私は基本的に「根無し草」です。生まれは父親の転勤先(福島県いわき市)でしたし、小学生の時も中学生の時も転校して、ありがちな辛酸を舐めました(笑)。
ですので、小学校も中学校も、卒業アルバムが私には有りません。卒業アルバム作成のタイミングと転校が両方ともかみ合わなかったからです。
元クラスメートからの連絡など、これまでいっさい有ったこともなければ、同窓会に呼ばれたこともありません。子供時代の私が、あたかもこれまでどこにも存在しなかったかのようです。
修学旅行や文化祭や体育祭の想い出も、交友関係が出来たなかでではありませんでしたから記憶も定かでなく、修学旅行にどこに行ったかも覚えていませんし、具体的に何をして何をしゃべって楽しかったのかも覚えていません。
いつも転校生=エイリアンとして一歩引いた位置に自分を置いておかないといけない子供時代でした。小学校時代の後半はずっといじめに遭い、テストの成績や授業態度は悪くなかったので、よけいに自分を殺して大人しくしてなければなりませんでした。
入学と卒業が一致したのがやっと高校の時です。家庭環境も一因なのですが、その時には私はかなり世間ずれ?していて、高校の卒業式は自分の意志でドタキャンしました。それに対して学校側や友人(と思っていた人々)から「どうしたの?」の一言がまったく無かったことが、私のやさぐれ根性を決定的なものにしました。
1年浪人して大学に通い出したときは、既に、家族を含めた既存の人間関係をあてにしなくなっていました。それでもそういう自分に絶望してウツウツするだけの未練は残っていました。絶望さえしなくなったら本当に吹っ切れるのは分かっていましたが、なかなかジャンプ台から飛べずに居ました。自分でいろいろ動いては状況を動かそうとしていましたが、この時代が一番、精神的に苦しかったころです。
自分ひとりの選択と覚悟で、今の仕事についたのが結局は転機だろうと思います。
しかしまたもや私は大学の同級生たちから忘れられがちな存在となりました。研究室の人員配置の関係で、実際に活動していた研究室と、所属していた研究室が異なっていたため、活動していた研究室の同窓会には全く呼ばれず、名簿に名を連ねているだけの研究室からは毎年のように同窓会のお知らせが来るのです。
もう、私の持ってる運命なんだろうなーと、最近は諦めています。
どこにも確たる自分の居場所って無いんだなぁ、少なくともこれまでは全く無かったなぁ、というのは、半生を振り返ってみれば決して大げさな諦観ではないのです。
なので、こういう年齢になって周囲の人が、自分の住んでいる地域ボランティアに励んだり、小学校や中学校の同窓会に参加したり、という話を聞くにつけ、私とは全く毛色の違う人生を歩んできた人の発想や考え方に、私はむしろ新鮮な思いを抱くことがよくあります。
地元ってなに。昔からのつきあいってなに。子供時代の友達ってなに。
私にはどれも望むべくもないものです。
となると、日本ってなに。世界ってなに。地球ってなに。人間ってなに。
どれも「たまたま」私の属性になってるだけのものばかりになってしまう。
私があまり「死」を恐れてないことや、宗教や神を信じていないことや、寄って立つところと私が信じられるものが「無」であることなどは、こういった‥てか、どう言うんだろう‥無常観から来ているように思います。これまでの人生をエイリアンとして生きてきましたので、生きていることそのものがエイリアンじゃないかという視点に到達するまで、時間はかかりませんでした。
両足の裏に踏みしめる具体的な足場や大地を持っていないがための、何とも言えない不安定さと不安感は、すでに私の友達です。しかし、「何もない」はひっくり返せば「何でもあり」なのです。意外にも、私は長い年月を経てずいぶんな自由を手に入れたものだと思っています。