川内康範「俗徒 コウハン潜行す」 [書籍/雑誌]
川内康範というのは右翼活動家で詩人で劇作家で脚本家で、分かりやすいところで言えば月光仮面やレインボーマンの原作者なのだが、これは東京オリンピック前夜の時期にアサヒグラフの連載されていたルポもどきエッセイらしい。
なんて芸域の広い人だ。川内は新聞の三行広告を糸口に、高度成長期の気違いじみた世相の中を潜行していく。最近世の中が気違いじみてるなあと思うことが多いが、当時から気違ってたんだぁ、と気付いてちょっと安心。
当時の週刊誌の無頼な雰囲気な雰囲気をうかがわせるちょっと斜に構えた態度、そして特攻隊生き残りの醒めた目線と静かな苛立ちが、文体に独特の色気を持たせている。
月光仮面から届いた怒りのメッセージ
すでに「活動報告」のコーナーで書いたとおり、11月17日、作家の川内康範先生の宿泊先を訪問し、執筆されたばかりの抗議文をいただいた。『月光仮面』の脚本家として知られる先生には以前、『鬼畜米英 がんばれサダム・フセイン ふざけんなアメリカ!!』にご寄稿いただいたこともある。
今年83歳を迎えられたにもかかわらず、いつも矍鑠としておられ、アメリカのイラク攻撃直前の2月には「アメリカのやり方は断じて許せない! 私もイラクに行って攻撃反対の運動に加わる!」と仰っていて、私を捨てる精神に感服させられた。尊敬すべきパワフルな御方である。
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「川内康範」こそおもしろい。亜細亜主義?奥様はアメリカ人という話も投稿者 へなちょこ 日時 2004 年 6 月 07 日
森路よ、生涯異端児であれ………作家 川内康範
異端の戦略----という才能が必妻な時代である。「異端」とは、一般に正統ではない学説や宗教と解されている。これを私流に評すれば、常識的ならざる学説や宗教ということになる。
今日、日本を横行している政治力学、経済力学はこの常識の枠内に在るにほかならない。
つまり、日本的知的ジャンルは十年一日の如く、しかも保守的に守られ停滞しているがゆえに、未来への予見は出来っこない。したがって異端の提言が狂気視されるわけだが……。
森路英雄はその異端の戦略予告者である。評論家といってもよいし、作家といってもよいが、作家と呼ぷには、彼は虚構の外に在りすぎる。
その意味で、この作品、小説としてはまだ夫熟である。素材が虚構の皮膜を突き破るからだ。それはどこの作品の本質に秘められた国際戦略の素顔は怖ろしい。それにしても、小説にしては、下手な題名をつけたものである。これでは中味が割れてしまう。が、その中味が実は読者には未知の世界ゆえ、いやでも読んでしまうという、そこを狙っての二重構造の興味が隠されている。
虚実二刀だが、それとおぼしき実在の人物が、どう名前を変えようとも、虚を押し除けて面を出してくる。
森路の狙いは、その面の裏側に隠された、さらにもう一つのマキャベルリの摘出にある。その意味では、これは小説という形式を借りた、現代、いや近未来、たとえば一九九○年代に起り得るであろう日本、ならぴに東洋の危機に対する凶告の書である。
いってみれば、先に発表した「米ソ穀物戦略」と「米ソ地球支配」(サイマル出版・刊〉の姉妹篇的な性格の作品で、ここに提示された、警告の数々はすでに、八○パーセント日本を直撃している。問題はあと二○パーセントだが、こいつが時限爆弾的に、いつ直撃するか……にある。
政財界の人々は、ユダヤ、フリーメーソンの実体さえ知らない。かつて私は、「米ソ近親相姦説」を書いたことがあるが、森路英雄はそれをさらに本書によって具体的に提示して見せた。
森路は、この十年余り、筆舌につくせぬ災禍をくぐり抜けてきた。なぜ彼が受難の風雪にさらされたかは本書を見れば理解できる。同時に、その風雪は森路を磨いた。
