東京・
狛江市の市民まつりで出会った沖縄の笑顔は、勝連阿麻和利の甦りからであった。そのことの書込みが終わらないで、新年に引き継ぐことになってしまったのだが、年初の初日に田島利三郎をつづるのもためらうので、話題を転ずることになる。
毎年の元旦はマキ親である本家に、年頭のご挨拶に伺うのが本来のしきたりであった。魚沼の旧来のマキ組織を見ていると、新年から放映が始まるNHKのドラマ「天地人」に語られるであろう景勝・兼続軍団の組織の根底にも、魚沼の強固なマキ組織が機能していたことは間違いなかろう。上杉景勝も直江兼続も越後魚沼の出自で、一マキ組織からなる魚沼衆に支えられていたからである。魚沼のマキ組織のことは、いずれ触れることになろうが、今日の世情では急速にマキ組織の緩みが見えている。年頭恒例のマキ親本家への年始ご挨拶が崩れつつある現今の気配にさびしさを思うのです。
今日二日は、菩提寺さまへの御年始が恒例である。このことには緩みのなくつづいている気配である。
三郎次も菩提寺の中山・林興庵にご挨拶に伺った。魚野川の段丘崖の上に立地する禅宗寺院である。魚沼には雪の少ない正月で、質素で穏やかな風情をしめす佇まいを見せていた。
門口に貼られた「 立春大吉 」と、「鎮防火燭」のお札は、檀家にも配られている林興庵の呪符である。
正月しめ縄の飾りも在家と同様である。
アルミ戸に換えられた玄関口には、来訪者が合図に打つ板木がかけられてある。
庫裡に上がると、これも在家と同じに、正月の鏡餅のおかざりが供えられていた。
広い庫裡の火炉の風情は、もう在家の家々では滅多に見ることのない懐かしみがある。
近年の改装前は、百数十年の年月で煤に覆われた黒い太柱と梁がむきだしであった。冬の寒い日に、いつまでも火炉のほだ木を突つきながら話し込んだ昔日は、林興庵ご住持が三郎次と同年の幼なじみだったのである。だが、すでに遷化されているから、余計にこの火炉が懐かしいのである。
新年のご挨拶のつもりがつい長くなって、山田御住持さまからは、多くのお話をお伺いすることができた。

林興庵は上田の雲洞庵末の禅宗寺院だから、語られてきた寺の歴史は、「天地人」の上杉景勝・直江兼続と無縁ではなかった。立地のムラの歴史もまた、景勝・兼続とかかわってきたのである。いずれNHKドラマの展開にもあわせて、魚沼のムラを語りたいと思案しています。
昨年の夏ころから、三郎次ブログに入るに、「 林興庵 」キーワード検索が多くなっていた。まとまった記事はないのだが、
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