●教会から解放された文明
それでは次に、キリスト教と西洋文明の関係について見てみよう。
長い弾圧の時代を乗り越え、ようやくローマ帝国の国教として認められたが、帝国が東西に分裂すると教会も同様に分かれた。そのとき、西ローマ帝国のキリスト教の指導者として君臨したのが、ローマ=カトリック教会だった。
この関係も五世紀の終わりには、頼るべき西ローマ帝国が滅んでしまったためその拠り所を西ヨーロッパの権力者に求めた。一部の権力者は、それを受け入れ改宗したため、やがてヨーロッパはカトリックという正統派で統一されることになる。これが西洋文明とローマ教会の出会いだった。
一時は風前の灯火に近かった教会も、寄進により豊かになってくると、次第に国王をしのぐ大地主と化していった。そしていつしか宗教は、教会にとって都合の良いローマ=カトリック教へと変質していった。後に表面化した聖職売買や、免罪符に見られる腐敗など、ほんの氷山の一角に過ぎない。
前述した魔女狩りは、聖書が悪用されたもっともいい例である。教会は「まずイブが神をあざむき、さらにアダムを陥れた」と女性の罪を列挙して、女性差別を作り出した。さらに重箱の隅をつつくような聖書の解釈をおこない、女性の劣等性を理論づけたのである。
人気blogランキング <-- クリックしていただくと、より多くの方に読んでいただけます。ご協力お願いします。
社会的弱者に位置づけられた女性は、異端や異宗教にペストなど、あらゆる社会不安のスケープゴートとして生け贄にされた。ヨーロッパ全体で、推定九百万人(別の説では二百万人)の無実の人々が虐殺されたという。魔女狩りの被害者は、ほとんどが女性だったため、女性の暗黒時代だったといえるだろう。
その昔、病気治療は教会の役目だったが、ペストや天然痘など教会が直せない不治の病の問題が絶えず噴出していた。魔女狩りは、教会が解決できない難問を他人に責任転嫁するのに非常に便利だった。さらに、異端や異教徒の優れた医療を魔術と見なし、撲滅するためにも利用した。
教会が作り出した魔女狩りは、後に生まれた新教でも利用され、旧教と新教の宗教戦争の狭間で、さらに多くの人々が犠牲にされた。魔女狩りの惨劇が、あれほど拡大したのは、利権がらみの異端つぶしに利用されたせいだった。
西洋文明は、善を高めるために、悪の存在をより際立たせる。悪の権化である魔女と正反対に位置したのが、聖女であり聖人である。魔女の魔術と聖女の奇跡は、表裏一体であり、明確な違いはない。ただ、聖女や聖人になれた人々が教会の権威を高めた人物だったのは間違いなかった。
中世のヨーロッパ世界は、教会によって完全に支配されていた。教会は、人々が神と直接対話することを禁じ、神(聖書)を独占していたからだ。人々の考えが教義に入り込む余地はなく、だれもが同じ教義で縛られていた。文明に統一性があるのも、教会が違いを認めなかったことに原因がある。
教会への従属は、民衆だけでなく、領主や国王も同じだった。このような厳しい支配が続いたからこそ、過酷な弾圧を受けながらも絶えず異端を生み出していた。一六世紀の宗教改革は、長年続いた異端活動がついに成功した例だったのである。
宗教改革のきっかけは、教会の腐敗が最大の原因とされている。確かにその頃は、教皇の権威も地に堕ち、教会支配は弱まっていたが、それでも普通ならいつもの火あぶりだっただろう。では、どうして一六世紀に、異端活動が成功したのだろうか。
時代はちょうど、大航海時代のはじまりにあたり、教会の許しを得たスペインとポルトガルが、三大陸の植民地を独占して、大儲けしはじめた頃だった。これを他の列強諸国が黙って見ているはずがなかった。
教会に縛られ、搾取されることなく儲けるには、教会を捨ててしまうのが一番だったが、それには大義名分が必要である。そこへ教会を批判する新たな勢力があらわれた。ルターの出現は、完璧なタイミングだった。
ルターが目指した教会改革は、いつしか反教会の流れへと変質し、続々とローマ教会と決別すると、海外へ進出していった。宗教改革を契機に、実に多くの国々が教会と手を切ったのは、国王や領主などの権力拡大と金儲けへの欲求が、最大の要因だった。
イギリスの国王ヘンリー八世は、教会が禁止していた離婚問題で争ったあげ句一五三四年、自らイギリス国教会(新教)を作ってしまった。ちなみにこの年はあのインカ帝国が滅ぼされた年にあたる。
国王の離婚問題は、教会に反旗を翻すための完全ないいわけであり、国王自身が新教の長になることで、教会支配から抜け出そうと企んだ。さらに教会が保持していた国内のばく大な財産を没収することで、目先の利益も手にしていた。
一方、フランスのように、新教国にはならなかった国は「王権神授説」を用いることで旧教(ローマ=カトリック教)を保ちつつ、教会支配から脱する方法をとった。
先にイギリスで用いられた王権神授説は、国王の失政さえ正当化してしまう武断政治の典型であり、支配される民衆にとって、教会支配が国王支配に変わったに過ぎなかった。そのため今度は、国王から過酷な搾取を受けることになり、その反発が、後の革命運動を引きおこすきっかけになったのである。
宗教改革から生まれた新教で、もっとも重要なことは、資本主義の本質ともいえる個人の利益追求(蓄財)を認めていたことだろう。一部のカトリックが反省する中で、大陸に渡った多くの新教徒がほとんど変わらなかったのも、勤勉と共に蓄財を認めていたことを考えれば、当然の結果だったことがわかるだろう。
前へ 次へ
-----------------------
西洋文明の常識 森川 明氏著
本論文は以前ホームページ上で公開されていました。
大幅に加筆されたものが工学社によって出版されています。
西洋文明の常識
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4875932154/