2017/3/8  22:48

本リンク(英語)  分類なし

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2016/12/17  1:35

下書き保存のメールを一押しで出す  日記

自分用です。
偶然発見。

iPhone (iOS10.2)
メールで下書き保存したものを出す時。

わざわざメールボックスを戻らず、
メール画面のどこでも出てくる
右下の新規メール作成マークを長押し。

下書き保存フォルダ出現。

とても便利です。
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2016/9/11  4:50

土の匂い  日記

昨夏、張り切ってプランターを4つも買って、
コツコツ生ゴミを埋めてみました。

毎日、という訳には行かなかったのですが、
夏の間はそれなりに取り組んで、
秋から冬になる頃には作業を止めました。

埋めた生ゴミは、
しばらく掘り返さない方が良いと聞いていましたが、
時々、恐る恐る、ほんの少しだけ中を見てみると…

想像はしていたものの、
本当にこれで大丈夫なのかとやや心配になる様子。
生命の強さというか、循環の素晴らしさというか…。

ベテランの知人に聞くと、
それで大丈夫と勇気付けられ、
そのまま放置。
その知人は、冬の間は室内で
段ボールを使って生ゴミ処理をするということですが、
私はちょっと勇気がなくて出来ませんでした。

そうして冬を経て春が過ぎ、
夏が来たものの、何となくそのままに。
盛夏を迎えた頃に、ちょっと気になり、
どうなっているかなと掘り起こしてみました。

すると、中から、土の匂い。

深呼吸したくなるような、
あの、土の香りがしました。

一部、残骸(貝やピーナッツの殻まで入れていたようで)や、
柔らかなものを食べてくれた生き物の残骸もありましたが、
様々な種類の、生ゴミだったものは、
見事に土と化していました。

生命と循環の素晴らしさ!

生ゴミが土に変身していることに感動し、
今年もまた、埋めることに。
昨年出来た土に、加えて行きました。
毎日出たものを、全て入れるというのは、
時間的にもなかなか難しいのですが、
なるべく循環させたいと思い、
可能な範囲で埋めています。

土に返し、土に還る。

本来、自然で当然のことでありながら、
現代ではなかなか実感できません。

全てが電気に支配されるような今だからこそ、
自然の形態を上手く生活に取り入れることが、
もっと出来ないものかと考えるこの頃です。
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2016/7/14  5:44

選挙から思うこと。  日記

選挙が終わって数日。

私たちはもう既に、
何も無かったかのような日常に戻っている。

でも本当に、何も変わっていないのだろうか?
穏やかで時に退屈な日常は、未来永劫だろうか…?


政治に疎く、何も知らず、語れることのない私は、
このところ選挙から遠ざかっていた。
でも数日前、たまたま知人から教えて貰った情報から、
今の日本の行く先が危ういのではないかと感じ、
今回は意思のある一票を投じた。

これまで、政治はよく解らないから、ということを言い訳に、
選挙に目を向けてこなかった。
仮に、多少期待することがあったとしても、
きっと無理、という諦めもあった。
国の真ん中で、何が話し合われ、何が決められているのか、
知りたいと思っていた頃もあったけれど、
初心者で素人で政治に向いていない私の脳には、
誰のどんな話も、通り過ぎて行って残らなかった。

一票の責任があるのは解っていたものの、
参加する前に気持ちが萎えることが多く、
だから政治について私は
「知らない、解らない、興味も無い」
無関心なのだと思っていた。

少なくとも、無関心を装っていたと思う。

ところが今回、これまで自分が「無関心」だと思っていた気持ちは、
実は、「希望が持てなかった」だけなのだと認識した。

私のように、「希望が持てない」人々は、
始め不安を抱えていても、
直に政治に求めることをしなくなり、
政治を知ろうとしなくなり、
多少の疑問が湧き上がっても、
誰も教えてくれないからと蓋をして遠ざかるか、
きっと大丈夫、と大勢を信頼しようと試みる。

そしていつの間にか、政治は解りにくい、
から、解ろうとしない、に変わっていく。

無関心な人々の存在は、
政治を操りたい人々にとって、最大の味方に成り得るかもしれない。
義務を放棄した人々に発言権は無いし、
そもそもどこへ向かおうと構わないのだから。

最大の危機は、人々の無関心にあるとは言えないだろうか。

私にとって政治は遠いと思っていた。
確かに、過去も今も、恐らく未来も、
政治について自信を持って語ることは出来ない知識量ではある。
けれど、政治は、私たちの生活の隅々にまで染み渡っている。
その全てを、ただ当たり前のように受け入れていて良いのだろうか?

