●西洋文明が世界進出できたわけ
いまでこそ繁栄しているが、西洋文明は、地理的にも文化的にも閉ざされた遅れた文明だった。あのローマ帝国でさえ、支配が及んだのは、西ヨーロッパと地中海沿岸であり、メソポタミアへの進出は一時的なものだった。実際、この地から大きく踏み出したものは、アレクサンダー大王ぐらいである。もちろん彼は、ヨーロッパの英雄として別格の扱いを受けている。
とはいうものの、これは歴史をさかのぼり過ぎで、本当の西洋文明史は、西ローマ帝国の滅亡後からはじまっていた。なぜなら、文明を受け継いだどころか、崩壊したといった方がよかったからだ。ローマ文明の痕跡は、廃墟として残るだけで、狩猟採集民族だったこともあり、潅漑施設どころか基本的な農業技術に劣り、牧畜をすることで何とか生計を立てていた。
後に生産性はいくぶん向上したものの、頻繁に飢饉に襲われ、ヨーロッパが飢餓の心配から解放されるようになったのは、アメリカ大陸からやせた土地でも育つジャガイモや牧畜に大変役に立ったトウモロコシなど新種の作物が入ってきてからだった。
世界の潮流から取り残されていた文明は、しばしばアジア文明の脅威にさらされていた。比較的大きなものだけでも、四世紀のフン族、八世紀のウマイヤ朝、一三世紀のモンゴル、そして一四世紀からのオスマン=トルコがあげられる。それだけ、アジアとの力関係に差があったといえよう。
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ヨーロッパは、とにかく弱い文明だった。弱かったからこそ、かなわない相手を極端に恐れ、劣等感を抱くと同時に、何とか文明の差を乗り越えようとした。その契機となったのが、一五世紀頃から一六世紀にかけてイタリアで盛んになりヨーロッパ全体へと広がったルネサンス運動である。
ルネサンスとは、再生という意味である。では、一体何が再生したというのだろうか。
ルネサンスは、廃れて久しかったローマ文明を取り入れることで、「西洋文明らしさが再生された」ことを意味していた。ローマ帝国の末裔と称していた文明だが、その実ほとんど何も継承していなかったからだ。
現在の欧米にギリシャやローマの影響が見られるのも、そのほとんどが後になって学んだものだった。唯一完全な形で引き継いだのが、キリスト教であるが、それさえもローマ教会の要請で改宗したためだった。
ルネサンスへ至るきっかけとなったのは、バルカン半島やイベリア半島などでイスラムとの接触があったお陰である。学問の研究が盛んなイスラム文明を通して、両文明のことを学んでいた。
さらに、オスマン=トルコのギリシャ征服や、一四五三年、ついにビザンチン帝国(東ローマ帝国)が滅ぼされたことで、南東ヨーロッパの文明を受け継いだ学者が、西ヨーロッパへ移住したこともあった。
わざわざ過去の遺産を復活させたのは、もちろんイスラム文明の影響が大きかったためだ。比較にならないほど進んだイスラムに対抗していくためには、文明としても、それに類するだけの独自性を確立する必要があった。
しかし、ギリシャやローマ文明だけを学んでいたら、古代へ逆戻りすることになってしまう。現代の西洋文明は、アジア(イスラム、インド、中国)文明を基盤にしてローマの文化で飾り、それを発展させたものに過ぎなかった。ルネサンス期に、西洋文明が生み出したものがほとんどなかったのも当然である。
ルネサンスから見いだされ、後に発展したのが、現在の西洋文明を支える科学である。レオナルド=ダ=ビンチが、芸術面より科学で讃えられるようになったのも、中世のヨーロッパが少しでも優秀だったことを示したいからなのだろう。
貧しくて弱かった文明にとって、ローマ帝国の繁栄は魅力的だった。帝国が手にしたあの強さと豊かさが欲しかった。そこで帝国が繁栄した秘訣を歴史の中から学びとったのである。では、西洋文明が学んだローマ帝国とは、一体どのような文明だったのだろうか。
ローマ帝国は、ひと言でいうなら略奪国家だった。首都ローマへたくさんの富が流れ込んだのは、戦争で得た略奪品と、植民地からの搾取があったお陰である。奴隷労働で社会基盤を支えつつ、植民地や奴隷の反乱を力で押さえ込み、さらなる侵略をするための強い軍隊を持っていたからこそ、帝国は繁栄した。
ローマが手本にしたギリシャも、当然、植民市と奴隷制度を基盤にしていた。
ギリシャの偉大な哲学者であるアリストテレスは、「人種差別による奴隷制は正統である」と認めていた。権威のある学者の理論的裏付けは、いつの時代も重要である。
ヨーロッパの人種偏見を決定づけたのも、元をたどれば、ギリシャの人種偏見に基づいた異文明への誤った見解を学んだせいだった。世界の常識を何ひとつ知らない文明にとって、ギリシャの思想がどれほど悪い影響を与えたのかは、いうまでもないだろう。
ギリシャ文明、ローマ文明、そして長い空白の後、西洋文明がそれを引き継いだ。人文(人間)主義のギリシャに学んだローマ帝国は、当然のことながら自己中心的な文明になっていった。それを後の西洋文明が、とくに悪い面をそのまま模倣したのである。
後に、欧米の象徴となった帝国主義は、強い軍事力、奴隷労働、そして植民地経営を柱にした。これらはすべて、ローマ帝国を手本としており、帝国の再現を全世界でやってのけたのだった。
では、ローマ帝国を再現した中で、軍事力、奴隷、植民地の三点に注目して見て欲しい。
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西洋文明の常識 森川 明氏著
本論文は以前ホームページ上で公開されていました。
大幅に加筆されたものが工学社によって出版されています。
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