「あなたの理想は、“彼ら”との過酷な言論闘争や政治闘争に勝利しなければ近づくことができないものなのです」
その他
人間は、強欲で狡猾で破壊力にも富んだどうしようもない存在なのです(笑)からつづきます。
私の書き込みを「誤読」していると判断した内容もあったのでレスをします。
私があれこれ批判しているのは、あなたほどのひとが概念や表現を曖昧なかたちで使っていることを好ましいことではないと思っているからです。
なぜそうなのか、律さんへのレスをお読みいただければご理解していただけると思っています。
あなたの理想は、“彼ら”との過酷な言論闘争や政治闘争に勝利しなければ近づくことができないものなのです。
(空虚な概念や美辞麗句的形容句をつなぎ合わせた言動で人々になんとなく「正しい」と思わせて、自分たちの利益と支配力を高めている連中です。多くの人が接するメディアも、そういう連中の意向を受けて情報発信をしています)
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ゆらぎさんの「誤読」を中心としたレスです。投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 06 日
【ゆらぎさん】
「そもそもあなたが合理性で選択しろというから、そこに善悪の価値判断がでるわけでしょ。「善」を否定するなら、どの行為を選ぶのかも判断できないでしょ。「いい女とセックスしまくるのが目的であってもいっこうにかまわないのです。」という「いい女とセックスしまくる」のはその人にとってはそれが善なわけでしょ。
「善」と言うな「悪」と言うなというのでしたら、そもそも設問を出して、正解はどれだと楽しむのは自分の内だけにとどめるほうがいいと思いますよ。(アドバイスです)」
「善」を言い募るなとは言っていますが、「悪」を言うなとは一度も言ったことはありません。
それどころか、「善」と言われていることや思われていることさえ、「悪」ではないのか疑い、とことん議論したほうがいいと主張しています。
何か新しいことをやろうとしたときは、全知全能ではなく高が知れている思考力ですが、「悪」につながる恐れはないのかを徹底的に詰めるべきだと思っています。
議論を重ねた「悪」判断の共有は必要不可欠だが、「善」を共有化する必要はない、それどころか「善」の共有化は、十字軍・魔女狩り・フランス革命・大東亜戦争などでわかるように、人々を思考ではなく行動に駆り立て歯止めもかかりにくい危険なものだと考えています。
合理性の選択は、目的をうまく達成できたかどうかですから、一般的な意味での善悪の価値判断ではないと思っています。
目的には価値判断が関わってきます。
「「いい女とセックスしまくる」のはその人にとってはそれが善なわけでしょ」と問いの答えは、ノーです。
したいからしているのであって、せいぜいが悪ではないと思う程度で、善だと思ってやっている男は少ないはずです。
【ゆらぎさん】
「あなたは「罰」というのが大好きのようですね。「思い通りにならないこと」→「罰を与える」、「思い通りにならないこと」→「罰を与える」・・・と繰り返しているのが我々であり何度も何度も同じ行動を繰り返しながら、違う結果を期待しているのが我々の社会ですと申しました。「結果」からは学べますが、「罰」からは多くを学ぶことはできないと思っております。」
罰の適用をしないで済む世の中がいいと思っています。
「思い通りにならないこと」→「罰を与える」ではなく、共有されている「悪」をなしたから「罰を与える」だけです。
私も、「罰」からは多くを学ぶことはできないと思っていますよ。
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まず、「「私物化(所有化)意識」がなくなった場合、どうして人間が全滅するのかを、シュミレーションで具体的に教えてもらいたいものですね」という問いについて簡単に答えておきます。
ゆらぎさんは、「私物化(所有化)意識」を、「人間が何かを「所有しよう」とすることは、ある結果を期待し、その手段として「所有しよう」とするのです。
つまりある結果を期待しあるものを「自分の思いどおりにしよう」とするということです。
