アルザスで暮らす

Schnersheim シュネッスハイム村
2008年
4月 パリの職業訓練校・製パンコース入学
5〜 8月 Rosheim村のオーベルジュ Le Rosenmeer
9〜12月 Schenersheim村のパン屋さん Chez Zimmermann
2009年
1〜4月 Schenersheim村のパン屋さん chez Zimmermann
2月 Niderroedern 村のパン屋さん chez Weiss
4月17日 帰国
10月 労働認可取得
11月 ビザ入手
11月24日フランス入国
kiki en Alsace
http://cute.ap.teacup.com/kiki/
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2009/11/9
もうすぐ会える フランスに生きる
すごいなー、と思う。
私が戻って来ると、信じ続けてくれた人達がいる。ポジティブに、テンション高く。
労働ビザを取る、となったとき、アルザスで働く友人に、手続きを聞いた。
「先ず、雇い主がフランスで申請するので、日本でやることは無いです。認可されたら通知が届くので、それから大使館に行きます。今は、フランスの人を信じて待つだけです。」
そうか、信じて待つだけか。
パリで働く知人も、アドバイスをくれた。
「労働ビザの場合、最後は雇い主の、どうしてもこの人を雇いたいっていう、情熱なんです。メッツシェフは大丈夫そうですね。周りの人がきちんと動いてくれているから、どーんと構えて、信じて待っていて、大丈夫。」
どーんと、ね。
私はビザが取れるかどうか、分からなかった。それでも待てたのは、信じさせてくれた人、そして信じてくれた人がいたから。
ドイツに住む友達が、言ってくれた。「きっとアルザスに戻ってくるって、信じてますよ。」
メラニーは、信じ込んでいた。「フランスはあなたを認可したんでしょう。何で来ないの?いったい、何を待っているのよ!?」
まさに、それを待っているんだよ−。私は彼女の思い込みが可笑しくて、嬉しくて、いつしか不安を手放した。
「私そちらに行って、直談判しましょうか!?」 気持ちを、メッツシェフにぶつけたときは、速攻で返信が来た。「心配するなー!」
代わりに、周りの人がたいそう、心配してくれた。
ジェレミは、毎週のように 「Quand reviens tu en France? Quand sera-tu de retour en Alsace? 君はいつ、フランスに戻るの。いつ、アルザスに帰ってくるの。」 と聞いてくる。そして、「どうして君のビザが認可されないのか、分かんないよ!」
時間がかかるのは当たり前だよ。大量の書類を提出したんだもの。C'est la France.それがフランスって国だよ。・・・とフランス人をなだめる私。
ついに通知が届き、大使館に申請に行った日、ジンマーマンさんから電話がかかってきた。「新しい知らせが聞きたくて。もうすぐ、戻ってくるんでしょう?」
はい、もうすぐ帰ります。 とうとう答えられたのが、嬉しい。
ジェレミも大喜びしてくれた。「Je suis tres content pour toi !!!よかったね!!!帰ってきたら、家に来る?一緒にお寿司を作ろうね。」
諦めもせず、飽きもせず、ずっと言い続けてくれた、ジェレミ。もうすぐ、会えるね。
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私が戻って来ると、信じ続けてくれた人達がいる。ポジティブに、テンション高く。
労働ビザを取る、となったとき、アルザスで働く友人に、手続きを聞いた。
「先ず、雇い主がフランスで申請するので、日本でやることは無いです。認可されたら通知が届くので、それから大使館に行きます。今は、フランスの人を信じて待つだけです。」
そうか、信じて待つだけか。
パリで働く知人も、アドバイスをくれた。
「労働ビザの場合、最後は雇い主の、どうしてもこの人を雇いたいっていう、情熱なんです。メッツシェフは大丈夫そうですね。周りの人がきちんと動いてくれているから、どーんと構えて、信じて待っていて、大丈夫。」
どーんと、ね。
私はビザが取れるかどうか、分からなかった。それでも待てたのは、信じさせてくれた人、そして信じてくれた人がいたから。
ドイツに住む友達が、言ってくれた。「きっとアルザスに戻ってくるって、信じてますよ。」
メラニーは、信じ込んでいた。「フランスはあなたを認可したんでしょう。何で来ないの?いったい、何を待っているのよ!?」
