアが開くよ・・。そんなふうに私のど真ん中に響いた言葉のほかに、こんなものもあります。
♪時代は混乱し続け、その代償を探す・・
世間に吹きあれる不況の嵐。次々に倒産したり店じまいをしていくバンフのビジネス。世の中に溢れる、不安とストレスの灰色のエネルギー。
混乱の時の中、レイチェルも私もそれぞれの人生の苦難にもがいていたのです。互いに大きな間違いを犯していることに気づかず・・。
波乱万丈とはまさにこういうことを言うのでしょうか、この日レイチェルのもとにアルバータ移民局から手紙が届きました。それは「州のノミネートとして合格した。これから国の移民申請の審査に入る」というもの。長い長い沈黙を破ってついに届いた知らせは、思いがけない良いものでした。
これが数週間前なら飛び上がって喜んだことでしょう。でも怒りに我を失いかけていた私は、混乱しました。心底疲れていました。そんな私の手紙の知らせに対する反応は、「ああ、そうなの・・。」
でも少しずつ、長いトンネルの向こうに光が見えてきていることを実感しました。
食べられず、眠れず、怒りに支配され、不安に毎日泣いている、そんな状態でもまだ私は微かな希望にすがっていたのでした。
「きっとそのうち全ていい方向に向かう。まだ私は限界じゃない。」
そしてついに届いた移民局からの知らせは、新たな希望を私の心に吹き込みました。
「1週間レッドロックで思いっきりクライミングをすれば、これまで何度もしてきたように今回もまた、きっと何事もなかったかのように笑顔で職場に戻ることができる・・。だって本当にあと少しだもの。夢がかなうまで、あと一歩の辛抱だもの。もう一度、何もなかったかのように全て受け入れて、笑うことくらいできる。」
組織のトップとして、経営難の中一番のストレスにさらされているレイチェル。
そのことを誰よりも理解しているからこそ、長い間不満を飲み込んでサポーターに周り、笑顔とポジティブエネルギーを振りまいてきた私ですが、その間大事なことを忘れていたのです。「私自身も、自分の人生の主人公である」ということを。
もうずっと、周りのことを一番に考えようとして、自分のことをぞんざいにしてたのだと、この時期を乗り越えた今になって、はっきりと感じます。
それは、きっと高校生のころからの性質・・。いい子で物分りのいい、橋渡しの自分。人と人とつなぐ立場。部活の、組織の、潤滑油。
それだから、自分の不満やストレスを周りに主張することなど、今までの人生で考えられないことでした。バンフで働き始めて、自分の意見や不満をがんがん主張するカナダの同僚たちに驚いたものです。そしてそんなスタッフからのたくさんの重圧や要望に常にさらされているマネージャーたちの姿に、「自分だけはいつも彼女らのよき理解者でいよう」と心に決めたものでした。
オープンで、それぞれのパーソナリティーを大切にするカナダの社会の中で、「空気を読みすぎ」「気を使いすぎ」「自分を殺しすぎ」てきた私は、自らの手で自分を追い詰めたのだと思います。そんなふうにして、組織の中でボロ雑巾のように扱われているなどと打ちのめされつつ、本当は自分がまず自分自身の手で、自分を殺していたのではないでしょうか。
組織の中で黒子に回ろうと、自分自身の人生の中ですら自分が黒子に回っているんじゃどうしようもありません。
レッドロックに逃げ去りたかった私。その前に何とかしたかったレイチェル。
その夜、レイチェルが私の半地下を再びノックしました。
平気なふりはもうできず、挨拶をする笑顔が醜く引きつっているのを感じました。心の中に燃え上がる青白い炎。おお、やばいやばい、炎がどんどん大きくなっていく!
