国家財政と国民経済:租税とは「活動成果」や「活動力」の移譲である。から続きます。
■ 政府支出とは国家機構を媒介にした「活動力の交換」である
表題に付けた「租税とは「活動成果」や「活動力」の移譲である」という事実が理解されていないことが、財政危機をここまで深刻なものにし、対応策も逆に危機をさらに深める倒錯的なものになっている要因だと考えている。
政府部門は、公務員の人件費・社会保障関連費・公共投資や教育などの事業支出をすべてお金の支払いで賄っている。
このため、経済活動を営んでいる民間からいかにしてお金を吸い上げてどううまくやり繰りするかが財政問題だと思い込んでいるように見える。
人気blogランキング <-- クリックしていただくと、より多くの方に読んでいただけます。ご協力お願いします。
政府や地方自治体の主要な財源である税金は、所得に課税する所得税や法人税、付加価値(=所得)に課税する消費税、資産に課税する固定資産財、特定物品に課税する酒税やたばこ税、資産の移転に課税する相続税や贈与税、公的資本形成の受益者に負担を求める揮発油税や自動車税、法人・不動産・自動車などの登録税、輸入に課税する関税といったものに分類できる。
相続税と贈与税を除く諸税は、課税形態は違うとしても、納税資金の源泉はフロー所得である。
(相続税と贈与税は貨幣的価値を持つ資産の移転に課税されるものだから、その一部を国家機構が吸い上げるだけでフロー所得とは直接関係しない。ただし、課税額が移転された資産のなかの現金額を超えるときは、フロー所得(過去のフロー所得の蓄積である預貯金を含む)で補填できなければ、資産を売却しなければならない)
固定資産税は、持ち家住宅のように課税対象資産からフロー所得がないとしても、そこを生活基盤として得る給与所得などのフロー所得から支払わなければならない。
酒税やタバコ税そして関税も、対象の財が売れることで発生し販売価格に上乗せされるものだからフロー所得が関わっている。
これまで何度か説明してきたように、フロー所得とは、財やサービスの供給活動を行うことで得る付加価値の配分である。
ということは、相続税と贈与税を除くほとんどの税収は、対価を得る供給活動に従事している人たちの活動成果の一部を譲渡してもらっていることになる。
(活動成果は、見掛けはお金であっても、実質は供給活動で生み出す財やサービスである)
一方、財政支出の内実も、教員・研究者・自衛隊員・議員などを含む公務員の人件費は公務に従事している人たちの活動力であり、道路や建物の建設で支払われる公共投資も、直接建設作業に関わる人たちの活動力のみならずそれに必要な資材を生産している人たちの活動力であることがわかる。
健康保険関連の支出も、製薬会社や医療機器会社を含む医療活動に従事する人たちの活動力の一部に対するものである。
このようなことから、納税者と財政支出受け取り者の関係は、お金を手段とし政府部門を媒介した「活動力の交換」であることがわかる。
民間で供給活動に従事している人たちは、供給活動で生み出した財やサービスの一部を財政支出受け取り者に移譲することで国家が提供する便益を享受していると考えればわかりやすい。
所得税のほぼ85%は国家公務員の活動力の対価として使われているから、所得税は、供給活動に従事している人たちと国家公務員の間の「活動力の交換」の手段と言うことができる。
活動力への支出ではないものは、供給活動に従事できない人たちや供給活動からリタイアした人たちに支出される社会保障関連費だけである。
社会保障関連費は、供給活動に従事している人たちが供給活動に従事していない(できない・しなくていい)人たちに活動成果の一部を贈与していることになる。
(賦課方式部分の年金は、かつて負担していた人たちが給付を受けるという贈与関係の歴史的継承である)
全面的な金納である近代租税も、実質的には、国家(共同体)への物納であり活動力の提供なのである。
政府や財政学者が「公平・中立・簡素」などのもっともらしい御託をいくら語ろうとも、政府支出は政府部門が媒介する「活動力の交換」という根源的な理解がなければ、合理的な徴税制度や財政支出に近づくことはできない。
国家社会が少しでも豊かで安定したものになるためには、活動できる人があまねく実際に活動していることが望ましいことは前述した通り自明である。
就業したくても就業できないひとが320万人もいたり就業を断念したひとが数十万人いるというのは、国家社会が“宝の持ち腐れ”状態にあることを意味し、社会を統合する国家機構の“大逆罪”なのである。