解らなくてもいい、
例え政治の、一面のそのまた何分の一しか知らなくても、
生命を奪い合うことだけはしてはいけないと知っている。
世の中に関してどんなに無知でも、
全ての生命が尊く、無駄に居るものは一つも無いということは知っている。

だから恐れずに訴えて行かなければならない。

言論の闘いがあったとしても、
命を奪ってはいけない。
競い合うことがあったとしても、
命の尊重を忘れてはいけない。

一人一人が輪を広げていかないといけない。

私に出来ることは、地球上の大海原に、
たった一滴の色を落とすよりも僅かなこと。
けれど、そんな小さなことすらせず、
ただじっとしているのは、
実は無責任なのだと自戒の意味を込めて思う。

過去を想い、現在を見て、未来に繋ぐことを、
もっともっとしなくてはならないと、
今回の選挙は教えてくれた気がする。
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2016/2/17  1:50

音楽を弾くことに向かう  日記

確実なものはない
いつも、初めてなのだから。

そんな当たり前のことを
独り、向き合うときに思う。

きっと、
いつまでも不安定だから、
安定を求めて走り続ける。

安定などやって来ないことを
本当は知っているけれど、
やはり走り続ける。

孤独で不安で仕方なくても、
道筋もないまま進まなくてはならず、
息が詰まりそうなときもある。

誰に相談しても
解決も和らぐこともない
誰とも共有できない。

ふと、夜中に独りはたを織る鶴を想う
身を削って織るその時間、
彼女はただひたすら
我が身と向き合っていたのかと。

私も、
自分と向き合うしかなくて
自分の弱さと葛藤するしかなくて
決して訪れない確実さと平穏を、
追い続けるということ。

たまに、何かを見付ける。

その何かを、落とさないように、
また走り続ける。

逃げれば何も見付けられないから
逃げるわけにも行かない。

追い詰められ、
押し潰されそうな圧迫感。
決して心地の良いものではない。

なのに、それに支えられている気がする。

綱渡りから生まれる音と音楽は、
もはや私の腕の中には無い。

音を紡ぐ瞬間、
私はどこにいる?

音楽は、
この上ない波動と、呼吸と、
どこにも存在しない自分。

ただ、美しい音楽であることを信じたい。
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2015/11/12  2:24

いじめは卑怯?  日記

先日、ぽかぽか陽気の日に、
普段滅多に乗らないバスに乗りました。

乗客4、5人で、
のんびりと座っていたら、
写真のような広告が貼ってあるのを見つけました。

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お隣には、羽生選手の、力強くも優雅な舞い姿。

赤文字が何気なく目に入り…

いじめは、卑怯な行為。

心の中で繰り返していたら、
何かがひっかかる……。

卑怯な行為。

そうかもしれないけれど、
このメッセージは、誰に向けて発信しているのだろう?と。

いじめをしている人は、
きっと心のどこかで知っている筈。
いじめている、ということを。
それでもしてしまう理由がある。

そんな時に、
あなた卑怯なことしていますよ、
と言って、心に伝わるでしょうか?
言われたら余計に傷付いて、
いじめという逃げ場に、
もっと入り込んでしまうかもしれません。

いじめは絶対しない、と思っている人でも、
もしかすると知らずに、
人を傷付けているかもしれない。

そんな人が、
いじめは卑怯な行為、という言葉を見たら、
自分のこととして深く反省するでしょうか。
他人事としか受け取らないような気がします。

「いじめ」は不快で重荷で悲しくて、
多くの場合どちらかが必ず、
或いは両方が、それぞれ傷付くもの。
そう考えると「病気」と似ているような気がします。

病気は卑怯ではありません。
病気には必ず原因があり、
その原因は一つとは限らず、
全てが解明されるとも限りません。
すぐに取り去ることができるとも限りません。
それでも、原因だろうことを注意深く探し、
少しずつ改善して行ってようやく回復します。

「いじめ」という現象は
決して肯定されるべきものではないし、
ゼロを目指さなくてはいけないと思っています。
だからといって、ただ声高に、
「いじめは良くないから止めよう」
と呼びかけて、はたと気付いて止めるほど、
柔らかなものではない筈です。

いじめられる方はもちろん、
いじめる方も命がけ…

そんな気すらします。

社会の中にある様々ないじめを、
一つでも減らし、少しでも軽くするためには、
いじめを受ける側の傷を癒やすのと同じくらい、
いじめる側のその理由を見付けて解決に導くことが大事なのではないか、
と思ったりします。

それはとても困難を極めることかもしれません。
いじめの深層には深い深い悲しみがあって…
それは少しくらいのことでは癒されないほど、
何層にも積み重なって、
心の表面にはもう固い扉が閉ざされているような…
そんな想像をします。

