今年のパフォーマンスを終え、もう早半月が経過する月曜の朝を迎えて雨だったりすると、パフォーマンスを演っていた時期を思い出して、正直「ヤッタ〜!今日は休みだ!\(^o^)/」(下手すると朝から飲み始めて見たり)するかと思えば、その一方で何か一日損したような気がしてみたり、電車に向かって会えない皆さんに申し訳ないような、残念で寂しいような思いがしたり等々と、あったりしたものだが、しかし各々の思いはあるにしても誰にとっても総体に月曜の朝と言うのは、躁鬱で言うなら、「鬱」だったり、明暗の「暗」だったり、晴れと褻で言えば「褻」に当たると思って良いのではないだろうか?!そしてそれを考える時、確かに日本人は農耕系の民族であるだけに(勿論、遊牧系や騎馬系や海賊系....があるのかどうかは知らないが(^^;))その晴れと褻で例えるなら、一般日常があってこそ、非日常として数々の行事や祭り事が楽しめたり、そこに日常の憂さを晴らす事が一気に多くの人の解放や快感に結びつきそこでまた、地味だったり平穏な日常に回帰して行く....。と行った繰り返しでいいのであろう....? パフォーマンスにしたって、これで年がら年中演っていたのでは、「晴れも褻も」あったものではない。そこへ行くと、例えば普通に生産に関わる事としてサラリーマンや官公庁に勤める、曰く働きに出ると言う事を、極めて日常的な仕事として、その行為そのものを「褻」として例えた場合、逆に生産を伴うことの少ない『歌う』という仕事は、前者から比べれば、いかにも非日常にして、生産に対する期待薄(一般的に見て)望みの低さと言った所から、それらを生業とする当事者にしてみれば精神的にも本人的には肉体的にも爽快にして、社会的なストレスやプレッシャーなどほとんど無縁の所で、陽気で楽しくも嬉しいノー天気とも言える、「晴れ」の状況には違いなかろうが、しかしそこにはやはりどうしても生産性が伴わないために、生きて行くには、それなりに困難にして非情とも感じられる部分が発生して然るべきだし、その覚悟必要なのかも知れないとも言えよう。(「晴れ」と言う言葉の中には、そもそもこれまで培ってきたものを無駄に消費したり、ぶっ壊したりする「蕩尽」と言う意味合いも含まれるようだから、正しくそうなのかも知れない。いわゆる「褻」からすれば、その対極に位置し、いかにも無駄にして無用、厄介にして穀潰しなものだとも取れる訳だ。)と、なると、《晴れ=生産的な業種》と、《褻=非生産的な業種》と識別した時、後者は、好きでその道を選んでいるのだから、例えそれで生計が賄われなかったり、苦しかろうと辛かろうと、それで文句はあるまいし又、食えなくて当然!と言う事で、あくまでそれを選択した当事者にこそ、その道を選んだり、その業種で生きて行く事に対する責任や問題がある。と言うことになってしまうのだろうか....?!昔、芸事を生業にした者達を、『河原乞食』と呼んでいた時代でも、そんな河原の一か所であったり、道端の辻辻に立ってみたり、お寺や神社の境内や民家や商家の軒先であろうと何処であろうと人の集まる所なら何処でも、唄ったり踊ったりしながら細々とでも命をつなぐ事が出来た時代の事を思えば、今の世の中は果たしてどんなものだろう....?!( ¬ _ ¬ )丁度15年程以前、アメリカはN.Y.のセントラルパークやタイムズスクウェアで初めてストリートで歌い始めた当時は、ほとんど何の制限も規則もありはしなかったが、しかし聞くところによると、今ではそれなりのパス(演奏、演技許可証なるもの)を首に掛けたり胸に張ったりしていなければ、ストリートパフォーマンスが出来なければ又、取り締まられたりもするらしい。そして数年前に東京もそんなシステムが石原都知事と、彼をヨイショする一部の芸人と有識者を気取る人達の間でそのように形付けられてしまった....。( ̄〜 ̄)ξ 話は戻るが、それから帰国して間もなく湾間戦争のニュースを聞き、じっとしておられず渋谷の街に飛び出しては、土日にとある銀行の脇で『イマジン』を歌っていたら、「シャッターは下りていても中では工員が作業をしていますので、静かにして下さい」と体よく退去を促された。或いはそれから数年後、『Fruit Paradise』と言う作品のプロモーションの為、正月明け早々に、これもまた渋谷の街の東京電力の前で(前とは言っても完全に公道)プロモ用のカラオケにPAのフルセットを持ち出して歌ったら、警備員に続いて、パトカーが出動して来て、お巡りさんに追い立てられた。(サンプルムービー →