「すれ違いと誤解があまりにも積み重なってきているようだ、きちんと話そう。」
そう提案してくれるレイチェル。とりあえず逃げて何でもないふりをまたしようとしていた私は、その提案に「嫌だー、簡便してくれー」と思うばかり。でも今になって思えば、結局レイチェルはこの大人な提案で私を救ったのです。
その晩は夕飯の予定があるということで、明日話そうということになりました。けれども去る前に彼女がしたこと、それはレッドロック行きの飛行機の予定を勝手に変更したことを、叱ることでした。「どうしてそんな勝手なことをしたの。チームワークというものをあなたはまるで分かっていない。」
飛行機を変更したことを伝えてから何の反応もなかった2日間、私が欲しかった「ありがとう」という言葉は、まるで見当違いでした。彼女はむしろ私の行動に腹をたてていたのでした。
ついに破裂しました。
青白い怒りの炎が、一瞬にして身と心を焼き尽くしました。全身の毛が逆立ったかのようでした。
「なんだと!!!!」
「チームワーク」「いつも大きなビジョンを持て」「組織のことを考えろ」。
そう耳がタコになるほど言われてきたからこそ、私は飛行機を変更したのでした。
代わりの人間は誰もいない、経営難の中週末に店を閉めるわけにはいかない。チームのために、私は自分を犠牲にすることにしたのでした。
「もう、あんたのことが全く理解できない。チームのために私は飛行機を変えたんだ、他に私に何ができたっていうんだ。それなのにそのことを攻めるのか!!」
拳を握り締めて、歯を食いしばって、ものすごい形相で私はそこにいました。
かろうじて出た次の言葉が、
「悪いけどものすごく頭にきているので、もう冷静に話せない。少し頭を冷やさせてもらう。あなたも夕飯の予定があるんだし、最初に言ったように明日きちんと話そう。」
* * *
これがもう限界でした。
一人の人間が抱え込める量には、残念ながら限界があります。
この日、私は始めて自分の限界というものを知りました。
毎日号泣していたのに、もう涙が出ませんでした。ものすごい炎に自分が焼かれいることを感じました。
あまりに怒ると、血の気が引くようです。指先が信じられないほど冷たくなっていました。
台所に突っ立っている私の前に、ふと包丁が目に入りました。
冷たい頭の中で、
「怒りに身を任せて人を傷つける人間は、こういう負のエネルギーに突き動かされるのかもしれないな」、などと冷静に考えていました(恐ろしい・・)。でも私はもちろんそういう人種ではありません(よかったよかった)。そして次にぼんやりと頭に浮かんだことが、
「ストレスで自傷とかに走る人間は、外に向けられない重たい思いが自分自身に向かっちゃうのかね。自分を傷つけたら少しはスカっとするのかしら。」・・やれやれ、もう完全にどうかしています。
でも私の性格上、幸いどちらにも全く興味は湧きませんでした。その代わりに向かった方向が、
「もう何もかもどうでもいい。バンフの全てを投げ捨てて、とんずらしましょ。」
・・逃亡かい!!
レッドロックのこともマーティンのことも、そしてゴールに近い移民のことも、もはや全て忘れていました。
そして明日話したいことを筋道たてて考えをまとめ、絶対にこれだけは言ってやる、ということを繰り返し念仏のように頭の中で反芻します。
「あんたにとって、この組織にとって私は一体何なんだ。何を言われても、どんな状況になっても受け止めて笑顔を保っているから、そして労働ビザと移民のスポンサーをしているから、どうでもいい、好きなように扱える道具なのか。もうこりごりだ。私も人間なんだ。愛とリスペクトが必要な人間なんだ!」
そして、溜め込んだ思いを全部話した後、バンフを出よう、もうここには二度と戻らない、と決めたのでした。
いやはや、もう文字通りめちゃくちゃです。まともではありません。
家の中をウロウロしながら、持って出る最低限の物をピックアップしていきました。車にキャンプ道具やクライミング道具、数冊の本やパソコンを積み込み、カナダやアメリカをあてもなく放浪するつもりでした。
それでは皆さんさようなら、私は旅に出ます。探さないでください。
3年のバンフ生活これにて、ジ・エンド!
・・・って、ええ!!??マジかい、あんた!
