川内康範氏は稀有な民族派です。
ヒトラーに近い価値観を持っていたのかもしれません。
朝鮮半島や中国の「反日言動」にケチをつけるだけのクソ右翼と違って、問題を自国内のものとしているからです。
ヒトラーが、第一次世界大戦の「敗戦責任」を語り、問題が戦勝国にあるのではなくドイツ内部の堕落にあると訴えたことにつながると思っています。
正義を前面に出した「月光仮面」から「レインボーマン」的世界への変容は、高度成長期を通じて俗悪極まりない繁栄を謳歌する日本を眺めたことによるのかもしれませんね。
ちなみに、私は「月光仮面世代」です。
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川内さんはヒトラー的日本人かもしれません。投稿者 小魚骨 日時 2004 年 6 月 08 日
ジャック・どんどんさん:
「レインボーマンの原作者、川内康範さんがヒトラー的な民族主義者ということですが、真の愛国主義者や真の民族主義者は、グローバルエリートたる支配層にとっては、目障りこの上なく、利用するだけ利用して、ファシストとレッテルを貼って、社会的に抹殺してしまうのはお得意のようです。
R・F・セリーヌ(フランスの作家、反ユダヤ主義的著作により、国家反逆罪で死刑を求刑される)やR・リンドバーグ(アメリカの作家、アメリカの世界大戦参戦を阻止すべく、アメリカ第一委員会を組織するが、英国MI6のプロパガンダにより世論逆転され、参戦へ)がいい例です。せっかく真実を国民に叫び続けながら、彼らの真実の叫びを国民は受け入れるどころか、ファシストとレッテルを貼ってしまうのですから。
カールポパーについての、評論読ませていただいいてます。
昔、小生の大学の指導教官が、小生に尋ねた言葉がいまだに忘れられません。
米国の著名な進化生物学者のS・J・グールドの進化発生学の大著を読んだ感想なんですが、
(ポピュラーなところでは、「ワンダフル・ライフ』早川文庫が有名です)
「グールドはユダヤ人なのか?やっぱりなあ〜」
小生は、そのころそんな世界的に著名なグールドの学問上の著作に、宗教的な影響があるなんて、これっぽっちも思っていなかったのです。今では、そんな純粋君ではありませんが。
ユダヤ的なる考えが、歴史科学に反映されるのはなんとなくわかるのですが、科学、進化生物学にもユダヤ的なる考え(ニオイ)を感じたのは、ちょっと問題あるんでしょうか。
カール・ポパーもいわゆるユダヤ的考えから、自由でいられたのでしょうか?」
グールドについては、題名に惹かれて『人間の測りまちがい』を10数年前に読んだだけで内容の記憶もほとんどないので言及できません。
生物の多様性に関する見方は、自然淘汰的進化論にも、超越神的創造説にも与していません。
種の識別そのものが人の識別力に拠るものであって根源的存在としてはまったく違わないという冗談もアリです。(生物という存在のコップのなかの嵐であり、その一部である人がそれを眺めてあれこれ言っているだけというオチになります)
自然淘汰説は、惑星はなぜ恒星の周りを回っているのかや尻尾は何のために付いていると同種の解説(物語)でしかないものだと思っています。(「人間という自然による淘汰説」や「棲み分けを侵害する存在する人間説」はけっこう有効だとは思っていますが(笑))
ことさら“進化”という考え方を持ち込まなくなくとも、“分離”や“変容”が種の多様性を人に認識させているという見方もできます。
創造説を進化させれば(笑)、進化論にも対応できるはずです。なぜなら、単細胞の原生物まで戻っても、それはどうやって発生したのか(化学的な発生論をもってしても同じ問いを投げ掛けられます)?という問いを発しつつ、神はその創造において以降の生物的多様性につながる仕掛けも創造したという説明ができるからです。
進化論にユダヤ的な要素があるとしたら、人は神に似せて作られたという「人的存在の至高性」をあげることができます。
ヘーゲルとマルクスの転倒関係と同じように、神が自分に似せて創造したすばらしい存在という観念が、自然唯物論的に人間はもっとも進化した存在という観念にひっくり返っただけだとも言えます。
(体系的論を組み上げて真理だと言うのもユダヤ的と言えるかもしれません)
カール・ポパーも、我々が今日的日本の考えから自由でいられなかったように、出自であるユダヤ的考えから自由ではいられなかったと思っています。
ジャック・どんどんさん:
「本の題名わかりました。小魚骨さんの強靭な頭脳をもってすれば、かなり専門的な書物ですが十分堪能していただけると思います。
進化の観念史と発生学の最前線
『個体発生と系統発生』
スティ―ブン・J・グールド
工作舎 5,500円 」
>2・26事件で怖気づいて逃げ回っていた大川周明よりも、死に臨んでも動じなかった真の民族主義者『北一輝』に近い?