まさに、それを待っているんだよ−。私は彼女の思い込みが可笑しくて、嬉しくて、いつしか不安を手放した。
「私そちらに行って、直談判しましょうか!?」 気持ちを、メッツシェフにぶつけたときは、速攻で返信が来た。「心配するなー!」
代わりに、周りの人がたいそう、心配してくれた。
ジェレミは、毎週のように 「Quand reviens tu en France? Quand sera-tu de retour en Alsace? 君はいつ、フランスに戻るの。いつ、アルザスに帰ってくるの。」 と聞いてくる。そして、「どうして君のビザが認可されないのか、分かんないよ!」
時間がかかるのは当たり前だよ。大量の書類を提出したんだもの。C'est la France.それがフランスって国だよ。・・・とフランス人をなだめる私。
ついに通知が届き、大使館に申請に行った日、ジンマーマンさんから電話がかかってきた。「新しい知らせが聞きたくて。もうすぐ、戻ってくるんでしょう?」
はい、もうすぐ帰ります。 とうとう答えられたのが、嬉しい。
ジェレミも大喜びしてくれた。「Je suis tres content pour toi !!!よかったね!!!帰ってきたら、家に来る?一緒にお寿司を作ろうね。」
諦めもせず、飽きもせず、ずっと言い続けてくれた、ジェレミ。もうすぐ、会えるね。
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2009/10/21
Ca y est 労働認可取得 夢のオーベルジュ Auberge
フランス労働局の認可取得の連絡は、ローゼンメールのメッツ・シェフから届いた。「Ca y est やりましたよ。」
認可がおりる日をシェフは知っていたのか、前の週には、「今日と明日、神に祈れ!」、とメールが来ていた。私は、アルザスの山の上に立つ、聖オディールを想った。シェフは毎週、自転車で山に登り、聖地で祈っている。
その後は、「荷造りに何日かかりますか?」、「2日です。」 というやり取り。 私は小さなスーツケース1つで帰国したから、荷物は少ない。気が早いな〜と感じながら、シェフが前向きで嬉しい。
そして、「Ca y est. 聖オディールから戻ってきたところ。星があなたに飛行機に乗れと言っていましたよ。」
Ca y est は、シェフが自転車で調子よく登れたのだ、と受け取った。そこでシェフは、前向きなお告げを受けたんだ。よかった、よかった。
私が、労働認可がおりた、と悟ったのは、その数日後。「ところで、飛行機は取れたの?」、というイザベル・メッツ夫人からのメールだった。
「飛行機?状況が分かりません。認可は?」、と問うメールを送った夜は、眠れなかった。ずっと待っていた労働許可が、もう取れていた!
翌朝届いた返信には、「分かってなかったの?土曜日に知らせが来たんですよ。理解するのに、ずいぶん時間が掛かりましたね。」、とあった。この後、移民局を通してビザ作成の手続があることをシェフに分かってもらい、飛行機飛行機、と言われても、2日で飛べないことを伝えた。
その夜、ローゼンメールから電話がきた。
「あなたは、アルザスで本を書くんですよ。あなたの労働申請の計画項目に、ばっちり入っていますからね。」 Merciシェフ。夢がまた1つ、叶う。
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認可がおりる日をシェフは知っていたのか、前の週には、「今日と明日、神に祈れ!」、とメールが来ていた。私は、アルザスの山の上に立つ、聖オディールを想った。シェフは毎週、自転車で山に登り、聖地で祈っている。
その後は、「荷造りに何日かかりますか?」、「2日です。」 というやり取り。 私は小さなスーツケース1つで帰国したから、荷物は少ない。気が早いな〜と感じながら、シェフが前向きで嬉しい。
そして、「Ca y est. 聖オディールから戻ってきたところ。星があなたに飛行機に乗れと言っていましたよ。」
Ca y est は、シェフが自転車で調子よく登れたのだ、と受け取った。そこでシェフは、前向きなお告げを受けたんだ。よかった、よかった。
私が、労働認可がおりた、と悟ったのは、その数日後。「ところで、飛行機は取れたの?」、というイザベル・メッツ夫人からのメールだった。
「飛行機?状況が分かりません。認可は?」、と問うメールを送った夜は、眠れなかった。ずっと待っていた労働許可が、もう取れていた!