はい、本気も本気です。もう疲れました、何もかもどうでもいいのです。
* * *
度を越した怒りは、人をほろぼします。
人生を破壊します。
でもその果てに、最後の10分で私が見出したものは、きっとこの先一生忘れないであろう、人生の真実だったのでした。
<つづく>
ぷっつんぷっつん、またぷっつん!よくもまあ、あれだけエネルギーがあったものだ・・。
そんな怒りの塊のような思春期時代の私が、今のへらへらのーてんき♪な大人に成長するにいたったのは、やはりハワイイ島、そしてカナダでの生活の影響が大きいと思います。ようやく本来の自分を、周りの形に合わせることなく安心してさらせる環境は、私にとって、やっと見つけた安住の地でした。
もちろんここカナダでも、日々の生活や仕事の中で、ストレスや頭にくることは日常的にありますが、何せここには山があります。ちっぽけなわだかまりや怒りなど、仕事の後や休日にクライミングに出かければ、あっという間に空の彼方。細かいことをあまり気にしない性格と、アウトドア狂の性質のおかげで、バンフでの生活が始まってから、体が熱くなるほどの怒りをほとんど味わうことがなく、今までやってきました。
なので、本当に久々にこれほどの怒りを内に抱えて、私はどうすればいいかわかりませんでした。というより、ここまでの怒りを味わったのは今までの人生で初めてでした。
若くて未熟だったときのように、家庭で発散させたり八つ当たりをするような浅ましいマネは、もうできません。あまりの怒りのすさまじさに、もう山に行けば全て忘れられるようなレベルでもありませんでした。そして、内に押し込めてどこにも向けることのできない怒りの負のエネルギーは、全て自分に還ってくるはめになったのでした。
料理することができず、何を食べても美味しくなく、仕事の昼休みにはお昼ごはんを食べることもなく、怒りを発散させるかのように、ひたすらぐるぐるとバンフの町をイノシシのように歩いていました(このとき誰にも会わなくてよかった、ほんと(笑)。
鏡の中の自分は、どすぐろい眼光をぎらぎらと光らせ、まるで別人のように見えました。
あの怒りは今までのような、めらめらと音を立てて激しく燃える赤い炎ではなく、ガスバーナーのような、あまりの高温にほとんど炎の存在が見えないような、静かで真っ青な炎だったように思います。そして押さえ込もうと必死で内に溜め込み続けたその炎は、結局自らを焼いていたのでした。
* * *
店のシフトをカバーするために、レッドロック行きの飛行機を変更し、週末は自分が働くので大丈夫だ、というメールをその夜に即マネージャーたちに送信したとき、私はこんなふうに思っていたのです。
「これでちょっとは見直してもらえるかな。ありがとう、助かったよ、と言ってもらえるかな。」
浅はかでしょうか?でもそれと同時に、自分を犠牲にすることで、自分のプライドを守ったのだということも感じていました。
だって、もうボロ雑巾扱いはたまらない。
ところが次の日も、その次の日も、そのことについては一言もなし!それどころが前述のようにちょっとした残業のことで、去ったスタッフを比較に出しながら小言を言われ、私の怒りは頂点に達しようというところでした。
「こんなくそったれな職場、今すぐ辞めてやる!もう労働ビザも移民申請も知ったことか。自分のプライドのために、自分のしあわせのために、もうこんな場所で働くのは終わりにしよう!!」そんな思いが心の中に渦巻いています。怒りが募るにつれ、一刻もはやくそれを実行に移したくてたまらなくなってきたのですが、まだかろうじて残っている冷静さが、「待て待て、お前さん。ここで怒りに任せて全て捨ててしまってどうするんだい。ここまでこれだけ我慢して頑張ってきたんじゃないか。労働ビザと移民申請の結果が出るまであと少しだろう。」と歯止めをかけてきます。
愛を否定された後、マーティンのことを考えるのも辞めてしまっていました。
しょせんは超遠距離恋愛です、この支えて欲しい時期にいない存在なら、もう考えるのも辞めよう。ヨーロッパか、カナダか、あれほど悩んでいたこのことも、今となっては二の次のことのように感じます。我ながら重症なり。
未来が読めず、心を休ませる家もなく、愛もなくし、もはや私に残っているのは真っ青な怒りの炎だけでした。
