今回の地震・津波・原発事故に関する情報が飛び交い、メディアからもインターネットからもも、また個人的な連絡・通信からもさまざまに入ってきています。
大震災の発生から5日経ったわけですが、この間、緊急事態の時の判断や選択ということについてずっと考えていました。
それこそ目の前に津波が迫っている中で右に行くか左に行くか、原発でいつ海水注入をするか、いつ弁を開放するかという個人や組織としての差し迫った判断、交通手段が麻痺する中で帰宅するか職場に留まるか、ホテルや支援所を探すか。あるいは各種団体が予定していた大行事を実施するか中止または延期するか。
その人だけの問題もあれば、その判断が多くの人に影響を及ぼす問題もあります。
実際に、避難の際の一瞬の判断が生死をわけたということがは多数伝えられています。あるいは、助けようとしたけれど力が及ばなかったと無念の思いを飲みこむ姿もありました。握りしめていた妻の手を離してしまった男性の非力を誰も責めることはできません。
緊急事態における判断や決断は、その場に直面する個人や組織の当事者の判断にすべて委ねられています。責任主体はより現場に近い者にある。そして周りの者は、心理的・物理的により近いところにいる者から順に、優先的に、その能力に応じて支援と協力と助言に最善をつくすのです。
仮に、現場の判断によって最悪の事態に突き進むことになったとしても、その結果は、すべての人が事実として受け入れなければなりません。それは個人の命のみに関わる問題であろうと、多数の人間の命運がかかっている問題であろうと同じことです。
緊急時には、事態に直接関わることがない安全地帯にいる者がとやかく言うことは、現場の判断を鈍らせたり狂わせたりしかねません。また「ああすればいい、こうすればいい」という思いが出てくることもあるでしょう。そういうことは、事態が落ち着いてからゆっくりと意見を交わし合えばいいのであって、渦中の議論は混乱を招くだけです。
一つの判断は結果をもたらします。緊急事態においては、次に考えるべきことはその結果を受けて次に何を選択するかであって、前の判断の善し悪しを考えて反省したり後悔することではありません。
誰であっても、意見を言うことは自由ですが、緊急事態にあっては、当事者でない者がその判断の一々を取り上げて評価したり非難することは有害無益です。すべての人が、事態に直面する責任者の判断を受けて、今、次に自分が何をすべきかを考えることが求められているのです。もちろん、その判断とは違う判断をし行動をとることも、一人ひとりの判断に委ねられています。
原発事故への対処については、あえて言う必要もありませんが、事態が深刻であればあるほど、非当事者ができることは固唾をのんで見守ることだけです。
一つだけ、現場の当事者や関係者に望むことがあるとすれば、状況を外部に伝える際には、事態がどのように悪化したとしても、「この人なら任せられる、この人に任せたい」と思えるような伝え方をしてほしいということだけです。
その他の出来事についても、フィギュアスケートの世界選手権やマラソン大会が中止になったことは、ファンの一人としては残念だとは思いますが、その決定をした当事者や関係者は羞じることは何もないと思います。また、甲子園の高校野球を開催したとしても、それもまた羞じることはないと思います。
それぞれが直面する事態の中で、ギリギリのところで下した判断を、誰がとやかく言えるでしょうか。
自分が関わる団体・組織の責任者の判断や決定については、いろいろと思うこともありますが、事態が落ち着かない間は、不要不急の発言はできるだけ自重しようと思っています。今思うことは、後のち、団体の関係者がその判断を羞しいとか後ろめたいと感じなくてもいいような判断をしてほしいということだけです。

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