翌朝届いた返信には、「分かってなかったの?土曜日に知らせが来たんですよ。理解するのに、ずいぶん時間が掛かりましたね。」、とあった。この後、移民局を通してビザ作成の手続があることをシェフに分かってもらい、飛行機飛行機、と言われても、2日で飛べないことを伝えた。
その夜、ローゼンメールから電話がきた。
「あなたは、アルザスで本を書くんですよ。あなたの労働申請の計画項目に、ばっちり入っていますからね。」 Merciシェフ。夢がまた1つ、叶う。
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2009/9/30
カクタさんのおかげ フランスに生きる
日本に居る間、ひたすら本を読んでいた。日本語の本を。
フランスで生活し、日本語に触れるのは、週一回の電話、在仏日本人友達と会う時、そしてメール、という生活をしていると、日本語文章の不足になる。一年滞在の終わり頃には、日本語栄養失調状態で、風景も、出来事も、美味しいものも、伝える言葉が出てこない。・・・日本語の文章に触れたい。
日本滞在中、ある作家の本を手当たり次第読んだり、その作家が取り上げていた別の本に読み進んだり、と日本語贅沢を楽しんだ。
特に、カクタさんの本は、おそらくこの世にある全てを一冊だけ残して、読んだ。
「地味な小説を書いています」 とカクタさんが表現するとおりの小説と、彼女の随筆と、どちらが好きか、分からないまま読んだ。
カクタさんの書いた文章は、時に時間を忘れさせ、私に書くことを仕事として、書くことを使命として、書くことしかできない人がいるんだと、教えてくれた。
それから、モンゴメリ女史の「ストーリー・ガール」。ストーリーテーラーを軸としたこの小説は、やぱり語らずにはいられない女史の言葉が、日本語の翻訳になって、なおい美しい。
日本語の栄養をたっぷり取って、これで大丈夫。私は、私の国、日本をもっと好きになったことに気がついた。
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フランスで生活し、日本語に触れるのは、週一回の電話、在仏日本人友達と会う時、そしてメール、という生活をしていると、日本語文章の不足になる。一年滞在の終わり頃には、日本語栄養失調状態で、風景も、出来事も、美味しいものも、伝える言葉が出てこない。・・・日本語の文章に触れたい。
日本滞在中、ある作家の本を手当たり次第読んだり、その作家が取り上げていた別の本に読み進んだり、と日本語贅沢を楽しんだ。
特に、カクタさんの本は、おそらくこの世にある全てを一冊だけ残して、読んだ。
「地味な小説を書いています」 とカクタさんが表現するとおりの小説と、彼女の随筆と、どちらが好きか、分からないまま読んだ。
カクタさんの書いた文章は、時に時間を忘れさせ、私に書くことを仕事として、書くことを使命として、書くことしかできない人がいるんだと、教えてくれた。
それから、モンゴメリ女史の「ストーリー・ガール」。ストーリーテーラーを軸としたこの小説は、やぱり語らずにはいられない女史の言葉が、日本語の翻訳になって、なおい美しい。
日本語の栄養をたっぷり取って、これで大丈夫。私は、私の国、日本をもっと好きになったことに気がついた。
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2009/8/30
アルザスの風 ジンマーマン家
ジンマーマン家のマティンさんから、バカンスでイタリアに行ってきた、と葉書が届いた。マティンさんは、「この葉書はイタリアの葉書だけど、シュネッスハイムのポストに投函するわね。」、と書いてくれた。
こうして、私にアルザスの風が、シュネッスハイムの匂いが、届く。