私はこのまま一体どこに行ってしまうのでしょう。
* * *
そしてレッドロックに発つ3日前の給料日、仕事を終えてオフィスで給料の小切手(ペイチェック)を開いた私は、金額の数字を見てショックに打ちのめされました。何も知らされることなく、働いた時間が削られていたのです。
怒りに震える、というのはこういうことを言うのでしょうか。
ペイチェックを握る手がじんわりと汗ばんできました。それなのに体は信じられないほど冷たいのです。
全く熱のない、冷たい冷たい怒りの炎。
3日前に電話で直接この給料期間の就業時間を聞かれて伝えているので、レイチェルが間違った可能性はありません。
削られた時間は数時間。現在の経営難は痛いほど察しているので、前もって「ごめんね、でも今週はちょっと削らせてね。」と話してくれていれば、組織の一員として何のわだかまりもなく「全然平気だよ、頑張っていこうね」と言ったことでしょう。
私が一番頭にきていることは、失った少しのお金ではありません。
私に黙って時間を削ったこと、そしてそれを私が自分でペイチェックを開けて発見するまで放っておかれたことでした。
どこまで人をコケにするんだ。私をなんだと思っているんだ。
どうしたらいいか分からなくて、そのままオフィスに突っ立っていました。
ふと気づくと、身動きもしないまま、いつの間にか1時間近くが経過し、外が暗くなっていました。
やばい、これはやばい。自分の中で何かが警告を発しています。はやくどうにかしないとこれはまずいぞ、自分。
でもどうすればいいのか分かりません。レイチェルに「どういうことだこれは、人をなんだと思っているんだ!」と怒鳴り込みたい、というのが一番に頭に浮かびましたが、あまりに怒りがすさまじいので、ひとたび顔を見て話を始めたが最後、怒りを爆発させてひどいことを言ってしまいそうな気がして、恐ろしくてたまりませんでした。
怒り狂ったときの自分がどんなに激しいか、どんなに醜いか、私はよく知っています(それなりに思春期時代から学んでおります)。レイチェルをめちゃくちゃに傷つけるようなひどいことを言うような気がしました。そして何よりも、「もうこんなとこ辞めてやる、あばよ!!」と捨てセリフを吐いてしまう可能性がとても高いと分かっていました。絶対にそれを言ってはいけない、と自分に言い聞かせる反面、もうここ1週間それを言いたくてたまらなくて仕方ないのです。
じたばた、じたばた。
怒りに支配されてはいけない。怒りに身を任せてはいけない。でも、どうしよう。どうしよう。もうこれ以上「何もなかったふり」も「納得したふりして笑顔」なんかできない、だけど私はカナダにいたい、夏をマーティンと過ごしたい・・。
* * *
SOS。
あーあ、なぜもっとはやく出せなかったのでしょうね。なぜもっとはやくに周りに助けを求めなかったのでしょうね。
それは困ったことに、きっと私の幼いころからの気質なのです。プライドであり性格なのです。
いつも頼られるかっこいい自分でいたい。助けを求めるのではなく、助けを求められる側でいたい。決して崩れることのない、強い自分でいたい・・。
そんな私は、子どものころから自分の悩みやつらさを他人に打ち明けることが、大の苦手でした。
大学を出てから少しマシになってきて、不満やグチ程度のことは友人に話すようになり、今回もマーティンとのことや、労働ビザと移民申請に関する不安は何人かの友人にビールを傾けつつ聞いてもらっていました。日本で同じ屋根の下に暮らしていたときよりも、カナダに来てからメールを通してたくさんのやりとりをするようになっていた母とも、泣きながら不安な思いを聞いてもらったりしました。「聞いてよ、母ちゃん!」
でも不安や悲しい思いが、次第に激しい怒りに変わり始めてから、その醜悪さを嫌悪し、誰にも話すことができませんでした。友人に恵まれているカナダ生活です、SOSを出せば、何を置いても真っ先に助けに来てくれるような仲間の顔が、簡単に何人も浮かびました。でも・・、
「私はのんびりのーてんきな人間のはずなのに、いつもはっぴーな人間のはずなのに。こんな恥ずかしい自分、誰にも見せられません!」
それは意地?プライド?