強靱な意志。彼、森路英雄は、本書によって、まぎれもなく、「告発者」であることの証左を示した。
いまや、日本のジャーナリストのほとんどは、ホワイト・カラーと化した。営利を主目的とした大企業・新聞社に属するジャーナリストが辿るこれは習性である。ロッキード事件を見よ。すべてのジャーナリストは単眼批評の現象主義という病癖に取り憑かれて身動きができない。
アウト・ローは不在である。
世間は、「告発者」という存在を悪徳視するが、この毒は、その世間から生れた鬼ッ子である。いまや、真実を伝え得る助ッ人は「告発者」しかいない。
だが、見廻すとほとんどいなぐなった。昔はトップ屋と自らを嘲笑しながら巻を徘徊したが、いまやはとんど功成り名を遂げて、それらしき、さむらいは影をひそめた。
たとえば、風狂・竹中労の如きトップ屋は何処をさがしてもいない。もともと、竹中も森路も、十四、五年前ごろは、マルキスト的側面にアナーキー的な側面をもつアウト・ローであった。いま、竹市労は新右翼的であるとの評価を下されているが、なに、中を割れば、真実を真実として把握することにきわめて素直であるにすぎない。
森路も同じである。終生、最後の「告発者」として自らを位置づけることの中からこの凶告の書が生れた。下手くそな生きざまである。下手くそだから、あまり銭にもならない仕事をしている。が、私は銭に替算できない仕事ゆえに、森路英雄をきわめて高く評価する。
彼はまぎれもなく異端の徒である。
本書は、日本敗戦から今日までの戦後史の再検証であり、近未来への警鐘として心耳を籍すに値する。が、世間は虚妄に組みする。森路の真価が理解されるのはすこし先になるだろうが、その時、日本はどうなっているかしら…を考えると慄然とする。なぜなら、本書の凶告が現実となって襲ってくる可能性を私も見るからである。
一九八四年三月二十八日記
川内康範の世界(特撮作品のよくまとまった紹介)投稿者 へなちょこ 日時 2004 年 6 月 07 日
.川内康範の世界
川内康範(こうはん)と言う名前を聞いて「ああ、あの人か」と言える人はある程度の年齢の人で、しかも相当の特撮好きな人か、あるいは演歌好きな人(理由は後述)に限られると思う(『銀座旋風児』などいくつかの映画の原作や脚本も書いているらしいが)。
この人はテレビ番組(特撮系が多い)の監督で、代表作は「月光仮面」…これだけで充分古い人だと思われてしまうのは間違いなし(笑)。「月光仮面」「七色仮面」「アラーの使者」と連続してテレビ作品を作った(これを旧3部作と言ったりする)。
しかしその後大分経ってからもう一つの大ヒット作を世に投入する。それこそが「レインボーマン」(尤も放映されたのは私が幼稚園の時だから、オリジナルでは殆ど覚えてない)。特撮好きな人のみならず、この名前を知ってる人は多いだろう。ただこの作品は仏教の教えをテーマにした、結構深い内容を持っていた事も重要な要素。更にその後、間髪を置かず「ダイヤモンド・アイ」そして「コンドールマン」という日本のテレビ番組を監督し、その名をとどろかせた(これを新3部作と呼ぶ)。
「レインボーマン」「ダイヤモンド・アイ」「コンドールマン」と言うこの3作は子供の頃の私に多大な影響を与えてくれた。この当時テレビは空前の特撮ブームで数多くの特撮作品が作られていたのだが、彼の手がけた作品は他の作品とは明らかに一線を画す要素が込められていた。この三つの作品が他の特撮番組と大きく違っているのは、いわゆるディストピアの思想が強く息づいていると言う点。舞台が決して明るくなく、人間のエゴによってますます悪くなっていく日本という国を増長させる存在として悪を描いていた。
主題歌が有名な(日本全国には多くの替え歌が流行ったらしく、私の田舎でも「インドの山奥でんでん虫虫〜」という替え歌があった)「レインボーマン」の場合、悪の組織「死ね死ね団」(それにしてもこのネーミングセンスは凄いな)は第2次世界大戦中、日本兵によって虐殺された、あるいは虐待を受けた外国人による反日組織であり、の基本コンセプトは“日本を憎む”であり、日本人を堕落させようとするのが目的だった。
