●国益はだれのためにある
これまで、西洋文明とひとくくりにして語ってきたが、別にすべての国が一丸となってまとまっているわけではない。それどころか争いは絶えることはなく、サバイバルゲームのような国取り合戦が、今世紀まで延々と続いた。
ここでヨーロッパのすべての国を網羅することは不可能だが、西洋文明には文明の先頭を走る国、すなわち主導権をとる国があり、それが時代と共に目まぐるしく入れ代わっている。それらの国々を押さえていくと、文明の全体像が見えてくるのである。
西洋文明の主流は、大航海時代からだと、スペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリス、アメリカである。そしていま西洋文明を従えているのがアメリカ、イギリス、フランスである。
西洋文明に共通していることは、傲慢なくせに、非常に臆病なことである。たとえば、相手には平気で武器を向けるが、自分が向けられると恐怖におののく。
まったくふざけた話しだが、これが文明の基本である。
同様に、相手には平気で侵略するが、自国が侵略されることを極端に恐れる。
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これでは他国と平和に暮らすなど、理想論にもならないのは当然だろう。なぜなら、自分のことは棚に上げ、他国が信用できないから他国に負けない軍事力を持とうとする傲慢さがあるからだ。
西洋文明が過剰防衛に走るのは、相手への不信感に凝り固まった自分の弱さ(恐怖心)を隠すための強がりに原因があった。おまけにその恐怖心を煽る人々がいたため、ますますひどくなっていったのである。
ヨーロッパ外交は、軍事力の均衡が重視された。国力が似通った国の集まりだったため、軍事同盟を結ぶことで、同盟国の軍事力を利用したり、同盟国から侵略される可能性を減らす外交戦術が発達した。
従って、ある国と同盟関係を結んだとしても、それは自国の国益のために相手国を利用する戦術でしかない。だから、同盟関係を結べば、親友になったわけではない。
たとえ、長年の同盟国でも、下手に借りを作れば、その借りはかならず返さなければならない。場合によっては、借りのために無理な要求をのまされる場合もあり、外交手腕が国家の存亡を左右するほどだ。
それを如実にあらわしているのが、イギリスとフランスの関係である。この二国は似たもの同士であり、ちょうどキツネとタヌキが、化かし合いをしているさまを想像するといい。何も知らないと、英仏協調路線を基本にした両国の結束は一見堅そうに思えるが、その実絶えず相手の腹をさぐり合い、いつだまされるか出し抜かれるかと気が抜けない間柄なのだ。
それに比べると、フランスとドイツの関係は非常に険悪だった。なぜなら、ヨーロッパの大国であるドイツが統一すると、フランスは劣勢になり、ドイツが分裂して弱体化すると盛り返したからだ。もちろんドイツは、統一していた時代より分裂していた時代の方が長かった。
他国の内政に干渉して、内部分裂を誘ったり混乱状態にさせることは、日本にはとても真似のできない高等テクニックである。フランスにとって、ドイツの分裂は自国の国益にかなっていた。第二次大戦後の東西分割も、敗戦国ドイツの宿命のようなものだった。
ちなみにイタリアも、ドイツと同じ領邦国家になり、長く分裂したまま一九世紀のイタリア王国建国まで、統一されることはなかった。イタリアの分裂も、フランスなど周辺諸国の国益にかなっていた。
このように西洋文明の基本は国益であり、国益のためならどんな手段でも使うのが常識である。ちょっと振り返って見ても、第二次大戦前、イギリスとフランスは、アドルフ=ヒットラーに妥協して、勝手に他国(チェコスロバキア)の領土を売り渡した。
大戦の直前には、日本と反共同盟を結んでいたはずのドイツが、社会主義国のソ連と中立条約を結んだ。その逆で、徹底した反ファシズムを主張していたソ連が、ドイツと手を組んだことも大変なことだった。従来の主義主張が、ある日突然反対になってしまうのだから尋常なことではない。
その後ドイツは、中立条約を破ってソ連へ侵略したが、イギリス、アメリカ連合軍は、西ヨーロッパの反攻作戦(二正面作戦)をなかなか開始しなかった。ファシズムのナチスドイツと、社会主義のソ連が戦って同士打ちになることは、世界戦略上でも自国の国益にとってもプラスになると考えていたからだ。
実質的な反攻作戦であるノルマンディー上陸作戦が開始されたのは、ドイツがソ連軍との戦いで消耗し弱体化した後だった。物資援助を受けていたとはいえ、ナチスを倒したのはソ連であり、イギリスやアメリカが戦勝を騒ぐのはおかしいのである。
そして第二次大戦が終わると、秘密条約により、戦前西側と同盟関係にあった東欧諸国がソ連へと売り渡された。
どの文明だろうが、国益を守ろうとするのは、当然の行為である。しかし、西洋文明ほど、過酷で手段を選ばない国益戦争を続けた文明はなかった。国益のためなら、自国民を核開発の人体実験に使うことさえ正当化した文明である。そのような文明にとって、他国を犠牲にするなど、どう考えても大したことではないことがわかるだろう。
それにしても自国民を犠牲にする国益とは、一体何なのだろうか。西洋文明の常識では、国家とは、国民の生命と財産を守るためにある。それを無視した本末転倒なことが、国益の名の下に許されている。国益とは、一体だれのためにあるのだろうか。
国益は、国家の利益でも、まして国民の利益でもなく、一部の人間の利益を国民全体の利益にすりかえてごまかすための詭弁だった。
だから、利権に関わる問題になると、いつも国民の意見が無視されてしまうのである。自分さえよければいい一部の人間の利益なら、国家の主義主張や国民の声とは正反対の動きがあってもおかしくないだろう。
社会主義陣営では、それがとくに明確だった。同じ社会主義でも、他の文明の方がよっぽど真面目だったからだ。破綻をきたす前に、市場経済化などの改革で徐々に方針転換していた。結果はともかく、すべてを放り出さずに何とかうまくやろう努力している。文明が違うと、たとえ同じことをやっていてもこれほど異なるのだった。
資本主義だろうが、社会主義だろうが、西洋文明にとっては、一部の人間が金儲けする手法が違っているに過ぎない。色々な主義主張はあっても、自分さえ良ければいい文明だから当然の成りゆきだった。
西洋文明の国益は、国家を利用した個人の利益でしかない。だから、正確にはビジネスであり、金儲けと呼ぶべきだろう。この国益の意味さえ知っていれば、西洋文明の実態が見えてくるのである。
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西洋文明の常識 森川 明氏著
本論文は以前ホームページ上で公開されていました。
大幅に加筆されたものが工学社によって出版されています。
西洋文明の常識
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