晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:ym
この衝動性とは、恐らくユング説く所の”リビドー”です。
念のため書きますが、フロイトは性的な面を強調していますが、ユングにおいてはその概念を生命における精神エネルギー全般に拡張しています。そのエネルギーは行動力の源泉であり、、ある場合には食欲に、ある場合は創造力に、また有る場合は性欲に変化する、ということだと私は理解しています。
そして、このエネルギーの流れに(先天的あるいは後天的、そして社会的要因による)歪みが生じると、時として異常性や攻撃性、反社会性、そして犯罪性をもつ行為を生じます。(林道義氏の解説です http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/jung5-3.html

つまりリビドーとは創造力の源であると同時に悪をも産むものです。
(人間として生きることは、潜在的には、暴れ馬を乗りこなす様なものかとも感じます。)

おそらく神?は多様性とそれに基づく進化?を愛でていますが(進化の駆動力はたぶん”リビドー”です)、一方人間は自らの社会を安定的に存続させるべく、何が犯罪であるかを規定する必要が当然有り、(例え罪深い事であっても)それは人間が果すべき”役割”です。そして死刑の設定はある社会での価値判断座標を形成する重要な”基準点”の一つです。その意味で私は死刑容認派ですが、いずれかの未来に廃止すべきとは考えます。(そのためには人間意識の相当な発達が必要なはずです。人間の”感情”を軽視するのは危険です。ヨーロッパ圏での死刑廃止は文化的に理解出来るとは言え時期尚早と思います。もう一点、イスラム法での死刑の有り方が、なんだか一番納得出来ます。遺族が許せば免れるらしいですね。)


その資格も教養も無いのに幼稚な犯罪論をぶってしまいました。失礼しました。

追記:”主体性”についてはもう少し考えてみます。
投稿者:ym
下記の件の続きのつもりです。また長くなりますがご容赦下さい。(例の事件の前に書いたものなんですが…。)

ちょっと焦点がズレているかも知れませんが、現時点までで思ったことを書きます。どんなに社会が良くなっても、ある程度の凶悪犯罪は、ある確率で発生する事は避けられないのではないでしょうか。その様な犯罪者の心の内は想像し難いですが、社会的要因だけでなく、何か避け難い先天的な心理的必然ともいうべきものとが相互作用して、”悪しき”感応が発生する場合も有るように思います。(実は、感応に良も悪もないのでは、とも思われますが…。)社会全般としては、”支配−被支配関係”の解消が、その発生確率と凶悪性を下げて行くと思いますが、それでも社会の”ゆがみ”及び先天的要因は人間である以上避けられず、そこに”凶悪性”の発生する余地が残される様に感じます。社会が成熟するに従い、その様な犯罪を未然に防ぐような、特に教育上での仕組みが発達してゆくとは思います。(北欧が手本になるのでしょうか。)

現在の世間を前提にすれば、私は死刑必要悪論を採ります。(悩みますけどね。)
しかし一方、死刑もやむを得ないと思われる犯罪者で有っても、ある面から見れば、”神のシナリオ”の中で損な役回りを負った、被害者とも言えます。彼らをその様な行動に駆り立てたのも、彼らには選択のしようも無かった”感応”では有りませんか?

またちょっと違う場合の例ですが、恐らく大半の人間は本来、互いに尊重し協力することそのものに快感を感じる生き物だと思いますが、そうでない人間もある程度存在します(犯罪者扱いしているわけでは有りません)。そういう事もまた”多様性”であり、社会的害悪でない限りは尊重すべきものなわけですが、それがたまたま”犯罪性”の中に(一部かドップリか分かりませんが)足を突っ込んでしまっている場合、その本人の”主体性”は何をやっているんだ、という事が気になる所です。衝動性(≒感応?)はその人の本質の恐らく半分(以上?)を表していると思います。(この点、善人も悪人も一緒です。)
投稿者:ym
こんにちは

ご指摘の点、現在の世間感覚を前提に、よく考えないまま安易に書いてしまったようで、反省しています(汗)。
私の書いた”上の思考”とは、”個に与えられたフリーハンド”を指しています。可能性としての、バリエーションの幅を極大にする意味に於いて”なんでもあり”を許容する考え方なので、その幅の中での”最悪”をどう取り扱ったら、受け止めたら良いのかな、という程度の話です。
ただ正直な所、良き感応と悪しき感応の分かれ目がどこに有るのか、まだ私の中で明確になっていません。”超越的な目的”も、個人レベルに落とし込むと、全くありがたくない役回りを押し付けられる面が有ると言えます。(ヨブ記は典型的な一例ですね。)もう少し考えさせてください…。(主体的とは何か、良く考えると私には分からなくなります。)
投稿者:早雲
ymさん、いつもありがとうございます。