首領であるミスターK(演じるは『ゴジラ』の芹沢博士役、平田昭彦!)はティピカルな白人として描かれ(口癖は「ガッデム」。変なところでレディ・ファーストだったりもする)、彼の立てる作戦は単に人を殺したり、自分が支配者になろうという単純なものではなく、あくまで日本人をダメにしてしまう事を主眼としていた。だから日本人に互いに不信感を抱かせるようし向けるし、正義の味方であるレインボーマンを憎ませようともしている。
それを端的に表しているストーリーを紹介すると、死ね死ね団により新興宗教「お多福教」なるものが作られ、そこで多量の偽札がばらまかれる。それによって日本は超インフレに陥ってしまうと言うものがある。何もかもあまりにも高価になりすぎたため、食い物をよこせと民衆が暴動を起こすと言うストーリー。モロに人間のエゴの強さを表しており、米屋を襲い、生の米をむさぼり食う姿が描かれたりする(これでレインボーマンがどうしたかというと、「日本に住む一国民」として政府に食料配布を直訴するという、極めてリアルなヒーローとして描かれていた)。
更に最終回ではミスターKは日本を照準としたミサイルの存在をテレビを用いて公表し、しかもレインボーマンを処刑するなら許してやる。と、なんと日本の国民に対して取引を持ちかけるのだ。今まで必死になって日本を守ってきたレインボーマンは、これによって日本人の敵になってしまうと言う、無茶苦茶シュールなストーリーが展開されていた。そのどちらもエゴによって醜く歪んだ人間というものがこれでもか!と言うほど示されてる…とてもこれが子供用番組には思えない。主人公の名前がヤマトタケシってのはむしろ神道っぽい印象があるが、その師匠がダイバ・ダッタというのもなかなか来てる(ダイバ・ダッタは仏陀を殺そうとした弟子で、仏敵とされてる)。
二作目の「ダイヤモンド・アイ」は、主人公とヒーローが別という、「アイアンキング」を彷彿とさせる設定の作品で、中東の最大のダイヤモンドに込められた正義の心がダイヤモンド・アイとなって戦うと言うもの。これも仏教の影響が極めて強く、劇中登場する前世魔神と呼ばれるモンスター達は明らかに“鬼”をモティーフとしているし(モンスターの名前も凄いのがあり、特にワレアタマ(本当に頭が割れてる)なる怪人は造形のすさまじさもあって印象に残る)、名前の通り、人間が前世の影響でモンスターに変身してしまうと言うもの。
欲望の強い普通の人間がモンスター化すると言うのは結構怖い設定。ダイヤモンド・アイは人間に化けた(あるいはそれが本性?)前世魔神を察知する時「外道照身霊波光線」という光線を発する(外道というのは仏教の六道輪廻から外れた存在で悪鬼のように描かれる)し、汚れた人間の魂を救う時には「怨霊逃散洗礼光線」を用いている…考えてみると中東のダイヤが仏教の業を使うってのも凄いが、そこにキリスト教まで入れてるんだな。
これ又いかがわしいというか、凄い設定だ。この作品も全編に渡り、人間のエゴを極めて強く描いた作品で、その分、主人公の雷甲太郎の正義感に救われた部分が大きい(むしろ浮きまくってたような印象もあるが…)。物語前半は悪徳政治家や企業の裏取引などを甲太郎がジャーナリストとして暴く。と言ったハードなストーリー展開をしているが、ダイヤモンド・アイの「外道照身霊波光線」に照らされた瞬間、「ぶわぁ〜れたくぁ〜」と叫ぶや否や、怪人になり、一気にヒーローものになる(この台詞は今までの渋めのキャラは一体どこに行ったの?と言うほどに悪人のイメージをぶちこわしてくれたもんだが、この台詞が聞きたいために最初のストーリーを楽しむことも出来たのは事実)。その後、ダイヤモンド・アイの「正体見たり!前世魔人」という言葉が入って、バトルへとはいる。ストーリー展開はなかなか優れていたと思う。
