●西洋文明と東アジア文明の違い
日本は、このような文明を真似た。だから、欧米がやったこととまった同じくことをやった。それは他国に対してだけでない。自分の文明を見失った日本は、自国が生み出した優れた文化さえ破壊してしまった。すべては、日本の西洋文明化のせいである。
西洋文明は、「悪」を強調することで「善」を高め、「悪」の脅威をふれまわることでまとまってきた。はじめから共存を否定しているので、まとまるためには、どこかに「悪」という「敵」が必要になる。
一方、東アジア文明は、「共存」が基本だった。西洋文明は「異質な敵」を見つけ出し「排除」するのが常識だったが、東アジア文明は「異質」の「混在」が常識だった。過去から現在まで、東アジアが同じだったことはない。両者の歴史を比較してみれば、文明に本質的な違いがあったことがわかるだろう。
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欧米のように、わざと違いを際立たせ、すべてを善悪で判断しようとしたら、永遠に共存(和)などありえない。違いを認めることが、共存への第一歩だからだ。自分と違うものをみな敵にしてしまえば、いつまでたっても平和がくるはずがないだろう。
西洋文明と東アジア文明は、まったく正反対といっていいほど異なる文明だった。基本となる価値観が違いすぎるため、文明の観点から語らないととんでもない過ちを犯す。それなのに、文明の違いを無視して強引に比較してくるので、東アジア文明など存在しないとまでいい出す人間がいる。西洋文明の常識を世界の常識にしてしまうのは、とんでもない誤りである。
東アジア文明は、ひと言でいうなら多様性である。東アジア文明には寛容という共通点があるから、文明の多様性を保っていられる。
西洋文明は、同一性である。だが、同一性があるのは、排他的な文明だからだ。常に自分の考えを他人に押しつけ、多様性を認めないからみな同じなのだ。
東アジア文明は、たとえていうなら寄せ鍋だろう。寄せ鍋の良さは、ひとつ一つの具がダシとなって、互いに生かしあっている点である。あくまで、似ていて異なる文明なので、具のひとつを取り上げて、それが寄せ鍋だとはいえない。
寄せ鍋をするなら、同じ鍋に色々な具を入れる寛容さが必要である。この「多様性」を許す「寛容さ」で「共存」することで、ひとつのまとまりになっていた。
西洋のように、「排他性」で「同一性」を保つのとは、本質的に違うのである。
それにも関わらず、東アジアはバラバラで共通点がないから、「西洋文明の常識で、東アジアを統一しろ」と平気で主張する人間までいる。驚いたことに、東アジアの多様性を評価するどころか、悪いことだといっている。民族にも宗教にもこだわらずに、みんなで仲良く共存してきた文明を否定して、常に自分が正しいといって譲らない文明を受け入れることが本当にいいことなのだろうか。
資本主義や民主主義は、“一本化された文明が作った制度”である。それを多様性のある文明が取り入れれば、矛盾が生まれて当然なのだ。だからこそ、日本型資本主義も誕生した。
日本型資本主義と欧米型の違いは、自分さえよければいい資本主義と、みんなで豊かさを分かち合う違いである。この差は、すべて文明から生まれていた。東アジア経済が復活したのも、日本が無意識に進めた共存の概念のお陰だった。
もし日本が自分さえ儲かっていればいいと考えたら、東アジア経済の復興などありえなかっただろう。
すべては、文明の違いをどう解決するかにあった。資本主義や民主主義のために「自分の文明を捨てる」のか、それとも資本主義と民主主義の方を妥協させて「自分の文明に合わせる」のか、どちらの道を選ぶのかである。
西洋文明の常識から逃れなくては、東アジア文明の価値を見い出すことはできない。東アジア文明を愚弄する前に、まず理解することが必要だろう。
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第三章 西洋文明史の常識
西洋文明の歴史はここからはじまる
キリスト教徒の常識
教会から解放された文明
モラルと宗教の関係
西洋文明が世界進出できたわけ
奴隷貿易で儲けた大英帝国
ほとんどの植民地が味わった悲劇
資本主義が確立した理由
西洋文明と東アジア文明の違い
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西洋文明の常識 森川 明氏著
本論文は以前ホームページ上で公開されていました。
大幅に加筆されたものが工学社によって出版されています。
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