3年前の丁度今頃、
2006年の6月に夥しい時間と許容範囲越えの脳と腕で仕上げた仕事がある。
私の経験上では最大級の仕事。
簡単に言えば、工場内で作られた製品を検査して
OKか
NGか判断する機器。
それを最新型にすべく更新依頼が来て、ここんとこヤラレつつ、ヤリ返しつつ〜現在、終盤。
2006年6月といえば、
Peace On Earth に私も参加するようになり、大所帯の“バンド”になった頃。
当時のプログラミング…書類を見ると、パスワードが、"poepoe"だったり、
George Harrisonの曲名だったり、仕事とPOEが同時進行で進んでいたのがよくわかる。
あの時、初めて本格的なリハなるものに参加し、
初めて会った人や初めて弾いた曲、いっぱいいろんな事に触れたタイミングだった。
そんな日々の暮らしプラスαの新鮮な状況や、皆と音を出せる贅沢な時間が、
仕事がメチャクチャ大変でも精神的に救われていたんだと思う。
仕事…機械相手のプログラムだから、
「そのあたりは言わずもがなで、わかってくれよ」じゃ通用しない。
事細かな条件や選択肢をすべて叩き込んで、不要だと思っても万が一に備え、考え得るすべてを網羅させて、
はじめてひとつの動きの流れが出来る。
おせっかいな私にマッチした仕事だと思っている。
こちらは人間だから、その時々の感情や体調でバリバリ進む日もあれば、何にも進まない日もある。
あちらは機械だから、プログラムのミスさえ無ければ、必ず動いてくれる。
こんな忙しい動きは負担にならないか?などといった余計な心配も無用。
でも、チョットでも動かなければ、
“大海の一滴”みたいな涙粒

を探し出してあげなければならない。
悲しみの涙も嬉し涙も寝不足のあくびの涙もすべて掬い上げて仕上げ、
最終的には、「頼む

動いて

」なんて念じたりもする
そんなこんなで前回は半年以上かかって完成。
芸術作品とは違うけど、創っていく過程で、面白いようにスムーズに出来た部分や
悩みに悩んでなかなかできず、眠っている時に夢の如く浮かび解決した部分など、
1つのプログラムでも、愛着たっぷりで、意志も込めた完成品

。
可能性としてほとんどゼロに近い現象の場合に出す警告の文章に、
遊び心というか、シャレというか、そんなもんまで組み込んじゃったりもしてる

。
どこかに自分が関与した証拠を残したいのかな。
生きた証し…とまで言ったら大袈裟だけど。
現場に納入した後、作業員から「よく動いて
くれていますよ」なんて、
まるで働き者の奴の如く言われるとやっぱり嬉しい。
たまに、「トラブってんだけど!」なんて電話が入ると、「奴、何、やらかしたんだ?」なんて

。
御蔭様で、最新型も、もうすぐ完成

。
仕上げには、どんな“証し”“意志”を入れ込もうかな…。
それが、仏像とかの場合の「眼を描き込む」こと…点睛、開眼、にあたる感じもする。
眼が開く。 目を覚ます。
機械も、解き放たれた自分も。