ジンマーマン家は8月10日から2週間のバカンスだった。ジンマーマンさんは、家族でニューヨークとシカゴへ出掛けて来た、暑くなくてよかったよ。と便りをくれた。ジェレミは、美しい湖がある山へ行って、チーズ作りやサボ(木靴)、石切加工場、コーヒーの焙煎場を見てきたんだよ、と素敵な夏休みを報告してくれた。
ジェレミは、毎週のようにメールをくれて、「君のビザが早く取れるように、願ってます。すぐ返事頂戴ね!」、と書いてくれる。2週間ぐらい、互いのメールが途絶えたときは、「Ca fait lontemps qu'on ne s'etait pas ecrit.!!!!!! しばらく、メールないじゃん!!!!!!」、と書いてくれた。
ローゼンメールのメッツシェフが、私の労働許可に奔走しているのが、ひしひし伝わってきて、イザベルメッツ夫人が書類提出に走り回ってくれている姿が、目に浮かぶ。メラニーも、ロリックも、ローゼンメールのパピも、子供達も、早く帰って来ーい!と私を待っていてくれるのが、わかる。
フランスで2年を過ごし、3年目を迎える今、1年前とは違うステップにいると感じている。フランスで仕事ができる、一緒に仕事をしたいと、待っていてくれる人達がいる。そして私は、フランス語で事務連絡のやり取りができるように、なった。ここまで来れて、嬉しい。
私はいつも、アルザスに繋がっている。片思いではなく、両思いで。
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こうして、私にアルザスの風が、シュネッスハイムの匂いが、届く。
ジンマーマン家は8月10日から2週間のバカンスだった。ジンマーマンさんは、家族でニューヨークとシカゴへ出掛けて来た、暑くなくてよかったよ。と便りをくれた。ジェレミは、美しい湖がある山へ行って、チーズ作りやサボ(木靴)、石切加工場、コーヒーの焙煎場を見てきたんだよ、と素敵な夏休みを報告してくれた。
ジェレミは、毎週のようにメールをくれて、「君のビザが早く取れるように、願ってます。すぐ返事頂戴ね!」、と書いてくれる。2週間ぐらい、互いのメールが途絶えたときは、「Ca fait lontemps qu'on ne s'etait pas ecrit.!!!!!! しばらく、メールないじゃん!!!!!!」、と書いてくれた。
ローゼンメールのメッツシェフが、私の労働許可に奔走しているのが、ひしひし伝わってきて、イザベルメッツ夫人が書類提出に走り回ってくれている姿が、目に浮かぶ。メラニーも、ロリックも、ローゼンメールのパピも、子供達も、早く帰って来ーい!と私を待っていてくれるのが、わかる。
フランスで2年を過ごし、3年目を迎える今、1年前とは違うステップにいると感じている。フランスで仕事ができる、一緒に仕事をしたいと、待っていてくれる人達がいる。そして私は、フランス語で事務連絡のやり取りができるように、なった。ここまで来れて、嬉しい。
私はいつも、アルザスに繋がっている。片思いではなく、両思いで。
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2009/7/11
Je pense fort a toi. あなたを強く思う。 夢のオーベルジュ Auberge
Le Rosenmeer ル・ローゼンメールのメラニーからメールが来た。
フランスからメールをもらう度、「私は元気です。」 「あなたは、元気ですか。」、という教科書みたいな基本フランス語から離れた、「ねえ、ねえ、どうしているの。」、という文体に触れることができる。あああ、こうやって書くのね、と私はメールからフランス語を学ぶ。
会えばビズして抱きしめ、分かれるときもビズするフランス人との付き合いは、メールの中では最後に、Gros bisous 沢山のキスを。(メラニーより)、Grosses bises (ジンマーマンさんより)、biz (誕生日にくれたクリストフのメールより)、amicalment 親愛をこめて。(ジェレミより)、といった、それぞれの愛情溢れる言葉で表される。
