2004/8/25
処方箋のところで「理解者を見つける」という方法を書きましたけど、
勘違いしちゃいけないのは、理解者というのは決して
自分をいつまでも支え続けてくれる存在じゃないということ。
あくまでも、対等な存在であるべきです。
俺自身の経験から話しますが、サッカーが出来ないことからくる
劣等感・疎外感で悩んでいる者とすれば、自分は常に相手にされない、
見下されている、あまつさえストレス解消の手段にされているに違いない…
ついついそんな被害妄想に近い感情を抱きがちなんです。
それで、追い詰められたような気持ちになり、ますます塞ぎこんでしまう。
立ち直るきっかけが、つかめなくなってしまうんです。
そんな人間にとって、大げさに言えば「自分の存在を認めてくれる」
理解者の存在というのは、ものすごく励みになるんです。
それがサッカーに真剣に取り組んでいる人であれば、なおさら心強い。
もちろん、年がら年中接触する必要も、一から十まで面倒を
見てやる必要もまったくなく、あくまで対等に接することが大切。
極端な話、一回話を聞いてやるだけで、立ち直ってしまう可能性だってある…はず。
もちろん、接してもらう側が、自分で立ち直ろうとする気持ちを持ち続けなければ
事態は進展しません。理解者というのは、きっかけを与えてくれる人物であって、
決して自分を守ってくれる存在ではないのです。最終的に自分を守るのは、自分です。
という気持ちをお互いに持つことが対等な良い関係を築くコツなのかな、と
中途半端に長い(笑)人生経験から学びました。
「何甘いこと言ってるんだ」って思われる方も、いるかもしれませんが…
なんだか処方箋に書いてあることの焼き直しみたいになってしまいました。(笑)
そのうち処方箋のほうを書き直すかも…

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こんにちは、私は初めてこのホームページに来ました 対等な関係のコラムを読んで、すごく共感するものがあってコメントさせて頂きました。
私はすごく塞ぎこんでしまった事があるんです。小学生から続けているのに、初心者に抜かされてしまって、それから本当に落ち込んで立ち直れなくなりました。
母からは「何をやってるんだ がんばりなさい」と言われましたが、私だってこれでも一生懸命やってるんだと爆発した時もありました。そんな時支えてくれたのは、部活の仲間と私が抜かされた子でした。私は決して一人でやってるんじゃないと実感させられ、立ち直る事ができました。何の競技でも自分は一人でやっているんではないときずくことも強さにつながっていくものだと私は思います。
長々と書き込んでしまってすいません。
一生懸命サッカーと関係も持とうとする国分さんの意見は決して甘いものではなく、逆にチャンスを与えてくれてるような気がしました。
本当に長々とすいませんでした。