http://www.naniwa-kinyu-dojyo.com/yarujan/sales/wakanyo_dl.html)その他、『目黒川慕情』の時にも、未だ屋上パフォーマンスの「お」の字もなかった当時、渋谷が駄目なら御当目黒で?!と考え、テレコ一発とマイクだけ持って中目黒の目黒川のほとりは桜の下で、『目黒川慕情』と書かれた襷を掛けて歌っていたら、地回りにしつこく脅された....。(;^_^A しかしそれから数年の歳月を重ねると、それでもそんな経験や実績(?)が功を奏してか評価をされてか、メジャーデビューの機会を得、プロ歌手としての冠を頂けたりはしたものの、冒頭で書いたように何分、そも生産を伴わない家業だけに、そうして「歌って飯を食って行く」事をして行くためには、そう言った様々なわずらいを排除し、自分が思うままに歌い表現でき、更に飯を食おうと思うと、そう言ったお店に張り付いて(いわゆる箱営業とか箱BANとして)雇ってもらって歌うか、いっそ自分で奮起してスタジオを持つとか、店の看板を挙げるかのどちらかしかない。ただご多分に漏れず、今やこの御時世からすれば、カラオケスナックやハブやBarの経営者そのものが食いあぐねている最中に、他人を雇ってでも増して、お嬢ちゃんならいざ知らず(否、おばさんでもまだましなくらいで)とにかく野郎で、歌が歌えて演奏が少々出来て、接客くらいは多少心得ているのだが....。くらいでは、雇う方の絶対数としてもそのシェアはほとんど皆無と言って良く....、となると残された手段として一方の、「いっそ意を決して自分の手で?!」と開眼、起業出店してみようとした所で、いざ実際に開業しようと思うと開業までには、それらに精通し実際に起業された詳しい友人の話によると、まずはその事業計画書と物件仮契約書を金融機関に提出するなどの借り入れから始まって、店の内装から設備品の準備、取引先の手配、出銭は全て領収書をもらい、自らも会計処理の勉強なり、更に調理やカクテルなどを出そうものなら、それなりの学校へも通わなければならないetc....。\(@o@)/それは確かにお店の開業を進めてくれたり、そんな風にして期待をかけて下さったり望む声を頂戴できるだけでもう十分に有り難くも嬉しい事この上なけれども、(*^_^*) しかし、そのそもそもを考える時、(晴れと褻で言えば「褻」を嫌い、「晴れ」ばかりを思い暮らし、そしてそれが出来るなら、それで生きて行けるなら生涯、河原の一か所であろうと、道端の辻辻、家々の軒先で、唄ったり踊ったりしながら食っていけるのならばそれで良い)くらいの考えであり又、その程度の能力しかないものが、どうしてそれだけの大それた、大困難と大難題に立ち向って行かれましょう....?!(>。<) ここで改めて恨み言や妬みごとばかり言ってみた所で、誰も手を差し伸べてはもらえなかったり、自分とてまるでほとんど一歩も前に進んでいかれない事は十分承知の事とはしても、それにしても、自分の好きなこと一つ何かをするにしてもそれだけの煩わしさや艱難辛苦であり、もっと具体的な例で言うなら、屋上ひとつ借りるにしても某かの出銭を覚悟しなければならないような(それはそれとして貸してもらえるだけで有り難いとしなければならないには違いないのだが)そう言った《現代の社会やシステムそのものが、いかにも一般的にして平常と言え又、有り難くもまともにして素晴らしくも良い世界》だと言えるのだろうか....?!私は出来ることなら、例え「河原乞食」と呼ばれようと何であろうと、わずかながらでも日々の暮らしが立って、自由に気兼ねなく思うままに歌って過ごせる世の中に生まれてみたかったものだと....、こんな月曜の雨の日に思いを巡らさないではいられないのでありました。