北一輝は、民族主義者というより社会主義者だと思っています。(北一輝からは民族的生命論や有機体国家論は匂ってきません。近代主義的で理性的な国家社会主義者だと思います。2・26事件にしても、画策したり指導したわけではなく、決行したのならなんとか成功して欲しいという程度の関与です)
川内康範は、作家・作詞家としての活動ぶりや男性週刊誌(「週刊プレイボーイ」?)の人生相談コーナーを通じてでしか読み取れないので印象論になります。
二人は、理想の国家社会を熱望しながら眼前の現実のなかでシニシズムに陥ったということでは似ていますが、川内康範は、北一輝に比べるとずっと情念的で受動的(感受的の意)だったような気がします。
※ 大川周明は軽い国家社会主義者という印象を持っています。
ジャック・どんどんさん:
「2・26事件の理論的支柱・指導者と解釈していまして、実際には事件とは無関係だったらしいですね。ドサクサ紛れに、右派(と呼んでいいんかな?)の理論派までも、処刑してしまいました。
神(天皇)によって処刑された子供たち=『神々の軍隊』の面々は、今のご時世をどのような思いで、眺めているのでしょう。 御名御璽ピー
追伸:月光仮面世代でいらっしゃるということですが、鶴見俊輔さんなんかはご存知でいらっしゃいますか。
雑談板で、愚民党さんに、鶴見さんの言葉を引用して『民族主義を通しての、インターナショナリズムは可能か?』と問いかけてしまいました。」
北一輝は、日本の現状そして中国の実状を見て、革命を断念したクールな人だと思っています。(川内康範は戦後日本の現状を見て「レインボーマン」でそれを揶揄したホットな人だと思っています)
>神(天皇)によって処刑された子供たち=『神々の軍隊』の面々は、今のご時世をどのような思いで、眺めているのでしょう。
天皇を含めた今の日本そして日本人を眺めておったまげているでしょうね(笑)
そして、もう、どうこうできるものではない、好きに破滅に向かってくれと絶望しているかもしれません。
>追伸:月光仮面世代でいらっしゃるということですが、鶴見俊輔さんなんかはご存知でいらっしゃいますか。
鶴見俊輔さんの書籍は数冊読んでいます。(記憶はほとんどありません)
哲学に限らず、どのような言説(話)も、どれだけわかりやすい言葉で表現できるかが、語る人の到達度(理解度)を示すものだと思っています。
ただわかりやすい言葉は受け手によって様々に解釈されがちのものですから、語る人の真意が伝わらないという弊害も生じます。
(自由・愛・権利などよく使われる言葉のほうが落とし穴があります)
そして、受け手があまり考えたことのないテーマだと、どれだけわかりやすく書いても、ピンとこない(理解してもらえない)ものもあります。
最悪は、「利口の壁」を築いている人です。
いちばん重要なことは、目標やそれに至る手段と方法を具体的にわかりやすい言葉で書くことだと思っています。
「
愚民党さんへ、こんなアナーキズムはいかがでしょうか?」で引用されていた鶴見俊輔さんの言説は、気持ちもわかるし身構えとしても共感できるものですが、出発点から一歩も進んでいない印象を受けました。
(思念的に降りていった後に上がってきて、さてどうなのかが抽象的なものでしかなく具体的には書かれていないという意味で...)
個の存在性まで思弁的に降りていった後に掴んだ「民族主義」とは何か?それは国民国家主義とどう違うのか?
『民族主義をとおしてのインターナショナリズム』という表現であれば、民族主義が優先度が高いと解釈できるので、インターナショナリズムという大げさなものではなく国際関係で済むのではといった問いを投げ掛けることができます。
2007/12/19

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