日本語のメールの〆は、「またね。」 とか、「では。」 となるから、私は日本語でメールを書くとき、相手に対する愛情を表す言葉も、その置き場所も見つけられない。日本では人に会って、ビズする訳にいかない様に。
ときに、日本語でも、もっと暖かい気持ちを伝えたいよ〜となる。「会えるのを心から楽しみにしています。」 などと言葉を探して親愛を伝える。 それでも、Bisous ビズ、の一言で伝わる親愛の方が体温がぐんと高いのだ。
メラニーは、Je pense fort a toi. と書いてくれた。メラニーのメールには、ル・ローゼンメールの仕事を辞めたから、アルザスに帰ってきたら電話をして欲しい。早くあなたに会えますように、とあった。
Je pense a toi. あなたのことを思う。
「昨日、どこそこを通ったとき、あなたのことを考えたんだよ(思い出したんだよ)」、という具合に使う。メラニーは、Je pense fort(強く)a toi. 「あなたを強く、思う。」、と書いてくれた。
「誰かを強く思う。」、日本語ではメラニーの心情を表す表現が見つからない。
私はフランス語で言葉をもらい、それを受け取れるようになって、フランス語でしか上手く表せない気持ちと、人との付き合い方があるのだと気が付く。
メラニー、あなたは私にとって、とても大事な人だから。Tu es mon ami tres important. 日本語では、重い言葉かな。メラニーには、これにビズを一杯つけて返信した。
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フランスからメールをもらう度、「私は元気です。」 「あなたは、元気ですか。」、という教科書みたいな基本フランス語から離れた、「ねえ、ねえ、どうしているの。」、という文体に触れることができる。あああ、こうやって書くのね、と私はメールからフランス語を学ぶ。
会えばビズして抱きしめ、分かれるときもビズするフランス人との付き合いは、メールの中では最後に、Gros bisous 沢山のキスを。(メラニーより)、Grosses bises (ジンマーマンさんより)、biz (誕生日にくれたクリストフのメールより)、amicalment 親愛をこめて。(ジェレミより)、といった、それぞれの愛情溢れる言葉で表される。
日本語のメールの〆は、「またね。」 とか、「では。」 となるから、私は日本語でメールを書くとき、相手に対する愛情を表す言葉も、その置き場所も見つけられない。日本では人に会って、ビズする訳にいかない様に。
ときに、日本語でも、もっと暖かい気持ちを伝えたいよ〜となる。「会えるのを心から楽しみにしています。」 などと言葉を探して親愛を伝える。 それでも、Bisous ビズ、の一言で伝わる親愛の方が体温がぐんと高いのだ。
メラニーは、Je pense fort a toi. と書いてくれた。メラニーのメールには、ル・ローゼンメールの仕事を辞めたから、アルザスに帰ってきたら電話をして欲しい。早くあなたに会えますように、とあった。
Je pense a toi. あなたのことを思う。
「昨日、どこそこを通ったとき、あなたのことを考えたんだよ(思い出したんだよ)」、という具合に使う。メラニーは、Je pense fort(強く)a toi. 「あなたを強く、思う。」、と書いてくれた。
「誰かを強く思う。」、日本語ではメラニーの心情を表す表現が見つからない。
私はフランス語で言葉をもらい、それを受け取れるようになって、フランス語でしか上手く表せない気持ちと、人との付き合い方があるのだと気が付く。
メラニー、あなたは私にとって、とても大事な人だから。Tu es mon ami tres important. 日本語では、重い言葉かな。メラニーには、これにビズを一杯つけて返信した。