自分には何が出来るだろう、
と思うと、無力です。
ただ、日々の暮らしの中で、人々の、
特に子どもたちの、心の悲しみに、
出来る限り寄り添うようにできれば、
と改めて思います。
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2015/8/11  23:53

皮ごと桃!  日記

桃が届きました。

ほんのりとした色付きは、人肌のよう。

もぎたての立派な葉も付いていて、
生き生きしています。

説明書きを見ると、
皮ごと食べるとより美味しいとのこと。

早速流水で皮を洗い、
毛羽立ちが無くなったら皮ごと、
パクッと口に入れてみました。

林檎なら皮ごと、も想像できますが、
桃は初めてなので、少し心配しながら。

ところが、フレッシュな桃は身が締まっていて、
皮と分離することなく、
皮そのものも薄く、
かじっても違和感がありません。

水っぽくなく、甘過ぎず、柔らか過ぎず、
けれど風味はしっかり感じられ、
すももを想起させるような食感と味。

これまでの「桃」の認識が変わるほどでした。

桃の食べ頃はいつも難しく、
あっという間に過ぎてしまうこともしばしば。
でも、この桃は、食べ頃を待つ間も無く、
あっという間に無くなりそうです。



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2015/7/30  1:31

長旅の友  日記

あまりにも久々の投稿となりました。

さて、夏に200kmを超える運転。
灼熱の外気から一転、車内の程良い温度と、
赤ちゃんのゆりかごに最適なタイヤの振動、
時に渋滞もあったり、
広い風景は気持ち良いけれど、
走っても走っても延々と続く路。

黙々とアクセル、ブレーキ、
ハンドル操作を繰り返していると、
段々と瞼が落ちてきそうになります。

コーヒーを調達してもあまり効果なく、
刺激の強いガムもあまり…

そこで、あたりめ。

これならば、ガムよりも硬く、
顎の運動にもなりそう。
人工甘味料が入っていないのも安心。

そして、効果も有り!

何においても「かみしめる」機会が
少ない現代、
普段からこんなおやつもいいかな、
と思ったりしました。

そしてもう一つの長旅の友は、
もちろん音楽!


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2015/2/12  3:39

ドレスの染み取り〜中性洗剤の力〜  日記

今ごろ…
ですが、洋服の染み取りが自宅で出来ないものかと
方法を調べては試してみたりしています。

そんな中で、ドレス。

これは、失敗すると痛手かなと思いつつ、
先日は、コーヒーらしき染みを、
ブルーの練り石鹸でつまんでみると、
思いの外簡単に落ちました。

これに気を良くして、
次は、黄ばみを。

私は、子どもの頃から
全くといっていいほど汗をかかず、
まして、汗が流れ落ちた経験は二、三回。

大人になってから、ある盛夏に、
ストッキングとロングスカートで
反射熱の強いアスファルトを歩いていた時、
一筋、脚を伝った水滴。
それが汗かもしれない、と認識した時の驚き。
今でも鮮明に覚えているほど印象的でした。

ですので、舞台に上がる時も、
手先足先が、強烈に冷えることはあっても、
温まることなどほぼ無く、
むしろ本番を終えてやっと、
じんわり程よく温かくなるのが常。

その為、ドレスをクリーニングに出したことも、
実は、一度もありません。

とはいえ、長年着用していたベビーピンクのドレスは、
流石に染みが気になるようになり、
クリーニングに出すか自分で試すか、
半年ほど迷っていました。

そんな時に、
コーヒーらしき染みがあっさりと取れたので、
こちらの染みもトライしてみることにしました。

色々な情報を調べると、
油(脂)汚れにはクレンジングオイルや
中性洗剤が良いらしいということで、
思い切って、台所用洗剤を使用。
軽く押し付け、軽く叩き、
その後、水で流しました。

そして酸素系漂白剤を…
と思ったら、何となく、もうすっきりしている感じ。

でも、水に濡れていると判然としないこともあるので、
一晩乾かしてみました。

翌日。

明るい部屋で、気になっていた箇所を見てみると…

かなり目立っていた筈の染みが、見当たりません。

こんなに身近なもので、
簡単に綺麗になるとは、今更ながら、
驚きと、中性洗剤に感謝!

これならば、白のドレスも恐れず着られそうです。

他にも、コートやシャツなど、
気軽に汚れ落としが出来そうで、
少し楽しみになってきました。

ただ、困難そうなのは、
昨年末、灯油と共に染み込んでしまった黒い色素。
良い方法があれば、ぜひ、知りたいものです…。
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2014/12/4  21:23

楽譜(一時的)  日記

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