「公への信頼」  政治のはなし

 授業の枕にオバマとロムニーのネタを持っていった話をブログで書いたら、酒と政治学の師匠である大学院の先輩から、「公に対する信頼を入れるとどうなる?」とコメントをいただいた。
 恐縮です。

 この「公への信頼」は、たしか何年か前に、京大の待鳥さんがどこかの雑誌で書いていた座標軸だったようにうろ覚えしていて、「大きな政府」「小さな政府」に代わって使われていたような気がするが、あまり定かではない。

 この「公」なのだが、「政府」なのか「公共」なのか、どっちの意味で使うかによって、大きく答えが変わってくる。
 政府に頼らないで自立した市民が新たな公共をつくろう、というものと、お上意識・官尊民卑では、天と地ほど違うわけだから。
 学校教育について考えると、たとえば「公立学校の復権」と「公教育の再生」とは、似て非なるものである。

 「公立高校」というとき、とくに地方ではそれは「官への信頼」と同義とみてよいのだろう。
 対して、たとえば港町や商都など、自主自立の精神に富んだ経済人が集まるところでは、古くから私学が創設され、高い威信を集めることとなった。ここでいう「私学」というのは「民間活力」と呼んでもよいだろう。

 たとえばイギリスやアメリカの「公立高校」と日本の「公立高校」は同じなのか。
 イギリスやアメリカの「公務員」と日本の「公務員」は同じなのか。
 こういうときの「公への信頼」とは、「政府への信頼」なのか「公共的なものへの信頼なのか」、それとも「まじめに働く公務員への信頼」なのか。

 学校教育を論じる上で、「公」というのはマジックワードである。

 ・・・ちょっととりとめないけれど、メモ代わりにとりあえず。
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