>貴殿の言われる「利潤なき経済社会」と言うのは何となくイメージすることはできますが、誤解の余地なく明確に把握し議論するためには、例えば次のような点をクリアに伝えるべきかも知れません。
>1.利潤の定義
(通常は総収入−総支出。貴殿は違う意味で使っておられる。経常黒字との関連も指摘しておられるが、経常黒字は「通常の意味での」利潤とは直接結び付かない。例えば利潤を生まない輸出もありうる。)
>2.利潤が得られなくなる理由
(今、ないし通常なら得られている、という含意。今と何が変わるのか。)
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【「利潤なき経済社会」を生きる】 「利潤なき経済社会」とは − 「匿名希望」氏の問いに答えて − 〈その2〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 9 月 30 日
まず、「利潤なき経済社会」という表現のなかで使っている利潤は、再資本化されない利潤を意味しており、間接的であれ再生産に向けて投じられる利潤は、利潤ではなく資本化原資の拡大と捉えている。
(不況期は利潤として保有され、好況期になれば資本化されるというタイムラグ性ならこれまでもあった)
また、「利潤なき経済社会」でも、個別経済主体の利潤獲得可能性は認めており、それに対立する国民経済としての利潤非存在を問題視している。
「利潤なき経済社会」は、「匿名希望」氏の“総収入−総支出”を援用するならば、国民経済が“総収入=総支出”になるということである。
(総支出=総収入が的確な表現)
以前からセイの法則を持ち出しているが、「供給が需要を生み出す」という考えに基づけば、「供給がそのまま需要となる経済状況」であり、(供給=総支出)=(需要=総収入)となる均衡状態である。
この均衡状態で前述した意味の利潤が発生すれば、国民経済は縮小することになる。
国民経済内に“余剰通貨”が存在しない(もしくはそのまま放置される)とすれば、個別経済主体レベルではなく国民経済が(供給=総支出)<(需要=総収入)という条件を満たすのは、唯一、貿易収支が黒字のときだけであるから、国際取引(貿易)の黒字は重要である。
具体的な説明としては、通貨ベースで(供給=総支出)=(需要=総収入)であるのに、貿易黒字が財ベースの国内供給<総供給を生みだすことで、通貨ベースの(供給=総支出)<(需要=総収入)が実現されることになる。
これであれば、財ベースの供給−国内供給が通貨ベースの供給<需要のかたちで利潤となり、国内収入=国内需要=供給=総支出が輸出分を含む再生産のための資本化必要額になるので、獲得した利潤をどう使おうと国民経済が縮小することはない。
別の表現を使えば、供給成果財の一部を国民経済の外に出すことで財1単位の価格が高くなり、それにより国内需要で供給=総支出に見合う通貨が回収でき、外部国民経済から支払われる通貨的“富”を国民経済的利潤として獲得することができる。
究極的に国民経済的利潤が存在しなくなる理由は、偏に、貿易収支の黒字がなくなることであるが、そこまで行き着かなくとも、近代経済論理から生じる“余剰通貨”(利潤の非資本化)問題で国民経済的利潤が存在しなくなる。
(供給=総支出)=>(需要=(国内収入+貿易黒字))もありえるから、貿易収支が黒字であっても、必ずしも国民経済的利潤が獲得できるわけではない。
このような経済状況は、供給力>供給になり、(供給=国内需要)+貿易黒字=<(総支出=非十全供給力)になることでも発生する。
供給力=供給であっても、投資されない貯蓄の増加や金融取引に滞留する通貨の増加により生じる供給>需要のギャップが、貿易黒字より大きければ同じであり、供給力>供給に陥る。
国民経済がデフレになるのは、国内需要+貿易黒字<(総支出=非十全供給力)に陥ったときであり、供給力過剰をベースに、供給>需要もしくは(かつ)貿易黒字不足に陥ったときと言える。
(供給=国内需要)+貿易黒字=<(総支出=非十全供給力)という国民経済に利潤が存在しない状態で個別経済主体が利潤を獲得するとすれば、別の個別経済主体が、(供給=総支出)>(需要=総収入)になることを意味する。
(供給と需要のズレによる“通貨の移転”である)
これが、現在的経済価値観に基づいて追求されれば災厄になるが、最初に書いたように、利潤獲得者が何らかの方法で再資本化すれば利潤ではなくなるのだから、需要動向に対応した産業構造の変動力として作用することになる。
国民経済が経済成長を遂げる唯一の方法は、就業者人口が一定だとすれば、「労働価値」の上昇のみである。
そして、「労働価値」上昇=経済成長が近代経済論理(“資本の論理”)に適合するかたちでスムーズに持続できるのは、「労働価値」の上昇に連れて貿易収支の黒字が増加する場合のみである。
貿易黒字の増加がなければ、「労働価値」の上昇は、同一量の財を生産(供給)するために必要な労働力の減少を意味するので、デフレ要因(財供給量>需要=供給)及び失業者増加要因(デフレ要因の供給サイドへのリアクション)となり、デフレスパイラルに陥る。
ベースに供給力>供給>需要という構造があるのだから、デフレスパイラルは、供給力>供給のデフレギャップ部分をより拡大し、経済主体の破綻=不良債権の増加を招くことになる。
このような経済状況を解消する方法は、「労働価値」の上昇に応じて財の供給量の増加につながらないかたちで供給を増加させて、財供給量=需要=供給を実現させるしかない。
端的には、給与の増大である。
(財の供給量減少による調整は、単にさらなる低レベルでの財供給量>需要=供給にシフトさせるだけである)
財政出動による需要の増加でも対応可能だが、赤字財政の拡大ができないという現状であれば、それは増税で行わなければならない。
その増税も、資産税というストック課税ではなく、(黒字)法人税もしくは高所得者所得税の増税でなければ、持続的に対応することはできない。
(単発という割り切りで資産に課税することは容認できるが...)
(赤字)法人への課税強化は、破綻であれ自主的なものであれ供給力の削減には寄与するが、供給力と同時に供給=需要の削減と先行き不安感による需要削減をもたらすので、問題(デフレ不況)を解決しない。
需要サイドで解決を図るのであれば、政府が“国内で資本化しない”個別経済主体の利潤をできるだけ吸い上げる政策を採らなければ、デフレスパイラルから脱することはできない。
“国内で資本化しない”利潤を保有している個別経済主体は、政府に吸い上げられるか、自ら従業者の給与を上げるかしなければ、デフレスパイラルのなかで自らの経営基盤も劣化させていくことになる。
「利潤なき経済社会」は政策で好ましい経済条件を実現できるものであり、旧態依然とした経済価値観にしがみつくことで継続している現在の「デフレ不況」は、「利潤なき経済社会」とは比べることができないほど酷い経済状況である。
※ 経済論理的な基礎については、下記の書き込みをご参照ください。
直結しているのは、
『【世界経済のゆくえ】
「定常状態」あるいは「歴史段階的均衡」という経済状況』
『
「匿名希望」氏へのレス:微温主義の反撃』
の二つです。
次は、経済論理に対する全体的な説明です。
1)『
【世界経済を認識する基礎】
前半の“あっしら”的経済概念の説明
以下は、70年代から現在にかけての経済を概観した内容のものです。
【世界経済のゆくえ】カテゴリーの
『
世界経済にとって70年代はどういう時代だったのか』
『
経済支配層は70年代に何を考えたのか』
『
産業資本的利益育成から金融資本的利益収穫へ』
『
80年代以降の金融資本的収穫を支える価値観と経済政策』
『
日本経済が突きつけたマネタリズムへの“最後通牒”』

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