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2009/7/9
ジンマーマンさん ジンマーマン家

Pierre Zimmermann ピエール・ジンマーマンさん
心から信頼できる人に出会えた私は、幸せ者だと思う。ジンマーマン家は私にとって、フランスにいる家族だ。
ジンマーマンさんはスゴイ。クープドモンドで優勝し、日々丁寧な仕事をして、スタッフのベテランも新人も同じように大事だと言い切る、口癖は、「personne parfait. 完璧な人はいない。」
ジンマーマンさんと私でパンの仕込みをして、塩なしパン(注文品)が何処にいったか分からなくなり、焼きあがったパンを何十本と齧って、塩なしパンを見つけ出したこともある。
私がじわじわと分かったこの人のスゴサは、一人の小さな日本人(私)を、とことん垣根なくジンマーマン家に受け入れてくれたこと。
カメラを壊した私に、「私のカメラ使ってください。」、と頼む前に貸してくれて、「持ってていいよ。」
誕生日の夜、日本時間の夜遅く、「ジンマーマン家一同からビズ。」 とメールが届いた。次の日、電話が来た。「誕生日おめでとう。昨日のメール、遅くなっちゃって。」久しぶりに聞く、アルザスからの声。マミー(おばあちゃん)の声も優しい。私は有難くて、嬉しくて、上手く喋れなかった。
アルザス・ホームシックになったとき、ジンマーマンさんや、クリストフや、ジェレミがくれるメールが、嬉しい。(マチュは、メールをやらないけれど、マチュとも繋がっている気がする。)
ジンマーマンさんは私のブログをGoogleの翻訳ソフトを使って読んでいる。めちゃくちゃな訳になるらしい。このページは特に、何が書いてあるんだ?と気になるだろう。
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2009/4/17
クリストフとパンを焼く ジンマーマン家

ジンマーマン家の研修を終えて、私は出国の準備を始めた。8ヶ月住んだ住まいを片付けて、いつもピカピカに綺麗なジンマーマン家に相応しく、大掃除。
時差ぼけ予防に、飛行機に乗る2日前は仕事のシフトに入れてもらった。朝2時起きで、3時から仕事に入ると、日本時間の朝9時起きになるから、すでに日本時間で生活ができる。
クリストフとパン部門で仕事できるのが、楽しい。クリストフは、クロワッサンの新しい成形を試みていて、2人でああだ、こうだと試作した。クリストフは頭が軟らかくて、私の提案を 「・・C'est ca そうだね。」、と受け入れてくれる。
クリストフが、「君はよく仕事する。」、と言ってくれた。私が「よく仕事する」、なら、あなたは、「エクセレントに仕事する」、だよ。
「そんなことはない。」 クリストフは自分をすごいと思っていないところが、またすごい。私は彼を尊敬して止まない。
クリストフは、パンを窯から出すたびに、「いい?」、と聞いてくる。「ノン、焼き足りない、もうちょっと焼きたい。」、と私が言うと、「君は俺のシェフだね。」、と言い出す。クリストフとこんな風にパンが焼けるようになった。
ジンマーマン家で研修を始めたときは、実に緊張した。レベルの高い仕事をしているのは、始める前から読み取れた。付いていけるかな、と心配だった。男だらけの厨房。てきぱきぱっぱ。
始めの頃、仕事中に私に話しかけてくるのは、ジンマーマンさんだけだった。
ジンマーマンさんは、私の研修修了書に有難い言葉を書き添えてくれた。
En outre, sa disponibilite et sa gentillesse ont fait d'elle une satgiaire
particulierement appreciee de toute l'equipe.
