●自然との共存を選んだ日本
人間の欲望には、限りがない。欲望を満たそうとすることで、真っ先に被害を被るのが自然である。従って、自然とのつき合い方を見れば、その文明がどれくらい人間の欲望を抑えていたかがわかる。
ひと昔前までの日本は、自然と一体化した文明を築いていた。昔の日本人の自然観を、端的に示していたのが、以前ならどこでも見られた田園風景だった。
日本には、とにかく山が多かったため、山とのつき合い方が重要だった。山とのバランスを保つために、信仰からは「霊山」として、みだりに立ち入ることを禁じていた。
日常生活のために使っていた山は、「里山」と呼ばれ、丹念に手入れされ、地力を損なわないよう工夫して利用していた。里山は、自然と人間のバランスを保つ、重要な役割を果たしていた。
人気blogランキング <-- クリックしていただくと、より多くの方に読んでいただけます。ご協力お願いします。
山と接する農地でも、バランスは保たれていた。山林を切り開いて、たんぼを作ってもある程度までなら、たんぼが人工のダムになった。稲作のために作った小川やため池も、そのまま小動物のすみかになりえた。植林され手入れされた里山にも、動物たちのすみかは残されていた。
農業の歴史は、森林破壊の歴史でもある。農地を作るために、森林が伐採されさらに農地が拡大され、やがて森林は消滅してしまう。古代から、そのくり返しだった。
日本にも、森林伐採に関する記録は、たくさん残っている。日常生活のためにある程度の森林破壊は避けられないことだったが、日本の宗教が森林や山を神聖視したことや、稲作には水が必要だったこと、さらには森林が洪水を防いでいる
ことを知っていたため、むやみな伐採を規制させていたのだ。
とはいうものの、実際に自然を残すとなると、恐ろしく大変なことだった。
「昔だから自然が残っていた」と思うのは、大間違いである。狭い日本に自然が残されていた本当の理由は、日本人が自然の掟に従っていたからだった。
古代から現代まで、人類が背負っている究極の課題、それは人口増加である。この問題は、いまだに解決していない難問である。
ところが、鎖国をしていた日本では、新田開発が頭打ちになる一八世紀に入ると、人口がほぼ三千万人で横ばいになり、そのまま明治維新まで保った。驚いたことに、他の多くの文明が失敗した自然を保ちつつ人口を安定させる離れ業を、いとも簡単にやってのけていた。
江戸時代には、定期的に大飢饉がおきていた。原因のひとつには、領主などの無策もあったらしい。また、普段でも、子供の死亡率は非常に高かった。
しかしそれは、増え過ぎた人口を抑制し、自然淘汰がもたらす自然の摂理に従っていることを意味していた。もし日本人が、自分さえよければいいと考え、無理矢理にでも生き残ろうとしたら、すべての自然を破壊してでも生き残る術を探したからだ。
文明の崩壊は、そのほとんどが自然破壊からはじまる。欲望を満たすために際限なく自然を破壊し、人口の増加がそれに拍車をかけ、干ばつや水害を引きおこす。天災で作物がとれなくなると、飢饉で体力がなくなった人々の間に疫病が蔓延する。この悪夢から逃れようとして、さらに大規模な自然破壊をする。人類はこのような過ちを、延々とくり返したのである。
世界中の文明は、繁栄をおう歌するたびに大規模な自然破壊をし、それが直接的または間接的な原因で滅んでいった。とはいえ、失敗を教訓にして、自然に逆らわずに共存する術を必死に模索していた。
中でも、島国であり鎖国といった限られた環境の中で生きた日本は、実に興味深い実績を残したといえるだろう。
前へ 次へ
-----------------------
西洋文明の常識 森川 明氏著
本論文は以前ホームページ上で公開されていました。
大幅に加筆されたものが工学社によって出版されています。
西洋文明の常識
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4875932154/