そして三作目の「コンドールマン」。これは私の極めて偏愛する特撮番組の一つ。先ず第一話目でいきなり主人公三矢一心が死んでしまうと言う衝撃の事実から物語は始まる。
この描写は凄く、主人公はなんと爆撃によって殺されたため、黒こげになった骨しか残っていないと言う状態。それをドラゴンコンドルと合体させて誕生したのがコンドールマンとなる。
人間形態になると確かに三矢一心と同じだが、完全転生しているので、前世の記憶は全く持っておらず、彼には正義を愛する心しか残ってない…これだけでも泣けてくるような設定だが、輪をかけて凄いのは敵の組織モンスター一族。非常にストレートな名前を持つ彼らは人間の醜い欲望から生まれたモンスター達で、まさに人間のエゴそのもの。
彼らが目指すのは人間(殊に日本の)の支配だというのもなかなかのリアリティだ。人間の欲望から生まれた存在である以上、人間に滅んでもらっては困るのだ。むしろ支配し、どんどん人間の欲望をはき出させようと言うもの。彼らは既に政治の中枢に入り込んでおり、時として国民にコンドールマンは悪人であると吹聴したりもする(例えばタンカーを爆破しておいてコンドールマンのせいにしたり、あるいは食糧の供給をストップしておきながら、缶詰を配って歩いたりとか結構地道な努力もしてる)。
そして秀逸なのはそのモンスターのネーミングおよび造形。所有欲から生まれたサタンガメツク、金を愛する心から生まれたゼニクレイジー、人間の生み出した公害から生まれたゴミゴン、ヘドロンガー、スモッグトン(この3人はモンスター一族の大幹部で、陸・海・空のそれぞれを支配してる)、人を傷つけたいという欲望から生まれたサドラー等々。あまりにストレートすぎるネーミングだが、その性格もそれに準じている。
ひたすら金を貯め続けるゼニクレイジー、部下に徹底的にセコく生きることを説くサタンガメツク、ゴミの山に住んで幸せそうな顔をしてるゴミゴン(彼らは人間形態にもなれるので、そのイカれた生活も描写される)などなど。個人的に「これはキテる!」と思えたのはゴキブラー。文字通りゴキブリの形をしたモンスターだが、使命を無視していつもゴミ箱を漁っていると言う変なキャラ。
人間形態からゴキブラーに変化した時、その恐ろしさのあまり失禁した子供に対し、「うまそうな臭いがするぞ」と、とんでもない台詞を吐くは、分裂してテレビ画面一杯にゴキブリを増殖させるとか、ちょっと勘弁して欲しい描写がなされていた(何故そんなにはっきり覚えてるのかと言うと、これを家族と一緒に見てしまったため、親から禁止令が出てしまったため)。
そういや拷問道具を鞄一杯に詰めてニタニタ笑いながら取り出す奴(コインマー)というのもいたな。これ又絶対子供向きじゃないって。ストーリーは前2作に輪をかけてハードで、特に前半、救ってるはずの人々から相手にされず、むしろ忌み嫌われつつ健気に悪と戦うコンドールマンの勇姿は涙を誘う。後半は軌道修正したか、純粋にヒーローっぽくなったが、それをあんまり面白く思わなかった小学生が、この私だ。
価値観が多様化した現代でさえ、こんな作品はまず作られることがないだろうが、この三作品はラストもかなり特徴的。「レインボーマン」では、最後にたどり着いた死ね死ね団のアジトには既にミスターKの姿はなく、「ダイヤモンド・アイ」ではアジア全土で始まるであろう新しい戦いにダイヤモンド・アイが出かけていくところで終わる。
「コンドールマン」では敵の首領キングモンスターを倒したはいいが、最後に死んだはずのキングモンスターの高笑いが響き渡り、「将来人間が欲望に負けた時、再び悪が〜」とかナレーションが入る。これらは全て終わった訳ではない。と言う余韻だとも言えるのだが、少し深読みすると、人間が生きている限り、欲望の芽は常に生まれ続ける。そのたび毎に悪は再び蘇るのだ。と言う意味に取られてしまう。人間に対する不信感に溢れたような作品だ。
