翌日、仕事を終えた友美は、午後七時に絵画塾「飛翔」へ顔を出した。絵画塾には去年の夏から月一〜二回通っていた。しかし、デザインより絵画の方が自分に合っていることがはっきりわかって、森之宮デザイン専門学校を去年の十二月に退学してからは、絵画塾へ週一回のペースで通うようになっていた。
今日は、戸川先生の自宅のギャラリーに二十歳代から四十歳代の男女七名の塾生がレッスンに来ていた。
二時間の授業が終ると、友美は戸川に呼び止められた。
「友ちゃん、今日は元気ないね。何か悩みでもあるの? 遠慮しないで何でも相談してくれたらいいから」
「先生ありがとうございます。実は、最近ストーカーに狙われているんです」
「えっ、ストーカー。大変だね……で、どんなことされているの?」
「あの……、尾行されたり、無言電話されて困っているの」
「尾行と無言電話か……もう警察に通報したの?」
「いいえ、まだこれといった被害もないし」
「そうか、被害がなければ警察も動かないだろうな。何かあってからでは遅いし、困ったことだな」
「いざという時、これを鳴らすから大丈夫です」
友美はバックから小さなひもの付いた防犯ベルを取り出して、戸川に見せた。
「防犯ベルを鳴らすようなことがあったら、ますます大変だね」
「ええ……」
戸川は本当に心配そうな表情をして、誰か顔なじみの男がストーカーになったのではないかと友美に訊いた。
「それが、どこかで見たような男性なんですが、帽子を深々と被っていて、はっきり顔がわからないの。何度考えても心当たりはないし、思い出せないんです」
「心当たりはないのか……、いったいその男は何が目的なんだろうね? じゃあ今日は、ストーカーに会わないように、俺が車で家まで送ってあげよう」
戸川は優しく言った。
友美は、戸川の運転する軽自動車の助手席に坐りシートベルトを掛けた。森ノ宮から放出のマンションまで十五分も走れば着いた。この日を境に、友美は戸川にマンションまで送ってもらえる安心感から絵画塾へ週二回通うようになった。塾の帰りはいつも戸川が親切にマンションまで送ってくれていた。
ある日、戸川は友美を送る車中で、絵画塾のアシスタントがいなくて困っているので、ぜひ、絵が上手な友美にアシスタントになってくれないかと懇願した。
しかし、友美は加藤に相談してからにしようと思い、少し考える時間をくださいと言って保留にした。
翌日、加藤がマンションにやって来たので、友美は絵画塾の仲間の話や戸川に帰りはいつも車で送ってもらっていることを語ると、加藤は愛想のない表情で聞いていた。
そして、友美は昨日、戸川から絵画塾のアシスタントにならないかと言われたが、加藤に相談しようと思って保留にしていると話した。
加藤はそれを聞いてみるみる顔色が変わり、
「友ちゃんの自由だけど、ぼくならアシスタントの件は断わるよ」
頭ごなしに言った。
友美は納得できない表情をして、
「ええ、何で断るの?」
「ぼくは、戸川先生に会った時から虫が好かないんだ」
「そんな……、吾郎さんはそう言うけど、戸川先生は絵も上手いし優しいんだから」
友美は少し不機嫌な表情をして言った。すると加藤は、男は男でなかったらわからない、嫌な雰囲気を戸川から感じるんだ。と言った。
「嫌な雰囲気って、どんな?」
「下心のある優しさで、女を落とそうとする、女癖が悪そうな雰囲気だよ」
それを聞いた友美は見る見る顔を青ざめて、
「えっ、吾郎さん戸川先生に対して酷いこと言うわね」
加藤を睨んで言った。
「そしたら、友ちゃんの勝手にしたらええやないか」
「吾郎さんは、戸川先生に嫉妬しているんじゃないの?」
「そう嫉妬だよ。車で送ってもらうこともアシスタントになることも気に食わないんだ」
加藤はそう言ったものの、曲者の戸川に優しくされて、信頼しきっている友美のお人好しが、気に食わないのが正直な気持ちだった。
「そしたら私が絵画塾に通っていることも気に食わないの?」
「そうじゃないよ。友ちゃんの誰でも信じるお人好しが気に食わないんだ」
「お人好しで悪かったわね。もう吾郎さんなんか大嫌い」
友美は大声で泣き出した。
「また泣き出したか……」と、腹のなかで呟いた加藤は、怒りと哀れさが複雑に入り交じってどうしようもなくなって、友美のマンションから逃げるように飛び出した。
加藤は戸川がストーカーに狙われている友美に対して、わざわざ車で送っていることが不可解だった。それと、アシスタントのことも何か裏がありそうな気がしてならなかった。ともかく、戸川を全く信用していなかった。
家に帰っても友美に対する腹立たしさと哀れみは治まらなかった。友美なんかどうでもいい、もう二度と連絡なんかするものかと、悲痛な気持ちになった。
ランキング参加中!クリックしていただくと嬉しいです(。。)