お金そのものはなんら価値がない。お金は、活動成果(財やサービス)、すなわち活動力を手に入れることができるから価値があるのである。
供給活動に従事できないひとが溢れているということは、手に入れられるはずの財やサービスが埋れているというだけではなく、そのような人たちに公的扶助を提供しなければならないのだから、プラマイでとんでもない社会的損失なのである。
その一方で、財やサービスそして固定資本形成に向けられない“余剰通貨”が溢れているとしたら、税制を通じた付加価値再配分に大きな誤りがあるということになる。
財政危機や「デフレ不況」で固定資本形成が低迷しているなか、GDP(国民経済)的循環から脱け出す“余剰通貨”を発生させる愚かな税制をとっているのは、高額所得者や優良企業に対しても“犯罪”なのである。
政府部門が供給活動に乗り出す必要はないが、“余剰通貨”をできるだけ減らす付加価値再配分を採らなければならない。
そうしなければ、そう遠くない将来にハイパー・インフレが発生し、この間貯め込まれている“余剰通貨”の実質価値が大きく減少することになる。
ハイパー・インフレは、需要となる通貨供給量に対して供給力が圧倒的に不足することで起きる。「デフレ不況」は製造拠点の海外移転を含みじりじりと供給力を減少させていく、それにつれて未就業者が増加する。さらに、年金給付対象の高齢者も急速に増加する。
政治的に回避できない社会保障関連費の増大とじりじりと進む供給力の減少が、現在では想像もできないハイパー・インフレを引き起こすのである。
通貨は供給活動に投じられて初めて生きた通貨となる。
供給活動に投じられない通貨が財政支出や貸し出しなどで供給され膨大な需要になることでハイパー・インフレは起きる。ハイパー・インフレは、輸出増加に結びつかない「円安」の進行を促進し、ハイパー・インフレに拍車をかけることになる。
(バブル形成は、資産投機への貸し出しで起きた資産のハイパー・インフレである)
供給活動に従事して高額の所得を得ている人たちに言いたい。
贅沢のためにお金を使うのはまだいいが、金融利得を得るためにお金を握り締めるのは破滅への道である。
税金として吸い上げられたお金が他者の活動力の対価として支払われることで、供給活動が生み出す財やサービスの需要が拡大する。
それが、高額所得者であり続けるための条件なのである。
自分が負担せずに済むように思える赤字財政支出も、税金で利払いや償還(返済)をしなければならないものであり、あとで直接的に間接的にとんでもないしっぺ返しを食らうものである。
税金は、個人か企業かは別として、供給活動が生み出すフロー所得で購われるものである。
就業者が減るということは、税金を負担するひとが減るだけではなく、税金で面倒をみなければならないひとが増えるということである。
既にそうなっているが、運良く生き残って供給活動に従事している人たちの負担は否応なく増大する。
政府が無能無策で高額所得者が最後まで負担はイヤだと言ったところで、ハイパー・インフレが握り締めている“余剰通貨”の価値を無慈悲に打ち砕き、より大きな災厄をもたらすことになる。
(念のため、ハイパー・インフレになれば財やサービスにお金が使われるので、株式の価格はインフレほど上昇しない。日本は、ハイパー・インフレで有利な条件に立つ外資の草刈り場になる)
「デフレ不況」が続く限り、間違いなく高額所得者の絶対数は減少していく。
生き残った高額所得者も、公的負担の増大にさらされ、最後は貧乏人ともども“生き地獄”に放り込まれることになる。
政府・政治家・企業経営者は、刹那的な損得勘定で政策を選択する愚を犯してはならない。
「近代経済システム」は、全面的な貨幣経済であり「供給→需要原理」が貫徹している。
経済論理に逆らった政策は、必然的に経済的瓦解をもたらす。
==================================================
『
【財政問題】責任のツケをダブルで国民に回し、自分たちだけは有能なフリができる条件をつくろうとしている政府(財務省)』
『
【財政問題】所得税の“二重納付”問題:税金を所得源とする公務員が納付する税金の意味:「三位一体改革」の虚妄』
『
【財政問題】消費税の“二重負担”問題:国産自動車購入で負担する消費税は国庫ではなくメーカーの懐へと消えていく!』
『
「産業資本主義」の終焉:固定資本形成と経済成長の論理:GDPに占める個人消費比率の高さは経済衰退の証』
『
「産業資本主義」の終焉:国民経済と年金問題:“高齢化社会”が問題なのではなく“供給活動投資額”が問題』
2008/2/12

3