ここまできて、まだ自分の体裁を守りたいの?
少しは学ばないとね、助けを求めることを学ばないとね。
怒りが限界にきて、自分でどうしたらいいのか全く分からず、真っ暗なオフィスで私はついに友人の電話番号をまわしたのでした。
それはレイチェルと共通の友人である、いつも頼れる私の兄貴分、ビルの番号でした。
レイチェルのことをよく知っている彼に、全て話して泣きつきたかったのでしょう。
でも受話器の向こうに聞こえてきたのは、留守番電話の応答メッセージでした。
* * *
後になって、このとき家にいなくて私を助けることができなかったことをビルはすごく悔いていたのですが、私はこれはとても幸運だったと思っています。
もしこのとき彼の声を聴いていたら「もう聞いてよ、レイチェルってばさ・・。もう我慢できないよ!」と人間として恥ずべき、ひどいことをたくさん言ってしまったと思うのです。お〜、恥ずかしや・・。
でもこのときは、留守番電話にがっかりして、それ以上失望するのが嫌で、他の友人に電話をかけるのは辞めました。そしてもう一人のマネージャー、キャシーに電話をしました。
「あのね、こんなことになっているんだけど、どうしてだと思う?私もう限界なんだけど、ものすごい怒っているんだけど、どうしたらいいかわからないの。どうしよう・・。」
「レイチェルと直接話したほうがいいわ。あなたたち、きちんと時間をもってじっくり話さないと駄目よ。」
「私もそう思うんだけど、あまりに怒りが激しくて、何だかすごくひどいことを言ってしまいそうなんだよ・・。直接話したら、事態が悪くなるような気がするの。ただでさえ今、私たちの職場、色々大変なのにさ・・。」
ここ最近の私とレイチェルのすれ違いと衝突に、キャシーも心を痛めていました。
もう長い間、仕事の関係を超えて、ときに親子のように、そして何よりもかけがえのない友人として絆を深めていた私とレイチェルです。その私たちの間が、ゆがみ、きしみ、緊迫したものになっていることは、キャシーの目に明らかでした。
私の家探しに色々アドバイスをくれ、私とレイチェルの間で絶妙なバランスを取りつつも、この時期彼女は「一体どうなってしまうのだろう」と、とても不安だったと思います。そして尋常なほど頑固で、譲ることを知らない私とレイチェル二人に「全く、ほんとしょうがない人たちなんだから・・。」とため息をついていたことでしょう。それでも、いつも一歩引いた大人なアドバイスをくれたのでした。
そして、実は私の気づかないうちに、彼女からレイチェルに、私の家に対する本当の思いや、抱え込んでいる激しい怒りが、全て伝わっていたのでした。
* * *
レッドロック出発2日前。
この困難な数週間の中味わった、迷いや激しい怒りをこうして振り返ってブログにおこしてみると、我ながらみっともなくて恥ずかしくなってしまいますが、一つだけ自分を誇れることが、この期間中、何食わぬ顔で毎日笑顔全開で仕事をし続けたことでした。
まぁ、店を閉めてから掃除をしながら泣き、家に帰りながら泣き、朝も泣き、という悲惨な状態でしたが(笑)、職場にひとたび足を踏み入れれば、笑顔でお客さんに接客をしていました。
このころ応援歌として、ひたすら聴いていたミスチルの『終わりなき旅』。
歌詞の全てが心に響いて、家でぼんやりとしながら、ずっと繰り返し聴いていました。
♪まだ限界だなんて認めちゃいないさ
♪もっと素晴らしいはずの自分を探す・・
♪閉ざされたドアの向こうにあたらしい何かが待っていて・・
そうだよ、まだ頑張れるよ。まだ限界じゃないよ、きっとそのうち次のドアが開くよ・・。そんなふうに私のど真ん中に響いた言葉のほかに、こんなものもあります。