ただし、その対象(人間・動物・物等)に意志があり、自分の思い通りにならないものもあります。
その場合にその対象の意志を尊重し、思い通りにならないという事を受け入れた時は、それは自分の「所有」(私物化)とはならず、共に生活するものや、その場所を共有するものとなるのだと思います。
つまり所有関係ではなくパートナーや維持管理をするもの等の表現による関係性となるのだと思います」と定義しています。
生き物である人が、生きようと期待する限り、その手段として食べ物を「所有しよう」します。
植物であれば、所有されることに抵抗していると思えない人も多いでしょうが、いやがっていると思う人もいるでしょう。
栽培される植物もそこに根づくのをいやがっているかもしれません。栽培植物の育成を妨げるといって抜かれる雑草もそれをいやがっているかもしれません。
また、気がつかないだけで、植物の根などに付いている動物(微生物も含む)も踏まれたり洗い流されたりして嫌がっているかもしれません。
家畜も、牛はと殺場でもおとなしいと言われていますが、豚は聞くに耐えない泣き声を上げるそうです。
人類が菜食主義で生き続けるとしても、「ある結果を期待しあるものを「自分の思いどおりにしよう」とする」のです。
ある結果を期待しあるものを「自分の思いどおりにしよう」とすることを断念(解消)すれば、人は誰も生きていくことができないのです。
「思い通りにならないという事を受け入れた時は、それは自分の「所有」(私物化)とはならず、共に生活するものや、その場所を共有するものとなる」というお考えですが、親も男(女)も、子どもや相手の女性(男性)が思い通りにならないという事を理解はしているはずです。
「共に生活するものや、その場所を共有するもの」だからこそ、ある状況では思い通りにならないという事を受け入れることができず、自分の言葉では思い通りにならないことに苛立ったりむかついて暴力や罵倒に及ぶという構図です。
暴力ではなく言葉で相手を諌めるのも、思い通りにならないという事を受け入れることができずに、なんとかそれに対処しようということでは同じです。
(論理的な話で、暴力も言葉も価値判断的に同じだと言いいたいわけではありません)
>確かにあいまいな表現方法はあるかもしれませんが、話の流れからわかるでしょ。
>なぜつまらないミスに拘り、自分の殻に閉じこもろうとするのか。(あなたの問題ですが)
ミスに拘っているわけではなく、新しい「ただ単に「ある結果を期待しあるものを(それに意志がないものとして)「自分の思いどおりにしよう」としそれを押し付ける行為」という説明であっても、押し付け性は織り込み済みですから、それを、「私物化意識」と名付けることや子どもに対する暴力や殺人の根源的要因だとすることに同意できないのです。
(「私物化意識」では説明しづらい要因もあるし、「自己中心意識」でも「支配者意識」でも「横暴意識」でもいいだろうと...)
子どもの“販売”ではなく、子どもへの虐待や殺人は、そのような「私物化意識」だけを要因にすることはできないと考えています。
あなたは、我が子だと思う意識は「私物化意識」ではないと言われています。
(あなたが我が子だと思う意識は「私物化意識」だと認定したら、あなたの論はけっこう納得できるものです)
子どもに手を出すとき、我が子としてかわいいからというときもあれば、養育に責任を持たなければならない我が子だからとか、我が子が将来少しでもいい生活ができることを願ってなどの意識に基づくこともあります。
また、子どもが気に入らない振る舞いをしたときにむかついて手を出すことや、普段なら手を出すことはないのに気分の変調(虫の居所)で同じことをされても手を出すこともあります。
あなたはそれらも「私物化意識」に還元しようとするのでしょうが、それでは、問題要因は見えにくくなると思っています。
「「自分の思いどおりにしよう」としそれを押し付ける行為」として子どもに暴力を振るうケースのほうが少ないだろうと思っています。
(「思いどおりにしよう」という冷静な判断に基づくものよりも、むかついたり、かっとしたり、いらついてという感情の噴出として手を出すことのほうが多いと推測しています)
「私物化意識」にこだわっているあなたのほうが、自分の殻に閉じこもろうとしているように思えます。