これだけ途切れとぎれの書込みになると、ひとつのテーマを追う記事など、とても覚束ないことになる。それでも旧臘の記事にたち返って、ウチナーンチュの地域意識にかかわった田島利三郎をつづけることになる。
明治12年の琉球処分で、琉球王国が沖縄県となったこの地に、田島利三郎が赴いたのは明治26年である。首里の中学校国語教師としての赴任であった。ここでの田島は、併合した沖縄に、日本の威風を及ぼす姿勢ではなかったようである。沖縄の言語とか文化に強い関心を持ち、それを理解しようと務めていた。ことに古典神謡の「 おもろに 」に執心し、この神謡歌の研究から古琉球の世界を明かす道筋を開いたのである。
日本のなかでは、貶められる風潮にある沖縄の文化を見直し評価する姿勢は、沖縄への刺激となり、県立中学校生徒に支持されることになる。沖縄学の父とされる伊波普猷は、田島の教え子で、その学風を引きついだのである。
後の伊波普猷の学績は、民俗学・言語学・文学・歴史学などの多岐にわたるもので、それは貶められていた沖縄の人々の誇りを甦らせるものとなった。
苛烈な沖縄戦をへて、日本の敗戦は沖縄をアメリカの占領下に置いた。三郎次が沖縄の知人の書架に、伊波普猷の著作を知ったのは昭和37年であった。日本の敗戦から17年をへて、いまだ戦後の混乱から抜けない立場の沖縄の人たちは、苦悩のなかで自律と誇りを求める気持ちを、伊波普猷の学問と思想を通して深めていたのであった。
「 伊波本 」と言って、伊波普猷の著作本を携えていた知人の心意を、三郎次はまだよく理解することのできない40年前であった。
⇒ 田島利三郎
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