♪時代は混乱し続け、その代償を探す・・
世間に吹きあれる不況の嵐。次々に倒産したり店じまいをしていくバンフのビジネス。世の中に溢れる、不安とストレスの灰色のエネルギー。
混乱の時の中、レイチェルも私もそれぞれの人生の苦難にもがいていたのです。互いに大きな間違いを犯していることに気づかず・・。
波乱万丈とはまさにこういうことを言うのでしょうか、この日レイチェルのもとにアルバータ移民局から手紙が届きました。それは「州のノミネートとして合格した。これから国の移民申請の審査に入る」というもの。長い長い沈黙を破ってついに届いた知らせは、思いがけない良いものでした。
これが数週間前なら飛び上がって喜んだことでしょう。でも怒りに我を失いかけていた私は、混乱しました。心底疲れていました。そんな私の手紙の知らせに対する反応は、「ああ、そうなの・・。」
でも少しずつ、長いトンネルの向こうに光が見えてきていることを実感しました。
食べられず、眠れず、怒りに支配され、不安に毎日泣いている、そんな状態でもまだ私は微かな希望にすがっていたのでした。
「きっとそのうち全ていい方向に向かう。まだ私は限界じゃない。」
そしてついに届いた移民局からの知らせは、新たな希望を私の心に吹き込みました。
「1週間レッドロックで思いっきりクライミングをすれば、これまで何度もしてきたように今回もまた、きっと何事もなかったかのように笑顔で職場に戻ることができる・・。だって本当にあと少しだもの。夢がかなうまで、あと一歩の辛抱だもの。もう一度、何もなかったかのように全て受け入れて、笑うことくらいできる。」
組織のトップとして、経営難の中一番のストレスにさらされているレイチェル。
そのことを誰よりも理解しているからこそ、長い間不満を飲み込んでサポーターに周り、笑顔とポジティブエネルギーを振りまいてきた私ですが、その間大事なことを忘れていたのです。「私自身も、自分の人生の主人公である」ということを。
もうずっと、周りのことを一番に考えようとして、自分のことをぞんざいにしてたのだと、この時期を乗り越えた今になって、はっきりと感じます。
それは、きっと高校生のころからの性質・・。いい子で物分りのいい、橋渡しの自分。人と人とつなぐ立場。部活の、組織の、潤滑油。
それだから、自分の不満やストレスを周りに主張することなど、今までの人生で考えられないことでした。バンフで働き始めて、自分の意見や不満をがんがん主張するカナダの同僚たちに驚いたものです。そしてそんなスタッフからのたくさんの重圧や要望に常にさらされているマネージャーたちの姿に、「自分だけはいつも彼女らのよき理解者でいよう」と心に決めたものでした。
オープンで、それぞれのパーソナリティーを大切にするカナダの社会の中で、「空気を読みすぎ」「気を使いすぎ」「自分を殺しすぎ」てきた私は、自らの手で自分を追い詰めたのだと思います。そんなふうにして、組織の中でボロ雑巾のように扱われているなどと打ちのめされつつ、本当は自分がまず自分自身の手で、自分を殺していたのではないでしょうか。
組織の中で黒子に回ろうと、自分自身の人生の中ですら自分が黒子に回っているんじゃどうしようもありません。
レッドロックに逃げ去りたかった私。その前に何とかしたかったレイチェル。
その夜、レイチェルが私の半地下を再びノックしました。
平気なふりはもうできず、挨拶をする笑顔が醜く引きつっているのを感じました。心の中に燃え上がる青白い炎。おお、やばいやばい、炎がどんどん大きくなっていく!
