ペタンクは遊びであり、スポーツである。
何を、今更判りきったことを言うのかね。と笑われるかも知れない。
しかし、ペタンクが遊びであってもスポーツであっても、人と人との繋がりと結びつき、信頼と安心が大切なのは全く一般社会と同じなのである。勿論、常識的にルール、マナー、モラルの大切な世界であって、決して特殊な独自の世界ではない。
歴史と伝統のある相撲界には、様々なしきたりがあるらしい。しかし、そのしきたりの師弟関係をはき違えて悪用した一握りの人達がいたが故に社会からは「相撲界に問題あり」と白い眼で見られ指弾を受ける羽目になったのは未だ記憶に新しい。
ペタンクというスポーツはフランスでは百年の歴史があるが、日本ではまだまだ世間の認知度が低い故、専ら普及を最重要視し活動しなければならないのは必至なのである。今、地方でペタンクの普及に真剣に取り組んでいる仲間達が少しずつ増え始めていて、互いに経験を学びながら連帯と友情の絆と輪をひろげている。しかし、一方でこの時期に善良なるペタンク愛好者を対象にして私利私欲の権益、打算的ビジネスを展開しようとしている人間がいるのには少なからず驚いている。確かにどんな世界にもこの種の人間がいるのは、世知辛い現代社会では当たり前なのかも知れない。だからと言ってこうした人達の言動を是認し黙認するならば、信頼も責任もない薄汚れた利害関係の特殊な世界になり、その存在意義さえ問われるのではないかと心を痛めている。
ペタンクは、紳士淑女の粋なオシャレなフランス生まれの屋外スポーツだよ。といっても、個人の精神生活の基底に良識や倫理感が全くない輩にはそのエスプリどころか、楽しみさえも理解出来ないのかも知れない。只々、ビジネスの利害関係しか脳裏に浮かばないのかも知れない。と。
どんなにポアンテが上手くてもティールが当たっても、その選手の態度が尊大で傲慢な態度が見られるならば尊敬どころか軽蔑の対象にしかならない。ましてや、競技を終えた後、声を掛けられ、挨拶も会釈もしない人間であったら尚更である。
ペタンク競技を離れても一般社会でルール、マナー、モラルを尊ぶことのない選手はスポーツマンとしても社会人としても三流でしかない。
以前、フランスのマルセイユのペタンク大会を観戦した折、一流と言われるマーク・フォイヨ選手は、一つの試合が終わると、待ってましたとばかりに多くのファンに囲まれ握手とサイン攻めにあっていたが、一つ一つ丁寧に笑顔で応えていた。ひどく疲れているに違いないが、小生のサインの求めにも気軽に応じてくれたのである。
さて、前置きが長くなったが、先日、顔見知りである、注目されている多忙な某選手と会議の席で出会ったが、その選手は挨拶どころか会釈もしない。この人、何を考えているのだろうか、どこか虫の居所が悪いのかと我が眼を疑ったのである。声を掛けられないよう小生から離れて位置し、会議の終わりには出席者の多くが机と椅子を片付けているにも関わらず、そそくさと姿を消すようにして立ち去っていったのである。
この状景と印象は彼が情けない小人物であることを示して余りあった。信頼を失うことを恐れない勇気があると変な感心をし、併せて寒心を覚えた。
人は見かけに寄らないという長い長いオソマツな話でした。

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