”まとも”な「利潤なき経済社会」というものを提示するに至った背景を理解していただくための「利潤」に関する補足説明と近代に至る歴史認識の簡単なまとめです。
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【利潤に関する簡単な捕捉説明】
利潤とは、本来、遠隔地交易による商業利潤であり、外部共同体から得る貸し出し利息である。
そのようなかたちで得られた利潤であれば、それを退蔵しようとも、共同体の経済活動が縮小することはない。
商業利潤と貸し出し利息の違いは、利潤を手に入れるための活動力の有無であり、拡大的再生産の可能性の有無である。
貸し出し利息は、自己の活動力ではなく、他者の活動力に依存して得るものであり、商人の活動力に依存する貸し出しも行われる。
(貸し出し利息と投資配当は、返済及び果実支払いの強制力があるかないかという違いがあり、根源的に性格が異なるものである)
商業利潤は、それを元手に組み込んで仕入れを増加させることを通じて拡大的再生産をもたらすこともあるが、貸し出し利息は、貸し出し利息をさらに取得するための追加的貸し出し原資となり、経済主体や国家をより苛酷な状況に追い込む可能性が高いものである。
外部国民経済から利潤(経常収支黒字)を獲得するか、貸し出し利息が追加的な貸し出しとして使われない限り、貸し出し利息分が、国民経済の“縮小再生産圧力”として積もっていくことになる。
利息が及ぼす“縮小再生産圧力”は、国家財政が危機にある日本の現状を見ればわかる。
近代の通貨制は、貸し出し利息をより多く稼ぐための“詐欺師”の仕組みである。
(日本はそのような意図で通貨制度が運用されているわけではないが...)
そして、“詐欺手法”の究極が現在の管理通貨制である。この“詐欺手法”は、高経済成長の源泉でもあるが、経済破綻の要因でもある。
共同体内商業活動で退蔵してしまう利潤を得たり、共同体内貸し出しで利息を得れば、共同体の生産・再生産活動は危殆に瀕することになる。
(利潤や利息が消費や投資に使われれば再生産活動に支障は生じないが、“高利貸し”(=銀行家)は、守銭奴的に保有通貨の増大を志向しがちである)
利潤や利息を得ても問題にならないのは、外部共同体からそれに見合う通貨的富の流入がある場合のみである。
(通貨的富の流入は、掠奪でも、返済しないのなら対外債務でもかまわない)
商業は、輸送業を兼ねていない限り、自己の活動力で「交換価値」(=「労働価値」)を生産するわけではなく、商品販売活動の一部を代行することで生産者が生産した「交換価値」の一部を譲り受けるだけである。
(このような論理が現実として貫徹するのは、社会的分業を基礎とした貨幣経済である「近代経済システム」のみである)
前近代の商業活動であれば、商才で利潤を得たとしても、多数の人の生存活動を引きずり込むレベルのものではなく限定的な経済活動であったから、それが社会的な問題を引き起こすことは少なかった。
(生存活動そのものが市場原理に規定されていたわけではない)
売値>仕入れ値+輸送費+手間賃(生活費)+店舗償却費であれば、商人に利潤が生じる。
(商人の生活費の多寡は問わない。派手に使えばそれに向けた供給活動が発生するので問題にならない)
「手間賃(生活費)+店舗償却費」は生産経済主体の商業活動の延長代行部分であり、それらに仕入れ値を加えたものが、商品として生産された財の「交換価値」(=「労働価値」)である。
宗教に関心がある人であれば、商人の宗教とも言えるイスラムが、利息取得を禁じたり、税や喜捨で商業利潤の吐き出しを求めた意味がわかるはずである。
(ユダヤ教(「旧約聖書」)も、同胞からの利息取得を禁じている)
共同体内から得る利息や利潤(使わず退蔵する利潤)は、共同体を疲弊させ沈滞させるものである。
米英が中心となって仕掛けている「対イスラム戦争」の根っこには共同体価値観や経済価値観をめぐる対立があり、米英支配層は、共同体(国家)統治や経済活動からイスラム価値観を排除し、イスラムを“心の問題”に閉じ込めようとしているのである。
(イスラムを、“近代化”したキリスト教やユダヤ教のようにしたいと思っていると考えてもらえばよい)
イスラム法国家が壊滅したとき、世界は、初めて近代価値観(法)をベースにした国家で覆い尽くされることになる。
(ちなみに、米英政権による攻撃が取り沙汰されているイラクは近代法国家でありイスラム法国家ではない)
セム系宗教として同根である変容したユダヤ・カソリック源流キリスト教とイスラムの対決が、「対イスラム戦争」の本質である。
(アジア的価値観はその柔軟性から“近代価値観”をなんとかうまく呑み込んだ。ギリシア・ロシアなど正教会的価値観国家は、ロシアに代表されるように、近代的価値観に引き寄せられつつある)
原油を中心とした資源問題だけではなく、このような価値観の対立を踏まえなければ、“代理人”である米国政権の対イスラム政策も見えない。
私は、“生産者主義”なので、イスラムを信仰しているわけでもないし、啓示宗教全般を受け入れてもいない。