彼女の闊達さと心使いを、全スタッフが高く評価している。
ジェレミは、私の出国前夜、学校からバスで帰宅してすぐ、車を走らせジンマーマン家に来てくれた。私がジェレミの家に遊びに行ったときの写真を印刷して、届けにきてくれたのだ。「アルザスに帰ってきたら、また家に食事に来て。」
ここでマチュと初めて交わした会話は、「フランスに家族はいるの?」 だった。non,いない。フランス人によく聞かれたこの質問。私はフランスで寂しかったか?
non,アルザスは、いつも私に温かい。
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2009/4/17
アルザスビール・スティック ジンマーマン家

Batonnet a la Biere d'Alsace アルザスビール・スティック
ジンマーマン家の名品の1つ、塩味のスティックビスケット。アペリティフのお摘みに最適。
ベースの生地は、アルザスビールで捏ねる。アルザスは、ビール原料のホップの産地で、地元のビール会社もある。このビールスティックには、白ゴマが入り、ベーキングパウダーで軽く焼き上げる。生地表面は、ケシ、クミン、白ゴマ、ナチュールの4種のバラエティを施す。
この商品には、ミックスハーブが1袋付いていて、500gのフロマージュブラン(フレッシュチーズ)に混ぜて、これをスティックに付けながら食べる。フロマージュブランの酸味のないコク味がハーブを引き立て、美味。
フロマージュブランが見当たらない、というときは、ヨーグルトを代用する。水切りしたヨーグルトを使うといい。
このビール・スティック、素朴な味ながら、誰にも喜ばれる秀作だ。オランダの小さな女の子ローズは、隣に味の濃いスナック菓子がありながら、このアルザスビールスティックをずっと食べていた。食ベ出すと、止まらない。
私はいつも、これを日本に持って帰る。日本の友達が、スティックの切り方を見て、素朴だね、と喜ぶ。機械生産ではない、手切りのスティックは、太さがまちまち。そういえば、そうね。私は気にしたことがなかった。
そうだった。サイズをそろえる、規格を作る、そんな仕事を日本でしていたっけ。ここでは誰も、気にしない。そして、アルザスの小麦粉で地元ビールを使って作る、この商品コンセプトにハーブのセット、という商品力が最高だ。
ジンマーマンさんは、講習会で紹介するときに、アルザスビールじゃないと作れませんよ、と言うのだそうだ。 「日本には、ビールあるの?」 はい、沢山。「日本のビールで作ってみてください。」
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2009/4/15
初物、白アスパラ ジンマーマン家

白く美しい初アスパラ、2種類のソース
白アスパラの季節が始まった。アルザス地方は白アスパラの産地だ。畑では、畝にビニールシートを被せて育てたアスパラを、陽に当てないように、早朝に収穫する姿が見られる。
ジンマーマンさんが、初アスパラの晩餐に招待してくれた。夫妻と友人のオランダ人夫妻と子供達と私のメンバーに、ミッシェル夫人は5kgのアスパラを用意してくれた。
アスパラの皮剥きは、機械で剥いてくれるところがあるから、そこで剥いてきた、とミッシェルさんが言う。アスパラの外側はしっかり剥かないと硬い筋が残るから、皮剥きは大事な作業。

白アスパラを食べるときは、ビネグネットソースかマヨネーズ、というのがミッシェルさん風。一般的には、オランダ風マヨネーズソース。ミッシェルさんが作ってくれたビグネットソースには、ゆで卵の微塵切りが入っている。そして、食卓には、ハムやサラミの盛り合わせ。白アスパラを食べるときは、こうしてハム類を食べるのだという。
軟らかく茹でた白アスパラは、春の香りがたっぷり。この白アスパラとソース、という一品自体はとても、とても淡白なもの。私は、こんなに淡い味を、普段肉食のフランス人が大喜びして食べるのを不思議に思った。フランス人は、旬の野菜も大好きなんだ、と知る。ジンマーマンさんの長男、リュックは好きじゃない、と手を出さない。こういう人もいる。
淡い、淡い白アスパラを、ハムやサラミの塩味と交互に食べる。なるほど、ハム類が合う。初物の白アスパラを堪能して、私は体の中まで春で満たされた気分。
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