今日はお天気にめぐまれて、三郎次の田植でした。
山の緑が濃くなると、崩れ落ちたままの地肌がひときわ無残です。

自作の面積は少ないので、機械田植えは一日で終わった。それでサナブリ
(さなえ振る舞いのことか?)として
ホウの葉の祝いをしました。

田植えが終えたことの安堵を伝え、このさき秋までの稔の無事を、さく神様に祈るのです。ホウの葉に飯を盛って、きな粉をかけたお供えが習わしで、機械によらない手植えのころには、藁で結わえた苗束も供えたのです。
手植えのころの田植えはユイによる協働で、お互いに労力を出し合う一緒の田植作業が多かった。午前10時と午後3時には「ちゅうはん」というおやつの振る舞いがあって、きな粉をまぶした大きなきなおにぎりが常例となっていた。田植えはサツキとも云うようです。このサツキには何故かきな粉の飯が欠かせないことのようでした。
昭和30年代には、ユイ仲間による大田植えときな粉のおにぎりで、魚沼に入ったばかりのコシヒカリが植え付けられていたのだが、50年のコシヒカリの歴史の中で、魚沼の農村風景は大きく変わっている。
ホオの葉と、きな粉飯の心象も、今日どれだけ引き継がれているだろうか。
米つくりから祈りが離れたとき、コシヒカリは経済原理だけの競争社会の中に放り込まれることになる。命を支える食の原点が忘れられて、ただ美味しさだけを求めるなら、コシヒカリの堕落と思うのです。
昨年のこと、田植の日を沖縄の知人に知らせたら、その日に大きなサーターアンダギーが送られてきた。サーターアンダギーは沖縄の振る舞いごとには欠かせない食べ物であるとか。
柳田國男のはるかなる「海上の道」を偲んで、田の神に沖縄のサーターアンダギーを供えた。
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