しかし、だからといって川内康範がニヒリストだったと言うことにはならないだろう。むしろ、そう言う欲望に負ける弱い人間だからこそ、悪に負けない心(ヒーロー)が必要なのだ。と言うメッセージを込めての事と思われる(考えすぎ?)。
ところで川内康範と言えば、監督以外にももう一つ重要な功績を残している。実は彼は作詞家でもあり、演歌を中心に名曲の数々を手がけている。森進一の「おふくろさん」なんかがそれだが、テレビでも有名な「まんが日本昔話」のオープニング・ソングを作曲したりとなかなか手広くやっている。
当然というか、この新3部作でも歌曲は全て川内氏本人が全て手がけているのだが(前述したが「レインボーマン」の「インドの山奥で〜」が有名)、とにかく歌詞が凄いものが多い。
その中で最も有名且つ親しまれているのが「死ね死ね団のテーマ」。歌詞全文を公開すると…
1 死ね死ね 死ね死ね死ね死ね 死んじまえ
黄色いブタめを やっつけろ 金で心を 汚してしまえ
死ね死ね死ね死ね 日本人は 邪魔っけだ
黄色い日本 ぶっつぶせ 死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
世界の地図から 消しちまえ 死ね死ね死ね 死ね死ね死ね…
死ね死ね死ね (4回繰り返し)
2 死ね死ね 死ね死ね死ね死ね 死んじまえ
黄色いサルめを やっつけろ 夢も希望も 奪ってしまえ
死ね死ね死ね死ね 地球の外へ ほおりだせ
黄色い日本 ぶっつぶせ 死ね死ね死ね 死ね死ね死ね
世界の地図から 消しちまえ 死ね死ね死ね 死ね死ね死ね…
…一体何度「死ね」を繰り返すのやら…
それともう一つ「コンドールマン」のオープニング・ソングも凄い。これも歌詞全文を公開する。
1 どこの どこの どこの誰から頼まれた
命をかける価値もない それほど汚れたニッポンの 人の心が産みだした
「ゼニクレージー ゴミゴン スモッグトン ヘドロンガー」
悪魔の群に敢然と 戦い挑み愛を説き
あああ あああ今日も行く
正義を助ける コンドールマン 正義のシンボル コンドールマン
2 人の 人の 他人の幸せ祈るより
わが身を守る欲の皮 それほど歪んだニッポンの 人のこころが産みだした
「ゼニクレージー ゴミゴン スモッグトン ヘドロンガー」
悪魔の群をけちらして 光をあたえ愛を説き
あああ あああ今日も行く
正義を助ける コンドールマン 正義のシンボル コンドールマン
これを子供の合唱でやるんだからとんでもない話だ(笑)
ちなみにエンディングは…
1 ウッヒヒ ウッヒヒ ウッヒヒのヒッ
おいらの名前は ゼニクレジー(いひひひ)
ウッヒヒ ウッヒヒ ウッヒヒのヒッ
そんなにきらうな おれさまは
銭に狂った人間さまの こころが産んだ欲の虫
ウッヒヒ ウッヒヒ ウッヒヒのヒッ
おいらは化物 ゼニクレジー(いひひひ)
2 ウッヒヒ ウッヒヒ ウッヒヒのヒッ
おいらの名前は ヘドロンガー(ががが)
ウッヒヒ ウッヒヒ ウッヒヒのヒッ
もっともっと流せよ もっとよごせ
いまにも魚も喰えなくなるさ そうすりゃ地獄の鬼になる
ウッヒヒ ウッヒヒ ウッヒヒのヒッ
おいらは化物 ヘドロンガー(ががが)
1 ウッヒヒ ウッヒヒ ウッヒヒのヒッ
おいらの名前は ゴミゴンだ
ウッヒヒ ウッヒヒ ウッヒヒのヒッ
どんどん汚せば おれふとる
もっとやれやれ人間さまが きたなくなればおれふとる
ウッヒヒ ウッヒヒ ウッヒヒのヒッ
おいらは化物 ゴミゴンだ
ちなみにこれには幻の4曲目があり、劇中に一度だけ歌われる…単に3番の「ゴミゴンだ」を「ゴキブラー」に変えただけだが(笑)
う〜む。思い入れが深かっただけにえらく長くなってしまった(笑)
2007/12/18

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