晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:早雲
東西南北さま、こんばんは。

>死を考えるということは、子孫のためにどう生きるかという問いに他ならない。

そんな生き方も有ると思います。
しかし、私は客観的で普遍的な生きる目的が有るとは考えていません。


「人間」は何のために存在しているんだ?のシリーズ記事

「人間」が存在する意味や目的の有無
http://sun.ap.teacup.com/souun/1075.html
意味や目的が付与された対象
http://sun.ap.teacup.com/souun/1076.html
超越的な目的と現実的な目的の接合点
http://sun.ap.teacup.com/souun/1077.html
より良き感応をめざしたものとしての歴史
http://sun.ap.teacup.com/souun/1078.html

をご参考いただければ幸いです。
投稿者:東西南北
生物は必ず死ぬ。ゆえに、生物は死ぬために生まれてきたという考え方がある。が、この考え方は、生きるという生命の本質を否定する考え方で誤っている。生物は生きている物だから、生物であり、死んだ物であれば、それは物体であるからだ。

 人は人らしく生きることが自然であり、サルはサルらしく、ミジンコはミジンコらしく生きるのである。では、人が人らしく生きるというのはどう生きることだろうか?人が人らしく死ぬということは、人らしく生きるということである。つまり、人らしく死ぬというのは寿命の限り生き抜いた結果、ある日、突然、永眠することになる。その先に何があるか?それは地球上に子孫が人らしく生きているということである。死を考えるということは、子孫のためにどう生きるかという問いに他ならない。
 
人は人らしく、人間らしく生きるということが揺るがない真実である以上、自殺、殺人、戦争、死刑、餓死、病死、事故死、環境破壊などが「不幸」であり、「不自由」であることが客観的で明確な価値基準となります。

 人間らしく、人らしく子孫のために生きるということは、少なくとも環境を保護しながら、自殺、殺人、戦争、死刑、餓死、病死、事故死などを根絶していく努力をしていくことになります。それは宗教活動であったり、音楽活動であったり、地域のボランティアであったり、労働運動、市民運動であったりしますが、そのような善意の努力の集中点が国家権力の民主化であり、人間の幸福追求になります。


http://blog.goo.ne.jp/urmt/d/20061107
投稿者:早雲
ナルトさま、こんばんは。
おひさしぶりです。
まだ続きますので、よろしければご覧ください。
投稿者:ナルト
早雲さま、こんにちは。ご無沙汰しております。

「死ぬまでは死を蓋然性だと思い・・・」の部分、よく分かりますね。
人間は究極的には「老衰」で死ぬのですが、病気とか、事故とかで死ぬほうが多い。その病気とか事故を経験したことがなければ、年をとったとしてもなかなか「死は必然」と認識できないでしょうね。
もともと「死を体感する」ことは生者には不可能で老人といえども未経験者ですから、当然なのかもしれません。
あとは、「死」の捉え方でしょうね。「終わり」ととるか「変容」ととるか。あるいは、「消滅」ととるか「次の転生への一歩」ととるかなど。(←これらは私見です)
一般論として、安楽死を絡めて生き死にをどう論じられるのか、続きを楽しみにしております。

http://dnalt.iza.ne.jp/blog/

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