【これから起きる「世界同時デフレ不況」は近代的手法では解消できない】
これから本格化すると予測している「世界同時デフレ不況」は、前回の「大恐慌」とは異なり、“余剰通貨”問題の源泉である利潤獲得目的の経済活動すなわち近代経済価値観を超克しない限り、乗り切ることができないだろうと考えている。
「近代経済システム」がその旺盛な増殖力によりグローバルな社会的分業を推し進めてきたことで、“余剰通貨”(使われない利潤)の増大が、「世界同時デフレ不況」を現出させることになった。
(それをなんとか防止してきたのがケインズ主義政策であるが、貧乏人にまで過大な負担を強いてもなお膨らんでいくという公的債務状況では、そのような防止能力はほとんどなくなったと言える)
それぞれの国民経済にとって外部国民経済(外国経済)が外部共同体とは言えないほど緊密なる世界経済構造になっており、政府部門の支出によって補うことができないほどの“余剰通貨”の増大は、世界同時的なデフレ不況を誘発せざるを得ない。
(“余剰通貨”が大きく動き始めるような新しい製品や用役が供給されるようになれば、一時しのぎにはなるが、現在の経済価値観が生きている限り、その供給を通じて再び“余剰通貨”が積み上がることになるから、近代の先延ばしだけで根源的な解決にはならない)
1929年に始まった「大恐慌」(「世界同時デフレ不況」)は、余剰通貨を減少させることになる戦争体制と第二次世界大戦を通じて生じた世界経済構造の変化によって乗り切ることができた。
(世界経済構造の変化とは、端的には通貨的富と供給力の米国一極集中)
しかし、世界経済構造が大局において変動する余地がないところまでグローバルな「近代経済システム」ができ上がった現在においては、先進国数ヶ国の供給力を破壊するような戦争が起きない限り、短期的にも乗り切ることができない。
(だから、日本は気をつけなければならない!)
失礼ながら、イラクをはじめとする中東地域に破壊的な軍事行動を仕掛けても、「デフレ不況」を解消することはできない。
戦後世界で達成された高経済成長は、第二次世界大戦で米国以外の多くの先進国が陥った壊滅的な経済状況の復興過程が経済指標として現れたものでしかなかったのである。
復興過程の軸となったのが米国経済である。
通貨的富の国際移動をベースに、物的供給力(生産財や原材料)を米国経済主体が輸出し、供給力を輸入した諸国の経済主体がそれによって生産した財の一部を米国に輸出することで、借りた通貨を米国に返済していくという国際的循環構造である。
米国に一極集中した通貨的富と財供給力を他の先進国に再分配し、輸入を媒介として再度通貨的富を米国が回収していくという過程が70年頃までの高度成長時代である。
高度成長後も米国の輸入に依存するという循環構造は残り、日本などの輸出国家は、通貨的富を米国に再配分する役回りに変わった。
(米国に通貨を貸して財を輸入してもらうという倒錯的な経済成長の追求である)
「近代経済システム」は、“新世界”と呼ばれたアメリカ大陸の通貨的富の略奪を資本の本源的蓄積として国際交易にいそしみ、それが西欧の通貨的富を減少させてしまうという状況を克服するために形成されたものである。
(“新世界”からの通貨的富の流入が欧州の商品生産を活気づけたが、その主力を担ったスペインとポルトガルは、近代に至る前に国際交易の覇権争いの戦いで敗れ去った)
産業革命以前は英国を中心とする西欧の輸入超過であるから、国際商人自体は通貨的富を増加させるとしても、欧州全域での通貨的富は減少し、最終的には輸入財も売れなくなってしまう。
これを解消する手法が、輸出商品を生産するための“産業革命”であり、インドや中国における強圧的な販売市場の確保である。
英国は、近代産業と軍事力を国際商人(金融家)の利益拡大のために一体化させ、インドや中国に流出した通貨的富の回収をはかり、新たな販売市場や植民地も拡大していった。
そして、その過程で増加していった通貨的富は、第一次・第二次世界大戦という大災厄を挟む歴史過程を通じて、周り回って米国にほとんどが“戻った”。
“新世界”から略奪されて流出した通貨的富が、“新世界”で覇権を打ち立てた米国に戻る過程で、世界全体が「近代経済システム」に組み込まれていったとも言える歴史である。
「近代経済システム」は、“新世界”で強盗的に国家を樹立しついには世界の経済覇権を握るまでに至った米国が、通貨的富の追加的流入が実現できずに対外債務を返済できない事態に陥ることで、終焉の兆しをあらわにすることになると考えている。
近代は、“新世界”からの略奪を端緒とした歴史段階であり、“新世界”に生まれた覇権国家が経済的に破綻することで幕を閉じなければならないことになる。
まさに、世界の通貨的富がゼロサムであることを如実に示す歴史過程である。
しかし、自然現象ではない経済システムは、自動的法則的に終焉を迎えるわけではない。
人々が知恵を絞って新たなシステムを創り上げない限り、世界中が、“近代の断末魔”がもたらす災厄にもがき続けることになる。

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