「すれ違いと誤解があまりにも積み重なってきているようだ、きちんと話そう。」
そう提案してくれるレイチェル。とりあえず逃げて何でもないふりをまたしようとしていた私は、その提案に「嫌だー、簡便してくれー」と思うばかり。でも今になって思えば、結局レイチェルはこの大人な提案で私を救ったのです。
その晩は夕飯の予定があるということで、明日話そうということになりました。けれども去る前に彼女がしたこと、それはレッドロック行きの飛行機の予定を勝手に変更したことを、叱ることでした。「どうしてそんな勝手なことをしたの。チームワークというものをあなたはまるで分かっていない。」
飛行機を変更したことを伝えてから何の反応もなかった2日間、私が欲しかった「ありがとう」という言葉は、まるで見当違いでした。彼女はむしろ私の行動に腹をたてていたのでした。
ついに破裂しました。
青白い怒りの炎が、一瞬にして身と心を焼き尽くしました。全身の毛が逆立ったかのようでした。
「なんだと!!!!」
「チームワーク」「いつも大きなビジョンを持て」「組織のことを考えろ」。
そう耳がタコになるほど言われてきたからこそ、私は飛行機を変更したのでした。
代わりの人間は誰もいない、経営難の中週末に店を閉めるわけにはいかない。チームのために、私は自分を犠牲にすることにしたのでした。
「もう、あんたのことが全く理解できない。チームのために私は飛行機を変えたんだ、他に私に何ができたっていうんだ。それなのにそのことを攻めるのか!!」
拳を握り締めて、歯を食いしばって、ものすごい形相で私はそこにいました。
かろうじて出た次の言葉が、
「悪いけどものすごく頭にきているので、もう冷静に話せない。少し頭を冷やさせてもらう。あなたも夕飯の予定があるんだし、最初に言ったように明日きちんと話そう。」
* * *
これがもう限界でした。
一人の人間が抱え込める量には、残念ながら限界があります。
この日、私は始めて自分の限界というものを知りました。
毎日号泣していたのに、もう涙が出ませんでした。ものすごい炎に自分が焼かれいることを感じました。
あまりに怒ると、血の気が引くようです。指先が信じられないほど冷たくなっていました。
台所に突っ立っている私の前に、ふと包丁が目に入りました。
冷たい頭の中で、
「怒りに身を任せて人を傷つける人間は、こういう負のエネルギーに突き動かされるのかもしれないな」、などと冷静に考えていました(恐ろしい・・)。でも私はもちろんそういう人種ではありません(よかったよかった)。そして次にぼんやりと頭に浮かんだことが、
「ストレスで自傷とかに走る人間は、外に向けられない重たい思いが自分自身に向かっちゃうのかね。自分を傷つけたら少しはスカっとするのかしら。」・・やれやれ、もう完全にどうかしています。
でも私の性格上、幸いどちらにも全く興味は湧きませんでした。その代わりに向かった方向が、
「もう何もかもどうでもいい。バンフの全てを投げ捨てて、とんずらしましょ。」
・・逃亡かい!!
レッドロックのこともマーティンのことも、そしてゴールに近い移民のことも、もはや全て忘れていました。
そして明日話したいことを筋道たてて考えをまとめ、絶対にこれだけは言ってやる、ということを繰り返し念仏のように頭の中で反芻します。
「あんたにとって、この組織にとって私は一体何なんだ。何を言われても、どんな状況になっても受け止めて笑顔を保っているから、そして労働ビザと移民のスポンサーをしているから、どうでもいい、好きなように扱える道具なのか。もうこりごりだ。私も人間なんだ。愛とリスペクトが必要な人間なんだ!」
そして、溜め込んだ思いを全部話した後、バンフを出よう、もうここには二度と戻らない、と決めたのでした。
いやはや、もう文字通りめちゃくちゃです。まともではありません。
家の中をウロウロしながら、持って出る最低限の物をピックアップしていきました。車にキャンプ道具やクライミング道具、数冊の本やパソコンを積み込み、カナダやアメリカをあてもなく放浪するつもりでした。
それでは皆さんさようなら、私は旅に出ます。探さないでください。
3年のバンフ生活これにて、ジ・エンド!
・・・って、ええ!!??マジかい、あんた!
はい、本気も本気です。もう疲れました、何もかもどうでもいいのです。
* * *
度を越した怒りは、人をほろぼします。
人生を破壊します。
でもその果てに、最後の10分で私が見出したものは、きっとこの先一生忘れないであろう、人生の真実だったのでした。
<つづく>