>>これは、付与された超越的な目的はわからなくとも、さらには、超越的な目的があるかないかを思い煩わなくとも、全自然的実在としての自己に信を置いて主体的能動的に生きていけば、超越的な目的にも適うはずだということを示唆します。

「全自然的実在としての自己に信を置いて主体的能動的に生きて」
の阻害要因が「支配−被支配関係」だと思っています。

>しかし悩ましいのは、例えば猟奇的殺人者など我々は許容出来ませんが、上の思考から行けば”あり”になってしまう事です。

「全自然的実在としての自己に信を置いて主体的能動的に生きて」いた結果として猟奇的殺人者が出現するようには思えませんがどうでしょう?


http://sun.ap.teacup.com/souun/
投稿者:ym
続きです。

>これは、付与された超越的な目的はわからなくとも、さらには、超越的な目的があるかないかを思い煩わなくとも、全自然的実在としての自己に信を置いて主体的能動的に生きていけば、超越的な目的にも適うはずだということを示唆します。
深く同意します。有る範囲で、”個”にはフリーハンドが与えられていると思います。いわゆる”手のひらの上”でですが、個々がある方向性とくびきを持ちつつも、感応に従い、個性的に好き勝手な行動をすることが要求されています(没個性的に生きようとするのも個性の一つです)。それにより世界に”想定外”の様相が生まれ、それを”神?”は愛でつつも修正(剪定)を加えて行く、というイメージが浮かびます。(庭園とその庭師、あるいは良くできたジャズとそのプロデューサーみたいなものかな。)
しかし悩ましいのは、例えば猟奇的殺人者など我々は許容出来ませんが、上の思考から行けば”あり”になってしまう事です。まあそれを許容出来ないという属性を持つ我々も含め、宇宙の即興劇を演じるキャストなのでしょう。

(ここまで、名付け様のない対象を仮に”神?”と書いてきましたが、どうも違和感が有ります。東洋人的には、”天”の方が良いようにも思いますが、こちらもイマイチです。”進化”も含め、難しいです。)

なお、いままで私が書き込んできた内容について、オリジナルを主張する気持ちは全く有りません。色んな言説の寄せ集めである事は明らかです。が、割と良くまとまっているかな、と言う点では自信が有ります。これを見た人が、何らかの刺激を受けこの妄想を修正発展させてくれたらいいな、というのが本音です。(この場を利用してしまってすみません。)

追記:他の方が紹介していたA・ラズロをアマゾンで覗きましたが、良さそうです。読むのはこれからですが、私の感覚もそれ程ハズレてないかな、と安心しました。

長文失礼しました。
投稿者:ym
こんにちは

じつは以前この一連の記事を読んだことが有るのですが、今回もう一度熟読して、だんだん”感応”の意味が分かってきたような気がします。今理解できた範囲では、「潜在的無意識的な価値感覚と結びついた、衝動を励起させるもの」、と言えますか。(先天的な面と後天的な面が有ると思いますが、ユング説くところの”元型”との関連が気になります。)
微妙にピントがずれているのを自覚しつつ、妄想をざっくばらんに書かせて頂きます。(それが私の”感応”に基づいた行動です。(笑))

>“かくあれ”は「人間」に与えられたが、“かく行なえ”は、明示されていないか、もともと存在していないかになります。
私も同感です。以下あくまで其が存在すると仮定しての話ですが、神?(?です)自身にも明確な計画は無いと思います。その方が”面白い”からです。くどいようですが、この宇宙は実験場であり、有る意味、実物を使った”シミュレーション”ではないでしょうか。その中で人間は、多少なりとも自らの自由意思をもって行動可能な”おもろい”生き物です。(他にも似たような生物が宇宙のどこかに居るか分かりませんが。)滅亡しない程度に生かさず殺さず、時に変化を促すためチョッカイを加えて、成り行きを見守って(楽しんで?)いると思います。この様な認識は、マクロでは楽観を、しかしミクロでは悲観を生みます。神?に対する条件闘争が必要な気がしてきます。
(神?の全貌は人間には想像を絶しているはずですが、一方で人間は神?(=全宇宙)の一部ですから、例えば”おもしろい”という感覚や、その他下世話な話題も、神?というデータベースの中に位置づけられ、意味付けられているはずです。)

つづきます。

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